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四月には春の肴を
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朝の魚市は慢性的に人手不足なのでバイトを募集している。
健は赤字続きでもあり、早めに顔を出して二時間ほどアルバイトするのが常だった。金でもらう方が多いが、今日は現物でもらう事にした。普通の料理屋では使わな小さなサイズの魚を選べば、それほど高くないのでお互いにwinーwinである。
戻って丁寧に処理すれば、味が落ちる訳ではないのだから。
「今日は煮付けにしてみるかな」
定番メニューに使う魚を選ぶわけだが、リストは季節でも変わる。
健は最近になって気が付いたのだが、客の中には後味を引く肴で一杯やる者が少なくない。場合によってはチビチビとつつきながら、お気に入りの料理をアテにして酒をかっ喰らう。いや、酒飲みはそういう物だと頭では知っていたのだ。しかし以前勤めていた店は呑み屋遣いできるとはいえ料理屋であり、酒に合わせるなら味を濃くしろだとか、腹にたまる物は勧めない方がいいというコツの方が重要だった。
そこで旬の魚の中で、定番メニューに使える物を選ぼうとしたのだ。
(煮付けは美味いが味が濃い。やっぱりその辺か。頭じゃ判ってるんだが)
今回、工夫を凝らすことにしたのは煮付けだが理由がある。
友人が数あるメニューの中から、定番に入れても良いと残した中に魚の煮つけが幾つかあった。それは『ブリ大根』に『カレイと豆腐の煮つけ』、普通に人気のあるメニューだったから気にもしなかったが……。あれはもしかして、酒の肴としてピッタリという意味ではなかったのだろうか? あえて両方とも定番に入れたのは、おそらく売れ線だからであろう。
自身はそれほど酒好きでもないが、言われてみるとシックリ来る。
(この季節ならメバルだよな。タケノコと合わせてみるか)
メバルはオールシーズンだが、健の地元は春が旬だった。
魚市なので小ぶりな魚だと驚くほどに安い。タケノコはよく押しつけられるので大量に有している。どちらも処理が手間ではあるが、ちゃんと売れてくれれば赤字は出まいと思いつつ、念のために豆腐を多めに購入しておいた。煮付けと共に煮込んだ豆腐はトロリと軟らかく、これまた味が染みて美味しいのだ。もちろん盛り過ぎたら他の料理が売れなくなるが、そこは適当に見極める事にした。なにより酒が売れてこそ居酒屋なので、最悪、日本酒が出るなら料理には目を瞑るべきだろう。
そういう意味で豆腐は安価かつ万能なのでありがたい。
(しかし手間こそ掛かるが美味いのに、最近家庭じゃ見かけんというのも寂しい話だ)
店に戻って捌きながら思い出したのだが、そういえばこの魚の煮つけ。
家庭でも十分可能な料理なのだが、最近になって難易度が上がっているらしい。家で料理をしない人が増えたからというのもあるが、サービス価格の醤油で煮こんでも色合いが変わらないし味も付きにくいのだ。もちろんスーパーで買える値段としては奇跡の価格帯であり、日本人に欠かせない調味料としては素晴らしい品と言える。生の醤油を売ってもらっている醤油問屋がそういうくらいだから家庭でコスパ重視ならどうしてもそうなるのだろう。
そういうのも合わせて店としては定番入りに相応しいのかもしれない。
(醤油と言えばコイツも手早く使い方を決めないとな)
醤油の話で思い出したが、生醤油は味の変化がある。
生醤油というものは美味しいし薫り高いが、最初の味わいが持続しない。塩分が高いために消費期限そのものは保存料無しでも一年以上保つのだが、ピンと『際立った風味』は最初の一カ月だけ。それ以降はゆっくりとまろやかな味わいに成ってしまう。もちろん煮ても味が変化してしまうという意味では同じだ。徐々に客足が改善されているとはいえ、売れ行きが底辺である以上は消費しきれないのは間違いあるまい。
いっそのこと煮切って自分流の味付けまでやってしまうべきだろうか?
