個人授業は放課後に

須藤慎弥

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13一2●ふーすけ先生の憂鬱●②

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 一月二月三月は、行く、逃げる、去る、と古くから言い伝えられている通り、本当に目まぐるしく過ぎ去って行った。

 一月は、授業に専念しながら由宇達一年生の、二年生からの理系文系選択の判別要員に橘も駆り出された。

 個人授業の成果で結果を出してくれたので心配はしていなかったが、由宇は無事に理系クラスの希望が通った。

 怜と、最近二人と仲良さげな少々不気味な林田真琴もだ。

 そして二月、ただでさえ日数が少ない中で三月はじめに行われる卒業式の準備に、またしても橘は参加させられた。

 園田家の件がひとまず解決したし、由宇と毎日顔を合わせるのはツラいものがあるので、この学校とは今年度でさよならしようかと思っていたのに、どうも無理そうである。

 頼まれると断れない責任感の塊である橘は、面倒だと顔にも態度にも出しているが与えられた仕事はきっちりこなす。

 はじめは横着そうな新任教師が入ってきたなと白い目を向けてきていた他の教員達も、一年間橘の姿を見て心を開いてくれていた。

 大してコミュニケーションは取らないし、小休み毎に職員室から居なくなるが、それが橘なのだともはや容認してくれている節まである。

 三月がこれまた忙しかった。

 卒業式、在校生の学年末考査、進学校ならではの朝一の課外と土曜授業、それだけではない。

 その他諸々あった。

 何も三月に一緒くたに行事を詰め込まなくてもいいだろ、と何度もぼやいて、やたらフレンドリーに接してくる教員達を笑わせた。


「懐かしー…」


 橘は加熱式タバコの煙を吐き、桜の木を見上げた。

 四月。

 今日は入学式だ。

 真新しい制服に身を包み、緊張の面持ちで校内へと歩む見た目幼い生徒とその親達。

 期待と少しの不安を滲ませたその表情は、中学生から高校生へと一つステップアップした自信も帯びているが、やはりまだまだ無垢だ。


「ま、……あんな寂しー背中の奴は後にも先にも居ねぇよな」


 この学校では、入学式は在校生は出席しなくて良いので、もちろん由宇は登校していない。

 どうしても桜並木を見ると一年前の今日の事が蘇る。

 新任教師として、新入生に交じって登校していた橘が見付けた、ひとりぼっちの小さな背中。

 周囲は着飾った両親を引き連れての入学式だというのに、由宇はひとりぼっちだった。


『寂しくてたまらない、誰か助けて』


 ゆっくりゆっくり進むその背中は、頭上に咲いた満開の桜を楽しむ事なく橘にそう訴えかけてきた。

 触り心地の良さそうなふわふわした髪が春風になびき、時折降る桜の花びらを鬱陶しそうに避けていた横顔は、もしや泣いているのかと思った。

 頼まれ事は面倒でもキチッとこなすけれど、自分から動く事などほとんど無かった橘だが、声を掛けずには居られなかった。

 振り向いて驚きを隠さなかった由宇の顔を見た瞬間、橘の胸を何かが貫いていた。

 この子は何もかもを諦めている、……そんな瞳であった。

 由宇にそれを言っても、「それは違う」と否定してきそうだったので言わなかっただけだ。

 ただその時は、ぐちゃぐちゃに結ばれたネクタイと由宇の不出来な両親に気を取られ、橘の胸に刺さった何かを探る事を忘れていた。

 園田家の件の解決を模索しながら、教師として教壇に立たなければならないプレッシャーを橘なりに感じていたためだ。


「すみません、一年生の下駄箱はどちらに……」
「突き当たって右っす」
「あ、ありがとうございます」


 橘に話し掛けてきた、緊張感を持った母親とガリ勉そうな眼鏡を掛けた子どもは、橘が指差した方へ歩いて行きながらチラチラと振り返ってくる。


「ったく……教師に見えねーってのか」


 きちんとスーツを着ているのにヤンキー感が拭えない橘は、眉間に皺を寄せて独りごちた。

 一年前も、ビビリ上がる由宇に同じ事を言った。

 あの時の由宇は、まだ橘に敬語を使っていた。

 いつからあんなに馴れ馴れしくタメ口を利くようになったのか。

 最初はやたらと橘に突っかかってきて、橘も負けじと言い返すとすぐにぷんぷんして怒ってますアピールをしていた。

 それが面白くてさらに揶揄ってしまい、怒らせ、嫌いだとまで言わしめた。

 入学式当日の寂しそうな背中とは打って変わって、素直で元気なところが可愛くて気に入った。

 それからだ。

 何となく由宇を目で追い始めたのは。

 別のクラスで授業中、運動場の隅の木の影に腰掛けている由宇を見ては「なぜ体育は見学ばかりなんだ」と不思議で、由宇の担任に事の次第を聞いた。

 事故の傷跡は、素股をしながらバッチリ見ている。

 由宇は気付かなかったようだが、橘は恐る恐るそれに触れて、撫でてもみた。


「あ、いけね。  あれは思い出したらマズイ」


 桜の魔力が懐古させてしまった。

 由宇を想うのはやめようとしても、ほぼ毎日授業で顔を合わすのでなかなか思うようにいかない。

 橘は腕章を外しながら苦笑した。

 間もなく入学式が始まる。

 若い橘は校門前で案内係を担っていたが、そもそもこんな強面に務めさせてはいけないと思う。

 二時間ここに立ち続けて、話し掛けてきたのはさっきの親子だけだ。


「優しい顔ってどうやんだよ」


 由宇に何度も悪魔顔だと揶揄されて、『もっと優しい顔しなよ』とも言われたがそんなものやり方が分からない。


 ──お前が居たら笑顔も出来んだけどな。


 近頃、橘の眉間の皺はずっと濃いままだ。



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