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二章
暇潰し?
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ゆっくり吸い込み、ゆっくり吐く。
呼吸を整えながら動きに粗があったか、戦い方が拙かったのか色々と原因を考えた。どれも思い当たることが多過ぎて分からない。
「試合は終わったのだが」
す、と視線を手元に向けられる。ナイフを持ったままなのを指摘されたのかもしれない。
しかしこの空気だ。
視線を向けずとも近くから刺すような気迫が伝わってきている。
互いの距離は把握しているし、彼の膂力ならこれくらいの間はすぐに詰められてしまう。
そのような状況なのでできれば向こうが大剣を仕舞うのを先にして欲しかった。
「あとで返却します」
そう言うと、ディアクがひとつ嘆息して彼に指示を出した。
「ゼンメル、下がってくれるかい」
「ああ」
その一言ですぐに鞘に納める。
肌にざわざわとこびり付くような殺気もそれと一緒に霧散した。これでようやく安心できると肩を上下してほぐす。
緊張が緩まると、ふと、先ほどと室内の気配が変わっていることに気付いた。
というよりもあれほど賑やかだった練習風景が静止してしまっている。
「………?」
しん、と静まり返った室内。
それも気のせいでなければ、皆こちらを注目しているような。
「…………」
自分を一瞥し、ゼンメルも無言で先ほどの壁際に帰っていく。
「どうしたのでしょう」
「それ、本気で言っている?」
「は」
意味が分かりかねて小首を傾げた。ややむっとした顔つきなのは怒っているのだろうか。何か粗相をしてしまったのかと心配になる。
「ランクが1なのは……登録したてでギルドも実情を測れていなかったか」
ぼそりと囁くようにそう言ったのが聞こえてきたが、登録がひと月以上前なのは言った方がいいのだろうか。
何やら深刻な気配が漂っているのは伝わってきているのだが、どうしようもできず彼の言葉を待った。何となく、下手なことは言わない方がいい気がする。
室内を見回した彼は静かに言った。
「とりあえず移動しようか。ここは支障がある」
確かにこのままでは皆の練習の妨げになってしまっている自覚はある。
素直に頷いたが、背中を向けても周囲の視線が突き刺さっているのを感じた。
「今まで誰に師事していた?」
「特に誰という人もいませんが……何人かから少しずつ教わりました」
そう言うと、不審そうに目を細められる。
「本当かい」
「はい、何か気になることでも?」
「いや、そうじゃないんだ。そうか、むしろ特定の一人から学んだわけではなく、複数の師がいたなら……なるほど、君のその言動にも納得できる」
何やら勝手に納得されているようだ。
とりあえず場所を移そうと促されて移動中だが、その間に色々と訊かれては答えていく。
「剣と礼儀作法、それと体術か? 全て別の者から教わったのだろう」
そんなことも分かるのかと驚く。
ところで、ナイフしか使っていないのだが彼の中では「剣術」にカテゴリーされるものなのか、それに体術はどの辺りを見て判断したのだろう。
「先ほどの練習はナイフしか使っていませんよ」
そう言ってみると、ちらりと斜め後ろをついて歩く自分を一瞥してすぐに前に向き直った。
「僕の目が、その程度も分からないとでも?」
そして何故か喧嘩腰である。おかしい、私は彼を怒らせるようなことをしたのだろうか。
「そのようなことは」
「あんな戦い方をする奴が真っ当な剣士だとしたら、僕は怒りで斬り殺してしまうよ」
酷い言われ様だ。
いや、確かに「剣士」のけの字も知らないので仕方ないのかもしれない。きちんと訓練している人間から見たら相当お粗末な戦いだったに違いない。
あるいはひょっとして剣士オタクなのか。いや単純に剣士として不満なのか。
そんな失礼なことを考えているうちに最初の入り口まで戻ってきた。と思ったら反対の通路を進み、待合室の様な場所に通される。
無言の圧力で革張りの椅子を勧められ大人しく腰掛けた。
戸惑い半分で見上げると、やんわりと微笑まれる。
