この世界で 生きていく

坂津眞矢子

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第12話 ~爛漫少女と真直少女~

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「危なっ!? こらー!!」
「わーっ! ごめんなさいごめんなさい!」

 階段ダッシュ、廊下もDASH!! 膝丈スカートバッサバサ!!! お嬢様属性が何処かに吹っ飛んでる姿になりながらも、猛ダッシュで階段降りて廊下を走って突き進んで

「しっ……しつっれいしますっ!」
「お、おう……、おお?」

 残り二分というところで職員室の扉を勢い良く開け、引き気味の先生たちを尻目にサクッと鍵を返しに行って、そのまま……

「おーしほーだ! 屋上はどうだった!?」
「……あ……あつかった、ですね」
「だろー? だーから言ったじゃないかー!!」

 さくっと戻りたかったけれど、鍵借りた際に大丈夫か心配してきた緒久間おひさま先生がカラッとした顔で尋ねてきた。こちらはお日様炎天下とヒフミさん効果で身体も心も燃え盛りながら走ってきたので、熱さと乾きで息も絶え絶え。今、せんせーの、あの名前の如く太陽の様なキラキラほかほかテンションに付きあいきれる自信がない。普段は付きあえるんですけどね。楽しいですけど今は無理なのですしょうがないのです。

「なんだか随分汚れてるわね……大丈夫?」
「だめですけどだいじょうぶです」
「そうか! ならだいじょうぶだな!」
「はい! だいじょうぶです!! まかせろです!!」
「ようしまかせた!! こいつはあずかっておくぜ!!」
「はい! まほうのかぎ管理まかせたのです!!」

 汚れてる点に突っ込まれなくて助かった。何時ものような、しかしちょっとテンションがよく分からないやり取りをして、一気に何時もの世界に戻ってくる。彼女のいない、何時もの世界。今までの世界。夢心地、というのはああいう時間を言うのだろうな、と独りごちる。

「あ、先生!」
「どうした生徒!!」
「あ、色々ありがとうございます!助かりました!」
「んー? ……うん、そうか!」

 少し言いよどんだわたしを見て、一瞬キョトンとした先生。が、ふっと、少し微笑み、次いでからりとした顔に。そんな先生にぺこりと、深々頭を下げて、職員室を出る。

(う~……)

 出た直後、ボリボリと頭をかきながら、走りながら何時もの世界に戻ってきながら、今までのわたしには、完全には戻れないのだなと改めて、深く、深く感じ取る。

(好き……かぁ……)

 ……好き。
 恵玲奈は好き。沙姫も好き。美沙も好き。緒久間先生も好き。阿津華さんも好き。友達も好き。クラスメイト達も好き。茶道部のみんなも好き。久原さんも好き。高城先生も好き。
 ……なのに、今。あの一瞬。その好きを、出せなかった。

(……~っ)

 ボリボリと頬をかきながら、何時もの世界に戻ってきながら、今までのわたしには、完全には戻れないのだなと改めて、深く、深く感じ取る。その意味でも、先生にありがとう、だった。好き、だった。彼女から、ヒフミさんから受けた熱は強烈で、まだまだわたしは心からの冷静には戻れてはいない。そのわたしを、意図しようとなかろうと、何時もの状態に戻そうとしてくれた先生に、感謝。そのための、好き。愛情には違いなくても、好きの種類が違う好き。だというのに、ヒフミさんへのとは違うそれを、わたしは一瞬迷い、出せなかった。

「……後でおひさま先生とも色々お話しましょう」

 わたしは、こういうことをどうしても気にしてしまう。何時かこれが原因であんた死ぬわよ? なんて、姉には言われたこともあった。だけれど、これがわたしなのだ。気になってしまう。そんなつもりは微塵もなくても、どうしても、先生をないがしろにした気がしてしまう。だったら、やっぱり突撃あるのみなのだ。目標があれば、そこに突撃していく。それがやっぱり、わたしの心を落ち着かせてくれるのだから。

