SF・現代短編集

みるみる

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第二話 ラーメン屋

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線路沿いの小さな屋台が軒を連ねる中に、一際古くて汚いラーメン屋があった。いつも仕事帰りに気にはなっていたが、これまで入ってみた事はなかった。

今夜が最後のチャンスだ‥。

俺は勇気を出して入ってみる事にした。

ガラガラ、

「‥‥。」

入り口の引戸を開けると、中はカウンター席があるのみだった。椅子は四つ。

店主は愛想もなく、メニュー表も見当たらなかった。

俺はとりあえず奥の椅子に座り、椅子の下に鞄を置き、その上に花束を置いた。

花束は、同じ部署の奴らが俺の退職祝いにくれたものだった。花束には水色のリボンや派手な包み紙が巻いてあって、やたらとかさばっていた。

その為、隣にお客さんが来ると邪魔だろうと思い、俺は太腿の上に花束を置き直した。

俺はとりあえずメニューを‥と思い、再度店内を見回した。‥メニュー表はやっぱりなかった。

ドン。

「‥あっ、どうも。」

店主が水を無言でくれた。‥それにしても、店主は相変わらず俺に注文をきいてこない。

「‥あの、メ‥。」

メニューはありますか?と店主に聞こうとしたところ、店主が無言で麺を茹で上げ、湯切りしていた。

俺の麺だよな?他に客はいないし‥‥。

店主に話しかけるのも何となく気がひけて、俺は黙っている事にした。

ドン。

ラーメンが俺の前に置かれた。

大きなチャーシューが3枚ものっており、なかなか迫力がある見た目だった。

スープは澄んでいて、キラキラしていた。

箸で麺を持ち上げすすってみた。

旨い!

もちもちした麺に付いてくるスープが、見た目に反してとても濃厚だった。

魚介の出汁をベースとした‥鶏ガラか?豚骨でも醤油でもない‥塩ラーメンか?

俺はとりあえず考えるのはやめて、黙々とラーメンを食べた。

チャーシューは、肉厚で食べ応えがあった。

「ふぅ、ご馳走さま。」

俺はスープも全て飲み干した。大満足だった。

俺は花束と鞄も持って立ち上がり、店主に声をかけた。

「美味しかったよ、もっと早く来れば良かった。で、お勘定はいくらだい?」

「‥‥。」

店主は無言で首を横に振った。そして、俺の持っている花束を指差し、少し微笑んで見せた。

「‥いいのかい?」

店主は俺の言葉に返答する事もなく、仕込みを始めてしまった。

俺は、店主の好意をありがたく頂戴した。

「‥ありがとう、いい思い出になったよ。本当にご馳走さま。」

俺がそう言うと、仕込みをしてる店主の横顔が微かに笑顔になった。

俺は引戸を開けて、外に出た。

ふと扉の方を振り返ると、扉のフックに「仕込み中」の小さな看板がかけられていた。

「しまった‥‥仕込み中だったのか!」


俺は毎日残業続きで、こんな定時に帰る事なんてなかったから知らなかったが、この店の営業開始時間は、もっと後の時間だったらしい。

店主は、仕込み中だったにもかかわらず、俺を店内に入れてくれて、さらには俺の持っていた花束に気付いて、ラーメンまでご馳走してくれたのだった。

俺は花束を握りしめ、ラーメン屋に向かい深くお辞儀した。


自宅に帰る俺の足取りは軽かった。鼻歌まで出てきそうだった。

今日という日は、俺にとって最高の定年退職記念日となった。
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