「見学中に受けた実技は成績対象になるから。せっかくだから採点してあげるよ」
「いえ、別にいらな……」
にこり、と笑みで押し切られる。
結局この小部屋に取り残され待機することになってしまった。
「採点するなら先に言って欲しかったですね……」
ぼそりと呟く。
どうしてかディアクが始めの頃のように緩んだ空気を脱ぎ捨ててしまったので余計な事を言えなかったのだが、待ちぼうけを食らいながらこれまでのことをおさらいしてみた。
養成所に通うのは将来冒険者になりたい若者か、行き詰ってしまった初級から中堅ランクの冒険者らなのは教わったし、実際に見せてもらった。維持費は冒険者ギルドが持っているのだとすれば、こんな大層な設備を無償で提供しているのには訳があるだろう。
例えば資料室のリナが言っていた通り、すぐ死んでしまう冒険者の生存率を上げるのも目的だろう。
他には、心証操作か。低ランクに留まる冒険者の大半は素行に問題のある者達なので、中堅を増やしたいのかもしれない。依頼の中には貴族や国からのものもある。報酬も破格なので仲介料もそれなりに良いだろう。信用の置ける冒険者が一定数確保できれば、常にそういった依頼を回すこともできる。
「そんな所だと思いますが」
ぼうっと嵌め込み式の曇り硝子から空の様子を覗き、さらに暇を持て余して室内を徘徊、サイドテーブルに積まれていた書類の束を捲って時間を潰す。
薄い橙から濃い紫に空の色が変わっていくのを見ながら今日の夕食をどうするか考える。
それからスーシュにいる二人の事を思い出す。彼らは自分がいない間は午前中も他の依頼を受けているのだろうか。できれば中途半端になってしまっている礼儀作法の続きを教えたかった。この街から戻った時には先にそちらから手をつけるべきか……しかし何となくで始めただけなのにそこまで熱を入れなくてもいいのではないかとは少し思う。
「暇だ」
断言した。
置き去りの状態から体感で二時間は潰れている。その間にこの部屋の前を人が通った気配すらない。
これは、実は他の仕事が入って後回しにされているのだろうか。そう思うくらいにはやることがなくなっている。
シズを呼んで髪を手入れするのもいいが、人の多い建物内で、しかもこちらの都合だけで彼女を呼ぶのは失礼だ。なのでひたすら一人でできること、考え事などをしてみたのだが。
終いには机に置いてもらっていた水差しで持っていた布きれを濡らし、家具の拭き掃除を始めた。何かしていないとそわそわしてしまう。
「……何をしているのかな」
それから三十分くらいして戻ってきた彼が真顔で問うてきた。こちらも真顔で返す。
「待っておりました」
「ああ、うん、悪かった。待たせてしまったね……」
流石にばつが悪そうに顔を顰め、手に何かを持って椅子に座る。何かというか自分の成績表だろう。
掃除の手を止めて反対側に座り直し、さっそく彼の言葉を受け取った。
「ちょっと、話し合いが紛糾してね」
「へえ」
てっきりディアクだけで採点するものだと思っていたので素直に驚きを表す。はて、何人が自分を見ていたのだろうか。
「一方的に審査したのはこちらの都合だけど、君さえよければこの結果を利用してくれ。見た目で何か言われるような事があっても、これがあれば大体何とかなるだろう」
そう言いながら渡してきたのは、ポストカードサイズの木版だった。表面に彫り込みがされている。待て、わざわざ作ったのか。
そこには『認定 オニキス/エアリス養成所試験 評価10/連名 剣聖ディアク、銀剣ゼンメル』と彫られている。
一度目を閉じ、再び眺めた。同じことが書かれていた。何だこの剣聖と銀剣というのは。
「これを見せればいいのですか」
「ああ、受付にね。署名もあるから間違いないよ」
何が間違いないというのか。
この時点で、何となく、本当に何となくだが、面倒事の匂いがしている。この札を突き返そうと見上げたところで先手を打たれた。
「まさかいらないなんて言わないよね。せっかく作ったんだよ」
「はい……有難く頂戴します……」
この流れ、先ほども味わった気がする。
絶対に人前に出さないようにしようと心に誓った瞬間だった。まだ人に舐められていた方がましな予感がする。
