流行らない居酒屋の話【完】

流水斎

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黒字への道

意図せぬ反応


 煮物とポテトのフェアの日、複数人向けのパンフも置くことにした。

ただ事態の変化はさして予想を超える物ではない。特に変化がないか、忘れていたことを思い出す程度の差であった。具体的に言うと複数人用の得点について、新規客ではなく顔なじみたちから尋ねられたのだ。

新規客狙いの料理であっても、既存客は気にするということだろう。

「これは一人で頼んでも良いの?」

「予約していただけるなら構いませんよ。作業が面倒になるのとやり易くなるのが相殺できますからね」

 常連の女性客は荒沢と名乗り、予約を入れるようになった。

複数客用の特典として小鉢の小分けを調整できるほか、最初は健が諦めた指定四品のセットを結局導入することにしたのだ。荒沢さんはスペイン料理セットをメインに頼むお客さんとなったわけである。

なお、予約特典は割増料金を相殺という事にした。

「良かったんですか? いつものと変わらないような気もしますが」

「そうね……。大将のお勧めが嫌いな訳でもないけれど、自分で選ぶ方が好みなのよ。その上で欲しければ人の注文を見て頼めば良いのだし」

 指定四品は基本的に定番の四つを入れてある。

いつも頼んでいる物との差と言えば、三品目にスープかバゲットのどちらかを頼んでいるのが、両方を少しずつ頼めるようになったというくらいだ。ただ言われてみれば小鉢のセットは店長のお勧めが入ることになる。必ずしも原価調整用の品を入れたり、季節の品を入れるわけでもない。だが人によっては全ての品を自分好みで選びたいという者が居るという事なのだろう。

かっぱさんと名付けている客もだが、自分の選択が重要なのかもしれない。

「タケ坊。こいつをもらって行っても構わんかの」

「持ち帰り用のパンフですからね。お気になさらず」

 実際に頼むわけではないが気になって居るのがご隠居であった。

しきりに気にしていたパンフを帰りの際に懐に放り込む。さりげない仕草だが、しょっちゅう気にしていたのだから隠せるはずもない。

そんなに気にするなら呑みながら聞けば良いと思うが、そうもいかないのだろう。

「珍しいですね。どなたかを招待されるのですか?」

「家内を……な。偶には連れて来てやろうと思うんじゃが、ようわからんから不安じゃと言っておったのよ」

 若干恥ずかしそうな老人の顔は笑っていた。

いまどき老人同士のデートが恥ずかしいと言っている。だがこういうものは幾つになっても良い物だと健は思う。そして気が付かされたのは、不案内な人に指定品目が決まっている事は割りと大きいのだと気が付かされた。このパンフレットはお通しやセットも含めてどのような特典であるのか、どういう指定ができるのかを事細かに書いてある。例えば飯物は小分けできる他、和食であれば寿司なのか散らし寿司なのか、中華であれば焼き飯なのか天津飯なのかなどを選ぶこともできると記載してあった。

流石に複数客でも予約推奨であるが、そのくらいは気にならないのだろう。

「そういえば山椒醤油や大蒜醤油は売らんのかの?」

「うちは居酒屋が本業なのもありますが、そうそう出る商品じゃありませんからね。ラベルを作る方が一手間になってしまいます。農家に出入りする時に、物々交換くらいなら構いませんが」

 煮物フェアでは味わいが固定されてしまうので、小技を用意した。

醤油に自家製の味付けがしてあるのだが、色を薄く仕上げる淡口醤油には山椒を漬け込み、甘辛い再仕込み醤油にはニンニクを漬け込んであるのだ。もちろん素のままで弄っていない醤油もあるので、同じような味わいでも微妙な差をつけていたのである。

御隠居は欲しそうにしているが、昔は何処の家庭でも作って居た品でしかない。

「それにご隠居のところなら自分で漬けられるでしょ?」

「いやあ。それがのう。腰の問題で少しな。かといって小瓶一つで済ませると味気なくてのう」

 その理由は体力の衰えと、消耗品の安さであるとか。

しかしながら1リットル100円のバーゲン品が出回り、買い置きをしなくなったこともあってフラットな味付けのままであることが多いそうだ。それでもご隠居の家で消費する分くらいならばやっていたのだろうが、寄る年波には勝てなかったそうである。

一々取りあってはいられないが、仕入れ先でもあり無碍には出来まい。

「さすがに法律違反はできませんがね。ご隠居と付き合いのある所に行くときは連絡を入れときますよ。代わりに野菜でいただければ構いません」

「そう言ってくれるとありがたいのう」

 加工品販売の許可自体は取ってあるが、売るならば表示義務がある。

成分表示や原産国などを調べて記載し、それを張り付けていくとか、それだけで人作業だ。さすがに居酒屋をしながらラベル製作までは手が回らないし、一瓶二瓶の為に時間を割くのも惜しいのもあった。

ちなみに話の転び方は判らない物で、美琴のやってる移動販売で黒ニンニクの瓶が売れるよう成ったそうである。気が付いたらラベルも製作してありニンニクのゆるキャラまで描いてある力の入れよう。女性の美容に対する思いは改めて凄いのだと思い知らされたのであった。
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