人違いです。

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底なし沼にて

102.

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 1歩歩けば10が死に、10度武器を振るえばば50が死ぬ。そんな吟遊詩人の大袈裟な語り草が今まさに目の前で現実となっている。


「シャル、殺して急ごう」
「急いで殺そう、シャロン」


 眼前に広がる惨状を見て横を走っていた革命軍の平民が走りながら苦しそうに嘔吐いているのを一瞥し、カンナ・カルミアは深い溜息を吐いた。確かに元々本格的な戦場に立ったことのない彼等に味合わせるにはあまりに酷な初陣である。……それなりに覚悟を決めて来たとはいえ、だ。
 「えい」と軽い一声で5人ほどの騎士を真っ二つにし、「よっ」と少し力を入れれば10人の脳味噌が破裂する。恐ろしすぎるだろう。

 対して飛び散る臓物や肉塊戦場で慣れっことなったカンナは、凄惨な光景に特段動揺することも無くーー寧ろ微かに自嘲の笑みさえ浮かべていた。もしも立場が違えば、今頃「ああ」なっていたのは自分達かもしれない。実際に『リリアナの戦い』では自分の足が肉片となった。
 とはいえ、敵にすれば彼ら双子は末恐ろしい化け物だが、味方としてはこれ以上ない程頼りになるのだから……怖がるだけ無駄というものである。ーーなんて自分に言い聞かせ、しかし変わらず己の心の奥底を這いずっている醜い劣等感にカンナは顔を歪めた。


「全く、……嫌になってしまうな」


 このような事態にならなければ目を合わせる事すら叶わなかったであろう格上の第2部隊隊長や第4部隊隊長が、己を正しく無能だと評価している事を知っている。かつて自分を親友だと言ってくれたレーネさえも、カンナの強さを頼りにしていた訳では無かった。
 それは実力上仕方の無い事とはいえ、一般騎士として長らくの間同格の人間と共に戦地を這いずってきたカンナにとって、周りに格上ばかりが集まる現状は中々に鬱屈した感情が溜まるもので。
 アリスや目の前の2人のように、見た目が自分よりも遥かに幼い者もいるのだから尚更だった。

 カンナは小さく息を吐き、燻る感情に蓋をするようにするりと冷たい義肢を撫でて、眼前に迫る扉を見上げる。


「……やっと、会える」


 『目的地』はもう目と鼻の先だ。『リリアナの戦い』から命からがら離脱してきて以来、ずっとずっとーーたった3人の友の為だけに生きてきたのだから。

 第1王子の侍女となってしまったカレン。
 おおらかで、でも勇猛な君は最期の最期まで美しく生きていたね。出来ればもっと長く生きようとして欲しかったけれど。
 僕に代わってレーネを支える道を選んでくれたアリア。
 きっと今もヘイデル王国でレーネを救う為に必死に奔走しているのだろう。
 そして、優秀過ぎたが故にこの王国に歪められてしまったレーネ。
 君が立っているバルコニーから僕が立つ地上にまで、君の心臓の軋みが聞こえてくるようだ。

 いつかは4人で暮らそう、なんて言った日もあった。幾つもの懐かしい思い出の数々が走馬灯のように蘇っては消えていく。ーーあぁ、心が張り裂けそうだ。

 
「カンナ、次はどうすればいい」
「殺す?嬲る?進む?退く?」
「…………そうだな。殺して前に進もうか。生憎嬲るのは趣味じゃないんだ」
「「分かった」」


 双子の可愛らしい声が鈴のように響き、沈み始めていた意識が浮上する。今はまだ、その時じゃない。悲しむのも泣き叫ぶのもカレンのーーーーいや、いい。それら全て、勝利の喝采を聞いた後だ。

 ……そう言えば。
 彼等2人ともそこそこの付き合いになったものだと思う。彼等は僕如きの判断を重宝してくれるし、言うまでもなくカンナは彼等の武力を重宝している。所謂「利害の一致」と言うやつだろうか。彼等が革命軍に協力するようになってからは、時折ご飯を一緒に食べたりもした。
 しかし、どれ程美味しい食べ物を食べても面白い話を聞いても仲間が命を落としても、カンナは終ぞ彼等の表情筋が動く所を見た事がない。