(しかし……。必要性に合わせて作るのは面白くないな。赤字が何とかなったら、俺が作りたい物でも作ってみるか……)
そんな事を思いながら、下処理を終えたメバルに取り掛かった。
健は小器用で教えられた事であれば大抵の料理は作れる。しかしコツが重要だったり、深みが重要な物になると経験が足りないのだ。今は赤字路線が少しばかり改善されているだけで、黒字経営にはまだ遠い。もし自分だけでやっていくのではなく、アルバイトなり雇うとしたら再び赤字に真っ逆さまだろう。だが目標が無ければモチベーションが保てないから、作業の合間に何を作りたいかを考え始める。ある程度冷ましながら仕上げをする時など、その空白の間に余計なことばかり考えていた。
もしこれが試食用でなければ、ベストのタイミングを逃していたかもしれないくらいに。
(俺のことだしどうせ迷うんだ。あとでゆっくり考えるか。さてと……どれがいいのかな)
健が用意したメバルの煮付けはおおむね三種類だ。
メバルだけを味わうため、その風味を豆腐に移した物。近所付き合いで大量に採れるタケノコを押し付けられ、処分も兼ねて一緒に煮込んだ物。そしてタケノコも豆腐も一緒に煮込み、崩さないようにまとめて盛り付けた物になる。
当たり前だが醤油で煮付ければ似たような味なので悩むわけだ。
(うーん。豆腐もタケノコも良いが、味わうならどっちかだけにした方が良さそうだ。味の濃さなら豆腐、歯応えの対比ならタケノコかな)
メバルに濃く味付けた後、豆腐に吸わせる形にした物は味わいが深い。
味の濃さは鯛のカブト煮やブリ大根に劣らぬほどで、喉を焼きそうな甘辛さがたまらない。一方でタケノコの方は二つの素材を調整する為に、やや薄味にしあげてある。もっとも煮つけなので他の料理に比べたら濃いのは間違いないので、好みといえば好みだが(豆腐とタケノコを両方入れた物は、調整が面倒なので早い段階でリストから落とした)。
どちらも似たような味なので悩むところだが、この日の健は判断基準を持っていた。
(やっぱりこっちかな。作る過程が豆腐の方がシンプルで良い。タケノコも作るけど、消費すんのはまた別か)
一応両方作って用意はするが、多めに準備したのは豆腐の方だ。
タケノコに合わせて調整しなくて良いのは助かるし、何より酒のアテとして見たらどっちが喜ばれるか……を想像して健は判断しってみた。
濃い味のうつった豆腐を箸で千切る様にして口に入れ、喉を焼く甘辛さを味わいつつ、それ以上の熱さを持つ酒で流すようにして楽しむ。料理としてはタケノコの方も悪くはないが、どうしても歯応えを愉しむ料理になってしまいそうな気がする。山ほど盛ってパクパクとやるには悪くないが、酒を愉しむには豆腐の方が楽に愉しめそうだと考えたのだ。そういう意味では、サービスで煮凝りを提供するのも面白いかもしれない。
そしてその決断が、健に新しい発想をもたらしていた。
(濃い味付けの料理か……。日本酒以外にビールに合わせるとしてローストビーフとソーセージに凝ってみるのも良いかもな)
安直だが酒の肴になる定番の料理に目を向けた。
ただし、そこに健自身が試してみたいナニカを封入して創作意欲を高めるのも忘れない。ビールの美味くなる夏前には、赤字から脱出して料理にチャレンジしたいな……と思いながら本命のメバルの下味に掛かった。あくまで試食でアタリ判定を出しただけだ、本番の仕込みには雑念は禁物後集中し始める。
ただ一つ思いを述べるならば『面白く成って来た』という事だろう。
朝の魚市は慢性的に人手不足なのでバイトを募集している。
健は赤字続きでもあり、早めに顔を出して二時間ほどアルバイトするのが常だった。金でもらう方が多いが、今日は現物でもらう事にした。普通の料理屋では使わな小さなサイズの魚を選べば、それほど高くないのでお互いにwinーwinである。
戻って丁寧に処理すれば、味が落ちる訳ではないのだから。
「今日は煮付けにしてみるかな」
定番メニューに使う魚を選ぶわけだが、リストは季節でも変わる。
健は最近になって気が付いたのだが、客の中には後味を引く肴で一杯やる者が少なくない。場合によってはチビチビとつつきながら、お気に入りの料理をアテにして酒をかっ喰らう。いや、酒飲みはそういう物だと頭では知っていたのだ。しかし以前勤めていた店は呑み屋遣いできるとはいえ料理屋であり、酒に合わせるなら味を濃くしろだとか、腹にたまる物は勧めない方がいいというコツの方が重要だった。
そこで旬の魚の中で、定番メニューに使える物を選ぼうとしたのだ。
(煮付けは美味いが味が濃い。やっぱりその辺か。頭じゃ判ってるんだが)
今回、工夫を凝らすことにしたのは煮付けだが理由がある。
友人が数あるメニューの中から、定番に入れても良いと残した中に魚の煮つけが幾つかあった。それは『ブリ大根』に『カレイと豆腐の煮つけ』、普通に人気のあるメニューだったから気にもしなかったが……。あれはもしかして、酒の肴としてピッタリという意味ではなかったのだろうか? あえて両方とも定番に入れたのは、おそらく売れ線だからであろう。
自身はそれほど酒好きでもないが、言われてみるとシックリ来る。
(この季節ならメバルだよな。タケノコと合わせてみるか)
メバルはオールシーズンだが、健の地元は春が旬だった。
魚市なので小ぶりな魚だと驚くほどに安い。タケノコはよく押しつけられるので大量に有している。どちらも処理が手間ではあるが、ちゃんと売れてくれれば赤字は出まいと思いつつ、念のために豆腐を多めに購入しておいた。煮付けと共に煮込んだ豆腐はトロリと軟らかく、これまた味が染みて美味しいのだ。もちろん盛り過ぎたら他の料理が売れなくなるが、そこは適当に見極める事にした。なにより酒が売れてこそ居酒屋なので、最悪、日本酒が出るなら料理には目を瞑るべきだろう。
そういう意味で豆腐は安価かつ万能なのでありがたい。
(しかし手間こそ掛かるが美味いのに、最近家庭じゃ見かけんというのも寂しい話だ)
店に戻って捌きながら思い出したのだが、そういえばこの魚の煮つけ。
家庭でも十分可能な料理なのだが、最近になって難易度が上がっているらしい。家で料理をしない人が増えたからというのもあるが、サービス価格の醤油で煮こんでも色合いが変わらないし味も付きにくいのだ。もちろんスーパーで買える値段としては奇跡の価格帯であり、日本人に欠かせない調味料としては素晴らしい品と言える。生の醤油を売ってもらっている醤油問屋がそういうくらいだから家庭でコスパ重視ならどうしてもそうなるのだろう。
そういうのも合わせて店としては定番入りに相応しいのかもしれない。
(醤油と言えばコイツも手早く使い方を決めないとな)
醤油の話で思い出したが、生醤油は味の変化がある。
生醤油というものは美味しいし薫り高いが、最初の味わいが持続しない。塩分が高いために消費期限そのものは保存料無しでも一年以上保つのだが、ピンと『際立った風味』は最初の一カ月だけ。それ以降はゆっくりとまろやかな味わいに成ってしまう。もちろん煮ても味が変化してしまうという意味では同じだ。徐々に客足が改善されているとはいえ、売れ行きが底辺である以上は消費しきれないのは間違いあるまい。
いっそのこと煮切って自分流の味付けまでやってしまうべきだろうか?
