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番外編
侍女頭のささやかな幸せ
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私の名は、マルヴェーレ=クリスタ=ベルヴァルトと申します。
オルセレイド王国王城ローデニア城の西宮にて、侍女や侍従など下働きの者たちを取りまとめる侍女頭という任を務めております。
地方領主の三女として生まれた私が、13歳で王都エシャールへ上京して王城で侍女として働き始めたのは、今から40年近く前のことになります。
最初の十数年ほどは中央宮で働いておりましたが、先々代の国王陛下が王位に就かれた頃、侍従や侍女たちの大規模な配置換えがあり、私は王族たちが住まう西宮で働くようになりました。
先代国王陛下、当時は王太子殿下でございましたが、殿下のお妃様であるオルヴェアン王国の姫君がご懐妊をされた頃からは、妃殿下付の侍女という光栄な職務を任せていただくことになりました。
余談ではございますが、私は既婚者でございます。
中央宮で働いていた頃、総領省に勤める若い文官に見初められ、18歳で結婚いたしました。
その後、長男と長女、次女の三人の子に恵まれました。
侍女の仕事をしながら子供を育てることは大変でしたが、あまり手がかからない子供たちでしたし、ありがたいことに夫の両親の助けもあって、無事に仕事と子育てを両立することができました。
今では三人ともに、それぞれが家庭を築いております。
娘たちは他家に嫁いだため、なかなか会う機会はございませんが、長期の休暇をいただいた際、子供たちが連れてくる孫たちに会うことが、夫と私のささやかな楽しみとなっております。
今現在、夫は総領省の副大臣という重要な役目を担っておりますが、私が侍女として王城で働くことを理解し応援してくれています。
夫には長年にわたって支えていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
話が逸れてしまいましたが・・・・・・
私が妃殿下の侍女に選ばれた理由として、出産経験が大きかったようです。
王城に勤める侍女、とりわけ西宮に勤める侍女に独身者が多いのは昔も今も変わりません。
私のように地方領主や騎士家の子女が、結婚前の行儀見習いとして王城で奉公することが多く、結婚を機に辞めてしまう者も少なくありません。
それ故に、西宮での勤務経験は浅いながらも、出産と育児経験があった私が抜擢されたそうです。
まさか自分が妃殿下付の侍女になるとは想像していなかったものですから、驚くとともに、とても名誉なことだと嬉しく思ったことを覚えております。
初めての出産を迎えられ、不安な気持ちでいらした妃殿下の気持ちを和らげるため、自分の経験を話し、心穏やかに出産の日を迎えていただけるように努めました。
大変光栄なことですが、ご出産の場に立ち会うこともできました。
元気な産声をあげて無事に誕生された御子様は、誰しもが待ち望んでいた御世継様でございました。
その御子様が、今はオルセレイド王国の国王陛下として国を治められているロイスラミア陛下でございます。
健やかに成長された陛下は、姿形良く、品格ある端正なお顔立ちをされております。
御心は優しく、身分や老若男女問わず公平に接する陛下は、家臣からの信頼も厚く、下々の者たちからも尊敬の念で慕われております。
王位を継がれて以降、まだまだ課題は山積されているようですが、しかし陛下は妥協されることなく、国や民のことを第一に考えて、確固たる信念をもって国政に取り組まれております。
このような方が我が国の王であることを、一人の国民として誇らしく思います。
ロイスラミア陛下が、ファーリヴァイア王国とリヒテラン王国の姫君をお妃様として迎えられたのはまだ王子の頃。
15歳と16歳というお二方は、可愛らしい姫君で、陛下はお二人のことをとても大切にされました。
お二人の間にはそれぞれナレオ王子、ジェレス王子が誕生し、陛下を中心にご家族みんなとても幸せそうでした。
ですが、先代国王が突然の病で崩御され、ロイスラミア陛下が国王の地位に就かれた頃からその様子が一変してしまいます。
どちらのお妃様が正妃の座に就かれるかということで、国内外の政治的な問題が起きたようなのです。
私も詳しいことは存じあげません。
夫は恐らく知っていたでしょうが、政に関することを私に話すことはございませんし、私のほうからも聞くことはありませんでした。
お仕えする私どもが、陛下のことや王族の方々のこと、ましてや国政に関わることを確たる証拠もなく憶測するものではないと思ったからです。
それからしばらく経ったある日のこと、数人の侍従と侍女が集められ、ロイスラミア国王陛下直々に重大なことを告げられました。
私は今でもあの日のことを忘れることはできません。
『センシシア王国の王子を、オルセレイド王国正妃として迎え入れる』
その場にいた全員、陛下の御言葉を理解できませんでした。
王子を正妃として迎え入れる?
