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第45話 赤に染まる白
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時間が止まったかのようだった。
霞に覆われた夢の中にいるかのように、思考が覚束ない。
まるで現実のこととは思えなかった。
何が起こったのか理解出来ずに、目を大きく見開いたまま、アークレイは自らの胸元に視線を落とし、崩れ落ちていくシルフィアの身体を受け止めることしかできなかった。
ぐったりと力のないその身体を受け、アークレイも深紅の絨毯の上に背中から落ちてしまう。
だが、そのようなことも気づかないほどに、思考は長い間停止してしまっていた。
目の前に広がるのは、天井に描かれた壮麗な風舞の絵画。
しかしその美しい精霊たちの姿は、今のアークレイにとって何ら感慨をもたらすものではなかった。
なにが・・・・・・何が起こった・・・・・・?
「シル・・・フィア?」
僅かに上半身を起こし、躊躇いがちに名を呼んでも応えはない。
アークレイの胸の上に横たわるシルフィア。
その白金の睫毛に覆われた目蓋は堅く閉ざされたままだ。
腕が、足が、身体が震えて止まらない。
突然、アークレイに抱きつくかのように、勢いよく目の前に飛び出してきたシルフィア。
何かの衝撃を受け、叫ぶように口を大きく開けたシルフィアは、苦悶の表情を浮かべ、意識を失いながらアークレイの腕の中に落ちてきた。
ぴくりとも動かないその身体を、アークレイは抱きすくめる。
「シルフィア・・・どうしたのだ。返事を、返事をいたせ・・・」
喉から絞りだすようなその声は、自分でも驚くほど震えていた。
呆然となったまま、アークレイはゆっくりと顔を上げる。
その視線の先、そこにいたのは、慈愛に満ちた、優しげで穏やかな笑みを浮べた神官。
だがしかし、その手に握られていたのは、刃先が赤色に濡れた短刀。
それを見開いた目で凝視したまま、シルフィアの背を抱いていた右手を恐る恐る上げれば、アークレイの白かったはずの手袋が赤く染まっていた。
その赤は、血だ。
シルフィアの血だ。
背中を刺された、シルフィアの血だ。
自分を庇って、シルフィアはあの短刀に刺されたのだ。
アークレイは全身の血という血が逆流するのではないかと思うほど身体が震え、灼熱が滾った。
「シルフィアーーーー!!」
身体の奥底から、悲痛な叫びが沸き上がる。
嘘だ。
嘘だと思いたかった。
目の前の現実が信じられなかった。
あまりにも重いその事実は、到底受け入れ難かった。
なぜ。
なぜ。
なぜ。
答えの返ってこない問いが、頭の中で眩暈のように回り続ける。
「陛下っ!!」
はっとアークレイが我に返ったのは、十数人の宮殿騎士たちが険しい表情で剣を携えて、未だ微笑みを浮かべている神官を囲んだときだった。
悲鳴と怒号が入り混じる謁見の間。
そんな中で、ピクリとも動かない腕の中のその人をアークレイは再び抱きしめた。
「シルフィア!・・・シルフィア!!」
賓客たちを外へ誘導するよう、家臣や騎士団長たちが指示を出している声も、アークレイの耳には最早入っていなかった。
「何故・・・・・・何故だ、シルフィア!!」
まさか、神官が暗殺者だったとは。
迂闊だった。
アークレイは唇をかみしめて己を叱責した。
護ると、シルフィアを護ると誓ったのに護れなかった。
しかも、自分のせいでシルフィアは凶刃に倒れたのだ。
剣の使い手であるシルフィアであれば、このように己の体を張る必要はなかったはずだ。
そうせざるを得なかったのは、それだけ暗殺者の動きが素早かったということだろう。
だが、そのシルフィアの動きによりアークレイが助かったのは、紛れもない事実だった。
暗殺者の刃は、正確にアークレイの心臓を狙っていた。
シルフィアに庇われなければ、今、この場に倒れていたのはアークレイだったはずだ。
だからといって、このようなことは耐え難かった。
自分の代わりにシルフィアが傷つくなど。
刺された際に、痛みにより気を失ったのだろう。
シルフィアのその碧玉の瞳が開かれる気配はなかった。
背を覆う、シルフィアの紫紺のマントが次第に赤黒く染まっていく。
刺された傷口から血が流れているのは違いなく、このまま血が止まらなければ、シルフィアの命が危うい。
「誰か!誰か、薬師を・・・・・・!」
