必然ラヴァーズ

須藤慎弥

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 あまり気負うと指先が微かに震えてきてしまうので、動揺を悟られたくない聖南はポケットに手を突っ込んでそれを誤魔化した。

 当時の康平の心境は、聖南がこれまで一番知りたかった事だ。

 本来なら会食の席でそれを望んでいたのだが、お互いがその機会を棒に振った。

 目の前の康平は、煎餅を一枚食べ終えて気持ちを落ち着かせるかの如くお茶を一口飲む。


「これだけ名の知れた大会社ともなると、……いや、どこも一緒かもしれんが、中間管理職は精神を追い込まれるのだ。 ちょうど聖南が産まれた頃、私はその立場に居た。 役職付きになると、その中間管理職から這い上がるために無茶をするものでな。 あの当時、寝食はほとんど会社だった」
「…………女のとこに居るもんだと思ってた」
「女なんか居ないさ。 今でもだ。 私は一人が好きだし、世話も焼かれたくない。 老後はどうするんだとお節介な奴に聞かれるが、その準備もきちんとしてある。 私のことは、聖南は何も心配しなくていい。 自他共に認める変わり者なんだ、私は」
「………………」

 ───当時は、色んな思いを巡らせていた。

 聖南よりも優先したい女が居て、その人と居るために聖南を構わないのだと、そう思い込んでいた時期もあった。

 成長し、様々な仕事を任される立場になってこそ分かる事も当然ある。

 康平が本人も認めるほどこんなにも変わり者だとは知らず、ただ仕事に明け暮れていただけだという事実を聞いた聖南はどんな心持ちでいて良いか分からなくなった。


「……マジで変わってる。 ……それがほんとなら、たとえ家に居ても康平が俺を育てるのは無理だったな」
「……驚いた。 私が言う事ではないが……理解が早いな」
「何でだって思いでここまできてっから。 今理由聞けてちょっとスッキリした。 会食ん時そう正直に言ってくれりゃ良かったのに」
「聖南がずっと怒った顔をしていたから怖かったのだよ……当然なのだがな。 ただ、聖南の事を忘れた事は無かったと言ったのは本当だ」
「へぇー? 中一で縁切りしたのに? 俺あんたに通帳置いてかれた時、まだ十三歳だったんだけど」


 あの日、聖南にとどめを刺したその一言がまた疼く。 変わり者だと認めてくれたのだから、そんな嘘は吐かなくていいと嘲笑した。

 本当の親子のように、今までずっと言えなかった事を思わず口にしてしまい、お茶を一口啜ってみるがまたもや康平の目を見られなくなった。

 震えそうだった指先ごとポケットにしまうと、微妙に康平からは視線を外す。


「縁切り? ……あれはそういう意味ではない。 あの前の年からボーナスが跳ね上がって、聖南のために貯金していた目標額を早々に達成できたから、嬉しくて見せびらかせたくて置いていったのだ」


 聖南の彷徨わせていた視線が、じわりと康平の顔へ戻る。


『いま、こいつ、何て言った……? ものすごーーく、ものすごーーく、他愛もない事を言わなかったか……?』


 康平の言った台詞を脳内にて急いで処理する。

 ……それは、そこまでの時間を要さなかった。


「……ッッはぁっっ!? そ、それ……それ……マジかよ……ッ?」
「大マジだ。 私は当時から上手く愛情を注ぎきらない仕事人間だったし、あの通帳はこれで好きなものを買いなさいという意味だった。 大塚からもこの話をされたが、これだけは訂正しておきたかった。 あの後すぐに事務所のマンションに移ったろう? 携帯の番号も変わっていて分からなかったし、当時の大塚に尋ねてみても「聖南はアイドルとしてデビューする話があるからこの先は心配するな」と言われていたのだ。 それで……縁切りのような形になった」


