本当の君を抱いている

ふじの

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 とある日の出来事だった。
 私は一応レアンドロ家の当主の座を引き継いでいる。父は数年前に病気で表舞台から退き、私が当主となった。しかしラルゴ家での仕事もあるため、現実的には私の弟たちに普段は当主代理として領地経営を任せている。
 しかしレアンドロ領内で、大規模な土砂災害が発生した。統治する領地は非常に広いため、西の端は手付かずの森なのだ。幸いにも民家は少ないため人命には関わらなかったものの、冬に使用する木材の枯渇が懸念される。今でも田舎の地域では、木材を燃やして暖炉等で暖を取るのが庶民では一般的だ。
 他から仕入れるにしても、別の何か燃料や石炭を仕入れるにしても、それを配給する様々な調整が必要だった。弟たちに任せっきりも良くないと思い、私はひと月ほどラルゴ家を離れる事にした。
 朝食で顔を合わせた際、私はフィデロに提案した。

「そういうことで、しばらくこの家を離れたい。長くは空けないが、三週間から四週間程度は時間を貰いたいんだが」
「ああ、構わない。うちには優秀な家令もいるし、今は特段急を要する仕事も無いしな。ゆっくり実家に帰るといい」

 いつも通り、新聞に視線を向けたままのフィデロはそう言った。しかしその時、私は微かな違和感を覚えたのだ。
 フィデロの口角が、うっすらと笑みの形を取っていたからだ。
 この殺伐とした朝食の場で、フィデロが笑った事など一度もない。では何故笑ったのか?私が実家に帰る事が、彼にとって朗報だったからでは無いだろうか。

 何となく感じた嫌な予感に、私の胸はもやっとした黒い霧のようなものに覆われた。



 実家に帰ると、二人の弟と共に現地に赴いた。なかなか被害の規模が大きく、豊かだった緑の山肌が半分近く削られてしまっている。非常に痛手ではあるものの、レアンドロ領地は資金に関しては潤沢である。きちんと瓦礫は撤去し、越冬に足りない木材に関しては隣国から船で調達することにした。
 今後は木炭などの製造も視野に入れようと弟たちとあれこれ画策する中、あっという間に四週間が過ぎてしまった。居心地が決して良いとは言えない実家だが、だからといってラルゴ家も良いとは言えない。何となく帰りたくない気持ちになる私に、弟が言った。

「たまには兄さんも、実家に帰ってきてくださいよ。もう口煩い父上もここに居ませんからね」
「……そうだな」

 厳格すぎるくらい厳格な父は、今は引退して領地内の別荘で暮らしている。すっかり老いたオメガの母と共に余生を過ごしているらしい。散々私を教育してくれた教育係達ももう居ないし、弟は私が小さい頃ずっと泣き虫だったことも知っている。ひっそりと平民向けの小説を集めていることも、多分ばれているだろう。
 弟自体も根っからのアルファだが、私を理解しようとしてくれる姿勢は嬉しい。しかし弟も結婚し、この家にはその相手も住んでいるのだ。例え私が当主だろうと、あまり長居をすると気を遣わせてもいけない。たまには帰ってくるという約束を取り付けて、私は四週間ぶりにラルゴ家へと帰ることにした。



「お帰りなさいませ、ステファノ様」
「お帰りなさいませ」
「……ただいま戻った」

 屋敷の扉を執事が開けると、家令と侍従たちがずらりと揃って出迎えられた。長らくの外出から帰ってきたともあれば、これくらいの出迎えは普通の事だ。しかし私には分かった。

 オメガの匂いがする。

 正確には、オメガの発情期の残り香だ。
 オメガは発情期を迎えると、強烈なフェロモンでアルファを誘う。その甘い香りはアルファの理性を失わせるとされるくらい強烈で、貴族のアルファであればその耐性を付けるために特訓すらするものである。
 その特訓の記憶が呼び起こされる香りが、このラルゴ家の屋敷から漂っている。多分、ベータの使用人たちは気付けていない。念入りに清掃をし、換気をすれば問題は無いと。実際アルファの中でも、優位なアルファしかその些細な香りまでは嗅ぎ取れないかもしれない。それくらいに微弱ではあるものの、屋敷の……ラルゴ家当主の部屋の方から、その香りは漂っていた。

