黒石の魔女

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一章

側仕え

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「ヴァイス様には、もうあまり接触なさいませんよう」
 唐突に告げられ、読んでいた書物から顔を上げて瞬いた。ちょうど読み終えた頁をめくりながら首を傾げる。
 閑静な室内は薄暗く、嵌め殺しの窓辺の卓に腰掛けて穏やかな時間を過ごしていた。割り振られた勉強や運動の合間に貰える休息時間は専らこの書庫に通う日々である。
 持ち出すには少々危険な魔術書も置かれているらしく、部屋には持ち帰ることができないのであしげく通うしかないのだが、読書だけは幼い頃から好んでいた記憶があるので行動として浮かずに済んでいる。すでに魔法である程度やらかしている自覚がある分、これ以上は目立ちたくなかった。
 今の自分は外界を知らなすぎるし、彼女らが教える知識は魔法ばかりで偏りが過ぎる。
 とはいえ聞いても不自然になってしまう愚は犯せないとなった時に、この書庫の存在は貴重だった。
 しかしなぜこんな蔵書数を誇っているのかと、ざっと辺りを見渡す。軽く見積もっても千冊はありそうな冊数を見て疑問が湧く。
 利用するのも教材として読みにくる使用人や私のようなたまに出る読書好きくらいのものらしく、利用率は悪い。
 それなのに貴重そうな鍵付きの魔道書やら算術関連の豊富さといったら、ほとんど全ての本がその部類だというではないか。
 辛うじて隅に紛れていた歴史書や寓話的なものを引っ張り出したがどれも古臭いし、最近の世情を知ることができそうな本はどうやらなさそうであった。
 家の趣味が反映しているのかと考えると頭痛ものだ。これが世界基準でないことだけを切に願う。

 実はつい先日、初級魔法の免許皆伝を貰い、中級の前に基礎の応用的な概念を覚える段階に入った。
 教師役曰く、魔法というのは基礎の正しい理解とともに、柔軟な着想が必要なものだという。
 固定観念に囚われてはいけないと言われたが、この少女には知識が乏しいし、前世の私はそもそも魔法などという摩訶不思議な現象に巡り合わない世界に生きていた。おまけに、同僚と違ってファンタジーな趣味も持ち合わせていない。観念など皆無である。
 ある意味全く予想のつかない発想に及ぶという意味で講師からは高い評価を頂いているが、それは褒められた事なのだろうか。
 少しこちらの魔法における常識を知る必要があるなと最近は書物を漁っている。今日も同じように読みかけを取り出して読んでいたところに、先の一言だ。
 理由は薄々分かるが。
「接触と言いますと、特訓のときですか?」
「はい」
「何故か、理由を教えて頂いても?」
「大した事ではありません」
 固い声。
 全く大した事ではない様子ではないのだが、元より押し切るつもりもなかったので素直に頷く。
「分かりました。ですが、あちらから来るときはどうすれば良いのですか」
「私が対処致します。ですのでお嬢様は、明日からまた私とお相手してくださいませ」
「はい」
 すぐに了承した自分に拍子抜けしたのか、安堵したのか。肩を下ろした彼女の表情が僅かに緩んだ。
 どうやら本当に少年の行動は良くなかったらしい。
 時折時間を合わせて私達の練習時間に介入してきていたが、そうするには午前中の訓練や講義を早めなければいけないはずだ。
 それを使用人達が良しとするわけもなさそうだが、もし今まで許していたのだとすれば、ある程度の自主性を保たせて「性格」を判定しているのかもしれない。
 ただ、魔法のために様々な訓練を毎日行わせては鍛えたがる顔も知らない家主の屋敷だ。基礎を疎かにする行いが好評価に繋がるはずもない。
 私の読書が特に咎められないのは、ひとえにそれが自己学習の範囲と見なされているためだろう。
 厚手の紙を撫でる。
 ここでは、本当の意味で自由な活動などできはしない。
 ヴァイスという運動家な気質のあったらしい少年も、はやくそれに気付いてくれればいいが。
 何せ、この監視下で私がそんな忠告を言うわけにもいかないし、やけに素直というか、会話していても裏の意図まで読み取ってくれないのだ。言外に含める事もできない。
 五歳児とは本来そういうものだが、はて、と我が身を振り返る。前世で四十一歳、いまは五歳児の私は、どこまで少女らしさを残せているだろうか。
「絶望的ですね」
「何か?」
「ああ、いえ、ノルンと二人だけとなると、また厳しくしごかれるのかと考えまして」
 思わず独り言ちた内容を誤魔化すと、ひょいと眉を上げた彼女が抗議するような声を発した。
「ですがお嬢様は一を聞いて十を知る様な成長振りですから。私は力を抜く事もできません」
「いいのですよ? たまには楽をしても」
「それでは教師失格でございます」
 至極真面目に返されてはほだす事もできない。
 最近はヴァイスが混じってもいいように本格的な訓練は避けていたのだが、どうやら明日から全力で取り掛からねばならないようだ。
 下手をするとやり方を覚えた彼女の投げ技を自分が食らう羽目になる。それ以外にも、彼女が教えたものを私が吸収し、私が加えた技を彼女が学び取っていく。最早どちらの修行か分かったものではない。
 そして、体格差的にこれ以上力をつけられると組手が成り立たなくなってしまいそうで、余計にこちらも本気にならざるを得ない。悪循環であるが、止められない。
 一度見ただけですぐに真似てくるあたり、彼女の方こそ才能の塊のような存在ではないか。
「ノルンは真面目というか、何でもできて優秀ですね」
「お褒めに預かり光栄です」
「全く、私の側仕えが貴女で本当に良かった。ここで暮らしていてそれだけは確かですよ」
 前世、私の同僚に彼女がいたら良い勝負ができただろうに。あるいは、良き仕事仲間になれたかもしれない。
 やれやれ、と首を振り読書を再開する。
 暫くして、視線が途切れないことが気になって少し目線を上げると、じっとこちらを眺める彼女と目が合った。
「どうかなさいましたか?」
「いいえ、お嬢様」
 何でもないと言われればこちらも気にはしないが、読書中、その視線が途切れる気配はなかった。

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