わがまま伯爵令嬢の料理改革

ほんわか

文字の大きさ
9 / 52

9 さらなる高みへ

1. アルケミアの天才と、二秒の壁

​数日後、ゼノが連れてきたのは、アルケミア商会の若き天才技術者、ミリアだった。
ミリアの隣には、助手のエマと、事務方のソウタが同伴していた。

​客間に通されたミリアたちは、目の前の小さな少女に視線を合わせた。

リアナがソファからスッと立ち上がると、優雅に挨拶する。

​「初めまして。伯爵家の長女、リアナ・ド・オルフェウスです」

リアナが挨拶すると、ミリアも少し緊張した面持ちで名乗った。

「初めまして、アルケミア商会のミリアです」

「座ってください」

​リアナはミリアを促すと、単刀直入にマナキッチンの説明を要求した。

ミリアは、事前にゼノから「リアナ様はかなり『わがまま』な令嬢だ」と聞かされていた。心してかからねばと、ミリアはマナキッチンの仕組みを丁寧に説明し始めた。魔石を動力源とし、魔法陣を通じて熱を発生させる、この世界最高の調理器具。

​一通り聞き終え、少し考えたリアナが口を開く。

​「……強火から弱火にするのに、魔法陣の冷却を待って二秒かかる。これでは、煮立ちすぎるのを防げないわ」

「えっ?」

「それに、この『弱火』はまだ強すぎる。……私が求めているのは、鍋の底を優しく撫でるような、消えるか消えないかの『極・弱火(とろ火)』よ」

​ミリアの顔から余裕が消えた。

「え? ……二秒のタイムラグを気にするなんて、初めて言われました」

​「それは彼らが、道具に自分を合わせているからよ。……私は違う。道具を私に合わせさせるのよ」

ミリアは、リアナの要求に思考をフル回転させブツブツと呟く。

「回路の熱伝導率(マナ・コンダクタンス)を三倍に高めて。それから、魔法陣を二重にして、内側と外側で別々に火力調整できるようにすれば⋯⋯」

​「……お、面白いわ! そこまで言われたらアルケミア商会の名にかけて、あんたの満足するキッチンを作ってみせるわ!」

​若き技術者のプライドに火がついたと同時に痛感した。自分が満足する物を作るんではなく、お客が満足する物を作る、そんな当たり前の事がミリアは抜けていた事に気付かされた。

ミリアもさらなる高みを見据えた。

こうして、伯爵邸の厨房は、魔導と和食が融合する「最先端の実験場」へと変貌することとなった。

​2. 発酵室の提案と、消えた言語

​「さらにもう一つ、ミリアに提案があるの」

「はい、何でしょうか?」

リアナの職人根性にミリアも触発される。

​リアナは勢いづいて、パン生地の『発酵室』の開発を切り出した。

​「低温長時間発酵……発酵から生地の温度が十度以下になるように、速やかに冷やして。低温でゆっくりと発酵・熟成を促す仕組みが欲しいのよ」

​リアナは手元の紙に、パン作りの工程と必要な温度管理のグラフをサラサラと書き示した。

​その紙を横から覗き込んだゼノが、そっと額に手を当てた。

(リアナ様、また暴走してるな……)

​リアナが興奮した状態で何かを書き出すと、ゼノには全く読めない「記号」のような字が並ぶ。

リアナは無意識のうちに、前世の言葉である『日本語』で書き出してしまうのだ。

ただ、ゼノはあえて指摘しなかった。王都のアルケミア商会のミリアが、この「読めない字」を見れば、きっとリアナ様も正気に戻るだろうと思っていたからだ。

​だが、ゼノの考えとは裏腹に、ミリアはその紙を凝視し、大きく頷いた。

「なるほど……『低温長時間発酵(オーバーナイト法)』ですね!」

​なんと、ミリアは書いてある内容(あるいは、そこに込められた数理的な論理)を普通に理解し、リアナとの間で熱烈な意見交換が始まったのだ。

​「ここの冷却は一気に?」

「ええ、急速であればあるほどいいわ。菌の活動を眠らせるのよ」

リアナのメモ
発酵 暖かいところに約30分間置く(生地が1.5倍になるまで)。

低温室で寝かせる 低温室に入れ、8~24時間ゆっくり発酵させる。
※温度は、5~9℃が望ましい。
※乾燥しないように密閉する。

低温室から出す 生地温度が約15℃になるまで復温する。
※復温するときは、室温(20~25℃)で。

分割・成形 通常のパンと同じように行う。

最終発酵 暖かいところで約2倍になるまで発酵させる。

焼成

「何処までの機能が必要でしょか?」

「そうね、低温から復温までやれればベストかしら」

​しばらくの間、激しい議論の末、リアナとミリアが満足げに立ち上がった。

​「では、お任せします」

「はい、お任せください!」

​リアナは振り返り、ゼノを呼んだ。

「ゼノ、これを契約書に起こしてちょうだい」

​ミリアも隣のソウタに指示を出す。

「ソウタ、この書類を精査して契約書を作って」

​預かった書類を見たゼノとソウタが、同時に呟いた。

​「「……この書類は、読めません」」

​リアナが不思議そうに眉を上げた。

「あら、ゼノ。私の字が読めないと言うの?」

​「はい……リアナ様、失礼ながら、癖で我々では読めない『字』になっております。……というか、この形はそもそも文字なのでしょうか?」

​ゼノが指し示したのは、完璧な日本語で書かれた「急速冷却・低温発酵プロセス管理図」だった。
リアナはハッと我に返った。

(……あらあら、つい前世のクセが出てしまったわ!)