「陛下、薬師をお呼びいたしました」
切羽詰まった、悲痛な声をあげて振り仰いだアークレイの横に現れたのは、険しい表情のシメオンだった。
「シメオン・・・・・・」
己が情けない顔をしているだろうことはわかっていた。
それでも、見知った忠臣の登場に心から安堵した。
そんなアークレイの心中を察しただろう、シメオンの表情も強張っている。
「薬師が参りますまで、私が止血をさせていただきます。よろしいでしょうか」
シメオンは、多少治療の知識がある。
この短い時間でいつの間に用意したのか、手には白い布の束を持っていた。
動揺から冷静な判断が出来る自信がないアークレイは、信頼あるシメオンに全て任せることにした。
「頼む・・・・・・」
青ざめた表情のアークレイに、シメオンはゆっくりと頷き返す。
「かしこまりました」
シメオンはシルフィアの紫紺のマントの留具をはずし、それをバサッと横に除けた。
「・・・・・・」
目の前に現れた光景に、アークレイとシメオンは大きく息を呑んだ。
シルフィアの純白の装束が、背中一面、赤く染まっていた。
「シルフィア・・・・・・」
痛々しい姿に、アークレイの喉から搾り出すような悲痛な声がもれる。
鋭い刃に刺され、どれほどの痛みだっただろう。
シルフィアの苦しみを思い、心が軋み、悲鳴を上げていた。
「陛下、シルフィア殿下は、刺されたときの衝撃で気を失われているだけです。国中の薬師の力をもって、殿下をお助けいたしましょう」
「あ・・・ああ・・・・・・」
傷口に白い布を当てれば、布がじわりじわりと赤色に浸食されていく。
その光景に、アークレイは、ギリッと唇を噛みしめて眉根を寄せた。
「今は少しでも出血を抑えて、治療ができる場所にお運びせねばなりません。ですが・・・」
シメオンは止血を続けながら、強張った顔のまま背後を振り返る。
アークレイも、刃が激しく擦れ合う音へと視線を向ける。
暗殺者を囲みむ宮殿騎士たちが、剣を振るって暗殺者と対峙していた。
このような状況でも、暗殺者の絶やされることのない笑みが異様で不気味だった。
「陛下!ここは危のうございます!どうかお下がりを!」
総騎士団長のエレンハイムが、数名の宮殿騎士とともに、暗殺者から庇うようにアークレイの前に立った。
アークレイを護り、風舞の間から脱出させるつもりなのだろう。
「何を言うか!この状態のシルフィアを残し、俺だけこの場を去れるわけがなかろう!」
国王を護るべき彼らが、何よりも無事を優先すべきはアークレイだ。
それは正しいことであり、彼らの任務でもある。
しかし、いまだ血を流し続けるシルフィアを残し、自分だけが安全な場所に逃げるなど、卑劣で卑怯なことでしかない。
シルフィアの側にいてやりたかった。
「ですが陛下!」
「俺のことはいい!おまえたちは、なんとしてもあの者を捕らえよ!」
暗殺者が如何ほどの実力かはわからないが、精鋭の騎士たち相手に少しも怯むことなく、短刀一本で、軽くあしらうかのように騎士たちを翻弄していた。
『レイス・レーヴェ』が寄越す暗殺者だ。
一筋縄ではいかないだろう。
あの暗殺者と対等に渡り合えそうなオーガスティン第二騎士団団長は、確か、王城の警備に配置されていた筈だ。
エレンハイムのことだから、抜かりなく彼を呼び寄せているだろうが。
「うあっ!!」
突如起こった悲鳴に、はっと視線を向けた。
神官、いや、暗殺者を捕らえようと取り囲んでいた、宮殿騎士の一人があげた悲鳴だった。
あの騎士は確か、シルフィア付きの宮殿騎士だったか。
左腕を切られたらしい騎士は、側にいた隊長格の騎士に下がるように命令されたのか、右手で左腕を押さえたまま、悔しそうに顔を歪めていた。
捕らえようと襲い掛かる宮殿騎士たちをものともせずに、暗殺者は、老人とは思えないほどの素早い動きで、騎士の剣をするりとかわす。
だというのに、神官姿の暗殺者は、先ほどと同じく穏やかな笑みを浮べたままだった。
その視線が、不意に、アークレイへと向けられた。
神の言葉を説く、慈愛に満ちたその微笑み。
だが、その瞳には、一切の感情が浮かんでいなかった。
ゾクリと悪寒が走る。
これが『レイス・レーヴェ』の暗殺者。
この者の狙いはただ一つ。
アークレイを殺害することだ。
暗殺者はまだ諦めていない。
シルフィアがアークレイを庇ったのは不測の事態だろうが、この者はまだアークレイを殺すつもりでいる。
「・・・・・・よかろう」
