贖いの廉施者

正岡武

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第六話

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 降り出した雨は大地にこびりついた血を流すのではなく、血を流し続ける事そのものを咎めるように強くなっていく。
 人々の醜い争いに不満と怒りを表すような雷鳴まで聞こえてきたが、セルジオは意にも介さず歩み続ける。
 胸にぽっかりと空いた黒ずんだ穴を見るに、心臓が血液を送り出し、流れてきた血を介して各々の器官が機能し生命活動をする身体ではないらしい。
 少なくとも病による死はないのは確かだが、それならばこの肉体は何を持って死となるのか、哲学とも医学とも判別できない純粋な疑問が浮かぶ。
 そもそも血液が循環していないのであれば、思考と信号を司る脳も本来機能していないではないか。
 考えれば考えるほど深まる疑問に「案ずるよりも行動せよ、答えはこの先にある」とセルジオを導くように、巨大な橋が眼前に現れる。
 多くの信徒が、サンヴェルクへ巡礼する為に渡った為、いつしか聖人橋と呼ばれるようになった橋だ。
 だが皮肉な事にいまやその橋を牛耳っているのは、教え等微塵も興味が無く、ただ目先にぶら下がった餌を食う為に寄せ集められた連中だ。
 数と身なりを見るに、金で雇われたルカサンテの連中とそこから湧き出た害虫――再誕者の混成部隊か。
 別の世界に生まれて尚、やる事が餌を貰う為に飼い犬に成り下がるとは。
 人は如何に姿形を変えて生まれようと、そこに宿る魂が変わらない限り無意味なのだとセルジオは悟った。
 しかし厄介だ。
 前回はそもそも相手が未熟な上、不意をつけたので被害も無く“対処”できたが、今回は違う。
 明らかに敵意を持って待ち構えており、斥候にでも見られていたのか、サンヴェルクへ向かうという動機まで掌握されている。
 おまけにこの数だ、ざっと見て15人。
 ルカサンテの無法者共はともかくとして、問題は相変わらず奇怪な格好をした再誕者の方だ。
 どんなに虚栄心に満ちた尊大な国王の息子でも着ないだろう黄金をそのまま甲冑にしたような紛い物に身を包み、明らかに人を殺めるには不必要な質量を持つ剣の形をした鉄塊。
 根拠なき自信に溢れた金髪の男
 言うまでもなく今回の徒党の中心人物は彼だろう。
 その従者らしき人物は四人。
 弩を持った狩人らしき男と、手から悪しき魔術の類と思しき怪しげな光を放っている得体の知れない赤髪の女。
 一人は細剣を携えた、茶髪の女とその背後に隠れた黒髪の男、巨大なバックパックを見るに荷物持ちか。
 だがその格好で堂々と仁王立ちできる感性よりも不可解な聖遺物の力に、一層注意を払わねばならない。
 これは賭けだ。
 少なくとも血液は流れておらず、病で死ぬ事もない身体で、何処まで肉体的損傷に耐えられるのか。
 全ての答えは橋を超えた先にある以上、ここで地団駄を踏んでいる時間は無いと決起し橋を渡る。



 意外にも先に道を阻んできたのはルカサンテの無法者だった。
 黄金の甲冑を纏った金髪の男に口車に乗せられ、金で買われたと皆顔に書いてある。
 各々の得物は不揃いなのに、不細工な風貌と杜撰な身なりは歴戦の軍隊よりも統率されている珍妙さが哀愁を漂わせている。
「お前がセルジオだな」
 格好と態度に対して、無法者達の背中に隠れて問う黄金の甲冑を纏った金髪の男の姿は更に滑稽だった。
 おおよそ「金メッキ」という不名誉な汚名を返上する為、数に物を言わせ討ちに来たのだろう。
 間違いなく聖遺物を扱う器ではないのは確かだ。
 「如何にも」
「お前の首に賞金がかかっている! 悪しき悪魔を崇拝する密教に殉ずる異端者だと!」
 「他所の世界から来た癖して、他者の信仰を軽々しく異教呼ばわりするとは、兜を着けていないのもその面の皮の厚さと頭の小ささに合う物が無かったからだろうな」
 軽く挑発すると、顔を赤くさせた金髪の男は無法者達に突撃の号令を出した。
 身につけている甲冑より先に、融点を超えてしまいそうな勢いだ。
 向かいくる烏合の衆の中では一番足が早く、そして無謀な無法者が粗末な手斧を振り上げる。
 手斧が頭に向かって振り下ろされるより先に、無法者の腕の付け根目掛けて踏み込み、切り上げる剣の一撃が一歩早く放たれた。
 何もかも奪われてきた過去から、唯奪う事だけを覚えた無法者の右腕が、悪事ばかり働く主人の身体から解放された事を喜ぶように宙を舞う。



