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「今日は冷えるな」
「冬が近付いている。このラルゴ領地はそうでも無いが、私の出身地はもう少し寒い」
「そうなのか。俺がいた所も、真冬は凍えるほど寒かったよ。それに比べたらここは暖かいな」
故郷に思いを馳せる彼は、遠い目をしている。
ミカは、どうもこの国の人間では無いような気がしていた。
我がフィデリア王国は、私のように肌がやや褐色がかった民族が基本である。他の民族も領地によっては居るものの、この王都近くの辺りでは見かけない。ミカは抜けるように白い肌が特徴的であり、少なくともこの王都付近ではあまり見かけない肌の色だった。
また、ミカの話す共通語はほんの僅かに訛りがある。それだけで国家を特定できるほどの訛りではなかったが、抑揚の付け方から何となくここより東の方角に位置する国家のどこか出身なのでは、と推測できた。
最初は取り留めのない会話ばかりしてきた私たちだが、徐々にミカも身の上について話してくれる事が増えてくる。
それは、またしても月の明るい夜の事だった。私は彼の腕の中で、なんとはなしに尋ねた。
「ミカは、何故ここにいるんだろうか」
「何故とは?」
「ここに……まるで囚人のように暮らしている意味が分からない。そもそもアルファが娼妓をさせられている、という事すら、何か事情があったのだろう」
「それはなあ……」
ミカは視線を彷徨わせた。私に話そうか悩んでいる、と言うよりは、どこから話そうかと考えているように思えた。彼が簡単にはここから出られなそうだと諦めているのは、何か複雑な事情を抱えているのだと思う。
やがてミカは、口を開いた。
「まあ、よくある話だ。運悪く仕事がなくなって、その上偉い人間に目を付けられたんだよ」
ミカの話はこうだ。
彼は嘗て、ここより遠い国の兵士だった。しかしとある事情で故郷を追われた彼は、この国フィデリアにたどり着く。体躯の良さを生かし、剣闘士として闘技場で働くことになった。しかし強く、勇ましい彼は常に連戦連勝であり、他の剣闘士達から反感を買うことになる。
極め付きは、一人の女が彼に入れ込んだ事だ。女はミカに付きまとい、多額の金を彼に渡して恋人になるよう要求した。しかしその女は、実は闘技場のオーナーの番だったのだ。激怒したオーナーはミカを解雇した。それだけでは怒りが収まらず、屈辱的な仕打ちを受けろと言いミカをこの娼館に売った。客が付かなければマヌケな上に金も無くなるし、客が付けばアルファのくせに男に抱かれて、どちらにしても悲惨である。
どうやらそのオーナーは、この辺りでは名を馳せた地位のある男らしい。
「だから俺は、多分暫くこのままだろうな。下手をしたら、一生」
「……出る手筈は何かないのか」
「どうかな。オーナーの気が変わるか、オーナーが代替わりするか。どちらにしろ権力者の機嫌を損ねたんだ。簡単にはここから出られそうにない」
権力者、か。
花街近くの闘技場のオーナーが、私よりも権力があるとは思えない。
決してミカが痛めつけられているだとか、そういう風でも無い。男娼としてとりあえず売るためなのか、衛生的に問題があるような部屋や服でも無い。だからと言って、この鉄格子の填められた地下の部屋で、ずっと暮らしていくなんて……人間的な生活とは言えない。
私はこの時気が付いた。多分、私は彼を助けてやれる。しかし助ければ、彼は自由の身となる訳だから、この場所どころかこの国からも去るだろう。
何故祖国を追われたのかまでは彼は口にしなかったが、それも事情があるのかもしれない。
もやもやと考え込む私に、ミカは笑いかける。
「さあ、そんな事はどうでもいいだろう。今日もまだ時間はある」
「……」
何も言わず抱き着いた私に、ミカはいつもの通り抱きしめて腕を回した。
もし彼がここから出られるのなら。こんなアルファを抱擁する仕事からも抜け出せる。私なら彼の仕事を斡旋してやれるし、祖国にも返すことは可能だろう。
