僕のラブドール

よるひら

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第1話 人形師

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桜のはなびらが少し冷たい春風に舞っていた。
その春風に混ざった線香の香りが鼻先をかすめて、僕はまた泣き出しそうになった。
…もう6時間も泣いていたというのに。
「奈良坂さん…本当にこの度はご愁傷さまです。奥さん…夏実さんもまだお若かったのに」
泣き出しそうな僕を見てか、夏実の同僚だった男が声をかけてきた。
僕は必死に笑顔を作りながら、ありがとうございます、とだけ返事をして会釈した。

結婚して半年だった妻の夏実が亡くなったのは3日前のこと。
仕事の帰りが遅くなる僕のために、夏実は僕の好物のシュークリームを買いに出かけ、その帰りに信号無視の車に跳ねられた。
全身を強打して、即死だったという。
僕がそれを聞いたのは仕事帰りの道中だった。
跳ねた運転手は軽傷だった。後日面会した時運転手は泣いて土下座をしていたが、既に精神的にズタボロだった僕は、彼を責める気力もなかった。
ただそこには全く意味のない時間が流れていたのだ。

夏実の遺体を見たのは事故当日だった。
警察から連絡があって、すぐに病院に駆けつけたが、既に夏実は亡くなったと聞かされ、医者が止めるのも聞かず強引に夏実の遺体を見たのだ。
打ち覆いをめくると、僕が一目惚れした小さな鼻は潰れ、眼球がえぐれているのが分かるほど両まぶたの形はいびつで、笑うとのぞいていた可愛らしい歯はぼろぼろに欠けていた。
それを見た瞬間、夏実が死んだという現実が僕の胃をえぐり、吐き戻しそうになるのと同時に涙が滝のように溢れ、僕は大人になって初めて号泣した。

葬儀が終わり、葬儀場の喫煙所でこの3日間をぼんやり思い出していると、突然強い風が吹き、僕はとっさに目を閉じた。
目を再びゆっくり開けると、いつの間にか目の前に黒いロングコートを着た男がこちらをまっすぐ見つめて立っていた。
僕はびっくりして一歩後ずさった。知らない顔だった。
「あの、夏実の職場の方ですかね。今日はわざわざありがとうございます。」
僕が挨拶すると、男はふっと笑い、コートのポケットから名刺を取り出した。
「失礼、私人形師の篠原 千秋と申します。この度はご愁傷さまです。」
僕は名刺を受け取り「はあ」と篠原を見た。
黒い名刺には白字で【篠原人形工房】と書かれてあり、篠原の名前と住所、電話番号が書いてあった。
「突然すみません。私奥様の依頼で商品をお作りさせていただいてたのですが…ご存知なかったですか?」
「えっ??」
僕はばっと顔を上げ、篠原を見上げた。よく見ると整った顔立ちで、まつげが長い。
ふと篠原は少し考える仕草をして、もう一度僕を見た。
「実は生前奥様に自分とそっくりのコピー人形を作って欲しいと言われていたのですよ。
商品は完成し、お代もいただいていたのですが、ご本人様が亡くなったと聞きまして…」
僕は眉をひそめた。
そんな話は一切聞いていないし、夏実に変わった様子もなかった。夏実は洋服のデザイナーの仕事をしていたが、僕と結婚してから仕事は辞めたし、買い物や趣味のマラソン以外は家から出たりもあまりしない人間だった。
「いや、僕は何も知らなくて…。ちなみに値段はいくらでしたか?」
家計は二人で管理していたが、大きな出費は結婚式以来なかったと思う。コピー人形の相場は知らないが、オーダーメイドのようなものだろうからそれなりに値段は張るだろう。
「奥様ご注文のものは一体50万です。」
「50万…!?」
僕は篠原の目をまっすぐ見た。彼が嘘をついているようには見えない。
となるとますます意味が分からなくなった。50万なんて大金を妻が隠し持っていたこと、コピー人形を注文した理由。
「もうひとつ、恐らくご存知ないでしょうが、奥様はその人形をあなた様宛にご購入されています。」
「なんだって!?」
どういうことだ。一体なんの為に…?
プレゼントにしては奇妙すぎる。夏実にそんな趣味はないし、僕の誕生日は半年も先だ。
ただ依頼されただけの人形師に事情など分かるはずもない。問ただそうにも夏実はもうこの世にいない。
風も吹いていないのに寒気と鳥肌がじわじわと襲ってきた。
「あの、返金は結構ですので、その人形の注文キャンセルしたいのですが。」
そんな訳の分からない気味の悪いものを受け取りたくはない。購入した夏実には申し訳ないが届く前にキャンセルしようと思ったが
「それは致しかねます。」
篠原は低い声できっぱり拒否した。
「何故ですか。返金は本当に要らないです。処分費用がかかるのならお支払いしますから。」
僕は必死になって説得しようと思ったが、篠原は首を横に振るばかりだった。
「こちらは我が工房が半年かけて作らせていただいてます。職人の気持ちもどうか汲んでいただきたい。」
頑なにキャンセルを拒否する篠原がだんだん鬱陶しくなってきた僕はついに本音を言ってしまった。
「そんな気持ちの悪いもの、受け取れないって言ってるんですよ!」
篠原は一瞬驚いた顔をしていたが、すぐにまた険しい顔にもどり、僕に背を向けた。
「…キャンセルは受け付けられません。明日発送いたしますので必ずお受け取りください。」
そう言うと再び強い風が吹き、瞬きの合間に篠原は姿を消した。
僕は唖然とし、すぐにやってきた嫌な予感をかき消すように力強く拳を握った。

それから2日ほど経って人形は届いた。
それは僕の身長ほどの高さのダンボールに入っていて、本当に人間が入っているのではないかと思うほど重たかった。

すぐに開封する勇気はなく、小一時間ほど玄関に置きっぱなしだったが、やはり気になって恐る恐るリビングまで引っ張って開封した。
包装紙を開くと、そこには裸の夏実人形が眠っていた。
「なつ…」
言いかけて我に返った。夏実はもういない。
これは人形だ。
それにしても目のやり場に困るほどよく出来ている。
顔はもちろん、鎖骨のほくろや細い脚まで、まるで今にも起き上がっておはようと言ってきそうだった。
生唾を飲み込み、そっとその腕部分に触れた。僕は僕自身の感覚を疑った。触れたものは紛れもない、人間の肌だった。体温がなく、とても冷たいが、よく見れば薄い体毛まで生えていた。髪も人毛に良く似た感触だ。
「なん…だよこれ…。」
気味が悪いどころの話ではない。やはり受け取るべきじゃなかったとひどく後悔した。
が、その気持ちとは裏腹に夏実が生き返って寝ているような錯覚が心中にあった。もちろんこれは人形だと分かっているし、夏実は僕の目の前で火葬された。
だけれど夏実が死んで日が浅いからか、まだ夏実が死んだという実感がはっきり湧いたことがなかったのだ。今だって、この人形が目を覚まして「サプライズ~!」と飛び起きてくれるのをどこか期待している。
枯らしたはずの涙がまた僕の頬に一筋つたった。
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