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黒字への道
愉快さの共有
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過疎地の夏祭りにアバンチュールも何もなく平穏に終わった。
漫画肉とフルーツのゼリー寄せはそこそこに好評を博し、当たり前ながら一番の売れ行きは枝豆であったという。
やはり王道は強いという事だろう。
「無難と言えば無難だという気もするわね。正直、そういうの判らないもの」
常連の女性客は周囲を眺めながらお通しの豆腐を口に入れた。
納涼フェアでのお通しは豆腐に練り梅やワサビ醤油を掛けたものだ。いつもの温野菜を注文しつつ、面白がって注文する男性陣の様子を眺めている。
見慣れない物に興味をそそるというのも間違いではない。
「私としてはこのサイズが丁度良さそうですけどね。もう少し数が多ければ言う事はありません」
「こちらとしてもそうしたいのですけどね。生憎と日本は肉が高くて」
アメリカ人客の方は早々と漫画肉のマンモス風を注文した。
こちらは冷製ゆえに準備が早いのと、彼女自身が大振りでスパイシーな肉類が好きだからだ。小皿だとそれなりのサイズで何とか両手持ちできるくらいだが、大皿で頼むと大の大人が豪快に被り付けるサイズであった。さながらアメリカのバーベキューに出てくるようなサイズであり、彼女の食べっぷりには違和感がない。
豪傑が肉にかぶりつき、ぶちりと食いちぎるイメージそのままだ。
「おお。口の中で溶ける出汁が美味しいですね」
「そう言ってくださると苦労した甲斐があります」
滴る赤い汁は血の様だが実際には出し汁だ。
肉汁をベースに作ったグレイビーソースの亜種で、色合いを血の色に近づけて煮凝りにしていた。パクリと一口やれば口の中で溶け出し、良く見れば煮凝りで繋いだ肉の断層からも滴り落ちている。もっとも彼女は漫画肉の出て来るコミックはあまり読んだことがないそうでそれほど興味はないとの事。
まあ狙いが常に嵌る訳でもないというろころか。
「わっかんないわね~。居酒屋に来てまで冷奴も何も無い物でしょうに」
「まあな。とはいえ取り寄せ注文できるかとか住所や宛先を聞かれたし、普段食べる時の延長なんだろうよ」
美琴や健が思ったより売れ行きが良いのは冷奴だ。
お通しで出したワサビ醤油を掛けたものが意外に健闘している。対照的に練り梅は殆ど出ることはなく、フルーツのゼリー寄せと同じくらいに低迷している。
もちろん納涼商品売れたわけでもないから全体的には低調だ。
「すまんが大将! この豆腐でマーボー作ってくれんか?」
「……生憎と量が無いので、田楽になりますがそれでもよろしければ」
恐ろしい事を考える者も居り、ご隠居はマーボー豆腐を頼んできた。
言われてみれば暑い時期に冷たい物ばかりというのもどうかと思い、いっそ辛くて暑い物を食べたい人も居るのだろう。
健はそんな人々の複雑な思いに苦笑しつつ鍋と向き合った。
「ミンチやスープストック自体はあるからな。後は豆板醤が無いくらいか」
とはいえマーボー豆腐に使える調味料など常備しているわけもない。
手持ちで誤魔化すためには少量で勝負する必要が出て来る。味噌と唐辛子で即席豆板醤を作成し、酢やチキンのスープストックを利用して大まかな味付けを整えた。そして小さく切った豆腐・コンニャク・ナスを串に刺し、上から垂らしたのである。
後は色と形が映える平皿において完成と言った所か。
「あいよ。マーボー風味の田楽お待ち!」
「うむ! これは美味そうじゃ! いやこのマーボーの味は格別じゃのう!」
実のところそんなに味が変わるわけはない。