ゆらりと立ち上がり、大きく息を飲み込んだアークレイは、紫紺のマントの留具を外して床へと落とした。
「そこまで殺したいのであれば、俺が直接相手をしようではないか」
「陛下!」
シメオンはぎょっと目を見開いてアークレイを見上げた。
「何をなさいますか!陛下!」
「シメオン、おまえはシルフィアの止血に専念しろ!」
「ですが!」
「薬師はまだか!早く呼んで参れ!」
腰に提げていた剣をすらりと抜いたアークレイの姿に、謁見の間にいた全員が青ざめて息を呑んだ。
「陛下!!おやめください!!」
「陛下!!」
アークレイの剣の腕は誰もが認めるところだ。
王国騎士団の中でも、アークレイの剣の腕に敵う騎士はそう多くはない。
それでも、騎士の剣と人を確実に仕留めるための暗殺者の剣は違う。
アークレイといえども、この暗殺者相手にどこまで戦えるかわからない。
そのことは、アークレイ自身も重々理解している。
だが、暗殺者に背を向けることは出来ない。
ただ護られているだけの存在になるつもりはなかった。
「陛下!!」
周囲の制止を無視するように目を伏せ、アークレイはきつく閉じられていた襟元を緩めた。
「皆、そこから退け!」
「陛下!!」
アークレイを視線に捉えた暗殺者の顔が、僅かに歪んだのは気のせいだろうか。
微笑を浮かべた暗殺者。
優しく見守るような慈愛に満ちた暗殺者。
物腰は上品で、とても恐ろしき暗殺者だとは思えなかった。
その眼差しにまっすぐ射抜かれたその時。
『王子、私は貴方を亡き者にするために参りました』
「!?」
(なんだ?)
頭の中に、不意に浮かんだ声。
目の前の暗殺者から発せられた言葉かとも思ったが、そうではなかった。
それは、アークレイの遠い遠い記憶。
かつて、幼い頃に、この暗殺者と同じような微笑を浮かべた男から言われた言葉だ。
先日、ウォーレンが、アークレイは三歳か四歳頃に暗殺者から狙われたと言っていた。
その時の出来事らしい情景が、急に頭の中に浮かびあがってきたのだ。
あの時の暗殺者は、朧な記憶だが、どこか気品すら感じられた、顔立ちの整った30代くらいの男だったと思う。
もしやこの老人は、あのときの暗殺者なのだろうかとも思ったが、神官姿の老人は、どう見ても70歳前後だ。
あのときの暗殺者とは年齢が合わない。
恐らく別人だとは思うが、同じ暗殺者だからだろうか。
あのときの暗殺者の微笑みと、目の前の暗殺者の微笑が、奇妙なくらいに被ったのだ。
暗殺者があの後どうなったのか記憶にはないが、アークレイは今も生きているのだから、恐らく暗殺は失敗したのだろう。
「・・・・・・っ」
遠い過去のことはどうでもよかった。
アークレイは気を取り直すように頭を振って、暗殺者へ向かい、剣を構えた。
「お前の狙いは俺だろう・・・ならば来い!」
「陛下!」
「陛下!おやめください!」
シメオンやエレンハイム、周囲にいた者たちが制止の声をあげるが、アークレイの耳にその声は一切入ってこなかった。
暗殺者をギッと強く睨みつける。
許せなかった。
シルフィアを傷つけた暗殺者を、到底許すことはできなかった。
愛するシルフィアを護れなかった、不甲斐ない己自身をも許すことはできなかった。
自らの手で護ると誓ったのに。
アークレイが暗殺者に向けて飛び出そうとした瞬間。
「・・・お待ち、ください・・・・・・」
か細い、弱弱しい声が、アークレイの耳に飛び込んできた。
「アークレイ、様・・・・・・」
自分の名を呼ぶ耳慣れたその声に、一瞬聞き間違いかと耳を疑ったが、アークレイは信じられない思いで勢いよく振り返った。
まさか・・・と剣を構えたまま目を見開く。
「・・・・・・シルフィア!?」
霞に覆われた夢の中にいるかのように、思考が覚束ない。
まるで現実のこととは思えなかった。
何が起こったのか理解出来ずに、目を大きく見開いたまま、アークレイは自らの胸元に視線を落とし、崩れ落ちていくシルフィアの身体を受け止めることしかできなかった。
ぐったりと力のないその身体を受け、アークレイも深紅の絨毯の上に背中から落ちてしまう。
だが、そのようなことも気づかないほどに、思考は長い間停止してしまっていた。
目の前に広がるのは、天井に描かれた壮麗な風舞の絵画。
しかしその美しい精霊たちの姿は、今のアークレイにとって何ら感慨をもたらすものではなかった。
なにが・・・・・・何が起こった・・・・・・?