 レーネを想う時、以外で。

 今だってその強靭な脚力を活かしてひとっ飛びにレーネの元へと飛んでいきたいだろうに。少年少女の首を伝う汗を一瞥し、カンナはクスリと苦笑を漏らす。すると、その音を敏感に感知したらしい彼等がギョロリと大きな血色の瞳を此方へ向けた。


「「なに」」
「……いいや、君達の献身に感謝しているだけさ」
「「献身?」」
「君たちがいるお陰で助かっているということさ」


 彼等が敵を叩きのめしているのは紛れもなく革命軍の為に他ならない。何故なら、彼等が本来の目的の為だけに動くのならば、カンナを含めたここに居る雑兵達は単なる足枷に過ぎないのだから。
 そう言ってカンナが穏やかな笑みを浮かべると、その間にも敵騎士を1人ずつ縦横にそれぞれ真っ二つにしていたシャルとシャロンはコテンと可愛らしく首を傾げた。その姿は見た目の容姿相応にとても可愛らしいが、如何せん返り血塗れで全く此方に見惚れる隙を与えてくれない。

 まぁ、何はともあれ、彼らも変わったということだろう。少なくとも革命軍にやってきたばかりの頃の2人は周囲の雑魚に気を遣った戦い方などしていなかった。微笑ましい変化(当社比)である。
 素直に感謝を口にすると、シャルとシャロンは今度は反対側に2人そろって首を傾げた。


「ぇ、ちょっ、――『護れ』!!」

 ――どぷん。

 先程まで彼らの顔面があった位置から唐突に現れた投げ槍。慌てて水の防護魔法を展開して呑みこみ、威力を抑え込む。まさに目と鼻の先で停止したそれ。カンナは防御が間に合った事に大きく安堵の息を吐き、魔法を解いて地面へと投げ捨てた。
 すると、その間にも素早く投げた本人を縦に真っ二つにしたシャルがぼうっとした瞳でカンナを振り返る。カンナも緊張でバックンバックン拍動する心臓を何とか抑え込み、彼を見返した。


「当てにするな。俺達は早くレーネの所に行きたい。城内に入れば好きにしていいと毒舌王子に言われた」
「僕は純粋に君たちの変化に感動しているだけさ。レーネもきっと喜ぶ」
「……喜ばない。レーネは俺とシャロンを裏切り者だって言った」


 愛しい彼の名を呼んだ途端蒼白になったシャルを慰めるように、片割れが肩を引っ付ける。そのままその肩越しにゾッとするような殺意を向けられ、カンナは思わず苦笑を零した。それでも尚此方にハルバードを振るわない当たり――おっとこれ以上はやめておこう。ここまでの殺気には流石に慣れていないんだ。

 徐々に徐々に着実に近づいてくる王城の扉を見つめ、再度集中する。レーネの強靭な風魔法は一旦成りを顰め、比較的戦況はこちら側に向いていた。

 とはいえ、この戦いに勝つことだけがカンナの目的ではない。

『――どうか。どうか、弟を頼む。たとえ心を失っても、命だけは助けてくれ』
『助けます。命も、心も』

 たった1人の家族となってしまった弟を想い、今にも零れ落ちそうな涙を必死に手巾で拭いながらも伯爵家の自分に頭を下げた公爵家の当主。愛する両親を殺されても尚、弟を憎むことができない憐れな男だ。既に、彼の生還は自分だけの目的ではない。戦場に立つ事が出来ない彼の為にも、カンナが頑張らなくてはならないのだ。
 しかし、此処にいる革命軍のほとんどは保守派の騎士筆頭としてレーネを殺そうとするだろう。


「……それじゃあ、困るんだよ」
「?あんた、なんか言ったか?」
「何でもないさ」


 ぼそりと呟いた言葉を微かに拾ったらしい隣の男に訝し気な表情を向けられ、カンナはにこやかな笑みを取り繕う。そして、可憐な相貌を向けられた彼がボッと頬を染めるのなんて欠片も気にすることなく、唇を噛んだ。

 一度攻撃が止まっているということはつまり、一度限界を迎えたということだ。……すなわち、また一つ死に近づいたということ。最早一刻の猶予もない。


「まずは……」

『そもそも、レーネはここで死んでいい存在じゃないんだ』
『それは……どういう、』
『……君には関係のないことだ』

 脳内を霞めるいけ好かない公爵貴族の言葉に眉を顰める。義肢の魔核に絶え間なく魔力を補充してやりながら、胸元を飾る青いロサの花に触れた。するとじわじわと漲ってくる力を感じて顰めっ面から笑みがこぼれ落ちる。がカンナ達の革命を応援してくれているのだ。