 私は平静を装い、屋敷に足を踏み入れる。どうやらフィデロは外出しているようだった。私は溜まった分の仕事をする、と言い、この四週間のラルゴ家に関する記録を持ってこさせた。いくつかの出入り業者の記録、使用人の日誌に目を通す。一見不自然な点は無い。しかし私も抜け目のないアルファである。この数年間の日々とは違う記録内容に、何も気が付かない訳では無い。

 私が実家に帰った次の日の夕方、定期的に来てもらっている絨毯の清掃業者が屋敷に来ている。出ていったのはその日とされているが、何故か私が帰ってくる数日前にも同じ業者が来て、帰っていた。絨毯は定期的に掃除させているが、少なくともそんな短い期間で清掃は頼んでいない。
 そして使用人の日誌と、使用した食材の記録。元から食欲旺盛なフィデロだが、この四週間はいつもよりかなり多くの量の食事を摂っている様子だ。食材の消費量が多いため、追加で厨房係が発注をかけている。


 つまり、絨毯の業者に紛れて誰かがこの屋敷に滞在し、過ごしていた。そして私が戻る頃に合わせて帰り、それはオメガの発情期の残り香を漂わせている。
 導き出せる答えなんて、一つしかない。

「……悪いが、疲れたので一人になりたい。少し早いが休もうと思う」
「承知致しました。何かあればお呼びください」

 部屋に付かせていた侍従を下がらせ、私は深くため息をついた。
 夫、フィデロが家に愛人を呼んだ。私の不在時を狙って。
 それは思ったより、私の心を抉った。もちろんフィデロの事は愛してはいない。愛人なんて複数抱えている事も知っているし、何なら今は入れあげているお気に入りの踊り子の愛人が居ることすら噂で知っている。
 それでも、この家には愛人を呼ばないとフィデロは言っていたし、この四年間それは忠実に守られてきた。私の実家や地位への配慮である事は明白だが、フィデロなりの矜恃を持って接してくれていると思っていた。
 しかしそれはあくまで私が家に居るならの話であり、不在にする場合はいくらでも呼んでいい。フィデロはそう思っているかのようだった。

 オメガの残り香がする、ということは、ちょうど良く発情期を迎えた愛人が居たために蜜月を過ごしたということだ。この屋敷の中で。使用人たちも皆知っているが、それを敢えて私に言う必要も無い。私がレアンドロ家の当主だとしても、ここはラルゴ家ラルゴ領、この屋敷の持ち主はフィデロ。使用人たちはフィデロに仕えている。

 気付けばポタリ、と涙が零れていた。
 この屋敷に、味方も誰も居ない。だからと言って、実家に居場所も無い。肩書きや見た目ばかりが独り歩きし、本質の私は何も変わらない。何も無い。
 元から分かっていた、私なんてどこに居ても同じだと。どこにも居場所は無いし、誰も味方では無い。ただまざまざと痛感させられただけだ。
 ずっとぽっかりと空いていた胸の中の穴を、見ないようにしていた。じんわりと広がっていくそこは、いくら蓋をしようとしても、見ないようにしようとしても無駄だった。

 この時、多分私は自暴自棄な気持ちになっていたのだと思う。いつもの私は、自室で一人めそめそとしても、翌日には何事も感じていない様に振る舞えた。そうしなければ自分の身を守れなかったし、生きていけないからだ。
 しかしこの日は、本当に心が打ちのめされてしまった。信頼していたアンドレアス殿下から婚約破棄を通達された時と、同じくらいに。

