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桃青

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カイルの私的な話

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再びリビングへ戻ってみると、すでにそこにカイルの姿はなかった。
「カイル?」
 アンナは呟くと、カイルを探しながら彼の部屋のドアの前へ行き、コンコンとドアをノックした。すると中から、
「アンナか?」
 という声が聞こえたので、アンナはドア越しに話し掛けた。
「中に入ってもいい?」
「いいよ!」
 そうカイルの返事を聞いて、アンナはゆっくりと中の様子を窺いながら扉を開けた。すると彼はベッドに腰掛け、小型ナイフを布で磨いている所だった。アンナは少し驚いて彼に話し掛けた。
「そんなものを持っているのね。」
「うん。仕える人を守るのが僕の仕事だから…、こういうのも必要。」
 すっきりと整えられている部屋の中を感心して眺めながら、アンナはカイルのすぐ側まで行くと、その隣にちょこんと腰掛けた。そしてしばらくカイルの手作業を眺めてから、胸の内を彼に話し始めた。
「ねえ、カイル。」
「何?」
「私達って、結構長く一緒にいるのに、お互いの事については、案外よく知らないわよね。」
 カイルはふと手元を止めると、頭上を見上げて考えながら言った。
「そう言えば…。雑多な話なら色々してきたけれど、お互いについて踏み込んだ話は、あまりしてこなかったな。」
「だから私は、もっとあなたのことについて知りたいと思っているの。もし良かったら、話してくれる?」
 カイルはナイフを鞘に戻すと、いつになく真顔でアンナを見つめて言った。
「僕の…、何が知りたい?」
「えっと…、そうね、じゃあ、今までの人生で一番楽しかったことは何?」
「それは―。初めて仕事で纏まったお金が貰えて、それを使って仲のいい友達と一緒に飲みに行った時。やっと一人前の大人になれた気がしてさ、自分の中でむくむくと自信が育っていって、馬鹿騒ぎをしながらそんな思いを分かち合うのが、最高に楽しかったんだ。」
「なんか男の人らしいな。じゃあ、今までの人生で一番悲しかったことは?」
 するとその途端、カイルの明るかった表情は急速に陰りを見せた。アンナはどうしたのだろう?と思い、彼を見守っていると、カイルは小さな声で、ぽつりと言った。
「それは、…子供の時に両親を失くした時。」
 それを聞いたアンナはハッとして、慌てて言った。
「ごめんなさい、私、無神経な質問を―。心の傷に触れるようなことをしてしまって…。」
「いいんだよ、別に。どうせ大昔の話だし。」
 そう言うとカイルは微かに笑ってみせたが、少し考えてから言葉を続けた。
「でもそれが、僕を従者の仕事につかせた最大の理由、そして原因かな。」
「それって、どういうこと?」
 するとカイルは気を取り直して、さらに深く話をし始めた。
「僕の両親は何者かに殺されたんだ。」
「えっ!何か思い当たる節でもあるの?」
「僕はまだ子供だったから、その辺の事情はよく分からない。でも警察は通り魔殺人だということで、結論を出した。」
「通り魔殺人…、理由なき犯行。」
「僕は学校から帰ってきて、両親が死んでいる姿をまともに見てしまったんだ。本当に…、酷い姿だったよ。2人とも歪んだ顔をして、辺りには血の海が広がっていて…。
 たぶんそんな場面に出くわした時、普通の子供だったら泣いたりとか、逃げ出したりとかするんだと思う。でも僕の場合は違った。その現実に真っ向から向き合い、いつしか抑えきれないほどの言いようのない、底知れない怒りが、ふつふつと湧いてきたんだ。
 誰が殺したんだ?そして何故、父と母の命を奪っていったのか。捜査がいくら進んでも、僕の問い掛けに対する答えが出ることはなかった。結局犯人は捕まることなく、事件は未解決のまま迷宮入りしてしまった。
 …それから今に至るまで、僕は絶えることのない怒りの感情を胸に秘めて生きてきたんだ。
 何故、僕は父と母を守れなかったんだろう?ひょっとすると僕にも、何かしらの原因、そして悪い所があったんじゃないのか?
 ―誰もが僕は悪くないと口を揃えて言うけれど、この得体の知れない罪悪感というか、『罪』の意識は、いつか僕が死ぬ時まで決して消えることはないだろうと思っているんだ。
 …その罪滅ぼしのために、こんな仕事をやっているんだろうな。これからは、僕にとって大切なものは何が何でも、この手で守ってみせる。そして二度と同じ過ちを繰り返すことがないようにと…。いつもその思いを深く、胸の奥に刻み込みながら。」
 そこまで一息に話すと、カイルはふいっと黙り込んだ。その時の彼は普段の彼と違って、何だか近づき難いものにアンナには見えた。そしてカイルの気持ちを慮って、胸が一杯になりながらも、アンナは優しく彼に声を掛けた。
「カイル…。そんなことがあったのね。」
「アンナ。」
「はい?」
「だから君のことは、僕が絶対に守ってみせる。従者であるという理由だけではなく、君を見守ることが、僕にとっては大事なことであり、そして定めでもあると思っているんだ。」
 そういうと彼はいつになく真剣な眼差しでアンナをじっと見つめた。そうされると何故だろう、アンナも彼から目を逸らすことができなくなってしまった。でもそんな風に見つめられると、アンナの心の中でいつしか、温かい源泉のようなものがコポコポと湧き出し、それが体全体に染み渡っていくのが分かった。そして2人はそのまましばらくそうしていたが、やっとアンナは沈黙を押しのけて、話しを切り出した。
「カイル、私、1つだけあなたに言いたいことがあるの。」
「うん?何だい。」
「決して…、自分を責めたりしないで。」
「…。」
「何て言ったらいいのか…。とにかくカイルは今自分なりに精一杯生きている。そのことについては自信を持っていいし、それに本当は自分を責めたり、苛めたりする理由なんて、
 ―どこにも存在しないの。、だから…。」
 アンナの迷いながらの言葉に、カイルはやっと微笑みらしきものを浮かべて、いつものように軽くアンナに答えた。
「分かった、アンナ。今夜そのことについて、僕1人で考えてみるよ。」
「それからカイル、あの…。」
 そう言ってアンナはカイルの瞳を覗き込むと、何だか急に恥ずかしくなって、慌てて言葉を取り繕うように言った。
「ううん、何でもない。そうね、そろそろ夕食の時間よね?私、メルおばさんに聞きに行ってくるわ、今日の夕食は何ですかって。」
 カイルはきょとんとして言った。
「それは、お手伝いさんに聞くべきことなんじゃないの?」
「うんと、ええっと、だからっ…、とにかく私は行きます。」
 アンナがそう断言すると、カイル頷いて言った。
「そうか、分かった。どこに行くんだかよく分からないけれど。」
 ☆☆☆
 そうしていそいそとカイルの部屋から出てきたアンナは、苦しさと切なさとときめきで胸が一杯だった。そして1人きりになると心の中でしんと、こう思った。
(やっと私、自分の本心が見えた気がする。私は…、いつしかカイルのことが好きになっていたんだ。)
 そう思って、目の前にある窓から外を眺めたアンナは、空にぽっかりと満月が浮かんでいることに気付き、まるで月が光を放ちながら、自分を見守っているような気がすると思ったのだった。

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