195 / 195
おまけ
個人授業は放課後だけ? 終
しおりを挟む(無理だよ! コケるなんて予想もしてなかったもん……! 痛いよ先生っ……すぐそこに居るのになんで見てるだけなんだよ……っ、抱っこしてここから連れ出してよ……!)
……たくさんの温かい声援が聞こえてくる。
由宇の事を知っているクラスメイト達も、知らない生徒達も、教師陣も、「頑張れ」と無茶を言う。
どの体育祭の記憶でも、必ず一人はこうして転ぶ生徒が居た。
転んだ生徒は顔を真っ赤にして注目される羞恥に耐えて立ち上がり、見事に走り切る。
しかしその後はそそくさと列に紛れ込んで気配を消していた。
今、その生徒達の気持ちが痛いほど、この上なく痛いほど、よく分かった。
降ってきたのが大好きな人の声でも、由宇にはそんな勇気はない。
由宇は転んだ格好のまま、ピクリとも動けなかった。
「由宇」
橘がしゃがんだ気配がして、それでも顔を上げられない由宇は嗚咽を漏らし始めた。
───嫌だ。 顔を上げて立ち上がったら、ゴールまで走り切らないといけないではないか。
この運動場に居るすべての者達からの視線を集めたまま、走り切る事なんて出来っこない。
(出来ないよ……痛いよ……先生……っ)
「このままここでそうしてても、注目浴び続けるだけだぞ。 由宇、俺との約束はどうした」
「…………っ」
「立て。 クビ覚悟の大サービスしてやっから」
「…………っ?」
(……クビ覚悟の大サービス?)
恐る恐る顔を上げると、橘は由宇に向かって左手を差し出していた。
傷は癒合しているものの、痛々しい傷跡は未だしっかりとその手のひらには刻まれている。
(……先生も一緒に……走ってくれるの……?)
「早くしろ。 俺、長時間太陽の光浴びると溶けんだよ」
ドラキュラか!と頭の中で突っ込みを入れながら、由宇は差し出された左手を取った。
本当はこの場から連れ出してくれるのが一番理想だけれど、橘はそれを良しとはしないだろう。
握り返してくれた橘の握力が物語っていた。
走り切らないと、今日まで何のために頑張ったのか、橘との約束を反故にするつもりなのか、そんなもの意味がないぞ、……見下ろしてくる三白眼がそう訴えかけてきた。
「ったく。 世話の焼けるペットめ」
手を繋いだまま、橘にリードされる形で四十メートルほどを走る。
何せトラック半周辺りで転んでしまったので、先が長かった。
「うっ……先生、めっちゃ恥ずかしいよぉ……」
「こんなもん、頑張れって言ってる奴の記憶には残んねぇくらい些細な出来事だ。 恥ずかしいって気持ち引き摺るのはお前だけ」
「…………っ」
「俺には恥ずかしいなんて感じた事ねぇからお前が真っ赤になってる気持ちが分かんねー。 ……こっからは一人で走れ。 ゴールで待ってる」
「えっ、ちょっ……!」
声援にかき消された二人だけの会話に、由宇の羞恥も薄れかけたところで無情にも手を離された。
残り十メートル。
振り返る事なく橘はゴールの先まで走って行ってしまった。
しかしここで立ち止まったら、注目を浴びる時間が長くなる……その思いだけで、由宇はひとりで走った。
──走り切った。
「はぁ、はぁ……っ」
由宇のゴールを見守っていた周囲から、大袈裟にも拍手が沸いた。
恥ずかしい。 ゴールしたのに、まだ恥ずかしい。
トラックを半周走ったところでお手本のように転んで、なかなか立ち上がらなかったためにさらに注目を浴び、小さな子どもの運動会のように橘と手を繋いで走った事でさらなる視線を集めていた由宇は、温かい声援と拍手も気恥ずかしくて素直に受け止められなかった。
「クビ覚悟の大サービスその二」
「えっ? わわ……っ」
列に戻ろうとした由宇の体が、ふわっと宙に浮く。
ゴールで由宇を待ち構えていた橘によって、全校生徒、全教師の目の前で禁断のお姫様抱っこをされていた。
マイペースな橘はそのまま誰にも何も告げずに、由宇を抱いたまま校舎内の保健室へと向かう。
「先生っ、みんなの前であれはマズイんじゃ……痛っ」
固い丸椅子に腰掛けた由宇の鼻先がオキシドールで消毒され、綿球で軽く水分を拭き取ったあと絆創膏をペタリと貼られる。