二人の名前の頭についている呼称もどういう意味なのか聞かないようにした。そんな自分を彼は微笑みながら眺めている。もう優しい笑顔だなどと思うことは無い。これは腹に一物抱えている人種の笑い方だ。
「さっき」
突然彼が話しかけてくる。
「ロープがあれば便利だと答えていたね」
あの時の講義で話したことを思い出す。そういえばそんな話もしていたのだったか。
「便利だよね。色々使えて」
「そうですね」
だからどうしたのかと不思議に思いつつも相槌を打つ。
だが彼は僅かに目を細めただけだった。そしてすぐに話題を変える。
「よければここに通わないかい」
しかし、あまり聞きたくない話だった。
少し前から彼の挙動を注意深く観察しているが、こうして見ると異質さがよく分かる。『剣聖』と異名が付くような人物が凡夫であるわけがないのだ。
体内の魔素が清流のように均一に流れる様子から、自然と彼が気を統一できているのだと理解できる。魔法使いでもないのにここまで美しい気の流れを作れるのだから相当な腕前に違いない。
そんな人物からのお誘いである。勿論歓迎はしない。
「いえ、他の町に滞在していますし。ここも用が終われば帰りますので」
「その間だけでもいいじゃないか。それに、孤児なのにもう冒険者として活動できているんだろう? 暫くの間、拠点をここに移しても問題ないんじゃないかな」
ぐいぐい攻めてこられた。
「そういう訳には……パーティーを残してきているので、勝手なことはできません」
「その仲間とはすぐに合わないとまずいのかい」
「少しは大丈夫かと思いますが」
「じゃあ、ここで冒険者のことを学んでからでも遅くはないと思うよ」
いい笑顔を向けられても困る。
とうとう遠回しな応酬が面倒になり、直球で聞いてみることにした。外はもう真っ暗だ。
「どうしてそこまで留めたがるのです?」
その言葉に彼の口角が釣り上がる。
「やっとか。勿論、君を育てたいからだよ」
にっと笑いながらそう言われた言葉に疑問が募る。
「私をですか? なぜです?」
「なぜ? こんな希少な人材が目の前にいて、磨きもせずに放置するのかい?」
こちらに身を乗り出しながら彼は続ける。
「君、身体強化を掛けているね」
その指摘に視線を合わせた。そんなところまで把握されていたのか。
身体強化……無属性魔法の一種で、魔力で肉体を強化することで一時的に高い運動能力を得たりする技術だ。
戦闘時には必須の技術であり、屋敷では早い段階で身に覚えさせられた。使えなければ死ぬので今は意識しなくても有事には施すようにしている。
外部の環境に干渉するわけでもないし、属性もない。これくらいなら魔法使い関係なくできる者はいて当然だろう。現に目の前の男も行っているようだ。
「ランク1なんて嘘だ」
はっきり、否定するように断言される。
「そうでないなら、この僕がそれを許さない」
そして、ぞっとするほど鋭い眼光を浴びせ、こちらを見下ろしてくる。
「僕が直々に指導してあげるよ。オニキス君。君なら中級くらいすぐに超えてしまうだろう?」
何がどうしてこうなったのか。
押し切られたまま彼の提案を呑むことになってしまった。呆然としつつ、もう生徒たちも帰宅して人気のなくなった通路を戻る。
彼から渡された書類には、これからの日程が書かれている。半年先まで埋まっているスケジュール表を見返しては溜息が漏れた。
幸い毎日来る必要はないようで、週に一、二度顔を出せば済むらしい。こちらの都合にも合わせてくれているようだ。有難いようなそうでもないような。
門に着いたところで、人影が見えた。
顔に古傷をつけた巌のような巨体である。
「ゼンメルさん」
「災難だな」
出会い頭に労われて肩の力が抜けた。
しかしこの男もあの板に名前を入れていたのだから彼と共犯である。
「奴はああ見えて剣のことにはうるさいからな」
「先ほど知りましたよ」
そう諦めたように溢すと、思いのほか真剣な視線を向けられる。
「足捌き。洞察力。胆力」
大きく頷かれた。
「見事だ。これがまだ年端のいかない子供なのが、末恐ろしい」
「………」
中身に成人男性が混じっているのだとは言えないので口ごもる。