​だが、なぜか理解できていたミリアは不思議そうに小首を傾げている。

​「え? 凄く合理的な図面ですよ? これが読めないなんて、二人とも勉強不足じゃないかしら」

​「「……ミリアさん(リアナ様)の感覚が、おかしいだけです!!」」

​ゼノとソウタの嘆きが客間に響き渡ったが、当のリアナとミリアは、すでに完成する新しいキッチンと発酵室のことで頭がいっぱいのようだった。

七歳の令嬢と若き天才技術者。二人の「規格外」な出会いによって、オルフェウス領の食文化は、ついに魔導の力さえもその手中に収めようとしていた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完】私の初恋の人に屈辱と絶望を与えたのは、大好きなお姉様でした

迦陵 れん
恋愛
「俺は君を愛さない。この結婚は政略結婚という名の契約結婚だ」 結婚式後の初夜のベッドで、私の夫となった彼は、開口一番そう告げた。 彼は元々の婚約者であった私の姉、アンジェラを誰よりも愛していたのに、私の姉はそうではなかった……。 見た目、性格、頭脳、運動神経とすべてが完璧なヘマタイト公爵令息に、グラディスは一目惚れをする。 けれど彼は大好きな姉の婚約者であり、容姿からなにから全て姉に敵わないグラディスは、瞬時に恋心を封印した。 筈だったのに、姉がいなくなったせいで彼の新しい婚約者になってしまい──。 人生イージーモードで生きてきた公爵令息が、初めての挫折を経験し、動く人形のようになってしまう。 彼のことが大好きな主人公は、冷たくされても彼一筋で思い続ける。 たとえ彼に好かれなくてもいい。 私は彼が好きだから! 大好きな人と幸せになるべく、メイドと二人三脚で頑張る健気令嬢のお話です。 ざまあされるような悪人は出ないので、ざまあはないです。 と思ったら、微ざまぁありになりました(汗)

傍観している方が面白いのになぁ。

志位斗 茂家波
ファンタジー
「エデワール・ミッシャ令嬢!貴方にはさまざな罪があり、この場での婚約破棄と国外追放を言い渡す!」 とある夜会の中で引き起こされた婚約破棄。 その彼らの様子はまるで…… 「茶番というか、喜劇ですね兄さま」 「うん、周囲が皆呆れたような目で見ているからな」  思わず漏らしたその感想は、周囲も一致しているようであった。 これは、そんな馬鹿馬鹿しい婚約破棄現場での、傍観者的な立場で見ていた者たちの語りである。 「帰らずの森のある騒動記」という連載作品に乗っている兄妹でもあります。

王宮侍女は穴に落ちる

斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された アニエスは王宮で運良く職を得る。 呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き の侍女として。 忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。 ところが、ある日ちょっとした諍いから 突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。 ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな 俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され るお話です。

本当に現実を生きていないのは?

朝樹 四季
恋愛
ある日、ヒロインと悪役令嬢が言い争っている場面を見た。ヒロインによる攻略はもう随分と進んでいるらしい。 だけど、その言い争いを見ている攻略対象者である王子の顔を見て、俺はヒロインの攻略をぶち壊す暗躍をすることを決意した。 だって、ここは現実だ。 ※番外編はリクエスト頂いたものです。もしかしたらまたひょっこり増えるかもしれません。

【完結】王位に拘る元婚約者様へ

凛 伊緒
恋愛
公爵令嬢ラリエット・ゼンキースア、18歳。 青みがかった銀の髪に、金の瞳を持っている。ラリエットは誰が見ても美しいと思える美貌の持ち主だが、『闇魔法使い』が故に酷い扱いを受けていた。 虐げられ、食事もろくに与えられない。 それらの行為の理由は、闇魔法に対する恐怖からか、或いは彼女に対する嫉妬か……。 ラリエットには、5歳の頃に婚約した婚約者がいた。 名はジルファー・アンドレイズ。このアンドレイズ王国の王太子だった。 しかし8歳の時、ラリエットの魔法適正が《闇》だということが発覚する。これが、全ての始まりだった── 婚約破棄された公爵令嬢ラリエットが名前を変え、とある事情から再び王城に戻り、王太子にざまぁするまでの物語── ※ご感想・ご指摘 等につきましては、近況ボードをご確認くださいませ。

隠された第四皇女

山田ランチ
恋愛
 ギルベアト帝国。  帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。  皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。 ヒュー娼館の人々 ウィノラ(娼館で育った第四皇女) アデリータ(女将、ウィノラの育ての親) マイノ(アデリータの弟で護衛長) ディアンヌ、ロラ(娼婦) デルマ、イリーゼ(高級娼婦) 皇宮の人々 ライナー・フックス(公爵家嫡男) バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人) ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝) ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長) リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属) オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟) エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟) セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃) ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡) 幻の皇女(第四皇女、死産?) アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補) ロタリオ(ライナーの従者) ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長) レナード・ハーン(子爵令息) リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女) ローザ(リナの侍女、魔女) ※フェッチ   力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。  ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

乙女ゲームは始まらない

みかん桜
恋愛
異世界転生した公爵令嬢のオリヴィア。 婚約者である王太子殿下の周囲に、乙女ゲームのヒロインを自称する女が現れた。 だが現実的なオリヴィアは慌てない。 現実の貴族社会は、物語のように優しくはないのだから。 これは、乙女ゲームが始まらなかった世界の話。 ※恋愛要素は背景程度です。