その言葉を頭の中で幾度も反芻し、ようやく理解できたのは、男性である王子が、男性である陛下の妃として嫁がれるという衝撃の事実でした。
後になってわかったことですが、二人のお妃様は四強国と呼ばれる大国の姫君であり、どちらか一方を正妃としてしまうと、その国が大きな利権を得てしまい、世界各国の力関係が崩れてしまう懸念があったそうです。
かといって、他の四強国やそれ以外の国の姫君を正妃にすることもできず、空席となっている正妃の座を巡って、紛争が勃発しかねない緊迫した事態だったとか。
その打開策として、王子を王妃として迎え入れるという苦渋の決断がなされたそうです。
しかしそれは、ご家族を愛する陛下にとって、辛い選択だったに違いありません。
感情を表に出されることはなかったものの、陛下の御心を思うと私自身も心が大変痛みました。
その発表後すぐに、西宮へ王子を迎え入れるための準備が急速に進められました。
当然のことながら、男性が正妃となるなど初めてのことで、過去の資料や手順書は参考になりません。
侍女、侍従たちの意見も取り入れ、新たな手順書を作成いたしました。
王族に関わる事務や王家の儀式等を司る儀典院の執務官とも話し合いを重ね、可能な限り細かいところまで気を配りました。
正妃の間の内装も大きく変えることになりました。
本来は衣裳部屋として使用していた部屋を書斎として使用することとし、家具や書棚を入れ、若草色を好まれるという王子のために壁紙も張り替えました。
センシシア王国から来られる王子も、不安と戸惑いを抱いてお越しになることでしょう。
遠い異国の地で寂しい思いをしないように、心細い思いをすることがないようにと、配慮に配慮を重ねて、細部にまで気を配りました。
そして当日。
陛下に最終のご確認いただいた後、王子殿下をお迎えすることになりました。
国王陛下とローデンハイム宰相の導きによって、西宮へお越しになったセンシシア王国の王子。
私を始め、その場にいた一同、恐らく同じ気持ちでいたに違いありません。
本当に、このお方が『王子』なのかと。
『王女』の間違いではないかと、我が目を疑ったものです。
細く華奢な身体。
透きとおるような白い肌。
戸惑いがちに伏せられた、大きな碧玉の瞳。
長い睫毛。
弧を描く細い眉。
小さな薄紅色の唇。
形のよい鼻梁。
そしてなによりも目を引くのは、腰まで伸ばされた、癖のない艶やかな白金の髪。
まるで絵画に描かれた精霊が、そのまま抜け出してきたかのような美しさでした。
一体どこの誰が、一目でこのお方を男性だと見抜くでしょうか。
『王子』という情報を与えられていた私どもでさえ、『王女』だと思ってしまったほどなのです。
センシシア王国の王子は、まるで少女と見紛うばかりに可憐で美しい少年でした。
「ご迷惑をおかけすることも多々あるかと思いますが、皆様、どうぞよろしくお願いいたします」
鈴の音のような、耳に心地よい少し高めのお声。
緊張した面持ちで私ども側仕えの者たちに頭を下げられた王子が、はにかむように微笑むのを見たとき、私はすっかりこの方に魅了されていたのです。
それが、シルフィア=ヴァイン=フィルクローヴィス殿下との出会いでした。
殿下と初めてお会いした日から1年が過ぎました。
まだ1年、というよりも、もう1年・・・という感覚でしょうか。
最初の印象はいまだ変わらず、殿下は精霊のように可憐で美しいお方です。
穏やかな性格で、お優しく、誰に対しても公平に接し、王族とは思えないほど民に近い感覚を持たれており、騎士、料理人、侍女や侍従、下働きの者に対しても労いの言葉をかけられます。
そのため、多くの者たちが、殿下のために尽くそうと熱心に働いてくれています。
誰しもが殿下の魅力に惹かれておりますが、最も殿下の魅力に堕ちたのは、誰あろうロイスラミア陛下でございましょう。
様々な驚愕の事件を起こしてくださった陛下ですが、シルフィア殿下に対する愛情はとても深いものがございます。
「シルフィアなしに、俺は最早生きていけない」と自ら豪語なさるほどです。
陛下を赤子の頃より見守ってきた私としましては、殿下に向けられる愛情に、正直申しあげますと、最初は少々戸惑いがございました。
妃を二人も娶られ、子まで成されている陛下が、まさか男性である殿下をこれほどまでに愛されるとは、まったくの予想外でした。
ですが、それもこれも、お相手がシルフィア殿下だからでしょう。
お美しいだけではない。
お優しいだけではない。
実に聡明。
好奇心旺盛で、時々少年らしさも覗かせる。
そして、見た目とは裏腹に、とても芯が強い。
殿下が見せる様々な一面を、陛下は愛してやまないようです。
他のお妃様やお子様に対しては、夫として父として、常に彼らを護るべき立場であろうとしている陛下ですが、殿下に対しては平等な立場であるとお考えのようなのです。
陛下の真名を呼ぶことをお許しになられているというだけでも、どれほど心をお許しになられているかがわかります。
強い絆で結ばれた陛下と殿下の想いを、私どもは受け入れ、お二人が幸せであるようにと、皆が密かに応援しているのです。
朝を告げる一つ目の鐘が王城に響く頃、私は日課となっている正妃の間へ朝の挨拶に伺います。
「おはようございます、殿下」
「おはようございます、マルヴェーレ」
今朝も、殿下の優しい微笑みが私を出迎えてくださいます。
それだけで今日一日頑張ろうと思えてしまうのですから、殿下の笑顔は癒しであり、元気の源です。
さて、正妃の間には大小あわせて5つの部屋があります。
居間、寝室、浴室、元々は衣裳部屋だった書斎、そして化粧室。
化粧室と言ってもシルフィア殿下は男性ですから、化粧をされることはございません。