 私は外套を手に取ると、部屋を後にした。出掛ける装いの私を見て、廊下に控えていた使用人に驚かれたので、「少し処理しなければならない事を思い出したので、出掛けてくる。護衛はいらない」とだけ告げると、裏門の馬車を止めてある方に歩き出した。
 本来は出掛ける場合護衛を付ける事が当たり前だが、この時の私は誰にも行く場所を知られたくなかった。ラルゴ家の家紋入りの馬車も身元が割れるので、良くないだろう。街の中心地に馬車を停めさせ、運転手に金を渡して屋敷に帰らせた。乗り合いの馬車を捕まえれば、家までは帰れる。そもそもあの家にいつ帰ろうと、帰らなかろうと、誰かに何を言われる事があるのだろうか。

 夕暮れを過ぎた街の中心地は、人通りも疎らとなっている。若い娘や子供たちは家の中に居る代わりに、街にはポツポツと居酒屋や夜営業の店の灯りが灯っていた。
 自暴自棄で飛び出した私だが、目的地は分かっていた。ラルゴ家の領地内で一番の歓楽街、花街ロレンソへと向かっていた。
 そこで私は、男娼を買うつもりだ。

 ……アルファの男娼が、いると思うか?

 冷静な思考が私に語りかけてくる。花街で娼妓として働く男女は、殆どが生まれが不明な者や借金がある者、流れ着き、どこにも行くあてのない者が多い。そして殆どはオメガかベータである。アルファに生まれた者は、どんなに奴隷同然に生まれついたとしても、後に成功するのが常だ。花街で娼婦、男娼として働くアルファが万が一居たとすれば、それはのっぴきならない重い事情があると推察される。
 それでも良かった。アルファがもし居るなら、買う。その後何をしたいかは正直分からない。ただベータやオメガを悦ばせる事をしたい訳ではなく、ただアルファと触れ合ってみたいと思うだけだ。
 何しろ私は生まれてこの方、誰かと触れ合うことや深く接する事を、一度もした事は無かった。


 私は外套のフードを目深に被り、ロレンソを探索した。
 ラルゴ領では、各地で歓楽街や花街が存在する。こういった街を完全に排除することは難しく、また排除したところで別の犯罪が増えたり、秘密裏にもっと危ない商売が増えるだけだ。であればきちんと存在を認め、管理した方が余程働く者たちにとっては居心地が良くなる。
 私が嫁いできた四年前は、この辺りも無法地帯と言ってもおかしくは無かった。色を売るだけでなく、薬物等も横行していたのだ。夫のフィデロはそのあたり非常に冷酷で、この街の利益を甘受しつつも整備を進めなかった。どこからどんな火種が飛んでくるかは分からない。幼い頃から王家での教育も受けている私は、この様な無法地帯から病気や感染症、ひいては暴動や革命が起きる事も知っている。だからこそ、私は三年近くかけてこの一帯を整備したのだ。おかげで薬物取引は減り、人権無視をした非道な性売買も減ったと思う。それでも、私はあくまでレアンドロ家の人間なのだ。完全に思うようにはいかない。

 ロレンソの街を歩くと、道行く娼婦たちに声をかけられた。

「あら、お兄さん。いい体してるね」
「良かったら今晩、私とどう?五ルーベルでいいわよ」
「……」

 やはり顔や髪を隠していたとしても、アルファだということはこの身なりから分かってしまうようだ。しかも勢いのまま飛び出してきてしまったがために、服装もそれなりに高価なものだ。見ただけで一介の平民では無いことがばれてしまう。
 だが流石に領主の夫であり、レアンドロ家当主のステファノだというところまではばれていないのだろう。娼婦たちはまとわりつく様に私の腕に手を絡ませ、次第に人数が集まってきてしまった。

「お兄さんなら、私は三ルーベルまでおまけするわ。ダメ?」
「ちょっと!今私が交渉してたのよ」

 争いの気配を察知し、私は慌てて口を開いた。

「いや、申し訳ない。私は女が受け付けないのだ」

 あら、と女たちが押し黙る。

「なんだ、男娼を買いに来たの?ロレンソで一番大きい男娼の娼館まで連れて行ってあげるわ」
「あそこは選りすぐりの美人なオメガの男しかいないのよ!お兄さんなら一番人気を紹介してもらえるでしょ」
「……それより、複数の娼館を紹介してくれる案内所みたいなものは無いだろうか」
「案内所?あるけど、あそこは紹介料無駄に取るわよ。色んな店を教えてくれはするけど」
「構わない」