そうなれば……あと何回、彼と触れ合えるのだろうか。
急に胸が苦しくなった。この温もりを一度知ってしまえば、知らなかった頃には戻れない。ただ独りだという事が余計に身に染みるだけだ。そしてその温もりは、決して直接的に触れる肌からの体温だけの話ではない。ミカと二人取り留めもない話をして、ゆっくりと過ごす時間。それも私にとっては、貴重な人との関わり、温もりだったのだ。
体を強ばらせた私に、ミカが問う。
「キツく抱きしめすぎたか?苦しい?」
「……いや、そうじゃない」
「なら、どうした」
「…………手を繋いでも、良いだろうか」
初日にミカと会って以来、二度目の私の願いだった。今までは抱きしめると言っても、精々服ごしである。素肌同士の手を繋ぐ、というのは、生粋のアルファ間で行うものでは無い。しかし私は誰かと手を繋ぐ事も夢だったのだ。平民向け小説の中では、心を通わせていく過程の序盤にて、お互い手を繋ぐシーンはよく見られる。私もしてみたいと思っても、相手が居なければ手は繋げない。
流石に素肌にしっかりと触れるのは、気持ち悪がられるか。そう思っていた矢先に、ミカの手が私の手を取った。
元兵士で剣闘士なだけある彼の手は、非常に大きく節榑立っている。指と指を絡ませると、手のひらの剣だこにも気が付いた。
ぎゅ、と握られて、私は顔が熱くなる。
外套で見えていなくて良かった。何やらこれは……恥ずかしい。服越しに抱擁されるよりも、余程直接的で性的だった。
「これでいいか?」
「良い」
平静を装い答える。何やらミカは喉の奥で薄らと笑っている様子を見せながらも、もう片方の手でしっかりと私の身体を抱き締めた。
幸せで、嬉しくて、そして何やら恥ずかしい。しかしここから帰れば、私はやらなければならない事がある。例え彼と二度と会えなくなろうとも、彼の境遇に目を瞑る事は出来そうにない。
帰宅し、真夜中にも関わらず即座に花街ロレンソについての資料を漁った。花街や歓楽街の改革、整備については過去私が行った。案の定、花街近くの闘技場についての資料も出てくる。
闘技場はこの辺りでは他の追随を許さない程の規模であり、一大賭博場ともなっている。オーナーは花街一体を牛耳る領主の息子で、とは言え既に四十を超えるその男は、実質的には領主のように振舞っているらしかった。
こんなもの、叩けばいくらでもホコリが出る。あの街は嘗て薬物や人身売買に手を染めていた街だ。今でも何かしら法に触れた事はしているだろうから、それを餌に増税をチラつかせても良いし、領主の交代を示唆してやってもいい。
その代わりに、彼を解放させる。そもそも勝手に他人を娼館に売り払い、監禁する権利など無い。
この件に関しては簡単に解決できそうだ。しかし彼の祖国に関しては、このラルゴ領では調べるにも限界がある。私のレアンドロの権力を使って調べさせた方が、より柔軟に動けるだろう。そう考えて、私は再びレアンドロ領に帰る事にした。暫くミカに会えないと思うと耐え難いが、彼のためであるのだから仕方が無い。
翌朝、いつもの通りフィデロと朝食を摂りながら、私は告げた。
「少し調べ物があるため、実家の方に暫く帰る。今回はどれくらいかかるかは分からないが、数週間はかかるだろう」
「そうか。まあ帰る頃が分かれば連絡をくれ」
前回と変わらず夫の口角が上がるのを、きちんと目撃した。私は一人自室に戻る際、一番この屋敷で私のために働いてくれている、近しい侍従を呼び出した。
「何かございましたか」
「頼まれて欲しい仕事がある。内密に」
「仕事……ですか」
「もちろん、無償で頼まれてくれとは言わない。一旦前払いでこれを渡しておくから、この仕事が終わり次第さらに同じ金額を渡す」
私が経営している会社名義の小切手を渡すと、その金額を見た侍従は目を輝かせた。彼が金に目がないのは周知の事実だ。むしろそれくらいの方が、割り切って仕事に徹してくれるから扱い易い。