そのようなものされなくても十分お綺麗な殿下は、女性たちから見れば実に羨ましい存在です。
今はこの化粧室が殿下の衣裳部屋であり、身支度部屋となっております。
朝目覚められ、寝室にて用意された湯で顔を洗われた後、この化粧室にて寝着から着替えられ、髪を整えられます。
殿下の腰まで伸びた白金の髪を櫛で梳くのは、殿下付の侍女レーヌの役目。
殿下とともにセンシシア王国より来たレーヌですが、14歳の頃から殿下のお世話をしているそうです。
気が利いて仕事も早いので、私もレーヌのことを信頼しております。
金茶の髪の清楚な美人で、騎士や城の者たちの間でも人気が高く、密かに恋人にしたいと願っている者たちも少なくないと聞いております。
しかし、レーヌ自身はシルフィア殿下にお仕えすることが何よりの喜びと考えているのか、今のところ仕事第一で、結婚や異性との付き合いには興味がないようです。
美しい白金の髪を念入りに梳き、最後に艶出しのため、白薔薇の香油を髪全体になじませます。
殿下は「そこまでしなくてもいいのに・・・」と苦笑されていますが、そこはどうやらレーヌが譲らないようです。
ご自身の容姿に頓着されない殿下の代わりに、肌や爪もレーヌによって念入りに手入れされています。
殿下の少女と見紛うばかりの美しさは、献身的なレーヌの手入れがその一端を担っているのかもしれません。
身支度を整えられた殿下は化粧室を出ると、居間を通り、そのまま正妃の間を出て行かれます。
私やレーヌたち殿下付の侍女と宮殿騎士たちが後に続きます。
殿下が向かわれる先は、廊下を少し進んだ先にある国王専用の食堂です。
国王と正妃のみが食事する食堂は、それほど広さがあるわけではありません。
食堂の中央には長方形のテーブルが置かれ、細かな花模様が刺繍された白のクロスが敷かれ、銀の燭台とその周囲に花が飾られています。
国王専用の食堂としては質素なものですが、陛下も殿下も華美は好まれないため、これで十分なのです。
食堂に入られ椅子に腰かけた殿下ですが、膝の上に握った拳を置き、何度も何度も扉の方を見ており、殿下にしては珍しく落ち着きのないご様子です。
背後に控えている私たちは、ついつい口元が緩んでしまいます。
殿下が目覚められるのは、本来2つ目の朝の鐘が鳴る頃でも遅くはないのですが、殿下はいつも1つ目の鐘が鳴る頃に起床されます。
その理由はただ一つ。
「シルフィア」
食堂の扉が開かれ、殿下が待ち望んでいたお方が入室されました。
「アークレイ様」
今まで落ち着かない様子だった殿下のお顔が、一瞬のうちに笑顔で満たされます。
立ち上がった殿下を勢いよく抱きしめたのは、正装に身を包んだロイスラミア国王その人でした。
殿下が早起きをされるのは、陛下とともに朝食をとりたいと望まれているからです。
「おはよう、シルフィア」
「おはようございます、アークレイ様」
朝の挨拶とともに、陛下は殿下の額や頬に口づけをされます。
もう日常の光景となっているので私たちは気にしておりませんが、殿下は他の者たちがいる前で口づけされることがいまだに慣れないのか、恥ずかしそうに頬を染められています。
いつまでも初々しく可愛らしい様が、一層陛下の愛情を深めるのですが、ご本人はそのことに気づかれていないと思われます。
「シルフィアは無自覚に俺を翻弄する」と陛下はよくおっしゃっていますが、私ども全員がその意見に賛成です。
朝食は国王としては品数も少なく、質素なものです。
本日のメニューはブレッド、かぼちゃのスープ、サラダ、ハム、ソーセージ、チーズ、茹でた卵、果物。
ただそれだけです。
これが一国の国王と正妃の朝食なのかと驚くほどです。
もちろん最高級の素材を使用してはおりますが、殿下も陛下も朝食はあまり量を召し上がりません。
陛下は朝議の前ということもあって軽く済ませたいらしく、場合によっては、朝議の後に軽く食事を摂られることもあります。
一方、殿下はかなりの小食です。
センシシア王国に居た頃から変わっていないようなのですが、肉類よりも魚類のほうがお好きなようです。
魚でも煮魚よりは焼魚のほうが好き。
肉ならば、豚や鶏、羊よりは牛の肉が好き。
意外と好き嫌いがはっきりされているようです。
あと、香りがきついものも好まれません。
ですが、チーズは大丈夫だそうです。
センシシア王国は1年の半分を雪で覆われた国ということもあって、保存食の一つとしてチーズが重宝されていたからだとか。
そうそう。
殿下はけっこう甘いものがお好きなようです。
若い女性たちのように食べ過ぎるということはございませんが、焼菓子やショコラなど、午後のお茶の時間には必ず口にされます。
中でも、『フェリス・ローズ』というオルセレイドで有名な店の菓子が好きです。
ちょうど1年ほど前のことになりますが、陛下とローラハインの離宮へ向われる途中、お忍びで店に行かれたらしく、そのときのことがよほど忘れられないのか、焼菓子を口にしながら「また行ってみたいです・・・・・・」と時々つぶやかれています。
殿下の願いを叶えようと陛下も乗り気になりますが、もちろん、怖い怖い宰相様に「駄目です!」と一喝されております。
「では、シルフィア。行ってくる」
「はい。行ってらっしゃいませ」
食事を終えて食堂から廊下に出た陛下は、見送る殿下の頬に再び口づけし、そっと優しく髪をなでると、朝議に向かうために廊下を歩きだされました。
「あ」
ところが、陛下は何かを思い出したか急に歩を止め、マントを翻してくるりと振り返られました。
「陛下?」
陛下の視線が殿下に向かい、それが何故か、後ろに控えていた私に向けられているではありませんか。
