殺したはずの彼女

神崎文尾

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翌日

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 翌日も、その翌日も。
 真奈美はいつも通りだった。私が殺すよりも前と変わらない日常。時折話はするし、まったく変わり映えのしない笑顔をこちらに向けてくる。
 私は気が気じゃなかった。
 もし、あの死体が見つかってしまえば、どうなるのだろう。真奈美は怒るのだろうか、それとも消えてい舞うのだろうか。
 そんな想像のつかない事態を、私は直視できなかった。死体を確認しに行こうとして、家に帰って準備はする。だけど玄関先の三和土に足を向けた途端、一気にやる気が失せてしまう。怖い、そう、怖いのだ。
 いっその事、このままの日常が続いてくれればいい。そんなふうにも思ってしまう私がいた。開けてはならないパンドラの箱。そう考えれば、放置しておくのがもっとも得策か、なんて考えも浮かんでくる。そして、それが浮かぶたびに首を振った。
 それでも親友か?
 腐るに任せて放置。殺してしまったことは取り返しがつかない。ばれてほしくもない。
でも、真奈美は親友だった。腐り落ちるに任せられるほど、私の心は強くない。取り返しがつかないのは確か。だけど、このままにはできない。
 昼休みの教室の机で、私はもだもだと考えていた。
「黒瀬さん」
 声をかけられて顔を上げる。
 野村だ。野村由香。放送部所属で、真奈美とは行き帰りで一緒、部活も一緒という子だった。小柄な体躯、おかっぱ頭にロイド眼鏡をかけていて、瑞希よりも文学少女然としている。
「何?」
 思案を邪魔されたので、声がとがった。
 それを感じたか、野村はやや身体を引いた。それでも案外大きな丸目を突っ張るみたいに見開いて私の方に来る。
「一緒に帰らない?」
 野村の顔はひどくこわばっていた。どう考えても、好意的なお誘いじゃないことはすぐわかる。
 私は付き合っていられないと思った。野村のようなおとなしい子は、皮一枚めくると気が強く怒ると恐ろしいことを知っている。
「パスで」
「そんな、連れないこと言わないでよ」
「あんたと私、別方向でしょ?」
「たまには、いいじゃない」
「優等生のあんたが、変なこと言うのね」
「それも、たまにはいいで押し通すよ。気まぐれかもしれないけど、付き合ってくれないかな」
「気まぐれに付き合う程暇じゃないよ」
「そんな事言わずに、ね」
 あーあ、面倒だな。
 思わずそう思った。見えないけど、顔にもそれが浮かんでいた。厄介だ、やっぱり。
 しかし、何の用だ?野村の家は丸山だが私とは真反対に帰っているはずである。毛利市にある進学校に行けるのに、何の変哲もないこの学校に通っているのは身体が弱いとかなんとか聞いたことがあるから、丸山住まいなのは間違いない。
「やだ」
「じゃあ、ついてく」
「なにそれストーカー?」
「そうかもね」
「やめてよ、ついてこないで」
「勝手にする」
「あのね、あんた……」
 野村は、てこでも動かないといった顔でこちらをにらんでいた。
 なんなのだ、こいつは。頭が逝かれたか?真奈美と喋っているから、それも仕方ないのかもしれない。真奈美は異分子だ。少なくとも丸山という田舎町では浮いている。それを魅力とみてついていった野村は、いつしか彼女に許されるわがままは自分にも与えられた権利だと勘違いした。そんなところか?
 ロイド眼鏡を弄っているところを見るに、さっさと観念してついてこいと言いたいみたいだ。それに従うのは癪である。なんで従わなくてはならないのだ。
「平岡さんのことなの」
 平岡、一瞬呆けた。誰だったっけそいつ。三秒ぐらいたって、ああ真奈美かと合点がいった。
 いや、待て。なぜこいつが真奈美に関して私に声をかけてくる。同じ部活で近しい存在なのはあっちだ。私なんかは単なる幼馴染で、真奈美との仲なんてこいつが知っているはずないのに。
「なんで?」
「なんでかどうか、なんてあなたが一番知っているでしょ?」
 言葉が詰まった。
 なんだ、こいつ。そう睨み返してやる前にすらっと彼女は自分の席まで戻った。
 何がしたいんだ。もしかして、気づかれた?私の頭の中にはぐるぐると思案が渦巻いた。ばれた、とするなら口止めをしなくちゃ。そんな考えが一番に浮かんだ浅ましさに、私は気づいていなかった。