私は続けた。
「私が不在の間、フィデロとその愛人の様子を報告書としてまとめてくれ。何をしていたか全てだ。高額だが、可能なら魔石で録音をしておいてくれてもいい。魔石の購入に関しては私にツケで構わない」
「……承知しました」
金のためなら他は詮索もせず、深く理由などを聞いてこない所も気に入った。
私が不在の間はどのような事があったのか、これで把握できる。私たちはレアンドロ家とラルゴ家の婚姻のため、簡単に離婚等はもちろん出来ない。しかし私にとってどのような行動も不利にはならないよう、ラルゴのしでかす事は把握しておくに越したことはない。
それからすぐに、私はレアンドロ領へ向かった。ミカにも暫く来れない事を伝えようかと思ったが、止めた。彼にとっては私との触れ合いは仕事でしかないのに、態々来れなくなるだなんて連絡されたところで、ふうんとしかならないと思うのだ。ただ彼の生活が脅かされてはいけないので、娼館の店主には多額の金をミカの代金の先払いだと言い、送金しておいた。
レアンドロ領は、一足先に冬が訪れていた。またこれから更に気温が下がるため、様々な対策を毎年考え、備えなければならない。
実家にもつい最近帰ってきたばかりだが、弟たちは思いの外歓迎してくれた。手紙ではやり取りをしているし、領主としてどうしても私の決裁が必要な仕事は、日々郵便を駆使して手分けして行っているものの、この様に何も無い日に実家に帰ってきたことはほぼ無い。
「やっぱり兄さんが帰ってくると、家の中がピリリと締まりますね」
「……それは良い意味なのか?」
「もちろん!俺たちは兄さん程真面目で威厳も無いし、仕事に関しても兄さんの方が無駄が無くて的確だし」
「しかもどうせあの家じゃ、当主がアレなんだから居心地悪いでしょう?こうしてふらりと帰ってきてくださいよ」
フィデロが複数の愛人を常に絶やさず、遊んでいることは社交界でも昔から有名だ。弟たちはそれを案じてくれているのだろう。それでも昔は頑なにラルゴ家、レアンドロ家のためだと邁進してきたが、最近はもう良いかと思い始めている。
私の思考を読んでいるかのように、弟が続けた。
「離婚は基本的には認められてないけど、余程の浮気なんかは品行方正さに欠けるし、離婚法が適応できるんじゃないですかね」
離婚法。貴族間でごく稀にしか使われないが、結婚している二人のどちらかが品位を疑われる行動をしている事や、長年夫婦関係が破綻している場合に成立し、離婚が認められる。
しかしそれも下級貴族同士なら可能な事であって、私とフィデロの場合は難しいだろう。それこそ国王陛下が直接お許しにでもならない限り。
弟やその番、子供たちと夕食を摂り、翌日から私はミカの祖国について調べ始めた。レアンドロ家の密偵にも依頼し、東と思われる放免の国中の兵士や騎士について調べた。
正直なところ、直ぐにミカの祖国と素性が判明するとは思っていなかった。しかし東方のシルスターンについて調べた時、思いがけず簡単に彼と思われる情報が見つかった。
東方一の王国、シルスターンでは豊富な天然石や油の資源を狙われ、四方から戦争をけしかけられたり攻め入られる事例が過去続いていた。その中でも特に川沿いは襲撃を受けやすかったが、大きな川沿いである南西地方を鉄壁の如く守り抜いた騎士がいた。
名を、ミカエル・サハンという。彼は幼い頃から恵まれた体躯と剣の腕を持ち、若くして騎士団長に抜擢された天才だった。川から進軍される事の多かったシルスターンにとって、そこを鉄壁の如く敵に破らせないミカエルはまさに救世主、英雄のような存在だった。しかし三年前、突如として彼は騎士の地位を剥奪され、国を追われた。彼は多額の国家資金を軍に流し横領を働き、更には私腹を肥やし女性オメガに暴行を働いたらしい。本来なら処刑が打倒だが、彼の功績もありシルスターンからの追放で事なきを得た、との事だ。
ミカエル・サハン。確実にミカの事だろう。そしてこの調査報告書を見た瞬間、私は思った。
