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1.大丈夫だから
その日、いつも通りに起きて、いつも通りに支度して、いつも通りにコーヒーを飲んで、家を出てきた。
何もかもいつも通りだったにも関わらず、なぜか予定が押して、講義に遅れそうになった。
オレと幼なじみのメイは、急いで席に着く。教授はまだ来ていないようだ。
「間に合ったね!」
そう囁き声で言ったメイは、乱れた息を整え、興奮で顔を赤らめつつも、ホッとした表情になる。オレは、さりげなく周りを見回してコクンと頷いた。たくさんの学生が、この講義を聴きに来ている。
今日は、テレビにもたくさん出演している大人気の教授が、教鞭をとる特別講義だからだろう。席は、ほぼ埋まっているし、もうすぐ開始の時間になろうかというのに、慌ただしく入ってくる学生も多い。
はぁ、
それにしても、今日は暑い。
まだ春も始まったばかりだというのに。
オレは、薄手のロングTシャツの胸元をつまみ、パタパタ動かして、空気を取り込みながら、少しでも涼しくなろうとした。
革製のネックガードの金具部分が、Tシャツとぶつかりあって、カシャカシャと鳴っている。こめかみからは汗が流れてきて、うっとおしい。袖口で乱暴に拭いた。
大学構内に入ってからは、この講義室までノンストップで走ってきたから、オレもメイもまだ息が荒い。心臓の鼓動が速い。
メイは、この教授が大好きで、ずっと前から今日の特別講義をとても楽しみにしていた。所謂、推しというやつだ。今も隣の席で、ノートとペンを取り出して、一生懸命に講義を聴く準備をしている。
そんな微笑ましいメイを横目に、オレはドクドクして一向に治まらない心臓と、汗をなんとかしようとして、深呼吸をすることにした。空調もちゃんと入ってるようだし、すぐに治まるだろう。
鼻で吸って、口で吐く。
鼻で吸って、口で吐く。
何度か繰り返す。
う~ん?なんだか、おかしいな。
そう思い始めた頃には、心臓のドクドク音がバクバク音に変わっていた。鼓動の大きさが、尋常じゃない。こんな事になるのは生まれて初めてだ。いつのまにか周りの音は薄くなって、耳の内側から響く心臓の音だけが、とてつもない音量で聴こえる。
まさか、ヒート!?毎日の常用抑制剤も忘れずに飲んだ。今日は特に、たくさんの人の中に入るから、病院で処方してもらった緊急時用頓服薬も追加で飲んできたんだ。
これって、オレやばいやつ?
えっどうしよう、めっちゃ焦ってきた。
落ち着け!
パニックになったオレは、メイに話しかけようと右を向いた。
その時、
その時だ。
その時、ふっと、すべての音が消えた。
さっきまでうるさかった心臓の音も消えた。
何も聴こえない。
『運命がいる』
瞬時に全身が理解する。
後ろの方角に確実にいる。
振り向きたい、振り向けない。
振り返り方がわからない。
番の姿を己の目に映したい。
でも怖い。
また一粒、汗が頬を伝う。
オレの異変に気付いたメイが何か言っているけど、ごめん、何も聴こえない。
全身で全神経で、運命の番の何もかもを、受け入れられるように集中しなくてはならない。
とにかく身体の向きを変えようとした時、席を立つ音が聴こえて慌ててその音を全身で追いかけた。
「あぁ…」
後方の扉からでていく番の背中が見えた。すぐさま扉を目指して走ろうとしたオレを、ちょっとどうしたの!?って、メイが血相を変えて腕を掴んできた。オレの目は、扉から離れない。
それでも、メイの目をしっかり見て、大丈夫だから行かせて、って辛うじて伝えられたのはえらかったと思う。
オレは、椅子の後ろの狭い通路を抜け、扉に向けて走り出した。
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