「あ……」

 チャイム。午後の授業の始まりだ。一層早く走っていくわたしは、全てを置いて、一先ず今の目的に突撃していく。そうしてゴタゴタした、色々あったお昼を過ぎて、眠気全開な午後の授業も過不足無く終わり……とはいくはずもなく。

「……」
「……あんですか」
「いや、なんでもないよ?」
「そうですか」

 ざわざわ。ざわざわ。
 例年例年異常気象祭りの昨今の、残暑厳しい九月も九月真っ盛り。全員半袖な夏服で。一人変な女子高生が長袖冬服でご登場。そりゃざわつきますよね、はい。あちーのに冷房まで入れてるくらいあちーのに長袖です。日焼けが気になるお年頃なのですなんてキャラでもないので、ざわざわ、ざわざわ。見かねた阿津華さんが思いっきり突っ込んでくる。

「あのさー……恵さんそれ冬用のじゃ……」
「……まぁ、色々有りましたので、察して下さい」

 寮へ戻って冬服引っ張り出して着込んでそのままダッシュで戻って授業。死ぬほど熱い中冬服で走ったら更に熱く燃え盛り、そんな汗だくで走った甲斐などチャイムが既に鳴っているのだから当然なく、刻限には間に合わなかった。けれど、息も絶え絶えの中で理由を説明したら、お情けで不問としてくれたので結果オーライだ。憐憫の眼差しやめて下さい。それはいいとしても、暑い。熱い。視線が痛い。刺さる。そしてこの暑さが厄介。今度は只々只管熱い。嬉しい思いとか心臓ドキドキとかそんなものは無い。肺呼吸の痛みからミシミシバクバクならあるかな。熱い。溶ける。色々痛い。

「……何? 服が着られなくなるくらい爆発しちゃった?」
「……あってるけどまちがってます……」

 なんですか阿津華さんその面白いもの見つけた顔は……うう、ほんとーに、これ結果オーライかなぁ? 汚れてても着替えずにそのまま出るべきだったかも……いや、その前に浮かれ過ぎたのが原因か……そして、浮かれ過ぎる場所を考えなかったわたしがやっぱり全面的に悪いという結論に行き着いてしまう。お手紙をこっそり読む場所に、せめて空き教室とかを使えば制服どろんこ汗だく砂だらけも、それに伴うお着替えも大幅な遅刻も起きなかったのだから。ちくしょうやっぱりわたしのせいか。こいのみちはいばらのみちだな!!

「へぇ~へぇ~! いやー手が早いわねー? 昨日の今日どころか今朝の昼でもうそんなに?」
「……それも、あってるけどまちがってます……」

 今度は興味半分織り交ぜて。きらきらわくわくな瞳で興奮も交えて面白おかしく聞いてくる。確かにゴロゴロ転がって、汗にへばりつき砂だらけ汗塗れ泥だらけになって汚れまくって着られなくなったのは、十……いや、モモさんのお手紙が嬉しかった想いの延長行動が原因なわけなので、そこだけ切り取れば弁解の余地無く大爆発しろロリコン痴女子高生なのだろうけれど、きっと想像しているような事をして着られなくなったわけじゃない。てかそれは早いです。色々。どうせするなら、もっと長くゆっくりしたいじゃないですか。具体的に何がとは言いませんが。それに幾らなんでも昼休みに服着たまま屋上でするのは……・・・・・・
 ・・・・・・……いやいや、落ち着くのよ恵。さっきまでの夢心地でかなーり思考方向がマズイのは認めるけれど、それにつられたり負けたりはしないのです。さぁ、授業授業!! 恋心は今は放置です!! 恋心っていうよりピンク寄りだった気もしますが!! はえーよわたし!! まだ一二三さんとは一時間程度の接触じゃないですか!!

