黒石の魔女

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二章

道中

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 あの後、すぐに荷物を纏めて移動を再開した。あの騒ぎで他の魔物を呼び寄せてしまうかもしれないので、長居せずに下山しようとリムロウが提案したのだ。
 切り立った崖の側面や木々の奥に見え隠れする薬草に首が伸びては諌めるようにギーガーの腕が伸び頭を抑えられるという光景が繰り返され、渋々採取を諦めてついていく。彼にとってもあの場で魔物に襲われた異常事態に警戒しているのかもしれない。最初のように離れたところで見守るようにはしてくれなかった。
 集めて調合すれば良い薬ができるのだがと肩を落とし、黙々と道を進む。とはいえ荷台付きの馬車で駆けるわけにはいかない。日が陰り始める前に手ごろな広間を見つけて野宿となった。荷台から魔物除けの薬草を余分に取り出し広間の隅に設置したリムロウは二人に油断しないよう言い含めた。
 その薬草を一束もらい、用を足すと言って林の中に入る。ギーガーがついて来ようとしたが、すぐ側だからと言って一人で向かった。
 自分の姿がすっぽり草木に隠れた辺りを見計らって魔力を操作する。久しぶりだが感覚は鈍っていないようだ。
 周囲の空気を操り、音を遮断する結界を生み出す。実際には自分の周囲から外へ振動を伝わらせないようにするだけで、外の音は拾うことが出来るが自分の声などは聞こえないという仕組みだ。
「シズ」
《なに》
 それでも自分の呼びかけに素早く反応してくれたということは、声ではなく思念を聞き取っているのかもしれない。
 久しぶりに顔を拝んだ気がするが、向こうは時間の概念が無いらしく、するりと影から飛び出してきた彼女はとくに感慨深くも無さそうにこちらを見下ろしてくる。
「実は相談が……」
 彼らの目を盗んで彼女を呼んだのは、腕に嵌めていたこれをどうすべきか相談するためだ。
 腕から外したそれを眺めた彼女は、何も言わずにこちらを見つめてきた。
「これが、もしかしたら魔物を引き寄せている可能性があるのです」
《うん。綺麗な魔力》
「………えっと」
 彼女の端的な表現に一度言葉を止める。この石に含まれる魔力が綺麗ということだと思うが……。
「綺麗な魔力だと、魔物も惹かれるということですか」
《魔物は知らない。でもぼくはこれ、欲しい》
 なるほど、闇の精霊が欲しいと感じるなら、魔物がそう思っても不思議ではない、のだろうか。相変わらず解説が欲しいと切に願う。
「もし魔物も同じように考えているとすると、適当に身に着けていては危険ですね。しかし、野に放置しておくのも魔物が群がりそうで良くないですし」
《じゃあ、消す?》
「前も思いましたが結構物騒な発想をしますよね。できれば無駄にしない方向で」
《それなら、仕舞えばいい》
「そうは言いましても……」
 仕舞えと言われても、魔力を完全に閉じ込めるような容器は持っていないし、もしそういった結界があるとすれば隠蔽魔法くらいしか自分は知らなかった。それに、あれも気配を薄くするだけで漏れ出るのを止めるわけではない。
 そして、一番の問題は、これが今後も量産されていくという点だ。定期的に魔力を放出しなければ自分の体に負担がかかるため、どうしても石は増えていく。それら全てに隠蔽を施すなりして持ち歩くのは流石に大変だろうと予想していた。
 そう悩んでいることを打ち明けると、彼女は何だそんなことかとでも言いたげな様子で首を傾げた。
《影に入れればいいのに》
「影?」





 暫くしても戻ってこなかったオニキスが帰ってきたことでリムロウはあからさまにほっと息を抜き、傍の幹に背中を預けていた彼も険しい視線を緩めた。
「遅かったじゃないか」
「すみません、お腹の調子が悪くて」
「うーん、山の冷気か水に当たったかな。大丈夫かい」
「お陰で大分よくなりました」
 適当なことを言って夕餉の準備を手伝う。先ほどまで体調が悪そうな素振りは全くなかった口がよく言うものだと思いつつ、良いように解釈してくれた彼に内心で感謝する。
 その日の夜、交代で見張りをしながら野宿をしたが、魔物が現れる気配はなかった。翌朝、山中を移動している間も鳥が鳴く以外は静かなもので、リムロウは拍子抜けしたと同時に安心したのか「これならもう少し山で薬草を探してもよかったねえ」と自分に向けて朗らかな笑顔を見せた。
 そうですねと返しながら、馬車の傍を歩く。木の根を跨いで歩くその腕には何も着いていない。揺れる髪にも先日の髪留めではなく、紐が巻き付いていた。
 寝る前に取り外して荷物に仕舞ったように見せかけ、荷物を縛っていたものも取り外して普通の紐に変えた。リムロウからはお洒落さんだと言われたが、当然そのために変えたのではない。
 袋に仕舞う寸前、自身の影にそれらを落とし潜ませる。とぷんと沈んでいったそれらが浮かび上がる様子はなく、気配が断絶する。
 シズから教わったのは、闇のモノ達なら自然に行なえるという魔法だった。名前がないので影収納と呼ぶと、彼女は変なものを見る目でこちらを眺めたが、そもそも魔法だという感覚がないのだろう。
 シズが意識を繋げて無理矢理感覚を教えてきたため、言葉で表すのは難しい。勉強不足である闇魔法と、恐らく空間魔法が働いていることは確かなのだが、それをどう式に書き出せばいいのか分からなかった。今はただ分不相応な魔法を感じたままに習得するしかない。
 しかしこれによって荷物の大幅な削減に成功し、魔力の量に合わせて広がる影収納なら今後増えていく魔石にも成長と共にどんどん詰め込めるだろう。感覚ではまだまだ余裕な気がする影の中に満足し、いつ襲われるかという不安からも解放されたのだった。







