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09 少女の願い
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「———」
名前を呼ばれてフランカは振り返った。
「またここにいたの」
「そんなにあの国が気になるの?」
仲間たちが背後からフランカが見つめていた水盤を覗き込んだ。
水盤の中には宮殿の中らしき様子が映っていた。
武具をまとった兵士たちが慌ただしく行き交い、特に立派な甲冑に身を包んだ男が何か熱弁をふるっている。
「戦争が始まるのかしら」
「人間は野蛮ね」
「女神の忠告を聞かないなんて」
仲間たちは口々にそう言うとフランカの腕を取った。
「それよりも歌を歌って」
「みんなあなたの歌を聴きたがっているのよ」
「…私は…」
「女神も待っているのよ」
仲間の言葉に、フランカは仕方なく立ち上がった。
白い柱が並ぶ神殿には、白い服をまとった仲間たちが何人も集まっていた。
その中心、一際高い位置にある玉座にいる銀色の髪の美しい女性はフランカの姿を見ると優しく微笑んだ。
澄んだハープの音色が神殿の中に響く。
それに重ねるようにフランカは歌い出した。
ここはとても美しいとフランカは思う。
争いも飢えもない、平和な世界。
仲間たちはみんな優しい。
けれどフランカが望むものはここにはないのだ。
フランカが惹かれる〝あの国〟にあるのは、飢饉で食べるものがなく飢えに苦しみ、いつ始まってもおかしくない戦争の影に怯える弱い人間たちだ。
それでも…そんな絶望的な状況にもかかわらず希望を失わない〝彼〟の力強い瞳。
彼を見るとフランカは胸が熱くなって、今まで感じた事のない不思議な気持ちになるのだ。
戦争なんて起きなければいいのに。
あの空のように澄んだ青い瞳を———彼を失いたくない。
ただそればかりをフランカは望みながら歌い続けた。
明るい光の気配を感じる。
(朝か…)
光と、それから花のような香りと…誰かの気配。
「おはよう」
重い瞼を開くとすぐ目の前に紫色の光があった。
「…ハルム…?」
「今日は悲しい夢を見なかったんだね」
微笑んでそう言うと、ハルムはフランカの乾いた目尻にキスを落とした。
「…何してるの!」
飛び起きようとしたけれど———ハルムが覆い被さるようにフランカを見下ろしていたため、その胸の中に飛び込むような形になってしまった。
「まだフランカが泣いていたらやだなと思って」
ハルムはそのままフランカを抱きしめた。
意外と大きな手のひらが、フランカの背中を数回なで下ろすとゆっくりと叩き始めた。
「もしも泣いていたらこうやってあげようと思ったんだ」
「…私は子供じゃないんだから」
昨日のソフィーへの対応と同じ事をしようとするハルムに、思わず小さく笑みをもらす。
「でも、僕はフランカが泣いていたらこうしたいんだ」
手を止めるとハルムはフランカの顔を覗き込んだ。
「散歩に行くんでしょう?一緒に行こう」
朝の光に満ちる岬を、シャムロックを踏む二つの音だけが響く。
———この海が赤く染まっていたのを、まるで昨日の事のように覚えているのに。
あんな事などなかったかのように、海は今日も変わらず穏やかで白く光っている。
ぼんやりと視線を海へ送っていると、ふいにハルムに握られていた手を強く引かれた。
「フランカはどうしてそんなに悲しそうに海を見るの」
真っ直ぐな紫の瞳がフランカを見つめていた。
「何がそんなに悲しいの」
「…悲しくなんかないわ」
「だって泣きそうな顔をしているよ」
ハルムの手がフランカの両頬を包み込んだ。
「フランカ」
優しく名前を呼んだ唇がフランカの唇に触れる。
「僕はずっと寂しかった。独りきりで悲しかった。だけどフランカの歌を聴いてここに来て、今はとても楽しい。だからフランカが悲しい顔をするのは嫌なんだ」
「ハルム…」
「フランカ。僕の希望」
フランカの視界が紫の光に満たされる。