「レーネと、ーーアリスかな」


 おそらくレーネの元には先にアリスが向かっているはずだ。彼女とレーネの戦闘が開始されれば、流石のレーネも王室を護る結界を維持する事は難しくなる。そうすれば第2王子殿下と飛龍の攻撃はきっと通るはずで――まぁ、つまり何とかしてしまわないとどうにもならない訳で。厄介すぎる。
 革命が始まるやいなや、真っ先に火魔法を使ってすっ飛んでいった血色の少女の悪辣極まる笑顔を思い返す。知らず重い溜息が出た。

 レーネもアリスも、如何にか方向に向かってくれればと思うのは傲慢だろうか。


 きっと傲慢なのだろう。















「は、……ッ―――はっ、は、…ぁ」


 死ぬ。マジで死ぬ。これは本当に死ぬ。

 心臓を握りつぶされるような激痛に胸を押さえ、必死に呼吸を整える。しかしバクバクと異常な心拍数でもって活動し続けるそこは一向に収まる気配を見せず、上がる体温と流れる冷や汗にガタガタと身体が震える始末。最早立っている事さえ億劫で、俺はズルズルと柵にもたれ掛かるようにして床にしゃがみ込んだ。
 ぐわん、と視界が回る不快な感覚が気持ち悪くて硬く目を瞑る。

 注射針を右腕に突き刺し、冷や汗を拭う。
 魔力増幅薬は残り8本。既にこの戦いが始まってから3本消費している。それはつまり3ということで。この世の摂理に反した行動をそう何度も神がお許しになるはずもなく、己の核がズタズタに引き裂かれるような激痛が絶えず俺を襲っていた。……あぁ、痛いのは苦手なのだけれど。
 下方では、止んだ攻撃に触発されたのか大歓声と気合に溢れた雄たけびが上がっている。その声が風圧となって徐々に近づいてくるのも、俺の神経を擦り減らす要因の1つになっていて。しかし、少しでも気を抜いてしまえば集中力が途切れ陛下達を守っている魔法結界に支障が出てしまうため、俺は痛むこめかみに指を押し当てて誤魔化しつつ再度結界を強化した。騎士団長達は少しくらい俺を手伝ってもいいと思う。


「っは、は、ゲホッ……今だけは、世界で一番、…不幸な自信がある……」


 すかさず飛んでくる鮮烈な火魔法を払いのけ、呼吸を整える。次いで存外不貞腐れたような響きで放たれた「ぼやき」に苦笑が漏れた。
 現状を不幸だと叫ぶ権利などとうの昔に失ってしまったというのに、俺という人間は何処まで意地汚いのだろう。

 ――なんて。意味のない一人問答は今日も健在である。安定剤と鎮痛剤も1本ずつ突き刺しておいた。

 ふらりとよろめきながらも立ち上がり、再び広場を見下ろす。やはり先程よりも軍勢が近づく速度は上がっていて、少しばかり確認した事を後悔した。着々と迫りくる死の気配に胸がざわつく。
 

「この中に、カンナもいるんだよなぁ……」


 死んだと思っていた親友の優しい魔力を思い出す。

 カンナ・カルミア。『リリアナの戦い』で死んでしまったーーーーと、思っていた親友。本来ならば生きていたことを喜ぶべきなのだろう。「感動の再会」とやらに涙するべきなのだろう。第4部隊隊長の火魔法を癒し尽くした彼の魔力を今か今かと待ち望むべきなのだろう。
 微塵も浮かんでこないそれらの感情を脳内で羅列しながらも、魔力を練り上げる。そして「薙ぎ払え」と小さく囁けば、巨大な竜巻となった風魔法が人々を細切れにし始めた。先程とは毛色の違う絶叫が響き渡り、胸がすくような感覚になる。――我ながら悪人っぷりが極まっていて何より。


「死んどけよ」

 
 敵になるくらいなら、死んでいてくれれば良かったのだ。そうすれば唯々彼との思い出に浸ることが出来たのに。あの日詠んだ優しくて清らかな魔力に対して悪辣な感情を持たずに済んだというのに。