一体何事でしょうか。
何か不手際があったのでしょうか。
「シルフィア・・・あれは渡したか?」
「え?あ!」
跳ねるように身体を震わせた殿下は、口元を両手で覆い、大きく目を見開かれます。
「そうですね、今なら・・・・・・」
「殿下、私が」
背後に控えていたレーヌがそっと殿下の側に寄って声をかけると、殿下はそれに頷き返します。
「少々お待ちくださいませ」と一礼したレーヌは一人、正妃の間に早足で行ってしまいました。
一体何だというのでしょう。
陛下付の侍従ロディオスと視線が合うも、彼は曖昧な笑みを浮かべるだけ。
そうこうしているうちに、レーヌが大きな箱のようなものを抱えて戻ってきました。
細かな刺繍とレースが施された白い布に包まれた箱を、殿下はレーヌから受け取り、こちらに戻ってこられた陛下と視線を合わせ、微笑みを交わされました。
そして。
「マルヴェーレ」
微笑みを浮かべたまま殿下は私の前まで来ると、その箱を私に向けて差し出されたのです。
「これを、貴女に」
「・・・・・・私、でございますか?」
「はい」
「ですが・・・・・・殿下、その・・・・・・」
あまりのことに私は面食らい、常にない程に動揺し、忙しなく殿下と陛下を交互に見ることしかできません。
「マルヴェーレに、皆からのお祝いの品です」
「お祝い?」
「はい。マルヴェーレのご長男に、一昨日お子様が誕生したとお聞きいたしました」
「何故それを殿下が・・・・・・」
私の長男に男児が誕生したのは一昨日のこと。
長男には女児が二人おりますが、このたび誕生した男児は、我がベルヴァルト家にとって長い間待ち望んでいた跡継ぎになります。
一応は貴族の家柄ですので貴族院に出生の報告はしておりますが、直接陛下や殿下にはお伝えしておりません。
そもそも、側仕えの者たちの私事を、王家の方々が気にされる必要はないのです。
「1か月ほど前からマルヴェーレの表情が気になっていたのですが、一昨日からはどことなく嬉しそうでしたよ。一昨日、男児が誕生されたのだとサラが教えてくれました」
殿下付の侍女の一人、サラに視線を向けると、彼女は顔を強張らせて慌てて頭を下げました。
側使えの者の私事を軽々しく殿下に話すなど、普通はあってはならないことです。
しかし、殿下にお気を遣わせてしまった私も悪いのです。
跡継ぎの誕生に、無意識のうちに浮かれてしまったのでしょう。
「マルヴェーレ、おめでとうございます」
「ありがとうございます、シルフィア殿下。ですがこのような・・・私はただの侍女に過ぎませんので、殿下から贈答の品をいただくわけにはまいりません」
「まあ、そう堅いことを言うな、マルヴェーレ」
殿下の肩を抱くように触れ、側に立たれたのはロイスラミア陛下でした。
「ですが、陛下・・・・・・」
「これはシルフィアだけでなく、俺も含めて、西宮の者たちほぼ全員からの祝いの気持ちなのだぞ?」
陛下は徐に、殿下が持たれていた箱の布をめくり、目の前で白い木製の箱の蓋を持ち上げられました。
「・・・・・・」
箱の中にはたくさんの手作りの人形や、刺繍された布、子供用の衣類などが並べられており、また、オルセレイドでは男児の出産祝いとして贈られる釦が、小箱の中にぎっしりと詰まっていました。
自分が普段から身に着けている衣服の釦を、男児の健やかな成長を祈って贈る風習があります。
とりわけ騎士の釦を贈られると、強い子に成長すると信じられており、贈り物として大変喜ばれる品なのです。
見たところ、宮殿騎士の方々の釦がいくつも含まれていました。
「エレーヌ様とロージア様からもお祝いの品を頂いたのですよ」
「まあ!お妃様からでございますか!?」
「はい」
「ちなみに」
陛下はたくさんの釦の中から一つを摘まみ、目の高さへと持ち上げて、にっと笑われました。
「陛下!それは・・・・・・!」
「そう。俺からの贈り物だ」
「ですが、陛下!」
陛下が摘まんでいた釦は、小さなものですが間違いなく銀製です。
しかもその釦には、聖獣である獅子の姿が彫られているではありませんか。
「陛下!そのような御品を!」
「構わん。俺からおまえへの感謝の気持ちと思って受け取ってくれ」
「陛下・・・・・・」
「赤ん坊の頃から面倒を見てくれているおまえは、俺にとってもう一人の母親のような存在だ。マルヴェーレには常日頃から大変世話になっている。おまえがいてくれるからこそ、西宮のことを俺は心配することなく任せることができる。そのように思っているのは、俺だけではないようだぞ?」
周囲を見渡せば、侍女や侍従だけでなく、宮殿騎士の方々までもが大きく頷き、口々に「おめでとうございます」と祝いの言葉を述べられました。
祝いの品々の中には色とりどりの紙の束もあり、もしかするとそれは、皆様からの祝いのお言葉が書かれたものなのかもしれません。
「これを発案したのはシルフィアだ。是非ともお祝いをしたいと言うのでな。オルセレイド流の出産祝いのことを俺やロディオス、サラに何度も聞いていたのだぞ」
「殿下・・・」
「どうぞ、マルヴェーレ」
優雅な微笑みを浮かべ、殿下は私に箱を差し出されました。
ああ、なんということでしょうか。
微笑む殿下は、まるで慈愛を司る女神のように見えます。
「・・・・・・ありがとうございます」
「いいえ、私こそマルヴェーレにはいつもお世話になっています。書斎の部屋の内装を、マルヴェーレが考えてくださったのでしょう?私がオルセレイドに来ても不安に思うことがないように、細部にまで気を遣ってくださったと聞きました。普段もマルヴェーレの気配りのおかげで、何不自由なく過ごすことができています。いつもありがとうございます」
「殿下・・・・・・」