「濡れ衣……だろうか」
ミカはこんな事をする人には思えなかった。常に紳士的で優しく、私に対して金を要求することも無い。どこか諦めにも似た雰囲気のあるおおらかな人で、この調査内容にあるような金にがめつく、オメガ遊びの激しい人物にも思えなかった。
そもそも私は立場上、様々な人間と出会う。その中で欲に塗れた人間というのは、視線や仕草ひとつとっても意外と分かるものだ。
だから即座に、濡れ衣だと思った。そう思った瞬間、私はため息をついた。
やはり、私は彼に……惚れてしまっている。
そうでなければ、こんなに即座にミカの潔白を信じようともしないだろう。彼に信頼を寄せているからこそ濡れ衣だと思っているし、彼の暖かな腕に宿る優しさに嘘は無いと、思ってしまっている。
アルファとアルファの恋愛に、生産性は無い。しかも私はフィデリアの貴族で、彼は国を追われた英雄だ。シルスターンとフィデリアは友好関係にある国である。だからと言って私が離婚して彼と結ばれるような事は、天変地異でも起きない限り無理だろう。
少し痛む胸を抑え、私は翌日も調査を続けた。レアンドロの名前があれば、閲覧が厳しい他国の書物もいくらでも読める。そしてその中から、ミカが実際に祖国で逮捕された時の記事、裁判についての記述も入手できた。その中で、ミカに恨みをもって居そうな人物も絞り込めた。
それと同時に、私はシルスターンに密偵を送り込んだ。ミカを貶めた人間がいるのなら、証拠が必要だ。私が直接ここを離れることが難しくても、他にやらせればいくらでも深く調査は可能だ。何なら既に、シルスターンの騎士団に私の密偵を配属させる話を、シルスターンの宰相に取り付けることに成功した。
いくらでも使える手は使う。そうして晴れて彼が自由の身となれば、あの牢獄のような場所から抜け出して、祖国に帰れるだろう。祖国に帰れば、悲劇の英雄として扱われるに違いない。
例え会えなくなったとしても、私にはミカが抱きしめてくれた体温と、優しく撫でてくれた思い出だけで十分だ。たった一時でも、ありのままの自分で得られた安らぎを忘れはしない。
そう無理やり自分に言い聞かせ、私はシルスターンからの密偵の報告を待つのだった。
「冬が近付いている。このラルゴ領地はそうでも無いが、私の出身地はもう少し寒い」
「そうなのか。俺がいた所も、真冬は凍えるほど寒かったよ。それに比べたらここは暖かいな」
故郷に思いを馳せる彼は、遠い目をしている。
ミカは、どうもこの国の人間では無いような気がしていた。
我がフィデリア王国は、私のように肌がやや褐色がかった民族が基本である。他の民族も領地によっては居るものの、この王都近くの辺りでは見かけない。ミカは抜けるように白い肌が特徴的であり、少なくともこの王都付近ではあまり見かけない肌の色だった。
また、ミカの話す共通語はほんの僅かに訛りがある。それだけで国家を特定できるほどの訛りではなかったが、抑揚の付け方から何となくここより東の方角に位置する国家のどこか出身なのでは、と推測できた。
最初は取り留めのない会話ばかりしてきた私たちだが、徐々にミカも身の上について話してくれる事が増えてくる。
それは、またしても月の明るい夜の事だった。私は彼の腕の中で、なんとはなしに尋ねた。
「ミカは、何故ここにいるんだろうか」
「何故とは?」
「ここに……まるで囚人のように暮らしている意味が分からない。そもそもアルファが娼妓をさせられている、という事すら、何か事情があったのだろう」
「それはなあ……」
ミカは視線を彷徨わせた。私に話そうか悩んでいる、と言うよりは、どこから話そうかと考えているように思えた。彼が簡単にはここから出られなそうだと諦めているのは、何か複雑な事情を抱えているのだと思う。
やがてミカは、口を開いた。
「まあ、よくある話だ。運悪く仕事がなくなって、その上偉い人間に目を付けられたんだよ」
ミカの話はこうだ。