『なんだよ、それ……! そんな理由で、俺は……』


 事実は小説より奇なりとは、まさにこの事だった。

 聖南はあの日、精神がついに壊れたようにして泣きじゃくったのだ。

 テーブルの上に置かれた聖南名義の通帳と印鑑を見て、「あぁ、とうとう見捨てられたんだ」と笑いながら嗚咽を漏らしたのだ。

 それだけではない。 それ以前からの寂しくて侘しかった日々が次々と思い起こされ、動揺を隠せない聖南はギリギリと拳を震わせた。


「足りねぇ……! あんたは言葉が足りなさ過ぎる! 俺がどれだけ……っっ」
「分かっているよ、聖南。 ひとまず座りなさい。 ……理由なんかどうでもいいだろう。 私が聖南に「後悔している」と言ったのも、本心だ。 たとえ今謝っても、当時の聖南に孤独を与えた事は事実だ。 決して許してもらえるとは思っていない」
「───ッッ」
「私がこんな父親なばかりに、聖南には本当に寂しい思いをさせてしまった。 …………ごめんな、聖南……許してくれとは言わない。 ただ、謝らせてほしい……」
「………………ッッ」


 ドサッと勢い良くソファに沈んだ聖南とは反対に、康平がすくっと立ち上がった。

 聖南が見上げた先の康平はなんと、切々と気持ちを吐露した後……最後に深々と頭を下げてきたのである。

 ───何も望まないから、どうか、寂しかった事を分かってほしい。

 そう心中で嘆き、寂しさを憎しみに変えてきた日々がガタガタと崩れ去って行く。

 康平の粛々とした九十度のお辞儀を、信じられない思いで見詰めていた聖南は何とも言えない感情に包まれていた。


『…………なんだよ、……何なんだよ……』


 父親だなんて絶対に思えない。 たとえどんな理由があっても許してやる日なんか一生こない。 そう強く思う事で記憶の蓋を閉めていられた。

 父親を憎む事でしか、自分を保つための方法が無かった。

 聖南は何分も呆然とした。 康平が何分も頭を下げ続けているからだ。

 この謝罪を受け入れるべきかどうかなど、昔の聖南なら迷いもしなかったが、今は……。


「わ、わ、分かったから……いい加減頭上げろ」
「うっ……歳のせいかな。 クラクラする」
「そりゃ、あんだけ頭垂れてたらそうなるだろ」


 頭を押さえて腰掛けた康平に湯飲みを手渡してやると、彼は再び分かりやすく喜んだ。

 嬉しげな表情を浮かべられると言い出しにくいが、康平が頭を下げたからには聖南も本心を言ってしまわなければフェアではない。

 憎みきれない血縁者だということは、本人達が一番よく分かっている。


「……どんだけ謝られても、俺はあんたを父親とは思えない。 その気持ちは変わんねぇよ。 だって親子一緒の時間を過ごした事も無けりゃ、家族がどんなものかも教わった事がねぇんだから。 でもな、……あんたの血を継いでんのは俺しかいねぇ……」


 聖南は立ち上がって、頭を下げ続けて顔が真っ赤になった康平を一瞥する。

 仕方が無いので、今までの事はとりあえず開かずの扉の中へしまい込んでやろう。 二度と漏れ出る事がないように、厳重に。


「日向の血を絶やしてしまう事は詫びなきゃなんねぇな。 ま、康平は変わり者だから気にしねぇだろうけど?」


 そう言った聖南は生まれて初めて、父親である康平に笑顔を見せ、照れたようにすぐさま副社長室を退室した。

 ───父親とは思えない。

 それは聖南の中では絶対的で、これから先も変わる事はない。

 ただ……康平に対するすべての負の感情は無くなったと言ってよかった。

 この先、新たに関係を築いていくのも悪くない。

 同性である葉璃との養子縁組を、あんなにもやすやすと認めてくれた変わり者の彼となら、それはあまり難しい事ではないような気がした。





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