宿に着くまでに色々考えた。結局、目立たず黙々と訓練すればいいかと半ば投げやりになり、身体を清めて寝具に潜り込む。
久々に深く寝入った。
呼吸を整えながら動きに粗があったか、戦い方が拙かったのか色々と原因を考えた。どれも思い当たることが多過ぎて分からない。
「試合は終わったのだが」
す、と視線を手元に向けられる。ナイフを持ったままなのを指摘されたのかもしれない。
しかしこの空気だ。
視線を向けずとも近くから刺すような気迫が伝わってきている。
互いの距離は把握しているし、彼の膂力ならこれくらいの間はすぐに詰められてしまう。
そのような状況なのでできれば向こうが大剣を仕舞うのを先にして欲しかった。
「あとで返却します」
そう言うと、ディアクがひとつ嘆息して彼に指示を出した。
「ゼンメル、下がってくれるかい」
「ああ」
その一言ですぐに鞘に納める。
肌にざわざわとこびり付くような殺気もそれと一緒に霧散した。これでようやく安心できると肩を上下してほぐす。
緊張が緩まると、ふと、先ほどと室内の気配が変わっていることに気付いた。
というよりもあれほど賑やかだった練習風景が静止してしまっている。
「………?」
しん、と静まり返った室内。
それも気のせいでなければ、皆こちらを注目しているような。
「…………」
自分を一瞥し、ゼンメルも無言で先ほどの壁際に帰っていく。
「どうしたのでしょう」
「それ、本気で言っている?」
「は」
意味が分かりかねて小首を傾げた。ややむっとした顔つきなのは怒っているのだろうか。何か粗相をしてしまったのかと心配になる。
「ランクが1なのは……登録したてでギルドも実情を測れていなかったか」
ぼそりと囁くようにそう言ったのが聞こえてきたが、登録がひと月以上前なのは言った方がいいのだろうか。
何やら深刻な気配が漂っているのは伝わってきているのだが、どうしようもできず彼の言葉を待った。何となく、下手なことは言わない方がいい気がする。
室内を見回した彼は静かに言った。
「とりあえず移動しようか。ここは支障がある」
確かにこのままでは皆の練習の妨げになってしまっている自覚はある。
素直に頷いたが、背中を向けても周囲の視線が突き刺さっているのを感じた。
「今まで誰に師事していた?」
「特に誰という人もいませんが……何人かから少しずつ教わりました」
そう言うと、不審そうに目を細められる。
「本当かい」
「はい、何か気になることでも?」
「いや、そうじゃないんだ。そうか、むしろ特定の一人から学んだわけではなく、複数の師がいたなら……なるほど、君のその言動にも納得できる」
何やら勝手に納得されているようだ。
とりあえず場所を移そうと促されて移動中だが、その間に色々と訊かれては答えていく。
「剣と礼儀作法、それと体術か? 全て別の者から教わったのだろう」
そんなことも分かるのかと驚く。
ところで、ナイフしか使っていないのだが彼の中では「剣術」にカテゴリーされるものなのか、それに体術はどの辺りを見て判断したのだろう。
「先ほどの練習はナイフしか使っていませんよ」
そう言ってみると、ちらりと斜め後ろをついて歩く自分を一瞥してすぐに前に向き直った。
「僕の目が、その程度も分からないとでも?」
そして何故か喧嘩腰である。おかしい、私は彼を怒らせるようなことをしたのだろうか。
「そのようなことは」
「あんな戦い方をする奴が真っ当な剣士だとしたら、僕は怒りで斬り殺してしまうよ」
酷い言われ様だ。
いや、確かに「剣士」のけの字も知らないので仕方ないのかもしれない。きちんと訓練している人間から見たら相当お粗末な戦いだったに違いない。
あるいはひょっとして剣士オタクなのか。いや単純に剣士として不満なのか。
そんな失礼なことを考えているうちに最初の入り口まで戻ってきた。と思ったら反対の通路を進み、待合室の様な場所に通される。
無言の圧力で革張りの椅子を勧められ大人しく腰掛けた。
戸惑い半分で見上げると、やんわりと微笑まれる。
「見学中に受けた実技は成績対象になるから。せっかくだから採点してあげるよ」
「いえ、別にいらな……」
