狂愛サイリューム

須藤慎弥

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55❤︎睦言

55❤︎⑥


❤︎ ❤︎ ❤︎



 ──もうすぐだな。……良かった。


 葉璃からのメッセージを読んだ聖南は、落ち着いたオレンジ色が灯る長方形の間接照明の手前にスマホを置き、ホッと息を吐いた。

 聖南が手配したタクシーを途中で一度乗り換えてやって来る葉璃を待つ間、とてものんびりと寛いでなどいられなかった。

 こういう状況での密会は、葉璃にばかり負担をかけてしまう。致し方無いとはいえ、聖南が直々に迎えに行ってやりたい気持ちを抑えるのは大変だ。

 今日の密会場所は、葉璃の自宅から車で三十分ほどの三つ星ホテルである。康平の名で最上階のスイートルームを取ってもらい、従業員の出入りを禁じるようにも頼んでいる。

 到着した葉璃からの連絡が入ると、聖南が受付に連絡し、間もなく連れがエレベーターでこちらに向かうとだけ告げれば問題無いという。

 同宿であれば名前の記入などは必要無いそうで、さらには康平の名が毎度ホテルの上層部をザワつかせるらしいので、よりプライバシーは守られるだろう。

 帽子を目深に被り、マスクで顔の三分の二を隠した聖南が康平の名を告げてエレベーターで最上階へ上がると、そこには一室のみという好条件だった。

 部屋の中を一通り見て回り、聖南は「まぁまぁいいじゃん」と独り言を呟いた。

 星付きホテルのスイートルームともあって広々としているし、清潔感は言わずもがな、何より天井が高く開放感がある。

 一つ不満があるとすれば、複数人での宿泊を想定してなのかベッドがハリウッドツイン仕様な事くらいか。

 間もなく到着するであろう葉璃と眠るには、やはり聖南宅にあるクイーンサイズが理想的なのだが、スイートルームの仕様もホテルによって様々あるので仕方が無い。

 一泊しかしないからと妥協はしたくないものの、密会場所は聖南が決めたわけではないので我儘は言えない。


「お、来た来た」


 葉璃から着信があった。しかしそれはすぐに切れてしまう。

 従業員をシャットアウトしているこのフロアに葉璃が降り立ったという合図で、聖南は小走りで扉へと向かった。

 新鮮な気持ちで扉を開き、葉璃扮する〝名無しちゃん〟らしき人影を確認するや、すぐさま腕を掴んで中に引き入れた。


「…………」
「…………」


 ベージュ色のバスクベレー帽を被った、完璧に女性に成りすました葉璃をジッと見下ろす。

 なぜか聖南は、上から下まで舐め回すように観察はさせてもらうが、必要以上に触れられなかった。

 瞳を見詰めて葉璃だと認識すれば問題ないのだが、今日も素晴らしく別人なので脳が混乱し、それがなかなかに時間がかかる。

 恥ずかしがってあまり目を合わせてくれないので、聖南は屈んで視線を合わせ、ベレー帽の上に右手を乗せた。


「よっ、名無しちゃん」
「……こんばんは、聖南さん」


 ──あ、葉璃だ。


 当たり前なのだが、声を聞いてようやく安心した。

 ニッと笑んでやると葉璃も少し緊張が解れた様子で、マスク越しの目元が細まった。

 春香の影武者然り、ヒナタへの変身然り、メイクや服装で葉璃は完璧に〝葉璃〟を消してしまえる。

 骨格が華奢で手足も長く、聖南から愛されているおかげか出会った頃よりも体のラインが男性的とは程遠くなった。

 葉璃の手を引いてリビングルームのソファに落ち着かせると、聖南は隣を陣取り、再びまじまじと〝名無しちゃん〟を観察する。


「似合ってるよ、ミニスカート。ロングブーツもそそるじゃん。ウィッグは金髪、アイメイクも派手め。今日はギャル系意識してんの?」
「……そうらしいです」
「この格好でウロウロしてねぇだろうな?」
「ウロウロしてないですよっ。あ、家の近くのコンビニには行きましたけど……」
「はぁ!?」