柔らかくて少し冷たいハルムの唇の感触は、いつまでもフランカの唇に残っていた。
名前を呼ばれてフランカは振り返った。
「またここにいたの」
「そんなにあの国が気になるの?」
仲間たちが背後からフランカが見つめていた水盤を覗き込んだ。
水盤の中には宮殿の中らしき様子が映っていた。
武具をまとった兵士たちが慌ただしく行き交い、特に立派な甲冑に身を包んだ男が何か熱弁をふるっている。
「戦争が始まるのかしら」
「人間は野蛮ね」
「女神の忠告を聞かないなんて」
仲間たちは口々にそう言うとフランカの腕を取った。
「それよりも歌を歌って」
「みんなあなたの歌を聴きたがっているのよ」
「…私は…」
「女神も待っているのよ」
仲間の言葉に、フランカは仕方なく立ち上がった。
白い柱が並ぶ神殿には、白い服をまとった仲間たちが何人も集まっていた。
その中心、一際高い位置にある玉座にいる銀色の髪の美しい女性はフランカの姿を見ると優しく微笑んだ。
澄んだハープの音色が神殿の中に響く。
それに重ねるようにフランカは歌い出した。
ここはとても美しいとフランカは思う。
争いも飢えもない、平和な世界。
仲間たちはみんな優しい。
けれどフランカが望むものはここにはないのだ。
フランカが惹かれる〝あの国〟にあるのは、飢饉で食べるものがなく飢えに苦しみ、いつ始まってもおかしくない戦争の影に怯える弱い人間たちだ。
それでも…そんな絶望的な状況にもかかわらず希望を失わない〝彼〟の力強い瞳。
彼を見るとフランカは胸が熱くなって、今まで感じた事のない不思議な気持ちになるのだ。
戦争なんて起きなければいいのに。
あの空のように澄んだ青い瞳を———彼を失いたくない。
ただそればかりをフランカは望みながら歌い続けた。
明るい光の気配を感じる。
(朝か…)
光と、それから花のような香りと…誰かの気配。
「おはよう」
重い瞼を開くとすぐ目の前に紫色の光があった。
「…ハルム…?」
「今日は悲しい夢を見なかったんだね」
微笑んでそう言うと、ハルムはフランカの乾いた目尻にキスを落とした。
「…何してるの!」
飛び起きようとしたけれど———ハルムが覆い被さるようにフランカを見下ろしていたため、その胸の中に飛び込むような形になってしまった。
「まだフランカが泣いていたらやだなと思って」
ハルムはそのままフランカを抱きしめた。
意外と大きな手のひらが、フランカの背中を数回なで下ろすとゆっくりと叩き始めた。
「もしも泣いていたらこうやってあげようと思ったんだ」
「…私は子供じゃないんだから」
昨日のソフィーへの対応と同じ事をしようとするハルムに、思わず小さく笑みをもらす。
「でも、僕はフランカが泣いていたらこうしたいんだ」
手を止めるとハルムはフランカの顔を覗き込んだ。
「散歩に行くんでしょう?一緒に行こう」
朝の光に満ちる岬を、シャムロックを踏む二つの音だけが響く。
———この海が赤く染まっていたのを、まるで昨日の事のように覚えているのに。
あんな事などなかったかのように、海は今日も変わらず穏やかで白く光っている。
ぼんやりと視線を海へ送っていると、ふいにハルムに握られていた手を強く引かれた。
「フランカはどうしてそんなに悲しそうに海を見るの」
真っ直ぐな紫の瞳がフランカを見つめていた。
「何がそんなに悲しいの」
「…悲しくなんかないわ」
「だって泣きそうな顔をしているよ」
ハルムの手がフランカの両頬を包み込んだ。
「フランカ」
優しく名前を呼んだ唇がフランカの唇に触れる。
「僕はずっと寂しかった。独りきりで悲しかった。だけどフランカの歌を聴いてここに来て、今はとても楽しい。だからフランカが悲しい顔をするのは嫌なんだ」
「ハルム…」
「フランカ。僕の希望」
フランカの視界が紫の光に満たされる。
柔らかくて少し冷たいハルムの唇の感触は、いつまでもフランカの唇に残っていた。
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