「シル・・・フィア?」
僅かに上半身を起こし、躊躇いがちに名を呼んでも応えはない。
アークレイの胸の上に横たわるシルフィア。
その白金の睫毛に覆われた目蓋は堅く閉ざされたままだ。
腕が、足が、身体が震えて止まらない。
突然、アークレイに抱きつくかのように、勢いよく目の前に飛び出してきたシルフィア。
何かの衝撃を受け、叫ぶように口を大きく開けたシルフィアは、苦悶の表情を浮かべ、意識を失いながらアークレイの腕の中に落ちてきた。
ぴくりとも動かないその身体を、アークレイは抱きすくめる。
「シルフィア・・・どうしたのだ。返事を、返事をいたせ・・・」
喉から絞りだすようなその声は、自分でも驚くほど震えていた。
呆然となったまま、アークレイはゆっくりと顔を上げる。
その視線の先、そこにいたのは、慈愛に満ちた、優しげで穏やかな笑みを浮べた神官。
だがしかし、その手に握られていたのは、刃先が赤色に濡れた短刀。
それを見開いた目で凝視したまま、シルフィアの背を抱いていた右手を恐る恐る上げれば、アークレイの白かったはずの手袋が赤く染まっていた。
その赤は、血だ。
シルフィアの血だ。
背中を刺された、シルフィアの血だ。
自分を庇って、シルフィアはあの短刀に刺されたのだ。
アークレイは全身の血という血が逆流するのではないかと思うほど身体が震え、灼熱が滾った。
「シルフィアーーーー!!」
身体の奥底から、悲痛な叫びが沸き上がる。
嘘だ。
嘘だと思いたかった。
目の前の現実が信じられなかった。
あまりにも重いその事実は、到底受け入れ難かった。
なぜ。
なぜ。
なぜ。
答えの返ってこない問いが、頭の中で眩暈のように回り続ける。
「陛下っ!!」
はっとアークレイが我に返ったのは、十数人の宮殿騎士たちが険しい表情で剣を携えて、未だ微笑みを浮かべている神官を囲んだときだった。
悲鳴と怒号が入り混じる謁見の間。
そんな中で、ピクリとも動かない腕の中のその人をアークレイは再び抱きしめた。
「シルフィア!・・・シルフィア!!」
賓客たちを外へ誘導するよう、家臣や騎士団長たちが指示を出している声も、アークレイの耳には最早入っていなかった。
「何故・・・・・・何故だ、シルフィア!!」
まさか、神官が暗殺者だったとは。
迂闊だった。
アークレイは唇をかみしめて己を叱責した。
護ると、シルフィアを護ると誓ったのに護れなかった。
しかも、自分のせいでシルフィアは凶刃に倒れたのだ。
剣の使い手であるシルフィアであれば、このように己の体を張る必要はなかったはずだ。
そうせざるを得なかったのは、それだけ暗殺者の動きが素早かったということだろう。
だが、そのシルフィアの動きによりアークレイが助かったのは、紛れもない事実だった。
暗殺者の刃は、正確にアークレイの心臓を狙っていた。
シルフィアに庇われなければ、今、この場に倒れていたのはアークレイだったはずだ。
だからといって、このようなことは耐え難かった。
自分の代わりにシルフィアが傷つくなど。
刺された際に、痛みにより気を失ったのだろう。
シルフィアのその碧玉の瞳が開かれる気配はなかった。
背を覆う、シルフィアの紫紺のマントが次第に赤黒く染まっていく。
刺された傷口から血が流れているのは違いなく、このまま血が止まらなければ、シルフィアの命が危うい。
「誰か!誰か、薬師を・・・・・・!」
「陛下、薬師をお呼びいたしました」
切羽詰まった、悲痛な声をあげて振り仰いだアークレイの横に現れたのは、険しい表情のシメオンだった。
「シメオン・・・・・・」
己が情けない顔をしているだろうことはわかっていた。
それでも、見知った忠臣の登場に心から安堵した。
そんなアークレイの心中を察しただろう、シメオンの表情も強張っている。
「薬師が参りますまで、私が止血をさせていただきます。よろしいでしょうか」
