公爵令嬢のため息

青架

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序章

閑話休題:エドガー

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 僕はエドガー・ライブラ・フォン・ゴーシェナイト。

 ここグランツェリオール王国の南西に位置する、広大で肥沃な領地を持つゴーシェナイト公爵家の三男である。半年ほど前から。

 それまではゴーシェナイト公爵家の遠縁にあたるオーケナイト子爵家に生まれた念願の長男として暮らしていた。高齢な両親は自分たちの死後、僕が後見をなくすことを恐れて、僕を産んですぐ養子の話を本家に持って行ったらしい。
 貴族社会で養子縁組は珍しい話ではない。公爵家は快く受け入れてくれた。

 両親は、公爵家で僕が愛想を尽かされぬよう、自分たちに出来る最大の教育と礼儀を叩き込んだ。加えて、僕が家族として公爵家を受け入れるために、自ら臣下として僕に接していた。
 後から思えば、2人目の父母と幼い子供の関係を円滑に進めるには有効な策だったと思うし、公爵家の人間として生家に接したとき、僕が辛くならないようにという気づかいもあったのだろう。ただ、幼い僕には、身近に家族と呼べる人間が一人もいない事が寂しくてしょうがなかった。

 甘えられる父も母もおらず、来る日も来る日も勉強三昧。
 衣食住には困らず、教育も受けさせてもらい、何不自由なく育ててもらったものの、結果としてやや引っ込み思案な人見知りに育ってしまったことは否めない。



 僕が公爵家に呼び寄せられたのは、4歳の12月も半ばだった。
 貴族の社交界シーズンは12月頃に始まり、4月から6月が最高潮。シーズンの間は王都の各々の屋敷タウンハウスに留まり、シーズンが終わる8月頃からの閑散期は領地のカントリーハウスで過ごす。僕は公爵一家が町屋敷に移るタイミングで迎え入れられたのである。

 既に王城勤めの当主カルロス様と長男のウィリアム様、王立学校に通われている次男のオーウェン様はだいたい王都に常駐しており、別の馬車で共に移動したのは奥様のカタリナ様、ご息女のエリザベート様のみ。王都に来て、ご家族勢ぞろいで迎えてもらった時は緊張で足が震えた。

 カルロス様は強面で有名な公爵だ。初めて御前に出た時、何もしていないのに怒られている気分になったことを覚えている。そんなカルロス様が、ご家族を前にされた時お顔を緩めるのを見て、ああ、家族とはそういうものか、と思ったのが最初の感想だった。
 久しい顔を喜ぶ家族の、なんのてらいもなく愛情を露わにするやり取りは眩しすぎて、羨ましいとさえ感じずただ居心地の悪さを覚えた。

 お子様方は皆、美貌で名の通った奥方の顔立ちを受け継いでいるが、中でも生き写しなのはご息女エリザベート様だ。
 初めて見た瞬間、目を奪われた。
 何て美しい人なんだろうと、幼い子供の目をも惹きつける魅力にあふれたエリザベート様は、しかし突然できた弟に興味をお持ちではなかったようだった。
 カタリナ様から紹介された僕にちらっと視線を投げると、「ふうん」と一言。そのまま自室に戻ってしまった。
 固まる僕にカタリナ様が「ずっと末っ子だったから、きっと弟ができて緊張しているのよ。ごめんなさいね」ととりなしてくれる言葉も半分ほどしか耳に入らない。
 同じ屋敷にいながら、彼女とはそれ以降接点を持つこともなくしばらくを過ごした。

 17歳のウィリアム様と13歳のオーウェン様は、会う機会こそ少なかったものの、僕を何かと気にかけてくれる。
ウィリアム様はカルロス様に似た精悍さを備えつつある青年で、次男のオーウェン様は笑った顔の柔和な目がカタリナ様そっくりだった。僕だけが、色も顔立ちも誰とも似ていない。その気持ちは負い目になって態度に表れてしまう。

 姻戚関係にあるとはいえ、突然現れた弟に屈託なく接することなど、普通そうできる事ではないだろう。しかも、うまく馴染む事さえできていない鈍くさい子供に。
 あのカルロス様の目元を和らげることといい、この面倒見の良さといい、きっとこれが正しい家族の、そしてそこで育った者の為せる業だ。エリザベート様の対応だって、僕に興味がまるでないだけで悪意から出るものではない。
 そんな真っすぐな人たちに混じった自分が異物のように感じられて、鬱屈した気分を拭い去れないでいた。



 初対面時の出来事からエリザベート様に対して若干の苦手意識を持ってしまった僕だったが、彼女の5歳の誕生日パーティーで美しく着飾った彼女を見れば心が跳ねた。安直に言ってしまえばやっぱりかわいい。
 だから、彼女がいきなり意識を失った時は心臓が凍る想いだった。
 倒れた彼女の真っ白な顔が頭から離れず、真っ青な僕の方が心配されていたほどだったから、すぐに目を覚ましたと聞いたときの安堵は計り知れない。

