りぷれい

桃青

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11.傷

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 一人だけの、しんとした家の中で、私はお湯を沸かし、丁寧に紅茶を淹れてから、窓の外を眺めつつ、ゆっくりとお茶を飲んだ。ティータイムを考え出したイギリスの人って素晴らしいと思う。お茶の時間はさまよう心の居場所になってくれる。物事がカオスになった時に、整え方を考えられるのだ。
「お母さん、いつまでいられるんだろう……」
 私はぽつりと言った。でも周りには誰もいず、そんなときは自分で答えを捻り出すしかない。
「お父さん、嬉しそうだったな、一緒に買い物に行けて」
 そう呟いてからふと思った。
(でも母は一時の、幻のような存在。また別れの時は必ずやってくる。それでもいいから母にいてほしいと思った父の心って……。その本心は、分かるようで、私には分からない)
 それにしても……と、母と暮らした二十五年を思い返してみた。母は暴力をふるったり、言葉の暴力を投げかけたりする人では、もちろんなかった。ただ私の存在を無視していた……というよりも、認識できない性格だった。そういう人は世の中に意外と存在するという事実に、社会に出てから私は気が付くことになった。十代の前半までは、私は人から無視されるのが当たり前のことなのだと、頭ごなしに信じていた。ところが十代の後半になって、徐々に自分というものを求められるようになったとき、私は自分が『完全』に空っぽであることを少しずつ理解し始めた。

 ―誰のせいだ?

 私が出した答えは、『母のせいだ』というものだ。
 自分がないと、私の人生もない。そう悟った私は、私なりに精一杯に自己主張を始めた。だが母にとって、“私は私である”という主張は意味のないものだった。命を懸けて、全身全霊で叫んでも、何も伝わらないことに私は苦しみ、伝わらないが故に、どんどん孤独に嵌っていった。
 母は私に否と言って、死ぬまで私の上に君臨し続けた。母に問うたら、きっとそんなことはないと言うだろう。私はそんなことをしていないと無邪気に主張するはずだ。そう、自覚がなければ理解も訪れない。完全なる平行線が、私と母の間に横たわっていた。
 そんな母を私は、ひっそり憎むことしかできなかった。
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