(しかし……。必要性に合わせて作るのは面白くないな。赤字が何とかなったら、俺が作りたい物でも作ってみるか……)
そんな事を思いながら、下処理を終えたメバルに取り掛かった。
健は小器用で教えられた事であれば大抵の料理は作れる。しかしコツが重要だったり、深みが重要な物になると経験が足りないのだ。今は赤字路線が少しばかり改善されているだけで、黒字経営にはまだ遠い。もし自分だけでやっていくのではなく、アルバイトなり雇うとしたら再び赤字に真っ逆さまだろう。だが目標が無ければモチベーションが保てないから、作業の合間に何を作りたいかを考え始める。ある程度冷ましながら仕上げをする時など、その空白の間に余計なことばかり考えていた。
もしこれが試食用でなければ、ベストのタイミングを逃していたかもしれないくらいに。
(俺のことだしどうせ迷うんだ。あとでゆっくり考えるか。さてと……どれがいいのかな)
健が用意したメバルの煮付けはおおむね三種類だ。
メバルだけを味わうため、その風味を豆腐に移した物。近所付き合いで大量に採れるタケノコを押し付けられ、処分も兼ねて一緒に煮込んだ物。そしてタケノコも豆腐も一緒に煮込み、崩さないようにまとめて盛り付けた物になる。
当たり前だが醤油で煮付ければ似たような味なので悩むわけだ。
(うーん。豆腐もタケノコも良いが、味わうならどっちかだけにした方が良さそうだ。味の濃さなら豆腐、歯応えの対比ならタケノコかな)
メバルに濃く味付けた後、豆腐に吸わせる形にした物は味わいが深い。
味の濃さは鯛のカブト煮やブリ大根に劣らぬほどで、喉を焼きそうな甘辛さがたまらない。一方でタケノコの方は二つの素材を調整する為に、やや薄味にしあげてある。もっとも煮つけなので他の料理に比べたら濃いのは間違いないので、好みといえば好みだが(豆腐とタケノコを両方入れた物は、調整が面倒なので早い段階でリストから落とした)。
どちらも似たような味なので悩むところだが、この日の健は判断基準を持っていた。
(やっぱりこっちかな。作る過程が豆腐の方がシンプルで良い。タケノコも作るけど、消費すんのはまた別か)
一応両方作って用意はするが、多めに準備したのは豆腐の方だ。
タケノコに合わせて調整しなくて良いのは助かるし、何より酒のアテとして見たらどっちが喜ばれるか……を想像して健は判断しってみた。
濃い味のうつった豆腐を箸で千切る様にして口に入れ、喉を焼く甘辛さを味わいつつ、それ以上の熱さを持つ酒で流すようにして楽しむ。料理としてはタケノコの方も悪くはないが、どうしても歯応えを愉しむ料理になってしまいそうな気がする。山ほど盛ってパクパクとやるには悪くないが、酒を愉しむには豆腐の方が楽に愉しめそうだと考えたのだ。そういう意味では、サービスで煮凝りを提供するのも面白いかもしれない。
そしてその決断が、健に新しい発想をもたらしていた。
(濃い味付けの料理か……。日本酒以外にビールに合わせるとしてローストビーフとソーセージに凝ってみるのも良いかもな)
安直だが酒の肴になる定番の料理に目を向けた。
ただし、そこに健自身が試してみたいナニカを封入して創作意欲を高めるのも忘れない。ビールの美味くなる夏前には、赤字から脱出して料理にチャレンジしたいな……と思いながら本命のメバルの下味に掛かった。あくまで試食でアタリ判定を出しただけだ、本番の仕込みには雑念は禁物後集中し始める。
ただ一つ思いを述べるならば『面白く成って来た』という事だろう。
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