彼は嘗て、ここより遠い国の兵士だった。しかしとある事情で故郷を追われた彼は、この国フィデリアにたどり着く。体躯の良さを生かし、剣闘士として闘技場で働くことになった。しかし強く、勇ましい彼は常に連戦連勝であり、他の剣闘士達から反感を買うことになる。
極め付きは、一人の女が彼に入れ込んだ事だ。女はミカに付きまとい、多額の金を彼に渡して恋人になるよう要求した。しかしその女は、実は闘技場のオーナーの番だったのだ。激怒したオーナーはミカを解雇した。それだけでは怒りが収まらず、屈辱的な仕打ちを受けろと言いミカをこの娼館に売った。客が付かなければマヌケな上に金も無くなるし、客が付けばアルファのくせに男に抱かれて、どちらにしても悲惨である。
どうやらそのオーナーは、この辺りでは名を馳せた地位のある男らしい。
「だから俺は、多分暫くこのままだろうな。下手をしたら、一生」
「……出る手筈は何かないのか」
「どうかな。オーナーの気が変わるか、オーナーが代替わりするか。どちらにしろ権力者の機嫌を損ねたんだ。簡単にはここから出られそうにない」
権力者、か。
花街近くの闘技場のオーナーが、私よりも権力があるとは思えない。
決してミカが痛めつけられているだとか、そういう風でも無い。男娼としてとりあえず売るためなのか、衛生的に問題があるような部屋や服でも無い。だからと言って、この鉄格子の填められた地下の部屋で、ずっと暮らしていくなんて……人間的な生活とは言えない。
私はこの時気が付いた。多分、私は彼を助けてやれる。しかし助ければ、彼は自由の身となる訳だから、この場所どころかこの国からも去るだろう。
何故祖国を追われたのかまでは彼は口にしなかったが、それも事情があるのかもしれない。
もやもやと考え込む私に、ミカは笑いかける。
「さあ、そんな事はどうでもいいだろう。今日もまだ時間はある」
「……」
何も言わず抱き着いた私に、ミカはいつもの通り抱きしめて腕を回した。
もし彼がここから出られるのなら。こんなアルファを抱擁する仕事からも抜け出せる。私なら彼の仕事を斡旋してやれるし、祖国にも返すことは可能だろう。
そうなれば……あと何回、彼と触れ合えるのだろうか。
急に胸が苦しくなった。この温もりを一度知ってしまえば、知らなかった頃には戻れない。ただ独りだという事が余計に身に染みるだけだ。そしてその温もりは、決して直接的に触れる肌からの体温だけの話ではない。ミカと二人取り留めもない話をして、ゆっくりと過ごす時間。それも私にとっては、貴重な人との関わり、温もりだったのだ。
体を強ばらせた私に、ミカが問う。
「キツく抱きしめすぎたか?苦しい?」
「……いや、そうじゃない」
「なら、どうした」
「…………手を繋いでも、良いだろうか」
初日にミカと会って以来、二度目の私の願いだった。今までは抱きしめると言っても、精々服ごしである。素肌同士の手を繋ぐ、というのは、生粋のアルファ間で行うものでは無い。しかし私は誰かと手を繋ぐ事も夢だったのだ。平民向け小説の中では、心を通わせていく過程の序盤にて、お互い手を繋ぐシーンはよく見られる。私もしてみたいと思っても、相手が居なければ手は繋げない。
流石に素肌にしっかりと触れるのは、気持ち悪がられるか。そう思っていた矢先に、ミカの手が私の手を取った。
元兵士で剣闘士なだけある彼の手は、非常に大きく節榑立っている。指と指を絡ませると、手のひらの剣だこにも気が付いた。
ぎゅ、と握られて、私は顔が熱くなる。
外套で見えていなくて良かった。何やらこれは……恥ずかしい。服越しに抱擁されるよりも、余程直接的で性的だった。
「これでいいか?」
「良い」
平静を装い答える。何やらミカは喉の奥で薄らと笑っている様子を見せながらも、もう片方の手でしっかりと私の身体を抱き締めた。
幸せで、嬉しくて、そして何やら恥ずかしい。しかしここから帰れば、私はやらなければならない事がある。例え彼と二度と会えなくなろうとも、彼の境遇に目を瞑る事は出来そうにない。