 
 人並みの幸せを手に入れることすら、叶わなかった者達。
 その先駆者が今や右腕の落ちる音より先に横たわり、唯一奪われなかった四股の一つを探しながら、痛みにもがき喘いでいた。
 だが先走った同胞の事など厭わず突っ込んでくる、死を恐れないのか、或いは飼い主という死そのものが自身の後方に構えているからなのか。
 聖地との唯一の架け橋は、一撃毎に返り血に塗れていく。
 白を基調にしたアーチを描いた橋に、付け足すように暗い赤で彩られる中、後方に完璧な比率で積み木を組むような緻密かつ繊細な指の動きで宙に魔法陣を組む赤髪の女が見える。
 やがて魔法陣をパズルの最後のワンピースをはめるように完成させたかと思うと、青白い魔力の閃光が現れる。
 その閃光は人間達を胴体から切り離すように胸の上部分の高さを維持したまま薙ぎ払っていく。
 何とか体を低くしてかわし切ると、金で雇われたか、もしくは最初から払う気など無く、囮として残った無法者の上半身が消し飛んでいく。
 顔を上げるとそこに残ったのはオブジェのように動かなくなった無法者の下半身、あまりに高温な熱線だったのか切断面は流血する余地もないほどに黒く焼け焦げていた。
 最重要人物に当たらなかった事が腹立たしいのか、赤毛の女は噛み締めながら再度魔法陣の形成を急ぐ。
 後ろにある軌道を表すように焼け落ちた木々を見るに、あれをまともに食らうのは不味い、2度目の詠唱は防がねば。


 
 人馬一体、というよりは自身が馬になったかのような速さで橋を駆ける。
 重さをまるで感じさせない甲冑と、全盛期を超える身体能力、そして自身に向かって引き金を引いた狩人の一撃も軽く剣で弾く事ができる程の反射神経。
 だが赤髪の女の魔法陣の形成速度が明らかにより1回目より早い、先ほどまで入念な準備によって作られた魔法陣が焦りによるものか雑になっているのが、魔術に疎いセルジオでも理解できた。
 金髪の男は剣と思しき鉄の塊を構え、斧のようにスイングした横降りの一撃を、セルジオは身体能力を信じて跳躍する。
 自分より弱い者か、鈍重な者ばかり相手にしてきたのだろう。
 受け止めるでもなく、臓物を晒しながら返り血で剣を染めるでも無く、ただ上に跳ぶという選択肢を選んだ目の前の男に呆気を取られた。
 コンマ秒刻みで間抜けになっていく、見上げた金髪の男の顎に、勢いと重量を膝の一点に集中させた純粋な質量の一撃を放つ。
 ゆっくりと顔が歪んでいく、本人にとってはほぼ一瞬の出来事だが。
 脳天にまで衝撃が達した金髪の男は、幾つかの歯と下顎が粉砕される音と共に倒れた。
 転がりながら受身し、足の甲冑が火花を散らしながら着地した後、赤髪の女の方に目をやる。
 すでに完成まで秒読みの様子だ、その目には最早狂気が孕んでいる。
 死地の中、少しでも主人を生かす為に奔走する馬のような心境でセルジオは駆け抜けた。
 徒党の頭目が無力化された今、最早彼らに戦意は無い。
 赤髪の女の狂気に対し、撤退を呼び掛ける茶髪の女と狩人。
 間に合わないと確信したセルジオは胸の短剣を赤髪の女に向けて放り投げる。
 短剣は彼女の胸に突き刺さった。
 だがその抵抗虚しく、一回目より圧倒的に強い、ただ魔力の奔流に身を委ねたような閃光が倒れながら放たれる
 それは狩人の男も金髪の男も等しく飲み込み、地面を赤く抉りながらセルジオの元へと進んでいく。
 神の裁きとしか表現出来ない光に、セルジオは包まれた。

――私はまた、誰も守れぬまま死んでいくのか。

 
 ――もし騎士になって一緒に戦ってさ、目の前で君の父さんがとても強そうなやつに襲われてたらどうする?

どこかで聞いた会話だ、呼応するように聖遺物が輝いている。

――その時は僕が命を懸けて守るよ、いつも人のために全力を尽くしなさいって口酸っぱく言ってきたのは父さんだから。

目の前を見ると、在りし日に見た記憶の息子ネストルフが、目の前にセルジオを守るようにして腕を伸ばし立っている。

――誰かのために命を懸けるのは最初は怖いし馬鹿らしいって思ってたけど、教会で読み書きを教えてる父さんを見てると、そんな生き方もちょっと格好いいかなって思えてきたんだ、言葉を飾る詩人より、不器用でも一生懸命に生きようとする父さんの方がね。

その瞬間、ロザリオが眩い光を放ち、真の姿を現した。
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