シメオンは、多少治療の知識がある。
この短い時間でいつの間に用意したのか、手には白い布の束を持っていた。
動揺から冷静な判断が出来る自信がないアークレイは、信頼あるシメオンに全て任せることにした。
「頼む・・・・・・」
青ざめた表情のアークレイに、シメオンはゆっくりと頷き返す。
「かしこまりました」
シメオンはシルフィアの紫紺のマントの留具をはずし、それをバサッと横に除けた。
「・・・・・・」
目の前に現れた光景に、アークレイとシメオンは大きく息を呑んだ。
シルフィアの純白の装束が、背中一面、赤く染まっていた。
「シルフィア・・・・・・」
痛々しい姿に、アークレイの喉から搾り出すような悲痛な声がもれる。
鋭い刃に刺され、どれほどの痛みだっただろう。
シルフィアの苦しみを思い、心が軋み、悲鳴を上げていた。
「陛下、シルフィア殿下は、刺されたときの衝撃で気を失われているだけです。国中の薬師の力をもって、殿下をお助けいたしましょう」
「あ・・・ああ・・・・・・」
傷口に白い布を当てれば、布がじわりじわりと赤色に浸食されていく。
その光景に、アークレイは、ギリッと唇を噛みしめて眉根を寄せた。
「今は少しでも出血を抑えて、治療ができる場所にお運びせねばなりません。ですが・・・」
シメオンは止血を続けながら、強張った顔のまま背後を振り返る。
アークレイも、刃が激しく擦れ合う音へと視線を向ける。
暗殺者を囲みむ宮殿騎士たちが、剣を振るって暗殺者と対峙していた。
このような状況でも、暗殺者の絶やされることのない笑みが異様で不気味だった。
「陛下!ここは危のうございます!どうかお下がりを!」
総騎士団長のエレンハイムが、数名の宮殿騎士とともに、暗殺者から庇うようにアークレイの前に立った。
アークレイを護り、風舞の間から脱出させるつもりなのだろう。
「何を言うか!この状態のシルフィアを残し、俺だけこの場を去れるわけがなかろう!」
国王を護るべき彼らが、何よりも無事を優先すべきはアークレイだ。
それは正しいことであり、彼らの任務でもある。
しかし、いまだ血を流し続けるシルフィアを残し、自分だけが安全な場所に逃げるなど、卑劣で卑怯なことでしかない。
シルフィアの側にいてやりたかった。
「ですが陛下!」
「俺のことはいい!おまえたちは、なんとしてもあの者を捕らえよ!」
暗殺者が如何ほどの実力かはわからないが、精鋭の騎士たち相手に少しも怯むことなく、短刀一本で、軽くあしらうかのように騎士たちを翻弄していた。
『レイス・レーヴェ』が寄越す暗殺者だ。
一筋縄ではいかないだろう。
あの暗殺者と対等に渡り合えそうなオーガスティン第二騎士団団長は、確か、王城の警備に配置されていた筈だ。
エレンハイムのことだから、抜かりなく彼を呼び寄せているだろうが。
「うあっ!!」
突如起こった悲鳴に、はっと視線を向けた。
神官、いや、暗殺者を捕らえようと取り囲んでいた、宮殿騎士の一人があげた悲鳴だった。
あの騎士は確か、シルフィア付きの宮殿騎士だったか。
左腕を切られたらしい騎士は、側にいた隊長格の騎士に下がるように命令されたのか、右手で左腕を押さえたまま、悔しそうに顔を歪めていた。
捕らえようと襲い掛かる宮殿騎士たちをものともせずに、暗殺者は、老人とは思えないほどの素早い動きで、騎士の剣をするりとかわす。
だというのに、神官姿の暗殺者は、先ほどと同じく穏やかな笑みを浮べたままだった。
その視線が、不意に、アークレイへと向けられた。
神の言葉を説く、慈愛に満ちたその微笑み。
だが、その瞳には、一切の感情が浮かんでいなかった。
ゾクリと悪寒が走る。
これが『レイス・レーヴェ』の暗殺者。
この者の狙いはただ一つ。
アークレイを殺害することだ。
暗殺者はまだ諦めていない。
シルフィアがアークレイを庇ったのは不測の事態だろうが、この者はまだアークレイを殺すつもりでいる。
