流行らない居酒屋の話【完】

流水斎

文字の大きさ
10 / 51

予約客

しおりを挟む

 フラグという物は時折に当たるものだ。

予約なんか当分ないだろうと言ったのに、翌日には予約が舞い込んだ。もっとも二人で楽しく飲むから、問題なさそうな肴を用意してくれと言われただけだ。お客が増えるならば健に否応は無い。

ただ一つだけ問題がある。

「……外国の方ですか? 英語なんかできませんよ? もちろん他の言葉も」

「そこまで期待してはしないわよ。先方は日本語できるから問題ないわ」

 新しい常連である女性客が予約の打ち合わせに来た。

予定している日は開店しているのかという確認と、メニューを調整して欲しいというものだ。もちろんそのくらいならばスケジュールを教えるなり調整など容易い事だろう。

だが、それはそれで確認せねばならない事がある。

「なら構いませんがね。希望というか……むしろ使ったらダメな物は?」

「宗教での問題とかアレルギーとかは特にないはずよ。あえていうなら、日本食初心者だけど興味津々というくらい」

 厳しい注文ではないが難しい内容だ。

変な物を出して日本を嫌われるのも困るが、下手に遠慮してチキンと思われるのも期待外れだろう。重要なのは日本を知らずとも楽しめる、今日では定着した和洋折衷の料理。そして、興味があるならば手を出したくなる位程度の冒険であろう。

それこそカツカレーや明太子パスタなどに日本以外では珍しかろう。

「では大皿でこないだの茹で野菜とチーズ、これにスモークサーモンを入れます。その上で一品ほど対比させましょう。例えばそちらにカツオのタタキを、先方にはローストビーフを」

「なるほど。普通に食べている物とよく似た組み合わせで安心させて、興味をそそらせるのね」

 導入にスモークサーモンは欧州が本場だ。

そこで安心してもらい、依頼した女性には刺身としてカツオのタタキを用意。もう一人には作り方のよく似ているローストビーフを対比させる。食べ慣れたローストビーフを口にしてもらうが、似ているから興味がそそられたら一切れ二切れくらい食べるかもしれない。要するに少しずつ興味を引くわけだ。

そんな感じで安心できる部分と、冒険部分を用意すると健は説明した。

「盛り合わせだとしたら他に何を用意するの? 一品だけでも良いけど」

「判り易く行くならマグロと焙りマグロですかね。生の部分をかなり減らすこともできますからね。後は……だし巻き卵は名前の通り出汁を使います。うちのコロッケにも出汁が入ってますよね。これをそのまま出しても良いし、オムレツとクロケット辺りと対比させても構いません。正直な話、無理に刺身を勧めることもないと思うんですよ。食べたいと思えば別ですが」

 健は肩をすくめながら、だし巻き卵とポテトコロッケを用意した。

だし巻きは生ではない卵料理だし、出汁が染みているから普通の卵よりよほど味が濃い。またオムレツという対比が出来るのもよいだろう。その上でこの店のポテトコロッケを女性が以前に食べたことを思い出し、付け加える品の例に挙げた。コロッケは西洋料理のクロケットを元にしているのと、この店では和風の味付けをしているから忌避感はないだろうし、日本の味付けを知る事も出来るだろう。

幾つかの料理を対比させて、同じようでいて全く別物を用意しても良い。だが日本食の面白さを語るならば、別に食べ易い物でも良いだろう。

「うちは見ての通り余裕があるわけじゃないんで、不要な物は用意し難いですがまあ、オムレツくらいなら問題ないですよ。クロケットも予約があって確実に食べきるなら一応は」

「用意だけしてもらっておいて食べないというのもどうかと思うから、その場合はお持ち帰りにしてくれる?」

 話しぶりからしてこの案には肯定的なようだ。

その様子に安堵しながら健は説明を重ねた。実のところコロッケの原型であるクロケットなんか思いついたのは、妹の美琴が最近チャレンジしているメニューだからだ。コロッケをそのまま出すのではなく、蟹クリームコロッケよりも細長く仕上げていた。だから妹に指導する延長で、当日のオススメにクロケットを用意することもできなくはないのだ。単にこの店の定番商品に、出汁入りのポテトコロッケがあるからやり難いから普段はやってないに過ぎない。

それともいっそのこと定番のコロッケも、その日ばかりはクロケットの盛り合わせに入れてしまうのも良いかもしれない。細長く仕上げたクロケットを三本か四本くらい並べて、出汁味・カレー味・チーズ味などと食べ比べるのだ。その上で出汁味を多めに作っておけば問題ないだろう。

「せっかくのご予約ですし、その辺は数を抑えるなりセットメニューを考慮するなり工夫するなり何とかしますよ。後は唐揚げや竜田揚げまで用意するかどうかですね」

 フライドチキン・唐揚げ・竜田揚げ。

これらもよく似た別の料理だ。日本食へ導く初歩としては悪くないが、やはり問題は鶏肉の扱いが被ることだ。用意しておくには無駄が大きくなるし、その場で揚げるには手間ばかり増えてしまう。下味をつけないならば材料は同じなので全く問題は無いが、下味をつけるからこその日本的な料理であろう。

この辺りに面白さを見せなくもないが、やるならそのナニカを見出してからやるべきで、今やるべき事には思えない。

「そこまで頼んだら悪いわね。彼女が気に行ったら次も予約させて貰う事にするわ」

「では先ほどのメニューを用意してお待ちします。ご予約ありがとうございました」

 正直な話、彼女の方もそこまで責任が持てるわけではない。

縁があって居酒屋で楽しく呑むことに成っただけで、できるならば日本食を知りたいという要望に応えただけだ。必ずしも用意した料理を気に入るわけでもないだろうし、何もかも中温して消費するという訳にもいかない。客としても店主としても、お互いに重い責任を持つほどの間柄ではないのでこんなものだろう。

お互いに楽しくやれる範囲で、適当な努力をするということでお勘定に成った。

健はこの後、直ぐに妹に連絡して女性客用のアレンジやら気を付ける事を聞き出すことにした。という
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...