これほどまでに心が打ち震え、歓喜と幸福に満たされたことがあったでしょうか。
仕事として当然のことをしたまでではございますが、その労を認め、御礼の言葉をいただけるなんて、実に誇らしく名誉なことでございます。
私は勿体ないほどの幸せ者です。
「今日は午前中で仕事を終えて、孫君の顔を見に行ってあげるように。ベルヴァルト家待望の跡継ぎだろう?息子夫婦を祝ってやれ。これは、国王命令だ」
ひらひらと手を振って朝議に向かう陛下へ、私は深々と頭を下げ、祝の箱を胸に強く抱きしめて、私は胸の内で幾度も幾度も誓いました。
可能な限り王城にお勤めし、ロイスラミア陛下とシルフィア殿下のため、侍女頭として誠心誠意仕えていこうと。
大勢の人々の想いが詰まった祝いの品々を見た夫と息子は、驚愕のあまり卒倒してしまいましたが、親戚一同が狂喜乱舞する中、周りの騒動など大したことではないように、赤子はすやすやと眠り続けていました。
オルセレイド王国王城ローデニア城の西宮にて、侍女や侍従など下働きの者たちを取りまとめる侍女頭という任を務めております。
地方領主の三女として生まれた私が、13歳で王都エシャールへ上京して王城で侍女として働き始めたのは、今から40年近く前のことになります。
最初の十数年ほどは中央宮で働いておりましたが、先々代の国王陛下が王位に就かれた頃、侍従や侍女たちの大規模な配置換えがあり、私は王族たちが住まう西宮で働くようになりました。
先代国王陛下、当時は王太子殿下でございましたが、殿下のお妃様であるオルヴェアン王国の姫君がご懐妊をされた頃からは、妃殿下付の侍女という光栄な職務を任せていただくことになりました。
余談ではございますが、私は既婚者でございます。
中央宮で働いていた頃、総領省に勤める若い文官に見初められ、18歳で結婚いたしました。
その後、長男と長女、次女の三人の子に恵まれました。
侍女の仕事をしながら子供を育てることは大変でしたが、あまり手がかからない子供たちでしたし、ありがたいことに夫の両親の助けもあって、無事に仕事と子育てを両立することができました。
今では三人ともに、それぞれが家庭を築いております。
娘たちは他家に嫁いだため、なかなか会う機会はございませんが、長期の休暇をいただいた際、子供たちが連れてくる孫たちに会うことが、夫と私のささやかな楽しみとなっております。
今現在、夫は総領省の副大臣という重要な役目を担っておりますが、私が侍女として王城で働くことを理解し応援してくれています。
夫には長年にわたって支えていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
話が逸れてしまいましたが・・・・・・
私が妃殿下の侍女に選ばれた理由として、出産経験が大きかったようです。
王城に勤める侍女、とりわけ西宮に勤める侍女に独身者が多いのは昔も今も変わりません。
私のように地方領主や騎士家の子女が、結婚前の行儀見習いとして王城で奉公することが多く、結婚を機に辞めてしまう者も少なくありません。
それ故に、西宮での勤務経験は浅いながらも、出産と育児経験があった私が抜擢されたそうです。
まさか自分が妃殿下付の侍女になるとは想像していなかったものですから、驚くとともに、とても名誉なことだと嬉しく思ったことを覚えております。
初めての出産を迎えられ、不安な気持ちでいらした妃殿下の気持ちを和らげるため、自分の経験を話し、心穏やかに出産の日を迎えていただけるように努めました。
大変光栄なことですが、ご出産の場に立ち会うこともできました。
元気な産声をあげて無事に誕生された御子様は、誰しもが待ち望んでいた御世継様でございました。
その御子様が、今はオルセレイド王国の国王陛下として国を治められているロイスラミア陛下でございます。
健やかに成長された陛下は、姿形良く、品格ある端正なお顔立ちをされております。
御心は優しく、身分や老若男女問わず公平に接する陛下は、家臣からの信頼も厚く、下々の者たちからも尊敬の念で慕われております。
王位を継がれて以降、まだまだ課題は山積されているようですが、しかし陛下は妥協されることなく、国や民のことを第一に考えて、確固たる信念をもって国政に取り組まれております。
このような方が我が国の王であることを、一人の国民として誇らしく思います。
ロイスラミア陛下が、ファーリヴァイア王国とリヒテラン王国の姫君をお妃様として迎えられたのはまだ王子の頃。
15歳と16歳というお二方は、可愛らしい姫君で、陛下はお二人のことをとても大切にされました。
お二人の間にはそれぞれナレオ王子、ジェレス王子が誕生し、陛下を中心にご家族みんなとても幸せそうでした。
ですが、先代国王が突然の病で崩御され、ロイスラミア陛下が国王の地位に就かれた頃からその様子が一変してしまいます。
どちらのお妃様が正妃の座に就かれるかということで、国内外の政治的な問題が起きたようなのです。
私も詳しいことは存じあげません。
夫は恐らく知っていたでしょうが、政に関することを私に話すことはございませんし、私のほうからも聞くことはありませんでした。
お仕えする私どもが、陛下のことや王族の方々のこと、ましてや国政に関わることを確たる証拠もなく憶測するものではないと思ったからです。
それからしばらく経ったある日のこと、数人の侍従と侍女が集められ、ロイスラミア国王陛下直々に重大なことを告げられました。
私は今でもあの日のことを忘れることはできません。
『センシシア王国の王子を、オルセレイド王国正妃として迎え入れる』
その場にいた全員、陛下の御言葉を理解できませんでした。
王子を正妃として迎え入れる?
