異世界複製錬金術師

あくす

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第一幕

第7話:癒えぬ傷と、決意の夜

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ウルフの群れを退けた代償は、あまりに重く、そして生々しいものだった。荒れ狂う炎の壁が勢いを失い、パチパチという木のはぜる音だけが周囲に響き渡る。静寂が戻った後の森には、焦げた獣の毛と湿った土が混じり合った、鼻を突くような臭気だけが澱んでいる。アドルの身体は、極限まで張り詰めていた糸が唐突に切れたように、崩れるように地面へと沈んだ。レベルが5へと上昇したことで、身体の奥底から湧き上がるような生命力の胎動を感じてはいたが、牙に深く抉られた傷口から流れる熱い血と、魂を削り取るような疲労までは、即座に消し去ってはくれない。

「……アドルさん! 嘘、こんなに酷い……」

駆け寄ってきたミーシャの震える声が、遠のきかける意識を強引に繋ぎ止める。彼女は泥にまみれた手でアドルの身体を支えようとしたが、そのあまりの熱さと、衣服を赤黒く染める出血の量に思わず息を呑んだ。アドルは朦朧とする視界の中で、彼女の瞳に溜まった涙が、残り火に照らされて真珠のように光るのを見た。彼女の震える指先がアドルの頬に触れる。その冷たさが、逆に自分の身体が異常な熱を帯びていることを自覚させた。

「……大丈夫だ。……死ぬような、傷じゃない。……それより、早く洞窟へ……」

掠れた声で告げるのが精一杯だった。アドルはミーシャの肩を借り、片足を引きずりながら、自分たちの「城」へと這い戻った。洞窟の中は、外の地獄が嘘のように静まり返っている。入り口付近に灯した、か細い火だけが、二人を招き入れる唯一の灯火だった。



洞窟の奥、微かな焚き火の爆ぜる音が、湿った空気の中に響く。アドルはミーシャの手によって、敷物代わりにしていた厚手の布の上に横たえられていた。

「少しの間だけ、我慢してね。……服、脱がせるわよ」

ミーシャの声は、恐怖を押し殺すように落ち着いていた。彼女は【異空間保存】から、川で汲んでおいた清潔な水と、複製して貯蔵していた布の端切れを取り出す。アドルの上着は、もはや本来の色を失い、乾き始めた血で肌に張り付いていた。ミーシャはためらうことなく、腰に差していたナイフでその布を切り裂いていく。
傷口が露出するたび、ミーシャは小さく息を止めた。アドルの背中から二の腕にかけて、数本の深い牙の跡が残酷に刻まれていた。ミーシャは、その痛々しい光景に一瞬だけ手を止めた。自分のために、盾になってくれた証。もしアドルが一人であれば、もっと軽やかに立ち回ることもできたはずだ。自分という存在を守るために、彼はその身を牙の嵐の中に晒した。

(アドルさん……あなたは、いつだってそうね。向こうにいた時から、言葉の端々で私を支えてくれていた。……実体を持ったあなたも、やっぱり変わらないのね)

濡らした布で、慎重に汚れを拭っていく。指先が、アドルの熱を帯びた肌に触れる。二十代前半の、驚くほど弾力があり、かつ硬質な筋肉の感触。元の世界での生活では決して得られなかったであろう、戦うための肉体。それゆえに、刻まれた紅い傷跡が残酷なまでに鮮明だった。

「……あ、……痛む?」

アドルが小さく呻き、ミーシャの手首を弱々しく掴んだ。ミーシャは心臓が跳ね上がるのを感じたが、努めて冷静に、かつてどこかで学んだ記憶の断片を辿るように手を動かした。

「ごめんね。でも、泥を落とさないと後で大変なことになるわ。……アドルさんは本当に、無茶ばかりするんだから」

「……はは、……そうかもな。……でも、君が無事なら、それでいい」

その掠れた声に、ミーシャの瞳から再び涙が溢れ出した。彼女は俯き、自分の頬をアドルの剥き出しの肩に寄せるようにして、懸命に傷口を清め続けた。かつての繋がりでは決して伝わることのなかった、重い鼓動。二十代の肉体が発する、生命の熱気。精神は成熟していながら、肉体だけが若々しく、そして脆い。この奇妙な均衡の中で、互いの体温を確認し合う感覚は、これまでの人生では決して味わえなかった、魂の奥深くまで侵食してくるような親密さだった。ミーシャは、自分でも驚くほど、アドルのこの体温を離したくないと願っていることに気づいた。



それから数日間、アドルは洞窟内での療養に専念することになった。レベル5になった恩恵か、あるいは肉体そのもののポテンシャルか、アドルの傷は驚異的な速さで塞がっていった。抉られた箇所は新しい桃色の皮膚に覆われ、数日前の死闘が嘘のように身体は軽くなっている。
ミーシャは看病の合間に、洞窟の周囲で素材集めに奔走した。アドルをこれ以上傷つけたくない、彼の盾になれるようになりたいという一心で、彼女は魔法の制御と、異空間への収納作業の効率化を黙々と進めていた。アドルが眠っている間、彼女は一人で「プチファイア」の出力を微調整し、いざという時に火力を集中させる練習を繰り返した。そのたびに彼女の魔力操作は洗練され、指先に灯る火は、より鋭く、より熱い輝きを放つようになっていった。

アドルは身体を休めながら、洞窟の入り口に座り、森の景色を眺めていた。かつての生活の中では、こうした無為な時間を「非効率だ」と切り捨てていただろう。しかし今は、木漏れ日の揺らぎや、時折通り過ぎる風の匂いさえもが、自分の「生」を構成する大切な情報のように思えた。

「……アドルさん、身体の具合はどう?」

ミーシャが野草の詰まった籠を背負って戻ってきた。彼女の動きも、数日前よりずっと機敏になっている。アドルは立ち上がり、軽く身体を動かして見せた。

「ああ、もう完璧だ。……ミーシャ、君のおかげだよ。感謝してる」

「……もう、そういうのはいいわよ。……それより、アドルさん。顔色が良くなったから、次の話をしてもいいかしら?」

ミーシャはアドルの隣に座り、真剣な眼差しで彼を見つめた。アドルは深く頷き、自分の頭の中で完成させていたプランを話し始めた。

「ああ。……この森を抜け出して、人里……街を目指そう。商人たちが集まる場所だ。いつまでもこの洞窟に引きこもっているわけにはいかないからな。……生活の安定、情報の収集、そして何より、君にまともな服と靴を揃えてやりたいんだ」

「……街、ね。私たちの『複製』の力が、向こうでどう評価されるか……少し怖いけど、アドルさんがいれば大丈夫な気がするわ」

ミーシャはアドルの肩にそっと頭を預けた。
傷は癒え、装備も修繕された。二人の状態は、もはや「ただの迷い人」と呼べる領域を脱し、この異世界の住人として歩き出すための最低限の「牙」を備えていた。
夜、ミーシャが寝静まった後、アドルは洞窟の外でこんぼうを手に取った。

(……軽い。いや、俺が強くなったのか)

振り下ろした一撃が、夜気を鋭く裂く。かつての自分の肉体では考えられなかった反応速度。これまでの自分が蓄積してきた知識と、この若々しい肉体の力が、少しずつ噛み合い始めている。
彼女が安心して笑える場所を、一刻も早く確保する。そのためには、もっと確かな「力」が必要だ。
アドルは夜が明けるまで、無骨な武器を振り続けた。
その背中には、もう過去への未練も、自分に対する迷いもなかった。
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