「うー……お名前晒したいなぁ!」
「だ、だーめ、ですっ」

 お隣の席の阿津華さんは、ウズウズしながらもわたしの意思を尊重してくれるので、これもまたいつもの軽口延長なのだろう。……でも、内容が内容だけに、きっと、本当は、本心は、皆にそれとなく話したい伝えたい知って欲しい、なのだろうな、と、彼女なりのわたしへの優しさ気遣いを無下にしているのは、チクリと刺さる。

「でも、ありがとうですよ」
「……あー、うん。はいはい、気にしないの」

 他人の、遠巻きのざわめきより、じかの声が大事なんですから、大丈夫なんですよ。それでもやっぱり、ありがとうと、一つ心の中で、心の外で感謝する。彼女は少しテレ気味に、頬を染めながら片手をふりふり応えてくれる。しかし、わたしとお揃いで赤くなってたら阿津華さんに変な噂立たないかなぁ。恋人さん居るのに変な噂立ったら嫌だな。



「暑くないしほーさん?」
「暑いです。溶けそうです」

 授業が終わった後で江川さんもおずおず訪ねてくる。それに素直に答えて、ふにゃりふにゃるんと、とろける動きをしながらへにゃんと机にぺたんとぐだーっと。

「着替えるにしても夏服の予備は……」
「タイミング悪く、洗ってしまってましたから」

 クスリと苦笑い。それには微かな自嘲も交じっている。色んな物事で、ベストタイミングが取れたためしがない。この間の悪さはもはや天性なのかもしれない。姉の事に関しても両親の事に関しても恵玲奈に関しても十さんのコトにしても今回にしても、ボタンの掛け違いがしょっちゅうなのだ。まぁ冬服は可愛いので個人的にお気に入りなので、そのお気に入り精神で恥ずかしさは乗り越えられているけれど、だからってこんな暑い中で着るもんじゃないなぁ、と、いつもの間の悪さの方に意識は流れていく。それと同時に、恋の道は変なところでも茨となって襲いかかるんだなーなどと、やっぱり色ボケたことも考えていた。
 夏に冬服、か。今十さんが見たらどう思うかな? もっと可愛いリボンを増やしたり……

「あ、にやけてる」
「あついとしこうがおかしくなって……ふふふっ」
「恵さんきもい」
「あつかさんひでーですぅ」
「ほんとうに大丈夫?」
「だいじょうぶですえがわさん。わたしはむてきです」
「し、しほーさん脳がやられてる……」
「からだがぶじならばんじおっけーですぅ~」
「なむなむ……」
「恵さんの骨は拾ってあげるわ……」
「ふたりともひでーですぅ」

 まだまだ色ボケた熱とともに、頭はまともに働いてくれそうもない。つんつんつっつかれ、なでなで撫でられ軽口叩かれ念仏までされるがままに、今日はもう少しこのままとろけてしまおうっと。何か重要なことをホームルームで話してる気がするけど、いいや。いいのかわたし。



 放課後、欠伸を噛み殺しつつ少し微睡まどろみつつも、中等部へ向かって今日も歩く。目指すは同じく保健室へ。二回目の中等部は幾分か別世界の気が薄れていた。別に、校舎自体が昨日の今日で新しく造り替えられたとかではない。こうしてきっと、わたしはここにも慣れていって、また変わっていくのだろう。ぼんやりとそんなことを考えてぷらぷら歩き、幾人かの中等部生徒に挨拶や小話をしながら、敢えてのんびりゆったり向かっていく。急がば廻れ。まだ放課後になって早い時間だったので、昨日よりも人がちゃんといる。この、これから先頻繁に通うであろう主要となるお時間帯の、この場所。この中等部。わたしのフィールド。ならばやはり、ちゃんとしっかり把握して、堪能していきたい。……モモさんや他の十さんにとっては、じれったかったり嫉妬にかられたり、ここまで来てるなら自分に会いにきて下さい! とか考え出したり言い出したりしてしまうかもしれないけれど、ヒフミさんやニノマエさんあたりとなら、この思考系統は似ている気がした。……そうして、やっぱり十京にわたしの思考は廻って巡って辿り着く。モモさんに、ヒフミさんに。まだ見ぬニノマエさんにも。そしてその他の十京全てにも、心も頭も動いていく。急がば廻れの行き先に、ちゃんと件くだんの彼女がいる。そこにクスリと一つ微笑み、口元がふと緩む。