にこり、と笑みで押し切られる。
結局この小部屋に取り残され待機することになってしまった。
「採点するなら先に言って欲しかったですね……」
ぼそりと呟く。
どうしてかディアクが始めの頃のように緩んだ空気を脱ぎ捨ててしまったので余計な事を言えなかったのだが、待ちぼうけを食らいながらこれまでのことをおさらいしてみた。
養成所に通うのは将来冒険者になりたい若者か、行き詰ってしまった初級から中堅ランクの冒険者らなのは教わったし、実際に見せてもらった。維持費は冒険者ギルドが持っているのだとすれば、こんな大層な設備を無償で提供しているのには訳があるだろう。
例えば資料室のリナが言っていた通り、すぐ死んでしまう冒険者の生存率を上げるのも目的だろう。
他には、心証操作か。低ランクに留まる冒険者の大半は素行に問題のある者達なので、中堅を増やしたいのかもしれない。依頼の中には貴族や国からのものもある。報酬も破格なので仲介料もそれなりに良いだろう。信用の置ける冒険者が一定数確保できれば、常にそういった依頼を回すこともできる。
「そんな所だと思いますが」
ぼうっと嵌め込み式の曇り硝子から空の様子を覗き、さらに暇を持て余して室内を徘徊、サイドテーブルに積まれていた書類の束を捲って時間を潰す。
薄い橙から濃い紫に空の色が変わっていくのを見ながら今日の夕食をどうするか考える。
それからスーシュにいる二人の事を思い出す。彼らは自分がいない間は午前中も他の依頼を受けているのだろうか。できれば中途半端になってしまっている礼儀作法の続きを教えたかった。この街から戻った時には先にそちらから手をつけるべきか……しかし何となくで始めただけなのにそこまで熱を入れなくてもいいのではないかとは少し思う。
「暇だ」
断言した。
置き去りの状態から体感で二時間は潰れている。その間にこの部屋の前を人が通った気配すらない。
これは、実は他の仕事が入って後回しにされているのだろうか。そう思うくらいにはやることがなくなっている。
シズを呼んで髪を手入れするのもいいが、人の多い建物内で、しかもこちらの都合だけで彼女を呼ぶのは失礼だ。なのでひたすら一人でできること、考え事などをしてみたのだが。
終いには机に置いてもらっていた水差しで持っていた布きれを濡らし、家具の拭き掃除を始めた。何かしていないとそわそわしてしまう。
「……何をしているのかな」
それから三十分くらいして戻ってきた彼が真顔で問うてきた。こちらも真顔で返す。
「待っておりました」
「ああ、うん、悪かった。待たせてしまったね……」
流石にばつが悪そうに顔を顰め、手に何かを持って椅子に座る。何かというか自分の成績表だろう。
掃除の手を止めて反対側に座り直し、さっそく彼の言葉を受け取った。
「ちょっと、話し合いが紛糾してね」
「へえ」
てっきりディアクだけで採点するものだと思っていたので素直に驚きを表す。はて、何人が自分を見ていたのだろうか。
「一方的に審査したのはこちらの都合だけど、君さえよければこの結果を利用してくれ。見た目で何か言われるような事があっても、これがあれば大体何とかなるだろう」
そう言いながら渡してきたのは、ポストカードサイズの木版だった。表面に彫り込みがされている。待て、わざわざ作ったのか。
そこには『認定 オニキス/エアリス養成所試験 評価10/連名 剣聖ディアク、銀剣ゼンメル』と彫られている。
一度目を閉じ、再び眺めた。同じことが書かれていた。何だこの剣聖と銀剣というのは。
「これを見せればいいのですか」
「ああ、受付にね。署名もあるから間違いないよ」
何が間違いないというのか。
この時点で、何となく、本当に何となくだが、面倒事の匂いがしている。この札を突き返そうと見上げたところで先手を打たれた。
「まさかいらないなんて言わないよね。せっかく作ったんだよ」
「はい……有難く頂戴します……」
この流れ、先ほども味わった気がする。
絶対に人前に出さないようにしようと心に誓った瞬間だった。まだ人に舐められていた方がましな予感がする。