だが自分が好みで選んだ豆腐に自分好みの味付けをしてもらった愉快ではないわけがない。結局のところ、自分の狙いが見事に嵌ったということを喜んでいるのだろう。しかし健は思うのだ。愉快さの共有こそが酒場の雰囲気に浸る一番の理由ではないかと。美味しい物を飲み食いするだけならば、今の時代なら自宅で可能である。だからこそ楽し気な空間を維持する事こそが重用なのだろう。
マーボー風味の田楽を咄嗟に作った事よりも、場の雰囲気を壊さず、客のごり押しに流されない程度の自己主張は重用だったのかもしれない。
「そういえば日本酒のフェアは何時頃なのかの?」
「今は何時でも作ってるみたいですが、新種は寒い時期の様ですね。秋には栗に唐揚げのフェアをやって、冬入りと同時にするかそれとも新年まで待つか悩んでる所です」
現行のフェアを置いて未来の話をするのは本来ならば良くない。
鬼が笑う来年の話ではあるが、この楽し気な雰囲気の延長であれば良いだろう。駄目な場合と良い場合の差などそれだけの差でしかない。もし今やってる納涼フェアを目一杯に楽しんでいる人がいれば、流石にご隠居の方が自重するのだろうから。ゆえに健はまだ決まって居ない未来の話だとボカし、それ以上の追及を避けるだけで終わった。
そして他人の話を受け継いで別の話へ。
「新酒と言えばヌーヴォーは十一月でしたっけ」
「確か第三でしたね。うちの店では十二月以降に入れると思います」
日本酒の話からワインの話へ話題が移る。
ワインのフェアだけでは話題が薄いので、おそらく他のフェアと一緒にやるだろうと告げた。こうして巡り巡り行く話題は仲間たちで共有する思い出となり、この居酒屋を楽しい憩いの場にするのだろう。今年の酒もまたアタリ年でありますように。みなの一年もアタリ年でありますように。と。
一言でいうとヴィンテージ・イヤー。
そんな他愛ない祈りの言葉を思い浮かべて納涼フェアもまたいつも通りに終わった。
過疎地の夏祭りにアバンチュールも何もなく平穏に終わった。
漫画肉とフルーツのゼリー寄せはそこそこに好評を博し、当たり前ながら一番の売れ行きは枝豆であったという。
やはり王道は強いという事だろう。
「無難と言えば無難だという気もするわね。正直、そういうの判らないもの」
常連の女性客は周囲を眺めながらお通しの豆腐を口に入れた。
納涼フェアでのお通しは豆腐に練り梅やワサビ醤油を掛けたものだ。いつもの温野菜を注文しつつ、面白がって注文する男性陣の様子を眺めている。
見慣れない物に興味をそそるというのも間違いではない。
「私としてはこのサイズが丁度良さそうですけどね。もう少し数が多ければ言う事はありません」
「こちらとしてもそうしたいのですけどね。生憎と日本は肉が高くて」
アメリカ人客の方は早々と漫画肉のマンモス風を注文した。
こちらは冷製ゆえに準備が早いのと、彼女自身が大振りでスパイシーな肉類が好きだからだ。小皿だとそれなりのサイズで何とか両手持ちできるくらいだが、大皿で頼むと大の大人が豪快に被り付けるサイズであった。さながらアメリカのバーベキューに出てくるようなサイズであり、彼女の食べっぷりには違和感がない。
豪傑が肉にかぶりつき、ぶちりと食いちぎるイメージそのままだ。
「おお。口の中で溶ける出汁が美味しいですね」
「そう言ってくださると苦労した甲斐があります」
滴る赤い汁は血の様だが実際には出し汁だ。
肉汁をベースに作ったグレイビーソースの亜種で、色合いを血の色に近づけて煮凝りにしていた。パクリと一口やれば口の中で溶け出し、良く見れば煮凝りで繋いだ肉の断層からも滴り落ちている。もっとも彼女は漫画肉の出て来るコミックはあまり読んだことがないそうでそれほど興味はないとの事。
