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お嬢様の考査 & 誘惑

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 トイレから部屋に戻ると彼女からいきなり声がかかった。

「男性はずいぶんと早いのね」

 彼女の無意識な感想が心に突き刺さる。だが、今の俺はその言葉をなんとか持ちこたえるだけの心の余裕はできていた。おかげでなんとか耐えきれるが、彼女の次の言葉で俺は完全に折れそうになった。

「私はここから逃げたいの。手伝ってくれますか?」

「なんで俺なんっすか……」

 今日一日彼女にどれだけ振り回されただろうか。役得と言える所だらけと言われてしまえばそうだが、女性との関係なんて今まで持ったこと無い俺が、こんな綺麗な美少女と一緒に居るだけで精神をガリガリと削り取られてしまいそうなこんな俺が、どれだけ異性に対する耐久力を持っていると思うのだ。伊達に童貞じゃ無いと叫びたい。実際は、恥ずかしいために叫べないのだが。
 そのため、自分の悲鳴、泣きそうな自分の心の言葉が漏れ出た。
 しかし、彼女は凜として対応してくる。

「ヒトシは今の現状をおかしいと思っているでしょう。それに、私が監禁されているという状況を不自然にも思っている。そのようなまともな思考を持っている者を待っていました」

「俺は平凡な普通の会社員ですよ……」

 俺は、彼女から解放されたい気持ちで自分の心情を吐露する。

「ここが平凡な普通の会社だと思えるのですか?」

 しかし、彼女は俺の言葉を真っ向から否定してきた。

「ヒトシの居る会社は、普通に女性を拉致監禁すると言うのですね?」

 何も言えずに黙っていると、彼女はたたみかけるように俺に質問を投げかけてくる。

「それは……、おかしい……」

 確かに当たり前だ。一般の会社が大企業のお嬢さんを拉致監禁しているのが普通だとしたら、どれだけ今の日本は歪んでいるのだろうかと。第一、そのおかしい事を指摘したから俺はこのような所に移されたのでは無いかと。
 おかしい事を指摘したら、よりおかしな所に連れて行かれ、思考が麻痺した所で戻すつもりだったのか、それともこんな裏事情を知ったからこそ、二度と逃がさないつもりだったのか。正直足りない脳みその俺にはこれ以上のことは解らなかった。だが、単純に、このお嬢様、冨士山 知佳子が、このような辺鄙な場所にいること自体おかしいと思わなければならないのだ。
 いや、最初は気づいていた。ただ、彼女の攻勢に押されすぎて思考が麻痺していたのだろう。

「貴方は信用できそうだと判断できた。だから、逃げだそうと持ちかけたのです」

「ん?」

 一瞬違和感を感じた。その違和感が何か解らないまま彼女は言葉を続ける。

「そう。ヒトシ。貴方も一緒ですよ」

「え?!」

「私が一人で逃げ出せる所だと思いますか?」

「逃げ出せるんじゃ無いの?」

「それでしたら、なんで、その扉には鍵が掛かっていないのですか?」

 彼女からそう言われて今更ながらにおかしいと気づく。普通逃げ出せないようにするのであれば、鍵でも付けて完全監禁するはずだ。しかし、俺にはその鍵を渡されて居ないし、さらにここには鍵穴も無い。
 おかしい所は会社だけでは無かったようだ。

「ほんとだ……」

「まだ私の予想でしかありませんが、ここの区画がすべてでは無いと思いますが、監禁、監視するために人を割いていると思います。もし、ここから逃げ出せて、近くのお店に逃げ込んでも簡単に再度捕まえられるようにと。そうなれば、二度目逃げ出してもどこまで逃げれば良いか解らないため、簡単に心が折れて陥落するでしょう」

「なんでそんなことがわかるんだ?!」

「私が捕まってから、ここで何も耳にしなかったと思いますか?」

「どんなことを聞いたんだ?」

「言語が違いますから何を言っているのか解りませんが、この窓からもしっかりとA国と、B国の言葉が聞こえてきました。話しぶりから考えて、母国語、もしくはそれに準ずる人達と思えるくらいにしっかりとした話し方でしたわ」