 それを聞いて初めて、聖南は葉璃がビニール袋を手にしている事に気が付いた。

 この真冬にミニスカートはいかがなものかと心配性を発揮しかけた矢先、今度は別の心配事が聖南の胸を覆い始める。


「恥ずかしかったですよ!? でも飲み物買って行かなきゃって思って……!」
「飲み物くらいここにある! ルームサービスもあるんだし飲み食いは困んねぇよ! てか何してんの!? 誰がウロついていいっつった!?」
「ご、ごめんなさいっ……!」


 自身の見目に無頓着過ぎる葉璃は、『恥ずかしい格好でウロウロした事』で聖南が声を荒げているのだと勘違いしていそうだ。

 そんなはずがない。否、そんな生易しい理由なら、ここまでカッと頭に血が上らない。


「ナンパされてねぇよな?」
「…………」
「されたのか!?」
「……レジのお兄さんから、……これ……」


 叱られてバツが悪そうな葉璃が、ショートダウンのポケットから一枚の紙切れを取り出して聖南に見せてきた。

 それには、走り書きされた十一桁の数字と『横山』という名が書かれている。

 〝名無しちゃん〟とお近付きになるためにその者が慌てて書いたであろう文字を見ると、頭に上った血が一気に沸騰しかけた。


「しっかりナンパされてんなぁ!?」
「や、やっぱりそうなんですかっ? 声出せないからこうやって手振って断ったんですよ! でもなんかニコニコされちゃって……っ」
「いやそれ断ってるようには見えねぇよ!」
「えぇっ!? じゃあどうすれば良かったんですかっ」
「コンビニに行くな! 寄り道すんじゃねぇ!」
「そもそもの話ですねっ?」
「そうだ、そもそもだ!」
「…………っ」


 まさかここへ来る前に寄り道をしていたとは思わず、無頓着も大概にしてくれと怒鳴ってしまいそうになった。

 アイドルである前に、葉璃は聖南の恋人なのだ。

 彼が高校生の時にも、聖南は散々ぱら狭量さを見せていた。

 寄り道は最低限にしろだの、一人で出歩くなだのと、嫉妬深い恋人がいる事を忘れさせないために植え付けていたはずだ。

 葉璃はそのままの姿でも、見知らぬ男から街で声をかけられていると知ったからだ。

 当の本人は『俺がひとりぼっちで可哀想だと思われてるんですよ』などと卑屈な発言をして笑っていたが、聖南はまったく、少しも可笑しくなかった。

 デビューしてからは特に、一人での外出を控えるよう滾々と言っていたつもりだ。

 騒がれては困るという大義名分の他に、今まさに聖南の手のひらでグシャッと握り潰された紙切れのような事態を生まないために、葉璃は絶対に一人で行動してはならない。

 我が恋人が知らぬところで見知らぬ男と接触し、そのうえ下心満載の電話番号まで寄越されたなど、とてもじゃないが受け止められなかった。


「マジで……何考えてんの。俺は葉璃がどんな姿してたって葉璃以外はタイプじゃねぇ。だけど、元がいいから名無しちゃんだって可愛くて当然なんだ。……ほっとかねぇだろ、男は」


 恋人がどんな姿でも惚れられるというのは、見た目重視の世の男達からするとまさしく〝自慢の恋人〟となるのだろうが、聖南の場合は違う。

 本気で聖南宅に軟禁しようかと危ない考えが浮かんだのは、一度や二度ではない。

 それほど葉璃を人目に晒したくない。

 声をかけられ、あまつさえ惚れられるなど言語道断なのだ。

 業界関係者や同業の者らが葉璃と繋げてほしいと頼み込んでくる事も、聖南にとっては良い気がしない。それどころか今後の付き合い方を考えなければと、そこまで思い至る。


「そんなこと言われても……。俺はそんなことないんで……。そんなこと言うの聖南さんくらいですから……」
「そんなことそんなことって、葉璃はそんなことねぇって言い切れんのか? 俺は言い切れねぇよ。そんなことあるんだから」
「……意味が分かりません」
「ちょっとでいいから分かってくれよ。葉璃の可愛さは恋人の欲目じゃねぇんだ。内側から滲み出てっから、自分じゃどうにも出来ねぇと思う。だからもっと自覚しろって言ってんだよ」
「えぇ……?」




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