 きょとんとした娼婦たちに、とりあえず案内所に連れて行ってもらった。娼婦たちからすれば、美しいオメガの男娼を取り揃えた娼館より、なぜ案内所に行きたいのか良く分からないのだろう。むしろそんな娼館に連れて行ってもらっては困る。私はオメガの男を抱きたい訳では無い。

 案内所に着くと、揉み手をした怪しい店主に前払いで一ルーベルを支払った。店主は区切られた個室のようなところに私を案内した。

「旦那、本日はどのような相手をお探しで?うちはこの街の男も女も、最新の情報を揃えてますからね」
「……アルファの男が居る店はあるか」
「アルファの男ぉ?」

 店主は一瞬怪訝な顔をしたが、ああ、と合点がいったように手を叩いた。

「綺麗な身なりをしている旦那でも、嗜虐趣味があるたあ驚きだ!アルファの男は丈夫ですからね、そういう屈強な男を痛めつけたい日もあるでしょう」

 とんでもない勘違いをされている気がするが、店主は続けた。

「旦那は運がいい。つい最近、闘技場の方から売られてきたアルファの男がいましてね。アルファの男娼なんて需要もないから、未だ手付かずですよ。そちらを紹介しましょう」

 アルファの男娼がいる、ということ自体が稀有だ。その男で良い、と承諾し、私は店主に紹介料を更に払った。
 案内所を後にし、指定された場所へ向かう。そこはまるで要塞のような石造りの店で、辛うじて外に案内板と店の名前が記載されていた。かなり変わった男娼を取り揃える店のようで、中もランプひとつしか付いていないほど薄暗い。店の店主も案内所と同様、怪しいの一言でしか無いような黒装束の男だったが、私はその店主から鍵をひとつ受け取った。……部屋の鍵とは思えないような、まるで牢屋の鍵のような簡素でいて複雑な鍵だった。
 店主はニタリと笑って口を開く。

「お目当ての男娼は、そこの廊下を出てずっと先の階段を降りた所です。地下の部屋に入れてましてね、何しろ元剣闘士みたいで、危ねぇですから」
「……」
「あんな男を買う人が現れてよかったですよ、アルファの男なんてここいらじゃ需要がねぇから。どうぞ痛めつけるなりなんなり、ご自由に」

 ああ、もちろん旦那が誰かは詮索もしないし漏らしませんぜ、と店主は笑った。薄気味悪いと思いつつ、私は頷く。
 言われた通り廊下に出た。暗い廊下には多くの部屋のドアがあったが、中からは嬌声や悲鳴や怒号が聞こえてきた。ここに来て漸く、私の頭が冷えてくる。

 夫の裏切りに、衝動でここまで来てしまったが……果たしてこれで良かったのだろうか。男娼を買っても、何をするとも決めていない。ただどうしようも無い気持ちになって、アルファを金で買うという暴挙に出ただけだ。それなのについ、こんな怪しい店にまで一人で来てしまった。
 どんなに人生が辛くても、私は敷かれたレールの上を外れた事は無い。父の期待、国の期待に応えることこそが全てだった。おかげで小説の中に出てくる恋愛や性愛の経験どころか、一人で抜け出して自由に歩くこと、ふらりと買い物や食事すらしたことが無い。そんな私なのに、ここまで来てしまった。

 廊下の突き当たりにある、階段を下りる。階段も石造りで、まるで要塞の中の牢屋に向かっているような気持ちだった。ひんやりとして寒いくらいだったが、一番下まで到達すると少し暖かかい。何か空気を温める装置がついているのかもしれない。
 手元のランプをかかげ、中を見渡した。
 本当の牢屋のような鉄格子が見えて、その奥に……簡素なベッドや机等が見える。そのベッドの上に、一人の男が座っていた。

「……」

 驚く程美しく、眼光の鋭い男だった。
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