まあ狙いが常に嵌る訳でもないというろころか。
「わっかんないわね~。居酒屋に来てまで冷奴も何も無い物でしょうに」
「まあな。とはいえ取り寄せ注文できるかとか住所や宛先を聞かれたし、普段食べる時の延長なんだろうよ」
美琴や健が思ったより売れ行きが良いのは冷奴だ。
お通しで出したワサビ醤油を掛けたものが意外に健闘している。対照的に練り梅は殆ど出ることはなく、フルーツのゼリー寄せと同じくらいに低迷している。
もちろん納涼商品売れたわけでもないから全体的には低調だ。
「すまんが大将! この豆腐でマーボー作ってくれんか?」
「……生憎と量が無いので、田楽になりますがそれでもよろしければ」
恐ろしい事を考える者も居り、ご隠居はマーボー豆腐を頼んできた。
言われてみれば暑い時期に冷たい物ばかりというのもどうかと思い、いっそ辛くて暑い物を食べたい人も居るのだろう。
健はそんな人々の複雑な思いに苦笑しつつ鍋と向き合った。
「ミンチやスープストック自体はあるからな。後は豆板醤が無いくらいか」
とはいえマーボー豆腐に使える調味料など常備しているわけもない。
手持ちで誤魔化すためには少量で勝負する必要が出て来る。味噌と唐辛子で即席豆板醤を作成し、酢やチキンのスープストックを利用して大まかな味付けを整えた。そして小さく切った豆腐・コンニャク・ナスを串に刺し、上から垂らしたのである。
後は色と形が映える平皿において完成と言った所か。
「あいよ。マーボー風味の田楽お待ち!」
「うむ! これは美味そうじゃ! いやこのマーボーの味は格別じゃのう!」
実のところそんなに味が変わるわけはない。
だが自分が好みで選んだ豆腐に自分好みの味付けをしてもらった愉快ではないわけがない。結局のところ、自分の狙いが見事に嵌ったということを喜んでいるのだろう。しかし健は思うのだ。愉快さの共有こそが酒場の雰囲気に浸る一番の理由ではないかと。美味しい物を飲み食いするだけならば、今の時代なら自宅で可能である。だからこそ楽し気な空間を維持する事こそが重用なのだろう。
マーボー風味の田楽を咄嗟に作った事よりも、場の雰囲気を壊さず、客のごり押しに流されない程度の自己主張は重用だったのかもしれない。
「そういえば日本酒のフェアは何時頃なのかの?」
「今は何時でも作ってるみたいですが、新種は寒い時期の様ですね。秋には栗に唐揚げのフェアをやって、冬入りと同時にするかそれとも新年まで待つか悩んでる所です」
現行のフェアを置いて未来の話をするのは本来ならば良くない。
鬼が笑う来年の話ではあるが、この楽し気な雰囲気の延長であれば良いだろう。駄目な場合と良い場合の差などそれだけの差でしかない。もし今やってる納涼フェアを目一杯に楽しんでいる人がいれば、流石にご隠居の方が自重するのだろうから。ゆえに健はまだ決まって居ない未来の話だとボカし、それ以上の追及を避けるだけで終わった。
そして他人の話を受け継いで別の話へ。
「新酒と言えばヌーヴォーは十一月でしたっけ」
「確か第三でしたね。うちの店では十二月以降に入れると思います」
日本酒の話からワインの話へ話題が移る。
ワインのフェアだけでは話題が薄いので、おそらく他のフェアと一緒にやるだろうと告げた。こうして巡り巡り行く話題は仲間たちで共有する思い出となり、この居酒屋を楽しい憩いの場にするのだろう。今年の酒もまたアタリ年でありますように。みなの一年もアタリ年でありますように。と。
一言でいうとヴィンテージ・イヤー。
そんな他愛ない祈りの言葉を思い浮かべて納涼フェアもまたいつも通りに終わった。
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