「ちょっとまって……、確かにこの周りにはA国とB国の料理店とか多い……。でも、それの勘違いじゃ無いのか?」

「それだったら良いのですが、貴方の先輩の中に、多少言葉が不自由な方がいらっしゃいますわ」

「まさか……」

「普通にしゃべれないのでは無く、A国語では流暢に話していらっしゃいました」

「しかし……」

「もし、私が逃げ出した後、貴方は責任を取らされるでしょう。その責任とは、軽い物では無いと思います」

 彼女にそう言われると俺は黙ってしまった。このまま彼女を逃がさない方が正解なのかもしれないとも思ってしまうが、ふと彼女のいたずらな笑顔が思い出される。そんな彼女がこれからどんなことをされるのか、それとも何もされないで返されるのか。正直解らないが、あまり良い未来は想像できなかった。そして、彼女を逃がしてしまった後の自分の未来も、良い物では無かった。

 大企業の娘を簡単に誘拐してきた事を考えると、住所が知られている俺のアパートは安全では無いだろう。そのため、彼女は逃げ込める場所があったとしても、俺には逃げる場所が無かった。実家には迷惑をかけられない。迷惑をかけられた友人ならいっぱい居るが、さすがにこのような者達からの仕打ちを受けて良いような人達では無い。
 どうするべきか、それを悩んでいた所、彼女から声が掛かった。

「私が貴方のことを保護しましょう。誘拐犯、監禁犯とは区別して扱うと誓います」

 渡りに船といった所か。怪しいと思った会社で、出向先が完全に怪しい、いや、完全にアウトな会社。そんな所に居続ける事はしたくない。本来ならば、辞めることも逃げることもできなかったかも知れないことを考えると、とても好条件だった。しかし、彼女がなぜここまで俺にしてくれるのか正直わからなかった。俺のことをどうしてそこまで信用してくれるのかも。

 だが、ここで逃げ出さない手は無い。正直このまま逃げ出しても警察に捕まる可能性もあるが、色々と裏を取ってもらえたら俺が好き好んでこの状況を選んだわけでは無いということがわかるだろう。それに、彼女も保護してくれる。どういった保護かわからないが、このままの未来よりはましだろう。

「わかった。君に協力しよう。そして、一緒に逃げだそう!」

 彼女は俺の言葉を聞いてすごく緊張した顔から柔和した顔になっていた。

「良かったです。もう貴方しか宛てが無かったのですから。協力して逃げ出しましょう」

 俺は大きくうなずいて彼女に返事をした。しかし、そこでふと疑問に思ったことがあった。

「それで、何をすれば良いんだ?」

 俺ができること、彼女の壁になるくらいしか頭に浮かばなかった。それくらいであれば、彼女は一人で逃げ出せてしまうだろうとも。

「まずはこの区画のコンビニエンスストアでは無く、別の区画のコンビニエンスストアでノート、シャープペン、消しゴムの筆記用具を買ってきてくださいませんか。それとUSBメモリーを一つ」

「は?!」

 正直意味がわからなかった。そんな物が必要なのかと。しかも、どこで買っても同じような物なのに、わざわざ遠くの店で買う必要があるのかと。

「理由は後で説明致しますわ。ただ、買ってきた後、筆記用具とUSBメモリーは絶対に見られないようにしてください。多分ですが、私に提供することは禁止されていると思います」

「あ……ああ……。わかったよ。コンビニで筆記用具とUSBメモリーね。国道挟んで向こう側にあった気がするから、そっち行くよ」

「それでお願い致します。多分、今日の夕食もコンビニエンスストアのお弁当になるのだと思います。それを買いに行くついでということでお願いしますわ。あ、わかっていると思いますけど、レジは2回に別けてくださいね? レシートですぐわかってしまいますから」

「お嬢様なのに、詳しいんだな」

「何が詳しいのかとよくわかりませんが、普通にコンビニエンスストアで買い物くらいしますわ? 今のマイブームは塩おむすびですから。まだ新米の時期ではありませんが、新米の時期の塩おむすびはおいしいですわよ? 色々なコンビニエンスストアの塩おむすびを食べましたけど、たまに古米が混ざっているのがあり、非常にがっかりしたことがございますわ」

「古米? なんだそれ」

「わかりやすく言えば丸1年前等に収穫されたお米ですわ。他の香りがついたり、乾燥していたりと新米に比べて味が落ちるのです。ただ、あえて古米を混ぜて使う所もございますわ。古米にも熟成するということもございますので。ですが、良い熟成をしていない古米を塩おむすびに使うと、その香りが顕著に出てきてしまう場合があり、おいしくないのです」

「そんなもんかねー……」

「たまにぼそぼそのご飯とかございませんでしたか? もしくは、びしゃびしゃなご飯。炊き方の失敗では無く、適切な温度で保管しなかった古米、もっと古い物を混ぜた場合もそうなりやすいですのよ。絶対とは言えませんが。国産米であれば、古古米でも適温保管してあれば、結構おいしく食べられますわ。ただ、海外産の古古米、もしくは古古古米などはかなりわかりやすいと思いますわ」

