微妙な散文

黒巣

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日出ずる国よ、緩やかに堕ちて行け【前編】

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 ピッピッピッ、ピピピピッ、ピピピピッ。
 早朝。
 清廉なる空気を引き裂いて、けたたましい電子音が鳴り響く。
 なんてことは無い。ごくごく自然、ごくごく当たり前の朝の出来事だ。
 そして僕は、ごくごくいつもの様に電子音を放つ目覚まし時計に手を伸ばし、ごくごく毎日のように二度寝を決め込むのだが……。
「おハヨう、ニドネはダメだよ?」
 ……ごくごく柔らかな声に引き戻されて、現実世界へと帰還するのであった。
「おはよう、姉さん」
「おハヨう、ナツキくん」
 キュイーン。そんな駆動音をたてながら、樹脂製カバーで覆われた手が僕の頭を撫でていく。
 正直なところ、このような扱いは恥ずかしいと思うのだが。その一方でこのような扱いを嬉しく思っている自分が恥ずかしい。
 二重の恥ずかし自殺点に頭を悩ませながらも、布団から這い出た僕は寝間着を脱ぎ捨てて、姉さんが用意してくれた外出着に着替えていく。
 僕の仕事は朝に急かされる事はないのだが、健康維持法令が出ている以上は緊急の場合を除いて公共交通機関に頼ることは出来ない。
 そう、だからこそ。面倒臭いながらも駅から職場の事務所まで毎日徒歩で三〇分近くは歩かなければならないのだ。
(やれやれ、面倒臭いなホント)

『続いてはスポーツ。先日のハイパーリーグの結果はこちら、念願の新パーツを導入したヤマトサンダースですが、それが思いの外のじゃじゃ馬なようで……』
 テレビを見ながら姉さんの朝食に手を伸ばす。
 子供の頃なら食事が終わらないからと叱られていたのだが、流石に一八歳にもなればそのような事はない。
 合成ベーコンエッグに増産オレンジのジュース。代用バターの乗ったトーストに増産ミックスベジタブル。ごきげんな朝飯をモニュモニュと食べていく。
 だが、次のニュースになって、不意に僕の手は止まってしまった。
『続いては世界情勢。先日の国連軍から発射された飛翔体の中身は電磁妨害兵器とされ、飛翔体は海上に落下されたと政府から……』
「ナツキくん、ジカンいいの?」
「うわ、やっべ……」
 思いの外、時間を取られていたのか。僕は残っていたベーコンエッグの黄身をオレンジジュースで流し込んでいく。
 黄身だけを味わうのが好きなのに。そんな文句、自業自得と考えたら口に出そうにも出せやしない。
 僕は食器の後片付けを姉に任せ、洗面所で歯磨きと身支度を済ませ、急ぎ足で玄関へと急行する。
「じゃ、姉さん。行ってくるよ!」
「ナツキくん。キョウのユウガタ、ワスれちゃダメだよ?」
「うん。六時に中央広場だね」
「イってらっしゃい」
「行ってきます」
 俺、人間の新堂ナツキと姉、機人のTYPEーS1sta。二人の日常はごくごく平常運転で継続中である。

「賛成多数より日本安楽終焉令は可決されました」
 これは僕が生まれる前に起こった話らしい。
 かつて、日本は少子化やら労働力やらの問題に悩まされていたらしく、当時の日本政府は他国人労働者を大体的に誘致する事で労働力問題の改善を計っていたそうだ。
 しかし、他国人労働者が増えるに連れて他国人労働者は自分たちの参政権を主張。日本政府は試用として人種を問わずに政治に参加できる群議院を設立した。
 そして、その結果。郡議員は日本人五パーセント未満という結果となり、日本政府は他国人による政治的熱意に驚愕した。
 このまま他国人参政を本格化させれば、最終的に日本政府は日本人以外の議員によって運営されるだろう。
 しかし、それで他国人参政を却下すれば日本の労働力問題は危機とした状況に陥るだろう。
 そんな窮地において苦し紛れに出された新たな一手。それは当時の日本人にとっては呆れるような一手だった。
 ハイグレード人工知能への準人権付与。
 簡単に言えば一定水準に達した、人格と義体を持つ人工知能に対して日本人としての国籍や権利を与える法律である。
 人格と義体を持つ人工知能。当時の日本では人間のパートナーとして人工知能搭載ロボットが数多くリリースされていたようだ。
 僕たちの感覚としては人格を持った存在を売買する世情の方が狂っているように思えるが、当時としては人工物に人権を与える方が狂っていたらしい。
 二転、三転。四、五、六ほど転がって、九転した辺りになって日本政府は結論を出した。ロボットを新たな日本人として認めるという事を。
 そして、それから彼らは目覚ましい躍進を果たした。
 準人権という名の自由を経たロボットは自らを機人という新たな人類であると主張。機人たちは議員補佐官という立場を得るようになり、最終的には単独で政界への出馬を達成。世界初の機人政党『人機友和党』の誕生である。
 その頃に至っては、もはや日本人は機人の助けなしでは社会インフラの運営すら儘ならなくなっており、やがて『駆動民主党』や『人間と機人の仲を取り持つ党』といった機人が中心となった政党が、かつての政党を追い落としていく形となり。そして、ついに僕が生まれる数年ほど前にある法令が可決される事となった。
 日本安楽終焉令。衰退しつつある日本人種を安らかに、穏やかに終焉へと導く法令である。
 別に安楽終焉と言われても、別に筋肉モリモリマッチョマンな変態野郎が光線銃片手に押し寄せて来る訳ではない。小さな部屋の中に幽閉される訳でもなければ、人間同士の恋愛を弾圧する法令でもない。
 しかし、法令が施行されてから日本における少子化は徐々に加速の一途を辿るようになる。日本人に次世代を作り出す意欲も、意義も存在しなかったのだ。

「おはよう!」
「おハヨー!」
 僕が生まれる数年前。日本安楽終焉令が施行されてから、およそ二〇年ほどが経過しただろうか。
 二〇年も時間が経てば相応に社会の有様は変化していくようで、建物や街の姿は映像資料で見た光景と大差無くとも、商店街やオフィス街から顔を覗かせるのは機人である。
 当然ながら僕以外にも人間は住んでいるし、安楽終焉令に反対した日本人は海外へと移住している。しかし、それでも僕が生身の人間に会う機会は殆ど無い。
 法令の完遂は目前へと迫っていた。
 でも、僕はその事になんの感慨も覚える事はない。
 何故ならば近所の人がいて、職場の仲間がいて、姉さんがいる。僕の人生は何ひとつ変わっていないのだから。
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