 そこでやっと気づいた。
 僕はとっくの前から、彼らを自分の家族として大事に思っていたのだということに。
 同時に決めた。
 兄様たちは家を空けていることが多い。エリザベート様が身体の弱い方なのならば、僕が支えなくては、と。僕を家族に受け入れてくれた公爵家への恩を、こうして返して行けたらと思っていた。

 しかし、彼女が倒れたのは別に身体が弱いからではなかったようだ。
 快復してから勉学やレッスンに意欲的に励むさまは利発で活発な少女そのもので、病弱な様子など微塵も見受けられない。さらには、奥様のお茶会で所在なく縮こまる僕にいつになく話しかけ、姉上と呼ばせて満足そうにしている。
 なんだかあらゆる点で拍子抜けだった。
 固めた決意に肩透かしを食らってしまい、取り繕っていた素が思わず出てしまった僕に怒ることもなく、彼女はひたすらに菓子を食べさせてくる。一日限りの気まぐれかと思いきや、その後も可愛い弟と呼んでは、様々な手を使って甘えさせようとしてくる「姉上」に困惑が止まらない。

 けれど、笑顔を向けられることに悪い気はしなかった。
 彼女のしでかす大胆ないたずらやおねだりに付き合わされるたび、小心な僕の心臓は変な跳ね方をしたけれど、誰も叱りはしても怒りはしない。そればかりか微笑ましげな表情を向けられることが増え、エリザベート様は愛されているのだなと変な感心の仕方をしたりしていた。

 「なにいってるの、あなたが可愛いからに決まっているでしょう」

 一度そんなことを言うと、あっけらかんとした表情でそう返された。
 予想外の返事に、へ、とかおかしな声を漏らしていたと思う。あっけにとられる僕の頬を両手で挟んで、ぐいと詰め寄った彼女は繰り返して言う。

 「みんなあなたのことが可愛いから笑ってるの。いつまでも卑屈にならなくていいのよ。家族に遠慮されるのは悲しいわ。子供がそんな顔するんじゃありません」

 まるで母上様のようなことを言う。
 小さい子供を諭しているようだ、と感じると同時に、どこか不満な気持ちが沸き上がるのを抑えられなかった。

 その日は眠れないまま一晩中、自身の気持ちについて考えていた。
 小さな子供扱いされたくないと感じるのは、自分の自立心ゆえだろうか。
 貴族は立身出世が責務のようなものだし、そうであればこの気持ちは決して悪いことではない。
 けれど、2人の兄様たちにそう扱われても特に複雑な心境を抱いたりはしないのだ。逆に言えば、もっと一緒にいたいと、笑顔が見たいと思うのはエリザベート様だけ。つまりは。

 「好き、なのかな」

 声にしてしまうともう目をそらせない。
 きっとこれはそうなのだ。僕は姉上が、エリザベートが好きだ。けれど、姉弟のそれが叶わないことは4歳だって知っている。

 憧れは、気づいた瞬間に破れ去った。



 軽く落ち込みもしたけれど、彼女はそんなことを許してくれない。
 今日は一緒に何をしようかと笑う彼女の顔をみて、楽しい気持ちにならない人間などいないだろう。
 僕の傷心は2時間ともたなかった。

 昼食を食べる頃には、むしろ一生変わらない、弟という唯一の立場を独占できる事実を噛みしめていた。
 生まれも育ちも国中で3本の指に入るほどよろしい彼女は、その出自に反してどこか貴族らしくない親しみやすさがある。母上様が時折、「あなたが姉様をしっかり守るのよ」と僕に言い聞かせる理由もわかる気がする。
 絶対に、ろくでもない男など近づけるものか。
 そんな一心で、エリザベートの防壁として機能すべく、文武に秀でた兄2人に教えを請いに行ったものの、妹に甘い兄たちがあっさり漏らし、すぐエリザベートにバレてしまった。
 理由を問われたとき、密かに自分の思いも込めて告白してみたが、まるで伝わらない。けれど、エリザベートが自分を本当に大事に思ってくれていることも伝わって、それはとても嬉しかった。


 弟として、まずは彼女に一番近い立ち位置になろうと努力を続ける僕だったが、年齢の差は如何ともしがたい。
 エリザベートの社交界デビューのパートナーに、彼女の幼なじみがあてがわれると聞いて肩を落とした。初ダンスの相手は通常婚姻も視野に入れて選ぶものだと、貴族の慣習を叩き込まれた際に聞いていたからだ。
 実際に会ったアルフレッドは、家柄、容姿共にエリザベートとお似合いのような気もしたが、僕が姉に懐いているのを知った上でからかうような態度を取ってくるのが気に入らない。でも正直、彼なら――と思いかけていた矢先。

 突如浮上した王子との婚約の可能性は、彼女に大きな影響を及ぼすことを直感的に感じ取った。
夕食の席でそれを告げられた彼女も、いつになく緊張していた。
 なにか、大きな事が動く。そんな気がして、その日はいつまでも眠れなかった。

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