「・・・・・・よかろう」
ゆらりと立ち上がり、大きく息を飲み込んだアークレイは、紫紺のマントの留具を外して床へと落とした。
「そこまで殺したいのであれば、俺が直接相手をしようではないか」
「陛下!」
シメオンはぎょっと目を見開いてアークレイを見上げた。
「何をなさいますか!陛下!」
「シメオン、おまえはシルフィアの止血に専念しろ!」
「ですが!」
「薬師はまだか!早く呼んで参れ!」
腰に提げていた剣をすらりと抜いたアークレイの姿に、謁見の間にいた全員が青ざめて息を呑んだ。
「陛下!!おやめください!!」
「陛下!!」
アークレイの剣の腕は誰もが認めるところだ。
王国騎士団の中でも、アークレイの剣の腕に敵う騎士はそう多くはない。
それでも、騎士の剣と人を確実に仕留めるための暗殺者の剣は違う。
アークレイといえども、この暗殺者相手にどこまで戦えるかわからない。
そのことは、アークレイ自身も重々理解している。
だが、暗殺者に背を向けることは出来ない。
ただ護られているだけの存在になるつもりはなかった。
「陛下!!」
周囲の制止を無視するように目を伏せ、アークレイはきつく閉じられていた襟元を緩めた。
「皆、そこから退け!」
「陛下!!」
アークレイを視線に捉えた暗殺者の顔が、僅かに歪んだのは気のせいだろうか。
微笑を浮かべた暗殺者。
優しく見守るような慈愛に満ちた暗殺者。
物腰は上品で、とても恐ろしき暗殺者だとは思えなかった。
その眼差しにまっすぐ射抜かれたその時。
『王子、私は貴方を亡き者にするために参りました』
「!?」
(なんだ?)
頭の中に、不意に浮かんだ声。
目の前の暗殺者から発せられた言葉かとも思ったが、そうではなかった。
それは、アークレイの遠い遠い記憶。
かつて、幼い頃に、この暗殺者と同じような微笑を浮かべた男から言われた言葉だ。
先日、ウォーレンが、アークレイは三歳か四歳頃に暗殺者から狙われたと言っていた。
その時の出来事らしい情景が、急に頭の中に浮かびあがってきたのだ。
あの時の暗殺者は、朧な記憶だが、どこか気品すら感じられた、顔立ちの整った30代くらいの男だったと思う。
もしやこの老人は、あのときの暗殺者なのだろうかとも思ったが、神官姿の老人は、どう見ても70歳前後だ。
あのときの暗殺者とは年齢が合わない。
恐らく別人だとは思うが、同じ暗殺者だからだろうか。
あのときの暗殺者の微笑みと、目の前の暗殺者の微笑が、奇妙なくらいに被ったのだ。
暗殺者があの後どうなったのか記憶にはないが、アークレイは今も生きているのだから、恐らく暗殺は失敗したのだろう。
「・・・・・・っ」
遠い過去のことはどうでもよかった。
アークレイは気を取り直すように頭を振って、暗殺者へ向かい、剣を構えた。
「お前の狙いは俺だろう・・・ならば来い!」
「陛下!」
「陛下!おやめください!」
シメオンやエレンハイム、周囲にいた者たちが制止の声をあげるが、アークレイの耳にその声は一切入ってこなかった。
暗殺者をギッと強く睨みつける。
許せなかった。
シルフィアを傷つけた暗殺者を、到底許すことはできなかった。
愛するシルフィアを護れなかった、不甲斐ない己自身をも許すことはできなかった。
自らの手で護ると誓ったのに。
アークレイが暗殺者に向けて飛び出そうとした瞬間。
「・・・お待ち、ください・・・・・・」
か細い、弱弱しい声が、アークレイの耳に飛び込んできた。
「アークレイ、様・・・・・・」
自分の名を呼ぶ耳慣れたその声に、一瞬聞き間違いかと耳を疑ったが、アークレイは信じられない思いで勢いよく振り返った。
まさか・・・と剣を構えたまま目を見開く。
「・・・・・・シルフィア!?」
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