その言葉を頭の中で幾度も反芻し、ようやく理解できたのは、男性である王子が、男性である陛下の妃として嫁がれるという衝撃の事実でした。
後になってわかったことですが、二人のお妃様は四強国と呼ばれる大国の姫君であり、どちらか一方を正妃としてしまうと、その国が大きな利権を得てしまい、世界各国の力関係が崩れてしまう懸念があったそうです。
かといって、他の四強国やそれ以外の国の姫君を正妃にすることもできず、空席となっている正妃の座を巡って、紛争が勃発しかねない緊迫した事態だったとか。
その打開策として、王子を王妃として迎え入れるという苦渋の決断がなされたそうです。
しかしそれは、ご家族を愛する陛下にとって、辛い選択だったに違いありません。
感情を表に出されることはなかったものの、陛下の御心を思うと私自身も心が大変痛みました。
その発表後すぐに、西宮へ王子を迎え入れるための準備が急速に進められました。
当然のことながら、男性が正妃となるなど初めてのことで、過去の資料や手順書は参考になりません。
侍女、侍従たちの意見も取り入れ、新たな手順書を作成いたしました。
王族に関わる事務や王家の儀式等を司る儀典院の執務官とも話し合いを重ね、可能な限り細かいところまで気を配りました。
正妃の間の内装も大きく変えることになりました。
本来は衣裳部屋として使用していた部屋を書斎として使用することとし、家具や書棚を入れ、若草色を好まれるという王子のために壁紙も張り替えました。
センシシア王国から来られる王子も、不安と戸惑いを抱いてお越しになることでしょう。
遠い異国の地で寂しい思いをしないように、心細い思いをすることがないようにと、配慮に配慮を重ねて、細部にまで気を配りました。
そして当日。
陛下に最終のご確認いただいた後、王子殿下をお迎えすることになりました。
国王陛下とローデンハイム宰相の導きによって、西宮へお越しになったセンシシア王国の王子。
私を始め、その場にいた一同、恐らく同じ気持ちでいたに違いありません。
本当に、このお方が『王子』なのかと。
『王女』の間違いではないかと、我が目を疑ったものです。
細く華奢な身体。
透きとおるような白い肌。
戸惑いがちに伏せられた、大きな碧玉の瞳。
長い睫毛。
弧を描く細い眉。
小さな薄紅色の唇。
形のよい鼻梁。
そしてなによりも目を引くのは、腰まで伸ばされた、癖のない艶やかな白金の髪。
まるで絵画に描かれた精霊が、そのまま抜け出してきたかのような美しさでした。
一体どこの誰が、一目でこのお方を男性だと見抜くでしょうか。
『王子』という情報を与えられていた私どもでさえ、『王女』だと思ってしまったほどなのです。
センシシア王国の王子は、まるで少女と見紛うばかりに可憐で美しい少年でした。
「ご迷惑をおかけすることも多々あるかと思いますが、皆様、どうぞよろしくお願いいたします」
鈴の音のような、耳に心地よい少し高めのお声。
緊張した面持ちで私ども側仕えの者たちに頭を下げられた王子が、はにかむように微笑むのを見たとき、私はすっかりこの方に魅了されていたのです。
それが、シルフィア=ヴァイン=フィルクローヴィス殿下との出会いでした。
殿下と初めてお会いした日から1年が過ぎました。
まだ1年、というよりも、もう1年・・・という感覚でしょうか。
最初の印象はいまだ変わらず、殿下は精霊のように可憐で美しいお方です。
穏やかな性格で、お優しく、誰に対しても公平に接し、王族とは思えないほど民に近い感覚を持たれており、騎士、料理人、侍女や侍従、下働きの者に対しても労いの言葉をかけられます。
そのため、多くの者たちが、殿下のために尽くそうと熱心に働いてくれています。
誰しもが殿下の魅力に惹かれておりますが、最も殿下の魅力に堕ちたのは、誰あろうロイスラミア陛下でございましょう。
様々な驚愕の事件を起こしてくださった陛下ですが、シルフィア殿下に対する愛情はとても深いものがございます。
「シルフィアなしに、俺は最早生きていけない」と自ら豪語なさるほどです。
陛下を赤子の頃より見守ってきた私としましては、殿下に向けられる愛情に、正直申しあげますと、最初は少々戸惑いがございました。
妃を二人も娶られ、子まで成されている陛下が、まさか男性である殿下をこれほどまでに愛されるとは、まったくの予想外でした。
ですが、それもこれも、お相手がシルフィア殿下だからでしょう。
お美しいだけではない。
お優しいだけではない。
実に聡明。
好奇心旺盛で、時々少年らしさも覗かせる。
そして、見た目とは裏腹に、とても芯が強い。
殿下が見せる様々な一面を、陛下は愛してやまないようです。
他のお妃様やお子様に対しては、夫として父として、常に彼らを護るべき立場であろうとしている陛下ですが、殿下に対しては平等な立場であるとお考えのようなのです。
陛下の真名を呼ぶことをお許しになられているというだけでも、どれほど心をお許しになられているかがわかります。
強い絆で結ばれた陛下と殿下の想いを、私どもは受け入れ、お二人が幸せであるようにと、皆が密かに応援しているのです。
朝を告げる一つ目の鐘が王城に響く頃、私は日課となっている正妃の間へ朝の挨拶に伺います。
「おはようございます、殿下」
「おはようございます、マルヴェーレ」
今朝も、殿下の優しい微笑みが私を出迎えてくださいます。
それだけで今日一日頑張ろうと思えてしまうのですから、殿下の笑顔は癒しであり、元気の源です。
さて、正妃の間には大小あわせて5つの部屋があります。
居間、寝室、浴室、元々は衣裳部屋だった書斎、そして化粧室。
化粧室と言ってもシルフィア殿下は男性ですから、化粧をされることはございません。
そのようなものされなくても十分お綺麗な殿下は、女性たちから見れば実に羨ましい存在です。
今はこの化粧室が殿下の衣裳部屋であり、身支度部屋となっております。
朝目覚められ、寝室にて用意された湯で顔を洗われた後、この化粧室にて寝着から着替えられ、髪を整えられます。
