君と密かに恋をする

梧 哉

文字の大きさ
上 下
9 / 47

しおりを挟む
 表情は仕事モードで、けれども内心はスキップでも踏みそうな気持ちで会社へ向けて歩く。

 ――デート、は急だったかな。

 本当は、こんな直接的な言葉を使うつもりはなかったのだが、無意識に出てしまったのだ。だが、来実くるみは驚きはしたものの、案外あっさりと頷いた。

「あれは本気にしていないか、もしくは元々の性格か……」

 後者ならば、自分の思いが本当のものだと気付かせるのに時間がかかるだろう。

 会社へ戻り、自分の机に持っていたカバンを置くと、隣にいた主任から声がかかる。

「お疲れさん。どうだった?」
「いい感じでしたよ。デザインも色も希望どおりだって、喜んでいました」
「色はともかく、デザインは彼女だろう?」

 彼女、とは来実のことだ。今回は大まかなデザインの指示だけで、あとは会社に任せる、というものだった。

「美術というか……好きで絵を描いていたみたいですけどね」
「ふーん……よく知ってるな?」

 意味深に言われた言葉に、あきらは「偶然知ったんですよ」と思い出しながら言った。

 昶の友人がデザイン学校を出て、インテリアデザイナーとなり活躍していて、その展示会に彼女が来ていたのだ。
 彼女も友人ときていて、その友人はファッションデザイナーの卵として頑張っているらしい。
 彼女は趣味という範囲内で楽しみ、デザイナーの道は選ばなかったようだ。

「印刷会社というのは、彼女にとって、趣味と実益を兼ねた職場ってコトなのか」

 主任は納得したように言って、話をしながら書いていた報告書を手に、椅子から腰をあげた。

「おれは今から社長に報告して、それから依頼主に会って、そのまま直帰予定だから」
「じゃあ、報告書は机に置いておきます」
「あぁ、そうしてくれ」

 晶良あきよしは腕時計をちらりと確認してから、「早く帰れるときは休んでおけよ」と言い置いて社長室へ向かって行った。




*****




 来実は昶にコーヒー豆 をもらった次の日、少し早起きをして昼食用の弁当と一緒に、コーヒーを持参した。

 勤める会社の近くに公園があり、そこにはデッキテラスを模した場所がある。そこに、来実と都は行く約束をしていたのだ。

 薄いピンク色のランチボックスには、色とりどりのおかずが入っている。そして、その隣にブルーの水筒。その中には、今朝いれたコーヒーが入っている。

「あーっ、うまっ」
「都さん、飲み屋にいるおじさんみたい」
「そう?」

 細かいことは気にしない、気にしない。

 都は手をぷらぷらさせてから、豪快に笑う。

「来実にこんな特技があったとはね」
「特技って胸を張って言えないんだけど、コーヒーを淹れる瞬間が好きだから」
「見てるのは好きだけど、淹れるのはねぇ。コーヒーメーカーならできるけど――ほら、サイフォンとかってのは無理」

 サイフォン、と言いながらその形をコーヒーを持っていない左手で、都は表現する。それを見やりながら、来実も「興味はあるけど、難しそうで…」とサイフォンを思い出しながら少し唸る。
 最近よくある『通信教育』に、コーヒーの淹れ方を習うものもある。ペーパードリップだけでなく、サイフォンや直火式エスプレッソ、豆の選び方から焙煎、さらにはラテアートの取得もできるらしい。
 そういう講座を習いたい気持ちもある。だが、それをするにはいかんせん、時間が足りない。
 そう自分の気持ちを素直に言うと、「習えばいいじゃん」と簡単に返される。

「時間が足りないって言うけどね、それは習いたい気持ちを消す理由にはならないと思うよ?」

 都はそう言って、少し冷めたコーヒーを口に含む。

「習いたいって本気で思ってるなら、やればいいんだよ。習うにしても教室に行くわけじゃないんでしょ? 通信教育なら時間は自分次第」 

 出版会社というのは、とにかく仕事量のムラが多い。年末や年度末にはそれこそ猫の手も借りたいほど忙しいが、夏頃などは案外ヒマだ。本気ならばそういう時期を利用すればいい。

「!!」

 来実はびくりと肩を震わせる。

 そうだ、自分は「習いたい」と言うだけで本気で思っているわけではないのかもしれない。本気だと口に出すことで、満足していたのかもしれないと思う。

 やはり、都は上司として、そして友人として尊敬できる人だ、と再認識する。日本人の特徴だろうか、こういったことを的確に言ってのける人は少ない。

「そうだね、――店を持つ気がなくても、やりたければやればいい……」
「そうそう。ただし、仕事に差し支えない程度にね」
「――了解デス」

 ちゃんと釘を刺すことを忘れない都に、来実はかなわないと胸中で呟いた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

セフレはバツイチ上司

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,547pt お気に入り:277

今日、彼に会いに行く

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:17

料理音痴

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:42

上司と部下の溺愛事情。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:127pt お気に入り:1,921

彼の背中

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:11

ズボラ上司の甘い罠

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:601

色ハくれなゐ 情ハ愛

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:79

優しい彼

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:46

処理中です...