二人の名前の頭についている呼称もどういう意味なのか聞かないようにした。そんな自分を彼は微笑みながら眺めている。もう優しい笑顔だなどと思うことは無い。これは腹に一物抱えている人種の笑い方だ。
「さっき」
突然彼が話しかけてくる。
「ロープがあれば便利だと答えていたね」
あの時の講義で話したことを思い出す。そういえばそんな話もしていたのだったか。
「便利だよね。色々使えて」
「そうですね」
だからどうしたのかと不思議に思いつつも相槌を打つ。
だが彼は僅かに目を細めただけだった。そしてすぐに話題を変える。
「よければここに通わないかい」
しかし、あまり聞きたくない話だった。
少し前から彼の挙動を注意深く観察しているが、こうして見ると異質さがよく分かる。『剣聖』と異名が付くような人物が凡夫であるわけがないのだ。
体内の魔素が清流のように均一に流れる様子から、自然と彼が気を統一できているのだと理解できる。魔法使いでもないのにここまで美しい気の流れを作れるのだから相当な腕前に違いない。
そんな人物からのお誘いである。勿論歓迎はしない。
「いえ、他の町に滞在していますし。ここも用が終われば帰りますので」
「その間だけでもいいじゃないか。それに、孤児なのにもう冒険者として活動できているんだろう? 暫くの間、拠点をここに移しても問題ないんじゃないかな」
ぐいぐい攻めてこられた。
「そういう訳には……パーティーを残してきているので、勝手なことはできません」
「その仲間とはすぐに合わないとまずいのかい」
「少しは大丈夫かと思いますが」
「じゃあ、ここで冒険者のことを学んでからでも遅くはないと思うよ」
いい笑顔を向けられても困る。
とうとう遠回しな応酬が面倒になり、直球で聞いてみることにした。外はもう真っ暗だ。
「どうしてそこまで留めたがるのです?」
その言葉に彼の口角が釣り上がる。
「やっとか。勿論、君を育てたいからだよ」
にっと笑いながらそう言われた言葉に疑問が募る。
「私をですか? なぜです?」
「なぜ? こんな希少な人材が目の前にいて、磨きもせずに放置するのかい?」
こちらに身を乗り出しながら彼は続ける。
「君、身体強化を掛けているね」
その指摘に視線を合わせた。そんなところまで把握されていたのか。
身体強化……無属性魔法の一種で、魔力で肉体を強化することで一時的に高い運動能力を得たりする技術だ。
戦闘時には必須の技術であり、屋敷では早い段階で身に覚えさせられた。使えなければ死ぬので今は意識しなくても有事には施すようにしている。
外部の環境に干渉するわけでもないし、属性もない。これくらいなら魔法使い関係なくできる者はいて当然だろう。現に目の前の男も行っているようだ。
「ランク1なんて嘘だ」
はっきり、否定するように断言される。
「そうでないなら、この僕がそれを許さない」
そして、ぞっとするほど鋭い眼光を浴びせ、こちらを見下ろしてくる。
「僕が直々に指導してあげるよ。オニキス君。君なら中級くらいすぐに超えてしまうだろう?」
何がどうしてこうなったのか。
押し切られたまま彼の提案を呑むことになってしまった。呆然としつつ、もう生徒たちも帰宅して人気のなくなった通路を戻る。
彼から渡された書類には、これからの日程が書かれている。半年先まで埋まっているスケジュール表を見返しては溜息が漏れた。
幸い毎日来る必要はないようで、週に一、二度顔を出せば済むらしい。こちらの都合にも合わせてくれているようだ。有難いようなそうでもないような。
門に着いたところで、人影が見えた。
顔に古傷をつけた巌のような巨体である。
「ゼンメルさん」
「災難だな」
出会い頭に労われて肩の力が抜けた。
しかしこの男もあの板に名前を入れていたのだから彼と共犯である。
「奴はああ見えて剣のことにはうるさいからな」
「先ほど知りましたよ」
そう諦めたように溢すと、思いのほか真剣な視線を向けられる。
「足捌き。洞察力。胆力」
大きく頷かれた。
「見事だ。これがまだ年端のいかない子供なのが、末恐ろしい」
「………」
中身に成人男性が混じっているのだとは言えないので口ごもる。
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