「あー……。たまにあるな。すごいの。でも、上手く炊けたりするんだったら、大抵安いからそっちでも良いんじゃ無い?」

「食べるだけなら良いのですが、私は味わいたいのです」

「なるほど。それで色々と食べ歩いたと。面白い娘だねー」

 思わず感心してしまった。確かに不味いなと思って食べた事はあったが、そこまで気にしたことは無かった。食事にこだわるということを今までしてこなかった為、そこに差が出てきたのだろう。

「あ、それで何でこの区画のコンビニがだめなの?」

「それは、A国、B国の人がいらっしゃる可能性を考えてです」

「なるほど、ここと繋がりがあるかも知れないと」

「ええ。その通りです」

「わかった。それじゃ、先輩に言って弁当買ってくるよ」

「あ、一つ調べたいことが」

「何?」

「貴方の歩幅です」

「んー、大体こんなもん?」

「室内ですので、少し狭まりますので、大体75cm程度でしょうか」

「わかんねぇ。でもこのくらいだと思うぞ?」

「わかりました。その歩幅でその通り毎に、何歩歩いたか覚えてくださいますか?」

「え?! ってそれが必要なんだな?」

「ええ」

「きつそうだけどやってみる」

「お願いしますわ」

 夕食を買うために部屋から出ようとしたとき、ふと気づいた事がある。

「鍵が掛かって無くて、外に出られたのならトイレ行けたんじゃ無い……?」

「いけましたわね」

「それじゃ、なんであんな事したの?」

「貴方が面白そうだったから」

「あ……そう……」

 部屋から出ると、俺は頭を抱えながらこうつぶやいた。

「どうしてこうなった……」





 部屋から出て2Fの事務所に向かう。初めは狭いなー程度にしか思っていなかったが、この通路もかなり違和感を感じてきた。小さなビルだから狭い廊下なのかと思ったが、その手の人達の事務所は大抵通路が狭くなっている。その理由は、単純に簡単に入らせないと言う理由が考えられるが、実はもう一つ大きな理由があると聞いた。それは、相手を逃がさないためだ。狭い廊下であれば、人が一人立つだけで通路が塞がれてしまう。それを容易にするために通路が狭く作られてると聞いた。

 ここが実際そうなのか、ホントに小さなビルだからこうせざるを得なかったのかわからないが、違和感は感じてしまった。
 事務所に入ると、奥の大きめな事務机、課長とかが使ってるような一つ大きな事務机に座り、ぱっと見古そうなノートパソコンの前で書類に集中している人、一応この会社の社長という扱いの金本 康一(かなもと こういち)が居た。

「あの、彼女の夕食を買ってこようと思うのですが」

「お、もうそんな時間か。わかった行ってこい」

「はい」

 思ったよりフレンドリーな口調。だが、彼女の現状を思うと、このフレンドリーな口調がより怖く思えた。しかし、外出の許可は貰えた。いや、多分許可を貰わなくても行けただろうが、ここの人達の行動と思考がまだ初日のため全く読めないので、素直に聞く方が良いだろうという判断だ。
 階段を降りてビルの外に出る。外の空気を吸うとずいぶんと気持ちが落ち着いた事を感じると、かなり緊張、いや、動揺していたんだなと気づくことができた。
 しかし、これから彼女を脱出させるために、自分がこの会社から逃げ出すために行動しなければならない。そう思って一歩踏み出そうとした時、背中から声が掛かる。

「おう、都築。どこいくんじゃ」

「はぃぃぃぃ!!?」

「なに素っ頓狂な声あげとるん。んで、どこいくん」

 今日の朝2階の事務所で一度だけあった先輩に声をかけられただけだったのだが、ドスのきいた声と、これからやろうとしている自分の行動、そして、声の掛かった方向からびっくりし、変な声を出してしまった。

「す……すいません……。あの……、彼女の夕食を買いに行こうかと」

「ほー。すぐそこのコンビニか?」

「あー、少し離れた所にある味噌汁屋台のが僕が飲みたいので、ちょっとそこまで行こうかなと」

「ふーん。わかった。気をつけて行ってこいや」

「はい」

 そう言うとその先輩は俺のことに興味を失ったのか、ビルの中に入っていく。しかし、その時うっすら彼のつぶやきが聞こえてしまった。

「なんで日本人は味噌汁なんてゲテモノ飲むんだろうな。よくわからん」

 そして、その後はよくわからない言語の歌を口ずさむ音が聞こえながら戸が閉まっていった。


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