 だが、野村は登山道の方には行かなかった。当たり前か。あっちだって警戒しているに決まってる。そもそも登山道とは名ばかりで、そこに登山客がいた記憶など持ち合わせてなかった。大昔に集落があり、そこの住民が最近老衰で死去して以来、訪れるものもない里になっている。丸山もかなりの田舎町だが、それ以上にそこの集落、楠木はかび臭い里だった。
 そこに通じる道を通り過ぎて、野村が向かったのは神社だった。丸山神社。普段は訪れるものも少ない小さな神社だ。幼い頃は遊び場だったが、高校生にもなると、行くのは初もうでくらい。私に至ってはそれですら毛利市に父親が住んでいるのもあってそっちで済ます。まあ、縁のない場所だ。
 野村は一緒に帰っているときに何も言わなかった。妙だ。なにか言ってほしい。共通の話題がないのはわかるが、一緒に帰りたいとあちらが言うのならせめて何か用意してほしかった。
「ねえ」
 石段を上がっているとき、私はついに耐えきれなくなって野村に声をかけた。眼鏡が汗でずり落ちそうな野村の顔がこちらを向く。体力ないなあ。
「何?」
「なんでここに行くの?それに、真奈美のことって何?」
「そうね……話しておいてもいいのかしら」
 境内で野村は話を始めた。
「平岡さん、こないだどこに行ってたのかしら。それに、どこに帰っているの?何か知らない?」
 いきなりなんだ、と思うが、野村の言葉を待つ。
「お父さん、ここの神職なんだけど、昨日平岡さんが忘れ物したのね。ハンカチで、結構綺麗だったし、最近暑いもの。なかったら困ると思って私が届けに来た。お父さんが出てきてね。これ、平岡さんの忘れ物です、って差し出したの。すると困ったような顔をされてね」
「何が言いたいの?」
 じれったい。放送部員のくせに話下手な奴だ。
「平岡さんが戻ってこない、って。一週間ほど前から。お父さんは心配してたらしいし、学校に来ているって言ったら安心したみたいだったけど」
「戻ってこない?」
 真奈美は家に帰っていないのだろうか。確かに、私が突き飛ばした日と、帰ってきていないだろう日はかぶさり合う。もちろん、私にとっては生きているのがすでにおかしい。
 真奈美は私が殺した。山道から突き飛ばして、滑落した後に鋭利な枝が彼女の身体を貫いたのを間近で見た。
 それなのに、何の代わり映えのない日常をあっけらかんと繰り返すみたいに、今日も真奈美は教室にいた。それが不思議でたまらない。
 夢かとも思った。
 だけど、帰っていない真奈美の話の頭尾を聞いただけで、私の心はざわついていた。
「それで、最後にどこに行ったのか尋ねたのよ。そしたら、平岡さんはあなたと出ていったって……柚希」
 あの日。最後に会い、私が真奈美を殺した日。
 私は一旦家に帰って着替えていた。真奈美も同じだった。派手ではなく清楚な服を身にまとっていた。陸上部時代のジャージを着ていた私は、恥ずかしくなってもう一度待ち合わせようと提案したのを覚えている。真奈美はそれをくすくす笑って退けた。
「知らない」
 つい、反射的だ。
 野村は少し怯えたような表情を浮かべていた。
 私はどんな顔をしている?ねえ、野村?そう聞きたいのをこらえながら、私は踵を返した。
 バタン。
 賽銭箱の向こう側。本来なら本尊が保管されているはずの社。そこの戸が勢いよく開いた。
「い、今、なんと言ったかね……っ!」
 縁側に足を踏み出し、まるでこちらからは賽銭箱の上に載っているように見える壮年の男性。見覚えがある顔は不精髭まみれだった。
「………っ!」
「柚希、柚希といったかね、君は」
 肯定も否定も出来ない。出来やしない。したくない。無精髭まみれの中肉中背男性。それだけでも嫌悪感が沸き立つようなお年頃だというのに、その男性はまず尋常な様子じゃなかったのだ。逃げなければ、と本能が語り掛け、自分の身体はそれを全面的に受け入れた。
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