 村を発ち、山を越えた先にある最初の村に泊まり、そこからさらに南下していくつかの村に滞在する。
 この頃には互いの距離感も定着し、とくにたまに出くわす魔物への対処に出向くギーガーと、それに便乗して素材を採取したりついでのように弓で魔物を倒すオニキスは馬が合うのか、口数はほとんどないながらリムロウが驚くほど気を許し合うようになった。
 知らない者が見れば決してそうは見えないだろう。だが、この男がここまで気さくに話しかけるのは君くらいだよと言われ、オニキスはそうですかとしか返すことが出来なかった。いや、分かるわけないだろう。
 草原に出没する鳥型の魔物を弓で牽制し、低く滑空してきたところを槍を突いて的確に仕留めた彼と頷き合う。急いで血抜きをして下処理をしていく傍ら、彼は新たな獲物を探しに行く。今日の夕飯は鳥鍋だ。あと一羽は獲ってくるだろうと予想し手早く処理をした肉をリムロウに預けに行くと、呆れたようにそう言われたのだ。いやいや、会話すらままならないではないかとこちらが呆れたいところだ。どこをどう見ればそんなに親密になったように見えるのだろうか。
 そろそろ仕留めている頃合いかと先ほどの場所に戻ると、予想した通り新たな鳥を片手にぶら下げて彼が帰ってきたところだった。最後は二人で手際よく処理し、彼にも特徴を教え込んだこの辺りに自生する野草を掻き集める。
 うむ、奴隷にしておくにはもったいないほど仕事のできる男である。
 こちらの弓の誘導に上手く合わせてくる戦闘センスもあるし、まさに掘り出し物の用心棒であった。そういう風に思うのは失礼なのかもしれないが、この辺りでは奴隷なんていくらでもいるよとリムロウから教わり、彼自身も大して気にしていないようなのを見てからはこちらも気にかけないことにしている。日銭を稼ぐために一時的に奴隷になる者もいるらしいし、ひとつの市場として完成しているのかもしれなかった。
 どんなに自分が褒め称えたところで、どうも彼の用心棒であることに満更でもなさそうな男にはさして効果は無いだろう。自分が雇っているわけでもなし、二人の関係を無遠慮に暴く恥知らずでもなし。だから過去について尋ねることはしなかった。
「もう少し食べろ」
「ありがとうございます」
 空にした傍から椀に新たな具を注がれては食べないわけにはいかない。どうも食が細いと心配されているようなのだが、少女の体型では一度に多くを摂取できないのだ。暫く胃が重くまともに動けなくなってしまう。
 一度そのように提言したところ、彼からどう動けなくなるのかと問われた。魔物が突然襲ってきたときや、素早く飛び退くこと、長く走ることなどを指折り数えて伝えると、暫くの無言の後で重々しく「いらん。食べろ」と命じられた。有無を言わせぬ圧力に困り隣に助けを求めると、こちらも困ったような笑みを浮かべてもっと食べなさいと言われてしまった。仕方なく食後の警備は全て二人に任せっきりにしてしまっている。申し訳ないと詫びた言葉に対して返事はなかった。
 そういったことがある度に礼をしていたがあまり嬉しそうにしないので、そういう性分なのだろうと今は滅多に言わないようにしている。
 その代わり、戦闘には自由に参加させてもらえるようになった。あの一件でそこそこ使えることがばれてしまったようだ。道中の魔物はギーガーと分担して仕留めており、今では下処理も教わった通り完璧にこなせるようになった。
 本当に女の子かとリムロウがぼやいていたのを耳にしたことがある。確かに精神的に男ではあるが悲しいことに肉体はれっきとした子女なんですよと内心で答えておいた。
 それから暫く。とうとう目的の街に到着した。

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