手当てをしてくれている橘の表情は、ネクタイを結び直す時よりも険しい。
「クビ覚悟の大サービスっつったろ。 あとどこ怪我した?」
「ダメだよクビなんか! ……ここ痛い」
「ん」
擦りむいた右肘を見せると、橘はそこも鼻先と同様の処置をし、ピンセットを置いた。
じわっと由宇を立ち上がらせて、きちんと力加減された橘らしからぬ甘やかな腕にそっと抱き寄せられる。
「誰が心配かけろっつった」
「……心配……?」
「なかなか起き上がらねぇから脳しんとうでも起こしたのかって焦ったじゃん」
「あ……いや……」
「走り切ったの、偉かったな」
「……恥ずかしかったよ……。 ……先生が手引っ張ってくれなかったら、……くじけてた……」
「今日だけじゃない。 これから先も俺がすべてにおいてお前を引っ張ってやる。 最後まで走り切れって言った意味、分かるか?」
由宇は橘を見上げて小さく首を振った。
ひとりでゴールさせた橘の本意は、単に「ビビるんじゃねぇよ」という副総長メッセージかと思ったのだが──。
上向いた由宇の両頬を取った橘は、悪魔の微笑を浮かべていなかった。
「お前が俺に付いて来られなかったら、引っ張っても意味ねーからだ。 泣き虫は取っといていいけど、弱虫は捨てた方がいい」
「……弱虫を捨てる……?」
「お前は元気にその辺走り回って、怖いもの知らずで居たらいい。 理不尽な事は俺が根こそぎ排除してやる」
真剣な眼差しの奥に、男気溢れる彼らしさが光っていた。
(……逃げ出したいって思っちゃったの、見抜かれてたんだ……)
手を離されて心細くその背中を目で追った、由宇の心の弱さを橘は見透かしていたのだ。
恥ずかしくてその場から逃げたくても、やり切らなくては練習の意味がない。
嫌な事から、逃げてはいけない。
今日逃げてしまえば、逃げ癖がつく。
目先の大学受験と今日の事をリンクさせるために、橘は由宇に体育祭参加を促したのではないかと、由宇はその時ようやく気付いた。
……恐らく転倒する事までは予測出来なかったであろうが。
「あ、そうそう。 弱虫克服と走れるようになった記念に一つ報告しといてやるよ」
「……何を?」
「三年前にお前を轢いた男、突き止めて成敗しといたから」
「────!?」
物騒な悪魔のような発言に、由宇は大きな瞳を見開いて絶句した。
引っ張ってくれるのはありがたいが、とても穏やかではない事を聞かされた由宇の心境は……何とも複雑だった。
(恋人が副総長様で悪魔で、ついでにドラキュラなんですけど……)
由宇の大好きな大好きな恋人は、やたらとダークな肩書きが……多い。
── 終 ──
0
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
僕の幸せは
春夏
BL
【完結しました】
【エールいただきました。ありがとうございます】
【たくさんの“いいね”ありがとうございます】
【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】
恋人に捨てられた悠の心情。
話は別れから始まります。全編が悠の視点です。
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」
突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。
なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!?
全力すれ違いラブコメファンタジーBL!
支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
いつも更新楽しみにしています☺︎一生懸命なゆうが可愛くてすきです!
カワウソさん、個人授業は放課後に を追ってくだり、コメントまでありがとうございます!
賢くて元気いっぱいだけれど、家庭の事情で寂しさを抱え、それを隠して日々を送っていた由宇をかわいいと言っていただけて嬉しいです(*^^*)
ふーすけ先生の前では、何事もより一生懸命かもしれないですね(^ν^)