 手遅れ、には、とうになっている気がした。

(あれ? この声……)

 そうしてゆっくりしていたら、保健室から話し声。どうやら先客がいた様子なので、もう少し時間を潰すために、表へ出る。

「……なんだか難しそうなお話してたなぁ」

 漏れ聞こえたのは、聞き間違えでなければ高等部の保健の先生、白井先生の声で。中等部の方に出向いてまでというのは、何かしらの会議でもあったのかな。……

「あのお二人も仲良さそうですね」

 高城先生と白井先生。歳も同じくらいに見えた。ならば積もる話もあったのかもしれない……と思いながら、ぐるりと校舎を一周することにした。偶には散歩もいい筈だ。もう少しだけ、部活は先送りにしよう。

(何せ、一週間十さん絡みで考え込んじゃったし)

 室内篭りがちな平日の部活とは打って変わって、週末はお外へ出かけるのがわが茶道部。そうなると、箱入りお嬢様育ちのメンバーが多い茶道部では、週末に出かけるのだから平日は大人しく……という流れが多い。動き回る副部長にしても活発な沙姫にしても、平日はわりとすぐに寮に戻る。わたしも例にもれず、週末はほぼ確実に部活で外に出かけるのだからと、平日はせいぜい部活で過ごしてそのまま寮に直行便、と言う流れだ。そういうわけで、こうしてのんびり校舎や学園内をうろつくというのは、一年以上過ごしていてもなかなかなかったりする。

「案外、校舎校内って見回れてないですね」

 ふっと、そんな思考の流れで、どこかで読んだ茶道に関する漫画を思い出し、そのまま、感情も垂れ流れていく。

「桜、ちゃんと見れたのって何度くらいだったかなー」

 空を見上げ、有りもしない、咲いてるはずもない桜を思い浮かべ、目を閉じて、息を一つはふっと付く。桜に限らずこの夏も、学園での夏もあと二回。ちゃんと一杯堪能したいものだ。その時隣に彼女がいたら、今いたら、それはそれでまたきっと楽しいのだろう。けれど、こうして一人の時間もやっぱり大事。昨日の久原さんにしても、もっと以前からうろうろしていたらきっと知り合えた機会なんて幾らもあったはずなのだ。友人知人がお引っ越して直ぐに出来て、それで安心しすぎてたかなぁ。そちらに、高等部に真っ直ぐ過ぎて、他を若干見れていなかったかもしれない。こっちの桜もあっちの桜も、一杯あるのだからちゃんと見ておこう。

「あっ、シホ先輩じゃねっすか」
「おっと、きーさんもやっほい、ですよ」

 そうしてゆっくり、一人でぷらぷら歩いていると、一年生の長木屋有里紗ながきやありさに遭遇する。ん? 彼女がなんでここに? と首を傾げて見せると、ウインクしながら片腕に巻かれた青いハチマキを軽く叩いてみせる彼女。ああ、そうか、もうこんな時期だっけ。放課後にグラウンド以外で見かけた例がない彼女が校舎近くで何をと思えば、校舎をぐるりと延々走っている所だったようだ。見たトコ部活中の様子で、それがグラウンドではないイレギュラーな場所。それは学園祭向けの方のためだろうか。

「ごきげんようっす」
「はい、ごきげんようです。今日も練習ですか?」
「はい。何せ近いっすからね!」

 にしし、とイタズラ子猫のような顔で嬉しそうに眉を下げる。久々に見せた、ぴょんぴょん小刻みに跳ねながら話す様は、彼女が機嫌の良い時のポーズなのかもしれない。あまり一緒にいられてはいないので本当はどうなのかわからないけれど、嬉しそうなのできっとそうだろう。その後も元気そうで何よりだった。