殿下の腰まで伸びた白金の髪を櫛で梳くのは、殿下付の侍女レーヌの役目。
殿下とともにセンシシア王国より来たレーヌですが、14歳の頃から殿下のお世話をしているそうです。
気が利いて仕事も早いので、私もレーヌのことを信頼しております。
金茶の髪の清楚な美人で、騎士や城の者たちの間でも人気が高く、密かに恋人にしたいと願っている者たちも少なくないと聞いております。
しかし、レーヌ自身はシルフィア殿下にお仕えすることが何よりの喜びと考えているのか、今のところ仕事第一で、結婚や異性との付き合いには興味がないようです。
美しい白金の髪を念入りに梳き、最後に艶出しのため、白薔薇の香油を髪全体になじませます。
殿下は「そこまでしなくてもいいのに・・・」と苦笑されていますが、そこはどうやらレーヌが譲らないようです。
ご自身の容姿に頓着されない殿下の代わりに、肌や爪もレーヌによって念入りに手入れされています。
殿下の少女と見紛うばかりの美しさは、献身的なレーヌの手入れがその一端を担っているのかもしれません。
身支度を整えられた殿下は化粧室を出ると、居間を通り、そのまま正妃の間を出て行かれます。
私やレーヌたち殿下付の侍女と宮殿騎士たちが後に続きます。
殿下が向かわれる先は、廊下を少し進んだ先にある国王専用の食堂です。
国王と正妃のみが食事する食堂は、それほど広さがあるわけではありません。
食堂の中央には長方形のテーブルが置かれ、細かな花模様が刺繍された白のクロスが敷かれ、銀の燭台とその周囲に花が飾られています。
国王専用の食堂としては質素なものですが、陛下も殿下も華美は好まれないため、これで十分なのです。
食堂に入られ椅子に腰かけた殿下ですが、膝の上に握った拳を置き、何度も何度も扉の方を見ており、殿下にしては珍しく落ち着きのないご様子です。
背後に控えている私たちは、ついつい口元が緩んでしまいます。
殿下が目覚められるのは、本来2つ目の朝の鐘が鳴る頃でも遅くはないのですが、殿下はいつも1つ目の鐘が鳴る頃に起床されます。
その理由はただ一つ。
「シルフィア」
食堂の扉が開かれ、殿下が待ち望んでいたお方が入室されました。
「アークレイ様」
今まで落ち着かない様子だった殿下のお顔が、一瞬のうちに笑顔で満たされます。
立ち上がった殿下を勢いよく抱きしめたのは、正装に身を包んだロイスラミア国王その人でした。
殿下が早起きをされるのは、陛下とともに朝食をとりたいと望まれているからです。
「おはよう、シルフィア」
「おはようございます、アークレイ様」
朝の挨拶とともに、陛下は殿下の額や頬に口づけをされます。
もう日常の光景となっているので私たちは気にしておりませんが、殿下は他の者たちがいる前で口づけされることがいまだに慣れないのか、恥ずかしそうに頬を染められています。
いつまでも初々しく可愛らしい様が、一層陛下の愛情を深めるのですが、ご本人はそのことに気づかれていないと思われます。
「シルフィアは無自覚に俺を翻弄する」と陛下はよくおっしゃっていますが、私ども全員がその意見に賛成です。
朝食は国王としては品数も少なく、質素なものです。
本日のメニューはブレッド、かぼちゃのスープ、サラダ、ハム、ソーセージ、チーズ、茹でた卵、果物。
ただそれだけです。
これが一国の国王と正妃の朝食なのかと驚くほどです。
もちろん最高級の素材を使用してはおりますが、殿下も陛下も朝食はあまり量を召し上がりません。
陛下は朝議の前ということもあって軽く済ませたいらしく、場合によっては、朝議の後に軽く食事を摂られることもあります。
一方、殿下はかなりの小食です。
センシシア王国に居た頃から変わっていないようなのですが、肉類よりも魚類のほうがお好きなようです。
魚でも煮魚よりは焼魚のほうが好き。
肉ならば、豚や鶏、羊よりは牛の肉が好き。
意外と好き嫌いがはっきりされているようです。
あと、香りがきついものも好まれません。
ですが、チーズは大丈夫だそうです。
センシシア王国は1年の半分を雪で覆われた国ということもあって、保存食の一つとしてチーズが重宝されていたからだとか。
そうそう。
殿下はけっこう甘いものがお好きなようです。
若い女性たちのように食べ過ぎるということはございませんが、焼菓子やショコラなど、午後のお茶の時間には必ず口にされます。
中でも、『フェリス・ローズ』というオルセレイドで有名な店の菓子が好きです。
ちょうど1年ほど前のことになりますが、陛下とローラハインの離宮へ向われる途中、お忍びで店に行かれたらしく、そのときのことがよほど忘れられないのか、焼菓子を口にしながら「また行ってみたいです・・・・・・」と時々つぶやかれています。
殿下の願いを叶えようと陛下も乗り気になりますが、もちろん、怖い怖い宰相様に「駄目です!」と一喝されております。
「では、シルフィア。行ってくる」
「はい。行ってらっしゃいませ」
食事を終えて食堂から廊下に出た陛下は、見送る殿下の頬に再び口づけし、そっと優しく髪をなでると、朝議に向かうために廊下を歩きだされました。
「あ」
ところが、陛下は何かを思い出したか急に歩を止め、マントを翻してくるりと振り返られました。
「陛下?」
陛下の視線が殿下に向かい、それが何故か、後ろに控えていた私に向けられているではありませんか。
一体何事でしょうか。
何か不手際があったのでしょうか。
「シルフィア・・・あれは渡したか?」
「え?あ!」
跳ねるように身体を震わせた殿下は、口元を両手で覆い、大きく目を見開かれます。
「そうですね、今なら・・・・・・」
「殿下、私が」
背後に控えていたレーヌがそっと殿下の側に寄って声をかけると、殿下はそれに頷き返します。
「少々お待ちくださいませ」と一礼したレーヌは一人、正妃の間に早足で行ってしまいました。
一体何だというのでしょう。
陛下付の侍従ロディオスと視線が合うも、彼は曖昧な笑みを浮かべるだけ。
そうこうしているうちに、レーヌが大きな箱のようなものを抱えて戻ってきました。
