君を想い、夢に見る

たいらの抹茶

文字の大きさ
上 下
10 / 15
10

猛り狂うロタール

しおりを挟む
 ウィリアムは剣を片手に走る。
 目指すはエドガーが指し示した山峰である。建物から離れるにつれて視界は不良となる。視界は土煙に囲われているが、あちらこちらからフォンシーの鳴き声や足音は響いていた。エドガーの魔法により蹴散らされたフォンシーは再び建物に向かって突進してきていた。
 フォンシーの注意をこちらに引きつけなければならないと、ウィリアムは走る速度を落とした時。
 前方から何かの塊が吹き飛んできたかと思うと、ウィリアムの遥か後方まで転がっていった。ウィリアムは間一髪のところで避けることで、その塊と衝突することはなかった。
 ウィリアムは塊に視線を向けると、塊の正体に気付き目を見開いた。
「スタン!」
 そこにいたのはスタンであった。彼は全身血みどろであり、息も絶え絶えである。
 スタンは長身に加えて頑強な肉体を持つ戦士である。巨大なハンマーを軽々と振り回し、あっという間に魔物の群れを制圧する。性格は寡黙だが勇ましい戦いを得意としていた。
 人間の中では大男であるスタンがやすやすと吹き飛ばされた挙句、歴戦の勇者である彼が受け身を取れないほど深手を負わされていた。
「俺の声が聞こえるか!」
 ウィリアムはスタンの両肩を強く叩く。
 スタンは小さく呻き声を上げた。
「ウィリアム」
「意識を保ち続けてくれ。一番の出血源はどこだ」
 ウィリアムはスタンの傍に腰を下ろすと、彼の額に手を触れた。
 その時、スタンはウィリアムの手を掴んだ。
「アレは普通の魔物ではない。早く逃げろ」
「まさか。リック達はどうした?」
「リック達はまだ交戦中だが、勝ち筋が見えない」
 ウィリアムが知っている限りでは、スタンは弱気なことを口にする人間ではない。ウィリアムは険しい顔付きでスタンを見つめた。
「リック達がまだ戦えている今、生存者がいれば彼らと逃げろ。アレと戦うにはもっと多くの勇者が必要だ」
「もう話さなくていい」
 ウィリアムは目を伏せた。
 スタンの呼吸はか細くなるばかりだった。
「迎えにくる。今は置いていくことを許して欲しい」
 スタンはもう一度、ウィリアムの手を強く握り締めた。
 ウィリアムはスタンの手をおもむろに離すと、堂々たる姿勢で立ち上がった。剣を強く握り締め、走り出す。