「うーん、流石運動部。燃えてますねぇ」
「そりゃー見せ所っすから! それに……」

 少し言い淀んだと思いきや、一つ二つと首を振り、笑顔で向き直り返してくる。

「そだ、先輩は長距離の方今年も来ないっすか?」
「あはは、陸上は短距離も長距離も面子は山盛りいますでしょう?」
「それでもシホ先輩速いのにもったいないっすよ……」
「きーさんは肺炎持ちの変な先輩を買いかぶり過ぎなのです」
「でも、ホント速いのにー」
「きーさんも諦め悪いですねぇ……ふふっ」

 少人数な茶道に比べると、運動系はやはり多め。彼女の所属する部活もご多分に漏れず、一クラス未満なわたし達茶道部とは違って、メンバーには困らない筈。なのにこうして、他部活だろうと誘ってくれるのは個人的には嬉しい限り。……いや、もしかしてまだメンバー募集とかしてるのかな? それはそれで熱心だなぁ。

「あれは、かわいい後輩がピンチだから出せた火事場の馬鹿力、ですよ」
「馬鹿力……ってお嬢様らしくないっすねぇ……」
「あははっ、確かにですね。……じゃあ、火災で目覚めたお馬鹿な力? ……いや、駄目ですねこれ、ひっどい言葉ですねないですね」
「ないっすね」
「そうですそうです。ないのでやっぱり辞退です」

 馬鹿話序に遠慮をもう一つ加えて断り、頭をなでなでする。わたしよりも幾分か背の高い彼女は少し身を屈めて、にへへと、やっぱりいたずら猫の様な顔で笑っていた。綺麗な顔で笑っていた。断られているのに、綺麗な顔で笑っていた。……かわいいなぁ、この娘も。

「へへ、単にあたしが見てみたいだけなんですよ」
「本性現したなーこのー」

 クスクス笑いながら背中から抱き付き飛び乗る。合わせて有里紗さんもおんぶ体勢に屈んで背負ってくれる。

「っと、それで超絶なビリになったらどうする気ですか、まったくもう」

 ぺちぺちとやさしく頭を叩きながら、彼女と少しの間、休憩がてらにお話する。文化系と運動系。二年生と一年生。生粋の星花女子と外様の女子高生。接点の方が少ないのだが、わたしと彼女は割りと知った仲だった。実は、以前車に轢かれそうになっていた彼女を間一髪で助けて以来、彼女からは懐かれていたりする。

「先輩ならいけますって」

 その際に見せた走力が、陸上部の彼女としては輝いて見えたらしい。見知らぬ後輩だろうとなんだろうと、目の前で命の危険に陥ってる人がいたら、アレくらいの馬鹿力は出ると思うんだけどなぁ。それとも、それを抜きにしても、わたしはそこまで速かったのかな? 長距離はそれなりに走れても、短距離はむしろ苦手な分野なので、その短距離に近い方の走力を見ただけでそこまで惹かれるのもこそばゆいながらも、光栄ながらも、どこかおかしいのだ。
 ……うーん、ストックホルムシンドロームとは違うものの、あこがれが変な形になってはいないかな? おねーさんはちょっと心配です。

「それはそれで、きーさんに悪いのですよ」

 一つ、少し強めに止めておく。走るのは好きだし、長距離マラソンとかもやってみたい。箱根駅伝とかいうやつも無理だけど出てみたいし、国際なんとかマラソンとかも走ってみたい。この、わたしの側面の一つ。有里紗さんが、文化部のわたしの中に、走りに対する運動系欲求を見出しているとすれば、それはきっと正しい。将来コーチに向いているんだろう。けれど、順位を決めるような段階になると、わたしはやる気が出なくなる。有里紗さんには悪いが、結局の所、走るのが好きなのであって、基本的に争うのは好きじゃないのだ。茶道にしても、箔付け格付けとなると、吐き気を催すくらい苦手なのだ。美沙や沙姫に言わせれば、その、媚びない正直さがわたしの魅力らしいけれど。

