天空ブリッジ

すたこら参蔵

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第3章 三日目

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 次の日も、俺たちは同じ作業を繰り返した。
 何回目かの屋根への帰還後に、ちょうど学校のチャイムが鳴り、正午を告げた。
 ヘルメット越しに、2人で顔を見合わせる。
(お昼休憩する?)
(したい、したい)
 俺たちは、右手をヘルメットの口の辺りに動かすジェスチャーで意思を伝え合った。
 そして、ほぼ同時に、急いでヘルメットを取り外し、宇宙服を乱暴に脱ぎ始めた。一刻も早く、新鮮な空気を浴びたいのだ。
 そのとき、サイトウさんの宇宙服から、名刺大のカードのようなものがひらりと舞って、俺のそばに落下した。
「サイトウさん何か落としたよ」
 俺は、身軽になった躯体を屈めて落下物を拾った。そのまま、サイトウさんに手渡そうとして、拾ったカードをちらっと見た。カードはどうやら運転免許証のようだ。サイトウさんの顔写真が貼ってある。その下には――『斎藤炭男』。
「あっ、やっぱり名前は斎藤さんだ。えっと、これは、すみおって呼ぶのかな?」
「ん? どれ」サイトウさんも、汗をぬぐいながら俺のそばに来て、確認する。
「なるほど。斎藤炭男って書いてあるな。でも、これが僕の免許証とは限らないけどね。たまたま僕が、斎藤炭男さんから、免許証が入ったままの宇宙服を借りたのかもしれないし、あるいは、僕がどこかでこの免許証を拾ったけど、そのまま忘れていたのかもしれないし」
「それはそうだけど……」
 また、サイトウさんの、「僕はサイトウではない病」が現れた。
「でも、なんとなくだけど、炭男っていう名前には、懐かしい響きもあるなあ」
「本当? じゃあこれまで通り、おじさんの呼び方は斎藤さんでいいね、あれ?」
「ん、太郎君、どうした?」
「これって免許証でしょ、何か変だよ」
「変って、何が?」
「だって、ここ、日付が2053年5月30日になってるよ。運転免許証って、見るのは初めてだけど、そんな未来の日付を記載するものなの?」
「どれどれ」
 斎藤さんは、俺から免許証を受け取って、俺の指さした所を確認した。そして、なあんだという顔をした。
「太郎君、免許証って言うのは、5年間で更新するものなんだ。今は2049年だろ。僕はおそらく、今年免許を更新しているんだよ。そうだとすると、そこから5年後の、次の更新日である2053年がここに記載されるってわけさ」
 俺は、びっくりした。
「へっ? 斎藤さん、冗談言わないでよ。今は1982年だよ。昭和52年の8月28日」
「はははは、太郎君、大人をからかっちゃだめだよ。何だよ、昭和って。令和や平成よりも前ってことかい。いくら記憶喪失でも、そんな嘘、すぐばれるぞ」
 だが、俺の顔を見た斎藤さんは、俺が冗談を言っていないことを悟ると、驚いた様子で、俺の肩をつかんだ。
「ちょっと、本当か、太郎君。今は1982年なのか?」
 俺は、とまどいながらも、頷いた。
「これはいったいどういうことなんだ? どうして僕は、昭和の時代にいるんだ?」
「もしかして、斎藤さん、タイムスリップしたんじゃない? そう言えば、これまでの言動にもおかしなことが多くあったし……」
「そうか?」
「俺の知らない変な用語や道具のオンパレードだったでしょ。この宇宙服だってそうだし。そもそも、この梯子状の不思議な物体も、昭和の今は、まだ世の中にないものなんじゃないかな?」
「なるほど。それで、タブレットの通信がつながらなかったのか。電波そのものがまだ存在しないからな」
「待てよ、そうすると、どういうことになるんだ?」
「え、何が?」
「どっちが年上なんだ、僕ら2人は?」
 俺たちは、斎藤さんの免許証をもう一度確認した。免許証に記載された生年月日から計算すると、斎藤さんは、見た目に反して、「現在」29歳だった。
 だが、この「現在」は、俺の住んでいる「今」の時代のことではなく、斎藤さんの住んでいる世界での話だ。「今」の時代では、斎藤さんはまだ生まれていない――。
「あー、何だかややこしい」
「やっぱり、これまで通り、見たまんまでいいんじゃないかな。斎藤さんは、俺よりも見た目がオジサンだから、俺を「くん」で呼ぶ。一方、俺は、見た目がオジサンである斎藤さんを、「さん」付けで呼べば、見た目にマッチしてすっきりするよ」
「オジサン! くっそー!」
「まあ、まあ」
 俺は、数分かけて、何とか斎藤さんをなだめることに成功した。
「でも、未来から来たなんて、本当にそんなことがあるんだなあ」
 オジサン問答が一段落しても、斎藤さんは、まだこの状況に納得がいかない様子だ。こっちだってそうだ。
「タイムスリップって、かわいい女子高校生がするもんだと思っていたけどね」
 俺は、斎藤さんを見て、ため息をついた。

 その後、俺たちは、午後の作業を開始した。今日も作業は日が暮れるまで続いた。
 斎藤さんの計算によれば、この日、巨大梯子の高さは、78キロメートルに達したそうだ。
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