帰宅し、真夜中にも関わらず即座に花街ロレンソについての資料を漁った。花街や歓楽街の改革、整備については過去私が行った。案の定、花街近くの闘技場についての資料も出てくる。
闘技場はこの辺りでは他の追随を許さない程の規模であり、一大賭博場ともなっている。オーナーは花街一体を牛耳る領主の息子で、とは言え既に四十を超えるその男は、実質的には領主のように振舞っているらしかった。
こんなもの、叩けばいくらでもホコリが出る。あの街は嘗て薬物や人身売買に手を染めていた街だ。今でも何かしら法に触れた事はしているだろうから、それを餌に増税をチラつかせても良いし、領主の交代を示唆してやってもいい。
その代わりに、彼を解放させる。そもそも勝手に他人を娼館に売り払い、監禁する権利など無い。
この件に関しては簡単に解決できそうだ。しかし彼の祖国に関しては、このラルゴ領では調べるにも限界がある。私のレアンドロの権力を使って調べさせた方が、より柔軟に動けるだろう。そう考えて、私は再びレアンドロ領に帰る事にした。暫くミカに会えないと思うと耐え難いが、彼のためであるのだから仕方が無い。
翌朝、いつもの通りフィデロと朝食を摂りながら、私は告げた。
「少し調べ物があるため、実家の方に暫く帰る。今回はどれくらいかかるかは分からないが、数週間はかかるだろう」
「そうか。まあ帰る頃が分かれば連絡をくれ」
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「何かございましたか」
「頼まれて欲しい仕事がある。内密に」
「仕事……ですか」
「もちろん、無償で頼まれてくれとは言わない。一旦前払いでこれを渡しておくから、この仕事が終わり次第さらに同じ金額を渡す」
私が経営している会社名義の小切手を渡すと、その金額を見た侍従は目を輝かせた。彼が金に目がないのは周知の事実だ。むしろそれくらいの方が、割り切って仕事に徹してくれるから扱い易い。
私は続けた。
「私が不在の間、フィデロとその愛人の様子を報告書としてまとめてくれ。何をしていたか全てだ。高額だが、可能なら魔石で録音をしておいてくれてもいい。魔石の購入に関しては私にツケで構わない」
「……承知しました」
金のためなら他は詮索もせず、深く理由などを聞いてこない所も気に入った。
私が不在の間はどのような事があったのか、これで把握できる。私たちはレアンドロ家とラルゴ家の婚姻のため、簡単に離婚等はもちろん出来ない。しかし私にとってどのような行動も不利にはならないよう、ラルゴのしでかす事は把握しておくに越したことはない。
それからすぐに、私はレアンドロ領へ向かった。ミカにも暫く来れない事を伝えようかと思ったが、止めた。彼にとっては私との触れ合いは仕事でしかないのに、態々来れなくなるだなんて連絡されたところで、ふうんとしかならないと思うのだ。ただ彼の生活が脅かされてはいけないので、娼館の店主には多額の金をミカの代金の先払いだと言い、送金しておいた。
レアンドロ領は、一足先に冬が訪れていた。またこれから更に気温が下がるため、様々な対策を毎年考え、備えなければならない。
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「やっぱり兄さんが帰ってくると、家の中がピリリと締まりますね」
「……それは良い意味なのか?」
「もちろん!俺たちは兄さん程真面目で威厳も無いし、仕事に関しても兄さんの方が無駄が無くて的確だし」
「しかもどうせあの家じゃ、当主がアレなんだから居心地悪いでしょう?こうしてふらりと帰ってきてくださいよ」
フィデロが複数の愛人を常に絶やさず、遊んでいることは社交界でも昔から有名だ。弟たちはそれを案じてくれているのだろう。それでも昔は頑なにラルゴ家、レアンドロ家のためだと邁進してきたが、最近はもう良いかと思い始めている。