「こういうのを断るのも、きーさんが好きだからですよ」
「うっくぅ……」
「あ、なんか面白い反応しますね?」
「そっそりゃあ好きなんて言われたら……それに背中にくっついてますしぃ……」
「えろーすけべーおらー走れ走れー」

 クスクス笑いながら、敢えてぎゅっとむぎゅっとすけべ呼ばわりした彼女の背中によりピッタリとくっつく。冬服が幸いして、肌に直接感じるモノは、最低限で済んでいるからこそ大胆にもなれる。以前なら、夏服のままでももっとぎゅっと、彼女に、他の人達にも触れていっただろうに、十さんという存在で、わたしはやっぱり既に少しづつ変わっている。そうして彼女に背負われながら、練習練習走れ走れーなどと言いながら、陸上部でもないのに練習メニューを即興でぽんぽん増やす。……あれぇなんだかひっどい先輩のような気がしてきた。気のせい気のせい。きっと気のせいです。

「実際問題、わたしがトップを取ったりしたら、きーさん真っ先にレギュラー奪われるんですよ?」
「あぐぅ」
「それも自分が連れてきた部外者にー文化系の軟弱にー」
「そっそれはちょっと……」
「で、ビリなら、当然絞られますよね? 陸上部のメンバー枠差し置いてまで出しといてなんだあの茶道部員は!! に、なりますからね」
「あーうぅ……」

 あーう、ですか。かわいいですねぇ。わかりやすくしぼまないで下さい。それはわたしに効く。もっと構いたくなるじゃないですか。……

「ですので、お誘いは嬉しいのですが、やっぱり駄目ですね」

 でも、駄目。

「うぐぐ……し、仕方ねぇっすねぇ……」
「残念がらないの、もう。折角一年でレギュラー取れたのでしょうに」
「へへ、先輩のおかげっすから。……今走れるのも……」
「だからって、わたしを持ち上げすぎては駄目ですよ?」

 頭をナデナデしながら、彼女に背負われて校舎をぐるぐる周回する。と言っても、校舎は結構な大きさなので、結構時間も掛かる。一年レギュラー新星少女の有里紗さんの体力走力でも、結構な時間を費やすのだ。

「文化祭で走るイベントとかあるんですかね?」
「それが結構あるんですよ」
「体育祭だけかと思ってましたよ」
「普段の部活の成果ってのを見せるのも文化っすから」

 文化祭。体育祭。纏めてギュッと詰め込んで。楽しいイベント盛りだくさん。せいぜい倒れない程度に楽しみましょうかね。文化祭、か……

 あ

「っと、ごめんなさい、ちょっと部活へそろそろ向かいます」
「じゃー離れに進路とるっすよー」
「あっあっ! あるきます大丈夫ですよわわわあっ!?」
「これも練習になりますし平気っすよ!」

 どこか嬉しそうな彼女はやっぱり、跳ねる様にゆさゆさとわたしを抱えて器用に素早く、力強く、止めても構わず走っていく。背負われたままのわたしは途中下車するわけにも行かず、道行く途中で通りかかる人に手を振ったり、なんだか強引な有里紗さんの頭をなでなでしたり。

「うーん」
「便秘っすか?」
「ちげーです」

 ぺちぺち叩いて抗議する。唸るだけでそんな決定やめて下さい。

「きーさん」
「なんですか?」
「凄く、輝いてるなー、って、思ってました」
「……っ、そっすか?」
「そっすよ」

 軽く微笑みわしゃりと頭を撫でる。表情は伺えないけれど、どことなく嬉しそうなのは伝わってくる。完全笑顔じゃないものの、あのきれいな笑顔は、深いところで幸せを噛み締めているからこそだ。お互い浮かれ気味で、浮かれながら部活に励み、浮かれながら部活へ向かう。
 ……ともすれば、もしかしたら、彼女もひょっとしたら、そうなのかもしれない。

「良いこと、起きたようですね」
「へへ、シホ先輩こそ」
「わかります?」
「わかるっすよ」

 お互いきっと、笑っていた。綺麗な顔で、笑っていた。

「ふふっ」
「へへっ」
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