 グシャリと胸元を掴めば、陽だまりのようなあたたかさが俺の心を和らげてくれる。


「……見ていて」


 フィオーレ王国がまた、誰もが羨むような強国として名を轟かせる未来にする為に頑張るから。
 革新派は王様とも宜しくやっているようだったから、もしかしたら革命が終われば停戦どころか終戦になるかもしれない。そうすれば、ノアや生徒会の皆様がフィオーレ王国に旅行に来れるかもしれない。

 フィオーレ王国も、……王様が築いてきたヘイデル王国に負けないくらい素晴らしい国なんですよって。皆に知って欲しい。


「っ…ゲホッ」

 ーーびちゃっ。

 不快な音を立てて真白の床に落ちる鮮血を見下ろす。
 あぁ、自分は今から死んでしまうんだなぁーーなんて。何処か遠い思考が俺にヒソヒソと囁いてくる。最早これが幻聴なのか本当の声なのかの区別すらもつかない。
 試しに袖を捲って安定剤をもう1本投与すれば途端に静かな部屋に戻ったから、幻聴だったらしい。腕ももう注射痕でボロボロだ。


「……つぎからは、足にするか」
「足だと咄嗟に脱ぎにくいんじゃないかい?」
「あーー……たしかに。君だったらどうする?」
「うーん。ぼくは首に刺されたよ」


 首かぁ。首かー。首は包帯がなぁ。第1部隊隊長に焼かれた首は見事に痕が残っている。包帯も魔具製のものを使用しているので無駄に外部からの攻撃を通さないのだ。注射針だって跳ね返してしまうだろう。とはいえ、外したら外したでが俺の喉を焼く。つまり、いい案だが不採用である。無言で首を振ると、先程から俺の隣に立っていた血色の少女は「おや、残念」とちっとも残念ではなさそうな笑顔で呟いた。
 ふわりと退屈そうに欠伸をする少女から視線を外し、俺はゆっくりと前を向く。そして荒れ狂う竜巻に更に魔力を込めてやれば、また一際大きな悲鳴が上がった。

 反対に、クスクスと酷薄に笑う少女。彼女の髪や目を見ると、少しだけ殺戮の衝動が抑えられて楽になるのだ。


「酷いことをするね。きっと物凄く痛いのだよ」
「……そう」
「ああ可哀想に。ーーおやおや!彼処でまた首が飛んだよ!」


 ポーン、と勢いよく飛ぶんだねぇ。流石は風の力だねぇ。と柵に両手をつき身を乗り出して楽しそうにケラケラ笑う彼女の真っ赤な髪を見つめる。


「…………君、何しに来たの」
「おや、そうだったそうだった。つい戦場に立つと目的を忘れてしまうからいけないね」


 存外呆れを含んだ俺の声が響く。すると、少女はニッコリと可愛らしく笑って惨劇から視線を外し、軽やかに俺の方を振り返った。


「ドレス、似合ってる」
「ありがとう。今日は晴れ舞台だからね。とびきりお洒落してみたんだ」
「晴れ舞台ねぇ……」


 真っ白な生地に美しい薄水色の糸で刺繍が凝らされた膝丈のスカートが、振り返った拍子にふわりと優雅に翻る。彼女が纏っているドレスは勿論、真っ赤な髪を耳上で2つに結わえたこれまた真っ白なリボンもお洒落で美しく。もしここが生死を彷徨う戦場となっていなければ、絢爛豪華な王城の背景も相まって神秘的な絵のようになっていただろうに。
 ……で、女好きな陛下あたりが真っ先に虜になっていそうだ。

 が、その後ろ手に握られた大槍を見れば、途端に顔色を蒼白にして逃げ出すに違いない。身の丈2倍はありそうなそれに思わず口元をひくつかせれば、対面した少女はコテンと首を傾げた。


「でかくね?槍」 
「そうかな。でもあんまり細いとポキッと折ってしまうのさ。手で」
「手で」
「手で。こう」

 
 そう言って何かを手折る様な仕草をする。その手つきやめな?怖いから。


「…………今から俺対君?」
「アリスと気軽に呼んでくれて構わないよ?そして答えは『はい』だね」


 あからさまに嫌そうな顔をしていたのだろう。アリスは口元に手を添えてクスクスと上品に笑った。


「ふふ、正直者は好きだよ。そうだね。いきなり戦闘……と行きたいところだけれど、生憎ぼくは野蛮人でも化け物でもないはずだ」
「……」
「少しだけ、お話をしようか」




 
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