 数百メートル走った前方には百体近い数のフォンシーと、フォンシーに囲まれるように立つ人影に似た何かが立っていた。
 人ではない。ウィリアムに鋭い緊張が走る。
 それは人間の男性に似た肉体を持っていた。しかしそれは首から下の構成だけで、頭部にはフォンシーと似た頭が存在していた。それは両手に槍を構えながら、空に向かってけたたましく吠えている。
「あれがパドマが見た魔物、ロタールなのか?」
 ウィリアムは瓦礫の山に身を隠し、気配を押し殺しながらフォンシーとロタールとの距離を詰めた。
 そして気付く。フォンシーに囲まれすぐに気付くことが出来なかったが、ロタールの足元には四人の人間が横たわっていた。
「リック!」
 ロタールは二つの槍を地面に向けて振り下ろそうと構えた。
 その刹那、ウィリアムは飛び出していた。
 ロタールはウィリアムの姿に気付き、ウィリアムの方に顔を向けていた。しかしロタールが防御の姿勢を取るよりも速く、ウィリアムの斬撃はロタールの頭部を切り付けていた。
「お前ッ!」
 リックはウィリアムを睨み上げた。しかし彼は右腕を失っており、すぐに苦悶の表情と変わる。
 タルコットとルイーズは虚な瞳で倒れ伏し、エリアナは頭部から流血はしているものの意識ははっきりとしている。
「タルコット!ルイーズ!エリアナはまだ動けるか!」
「ウィリアム!どうしてここにいるのです?」
「それはまたあとで話す!」
 ウィリアムは冷静に剣を構え直す。
 ロタールは奇声を上げてウィリアムと対峙した。
「不意打ちとは言え、浅い傷しか残せないか。随分分厚い皮膚だ」
 ウィリアムは地面を蹴り、ロタールの首筋に剣を振り下ろす。
 しかしウィリアムの剣が届くよりも素早く、ロタールの振り回した槍はウィリアムの脇腹に叩き付けられようとしていた。
 ウィリアムは僅かに体を捻ることで槍の貫通を回避できたが、掠めた矛先はウィリアムの脇腹の肉を削ぎ落としていた。ウィリアムは激痛に歯を食いしばりつつ、必死に体勢を整えた。
 ロタールが吠える度に周囲のフォンシーも吠える。
 ウィリアムはじりじりと接近するフォンシーを睨み付けつつ、どうするべきか考えを巡らす。まさかリック達とこのような形で合流するとは思い至らなかった。軽率に飛び出し開戦となったが、かつての仲間を見殺しには出来なかった。
「ウィリアム、この状況では逃げきれません。あなただけでも逃げてください。だってあなたは……」
「この状況で逃げ出すのは勇者じゃない」
 ロタールは槍を大きく振り下ろす。槍を振り下ろす際に生まれた風はウィリアムの頬を切り付け、槍が叩き付けられた地面には大きな亀裂が走った。
 ウィリアムは頬の傷を袖口で乱暴に拭う。そこには傷一つ存在しなかった。脇腹の傷はいつの間にか消え去っており、戦士とは思えぬほど白い肌があるのみ。
「これくらいの傷痛くも痒くもない」
 ウィリアムは一瞬にして間合いを詰めると、ロタールの胸部に剣を突き刺した。そして更に踏み込むことで、剣を根元まで差し込んだ。
 ロタールは刺された衝撃と興奮からか両手から槍を手放す。そして頭部を振り回しつつ、ウィリアムの頭を鷲掴むと、ウィリアムの体を乱暴に地面に叩きつけた。
「ぐァ……!」
 ウィリアムは呻き声を漏らす。全身の骨にヒビが行き渡る感覚に、一瞬だけ息を飲んだ。しかし迫るロタールの攻撃を感じ、無理矢理に体を起き上がらせた。ウィリアムは顔面から血を滴らせながら、ロタールを睨み付ける。
 ロタールは先程までウィリアムのいた位置に足を踏み下ろしていた。地面は陥没しており、直撃していればウィリアムの頭部は粉々に成り果てていただろう。しかしウィリアムは起き上がり、剣を構え直している。
「それだけの深い傷でもよろめきもしないのか」
 ウィリアムは血を吐きながら言い捨てる。
 ロタールは酷く興奮した様子で喚き散らしている。
 その刹那、ロタールは槍を構えたかと思うとウィリアムに突進していた。その速さは瞬きするよりも速く、ウィリアムが剣で槍の軌道を逸らすよりも前に、ウィリアムの胴体を貫いていた。
 ウィリアムは思わず目を見開き、言葉にし難い呻き声を上げる。
 しかしロタールの猛攻は収まることはなく、ウィリアムを貫いたまま槍を振り回す。そして何十回も振り回した後、ウィリアムごと槍を投擲した。
「ウィリアム!」
 エリアナは悲鳴を上げる。
 ウィリアムの体は荒れ狂う風よりも疾く飛ばされ、瞬く間に人間の目にはその姿を捉えることは出来なくなっていた。
 ロタールは一つ大きく吠えると、ウィリアムが飛ばされた山の方に走り出す。そしてロタールに続き、百体近いフォンシーも走り出したことで、その場にはリック達のみが残された。
「あのままではウィリアムでも本当に死んでしまう」
 エリアナは絶望を滲ませた声で呟く。
 一方、リックは憎しみに満ちた顔で山の方を睨んでいた。
しおりを挟む

処理中です...