細かな刺繍とレースが施された白い布に包まれた箱を、殿下はレーヌから受け取り、こちらに戻ってこられた陛下と視線を合わせ、微笑みを交わされました。
そして。
「マルヴェーレ」
微笑みを浮かべたまま殿下は私の前まで来ると、その箱を私に向けて差し出されたのです。
「これを、貴女に」
「・・・・・・私、でございますか?」
「はい」
「ですが・・・・・・殿下、その・・・・・・」
あまりのことに私は面食らい、常にない程に動揺し、忙しなく殿下と陛下を交互に見ることしかできません。
「マルヴェーレに、皆からのお祝いの品です」
「お祝い?」
「はい。マルヴェーレのご長男に、一昨日お子様が誕生したとお聞きいたしました」
「何故それを殿下が・・・・・・」
私の長男に男児が誕生したのは一昨日のこと。
長男には女児が二人おりますが、このたび誕生した男児は、我がベルヴァルト家にとって長い間待ち望んでいた跡継ぎになります。
一応は貴族の家柄ですので貴族院に出生の報告はしておりますが、直接陛下や殿下にはお伝えしておりません。
そもそも、側仕えの者たちの私事を、王家の方々が気にされる必要はないのです。
「1か月ほど前からマルヴェーレの表情が気になっていたのですが、一昨日からはどことなく嬉しそうでしたよ。一昨日、男児が誕生されたのだとサラが教えてくれました」
殿下付の侍女の一人、サラに視線を向けると、彼女は顔を強張らせて慌てて頭を下げました。
側使えの者の私事を軽々しく殿下に話すなど、普通はあってはならないことです。
しかし、殿下にお気を遣わせてしまった私も悪いのです。
跡継ぎの誕生に、無意識のうちに浮かれてしまったのでしょう。
「マルヴェーレ、おめでとうございます」
「ありがとうございます、シルフィア殿下。ですがこのような・・・私はただの侍女に過ぎませんので、殿下から贈答の品をいただくわけにはまいりません」
「まあ、そう堅いことを言うな、マルヴェーレ」
殿下の肩を抱くように触れ、側に立たれたのはロイスラミア陛下でした。
「ですが、陛下・・・・・・」
「これはシルフィアだけでなく、俺も含めて、西宮の者たちほぼ全員からの祝いの気持ちなのだぞ?」
陛下は徐に、殿下が持たれていた箱の布をめくり、目の前で白い木製の箱の蓋を持ち上げられました。
「・・・・・・」
箱の中にはたくさんの手作りの人形や、刺繍された布、子供用の衣類などが並べられており、また、オルセレイドでは男児の出産祝いとして贈られる釦が、小箱の中にぎっしりと詰まっていました。
自分が普段から身に着けている衣服の釦を、男児の健やかな成長を祈って贈る風習があります。
とりわけ騎士の釦を贈られると、強い子に成長すると信じられており、贈り物として大変喜ばれる品なのです。
見たところ、宮殿騎士の方々の釦がいくつも含まれていました。
「エレーヌ様とロージア様からもお祝いの品を頂いたのですよ」
「まあ!お妃様からでございますか!?」
「はい」
「ちなみに」
陛下はたくさんの釦の中から一つを摘まみ、目の高さへと持ち上げて、にっと笑われました。
「陛下!それは・・・・・・!」
「そう。俺からの贈り物だ」
「ですが、陛下!」
陛下が摘まんでいた釦は、小さなものですが間違いなく銀製です。
しかもその釦には、聖獣である獅子の姿が彫られているではありませんか。
「陛下!そのような御品を!」
「構わん。俺からおまえへの感謝の気持ちと思って受け取ってくれ」
「陛下・・・・・・」
「赤ん坊の頃から面倒を見てくれているおまえは、俺にとってもう一人の母親のような存在だ。マルヴェーレには常日頃から大変世話になっている。おまえがいてくれるからこそ、西宮のことを俺は心配することなく任せることができる。そのように思っているのは、俺だけではないようだぞ?」
周囲を見渡せば、侍女や侍従だけでなく、宮殿騎士の方々までもが大きく頷き、口々に「おめでとうございます」と祝いの言葉を述べられました。
祝いの品々の中には色とりどりの紙の束もあり、もしかするとそれは、皆様からの祝いのお言葉が書かれたものなのかもしれません。
「これを発案したのはシルフィアだ。是非ともお祝いをしたいと言うのでな。オルセレイド流の出産祝いのことを俺やロディオス、サラに何度も聞いていたのだぞ」
「殿下・・・」
「どうぞ、マルヴェーレ」
優雅な微笑みを浮かべ、殿下は私に箱を差し出されました。
ああ、なんということでしょうか。
微笑む殿下は、まるで慈愛を司る女神のように見えます。
「・・・・・・ありがとうございます」
「いいえ、私こそマルヴェーレにはいつもお世話になっています。書斎の部屋の内装を、マルヴェーレが考えてくださったのでしょう?私がオルセレイドに来ても不安に思うことがないように、細部にまで気を遣ってくださったと聞きました。普段もマルヴェーレの気配りのおかげで、何不自由なく過ごすことができています。いつもありがとうございます」
「殿下・・・・・・」
これほどまでに心が打ち震え、歓喜と幸福に満たされたことがあったでしょうか。
仕事として当然のことをしたまでではございますが、その労を認め、御礼の言葉をいただけるなんて、実に誇らしく名誉なことでございます。
私は勿体ないほどの幸せ者です。
「今日は午前中で仕事を終えて、孫君の顔を見に行ってあげるように。ベルヴァルト家待望の跡継ぎだろう?息子夫婦を祝ってやれ。これは、国王命令だ」
ひらひらと手を振って朝議に向かう陛下へ、私は深々と頭を下げ、祝の箱を胸に強く抱きしめて、私は胸の内で幾度も幾度も誓いました。
可能な限り王城にお勤めし、ロイスラミア陛下とシルフィア殿下のため、侍女頭として誠心誠意仕えていこうと。
大勢の人々の想いが詰まった祝いの品々を見た夫と息子は、驚愕のあまり卒倒してしまいましたが、親戚一同が狂喜乱舞する中、周りの騒動など大したことではないように、赤子はすやすやと眠り続けていました。
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