私の思考を読んでいるかのように、弟が続けた。
「離婚は基本的には認められてないけど、余程の浮気なんかは品行方正さに欠けるし、離婚法が適応できるんじゃないですかね」
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しかしそれも下級貴族同士なら可能な事であって、私とフィデロの場合は難しいだろう。それこそ国王陛下が直接お許しにでもならない限り。
弟やその番、子供たちと夕食を摂り、翌日から私はミカの祖国について調べ始めた。レアンドロ家の密偵にも依頼し、東と思われる放免の国中の兵士や騎士について調べた。
正直なところ、直ぐにミカの祖国と素性が判明するとは思っていなかった。しかし東方のシルスターンについて調べた時、思いがけず簡単に彼と思われる情報が見つかった。
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「濡れ衣……だろうか」
ミカはこんな事をする人には思えなかった。常に紳士的で優しく、私に対して金を要求することも無い。どこか諦めにも似た雰囲気のあるおおらかな人で、この調査内容にあるような金にがめつく、オメガ遊びの激しい人物にも思えなかった。
そもそも私は立場上、様々な人間と出会う。その中で欲に塗れた人間というのは、視線や仕草ひとつとっても意外と分かるものだ。
だから即座に、濡れ衣だと思った。そう思った瞬間、私はため息をついた。
やはり、私は彼に……惚れてしまっている。
そうでなければ、こんなに即座にミカの潔白を信じようともしないだろう。彼に信頼を寄せているからこそ濡れ衣だと思っているし、彼の暖かな腕に宿る優しさに嘘は無いと、思ってしまっている。
アルファとアルファの恋愛に、生産性は無い。しかも私はフィデリアの貴族で、彼は国を追われた英雄だ。シルスターンとフィデリアは友好関係にある国である。だからと言って私が離婚して彼と結ばれるような事は、天変地異でも起きない限り無理だろう。
少し痛む胸を抑え、私は翌日も調査を続けた。レアンドロの名前があれば、閲覧が厳しい他国の書物もいくらでも読める。そしてその中から、ミカが実際に祖国で逮捕された時の記事、裁判についての記述も入手できた。その中で、ミカに恨みをもって居そうな人物も絞り込めた。
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いくらでも使える手は使う。そうして晴れて彼が自由の身となれば、あの牢獄のような場所から抜け出して、祖国に帰れるだろう。祖国に帰れば、悲劇の英雄として扱われるに違いない。
例え会えなくなったとしても、私にはミカが抱きしめてくれた体温と、優しく撫でてくれた思い出だけで十分だ。たった一時でも、ありのままの自分で得られた安らぎを忘れはしない。
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最悪の婚姻だった。
皇太子の正室として迎えられながら、
与えられたのは祝福ではなく、冷たい部屋と拒絶だけ。
触れられることすら恐ろしく、
ただ静かに時間が過ぎるのを待つしかなかった。
けれど——
差し出された手は、思っていたものとは違っていた。
無理に触れない。
急がない。
ただ、こちらの様子を確かめるように、少しずつ距離を縮めてくる。
気づけば、隣に座ることが当たり前になり、
言葉を交わす時間が、夜の習慣になっていた。
触れられるたびに怖さは消え、
代わりに残るのは、離れがたい温もり。
これは、最悪の婚姻から始まった関係が、
やがて“ただ一人”へと変わっていく物語。
望まれなかったはずのはじまりが、
いつしか、何よりも大切なものになるまでの——
静かで、優しい、溺れるような愛の記録。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。