ぼくはヒューマノイド

桃青

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 朝子さんと僕が、彼女の母の友達に会いに行くため仕事を休みたいと申し出ると、アキアキコンビ、つまり亜希さんと明さんは僕らを店から追い払うように、行ってこい行ってこいと声を揃えて言った。足早に店を出て、足並みを揃えて街を歩きはじめると、僕は朝子さんに言った。
「おじさんとおばさんは、君が真実を知ることに対してオープンというか、熱心なんだね」
「隠してどうするの。いずれは明るみに出ることだし、明るみに出さなくてはいけないことでもある。源くんだってそうよ」
「……。僕のルーツ」
「を、全て知る必要はないかも。でも興味を持たないのはどこか不自然だわ」
「僕は不自然」
「そんなことは言っていないよ。私はたぶん源くんなりの理由があるのだろうなって、想像しているんだけれど」
「……お母さんの友達が、この辺りに住んでいるの」
「そう。母の幼なじみだったんだって」
「幼なじみ。いい言葉の響き」
「妙な所に感動するのね。あ、あのマンション群のどれか一つよ」
「立派なお家だ」
「きっとお金持ちだわ」
 そう言って互いに見つめ合い、はやる心を落ち着かせながらマンションへ向かっていった。インターホンでのやりとりの後、部屋番号を探してドアの前に立つと、朝子さんは緊張気味でベルを鳴らした。するとすぐにドアが開き、快活な印象の女性が顔を覗かせて言った。
「あなたが朝子ちゃん?」
「はい」
「お隣の男性は誰?」
「私の友達です。一人だと心細いので、一緒に来てもらいました」
「そういうこと。それなら二人とも中に入って」
 僕たちは導かれるまま、すっきり整理された綺麗な印象のリビングに入っていくと、どうぞと勧められたソファーに並んで腰を下ろした。幼なじみだという女性は、コーヒーを運びつつ言った。
「私の名前は忘れていないわよね?」
「小倉覚子さん」
「そうそう。旧姓は並木だったんだけれど。私のことは気軽に覚子さんって呼んで」
「はい。そうさせていただきます」
「遠慮なんてしないでよ。あなたのお母さん、真知の分身に会えたような気がして、全然他人の気がしないんだから」
 それから覚子さんはコーヒーを啜る朝子さんと直立不動の僕を、興味深く眺めていたが、朝子さんが話し始めると、真剣な表情で耳を傾けた。
「私……、どこから何を聞いたらいいのか分かりません」
「お父さんのことが知りたいんでしょう。電話でそう言っていたじゃない」
「はい。でも母の話も……、聞きたいし」
「時間は存分にあるし、たっぷりと話してあげる。ね、お隣にいるあなたはなんて名前?」
「円。源円です」
「円くんね、朝子ちゃんの友達の」
 そう言って覚子さんは意味深な目で僕をじっと見つめるので、胸がぞくりとした。僕の本心に気付いているのだろうか。それから思いのまま話し出した。
「真知はねえ、十九の時に朝子ちゃんを生んでいるから。それは知っているわよね」
「今の私の両親から話は聞いています」
「父親に関することはどれくらい知っているの?」
「ほぼ知らないといっていいです」
「なかなかのハンサムさんで、真知より十才年上だったの」
「え、十才もですか」
「知的で真面目な硬派な感じの人でねえ。きちんとした会社に勤めている平凡な人よ。先に惚れたのは彼の方で、もう真知にぞっこんって感じだったの。彼の名前は知っている?」
「藤村忠さん」
「そうそう。子供ができて真知が深刻に悩み続けていたとき、ある日私に淡々と言ったの、
『彼と連絡が取れなくなった』って。その時とっても冷静だった真知の態度が、私は不思議だった。だって人の助けを一番必要としているときに、あの男は逃げたのよ。惚れておいてそれはないじゃない。誠意も責任も感じられない藤村と仮に結婚しても、結局は苦労したでしょうけれどね」
「母はとても苦労したと聞いています。一人で何もかも背負って、結局病気になって死んでしまって」
「真知と私は何でも話す仲だった。けれど、まだあなたがおなかの中にいたころ、突然音信不通になったの。もっと色々打ち明けて、私を頼りにしてほしかったわ。少しでも力になりたかったのに」
「私の両親……、母が実母と姉妹なのですが、親戚関係や家族とも音信不通の、空白の時期があったと言っていました」
「謎だわ。何をしていたのかしら」
「私もそこが知りたくて。何だかそこに真実が埋まっている気がするから」
「―そうね。朝子ちゃん一人では無理な部分もあるだろうから、私もちょっとあなたの実の父親のことを調べてみるわ。分かったことがあったら連絡するから」
「えっ、いいんですか?」
「いいんです。真知の力になれなかった分、今はあなたの力になりたいの」
「本当に、ありがとうございます」
 二人は微笑み合うと、それから後は心が打ちとけて、雑談はとめどなく続いたのだった。

 昼過ぎに覚子さんの家を出て、僕たちはそれぞれ物思いに耽りながら、アキアキ精肉店に向かって歩いていた。僕には存在しない父の記憶。それは当然のことだ。僕が誕生するために父の存在も力も、必要なかったのだから。でも朝子さんの実の父親は、きっとどこかに存在している。本当はいるはずなのに、そのことついて何も分からないというのは、どんな気持ちなのだろう。考えるだけで胸が切なくなりそうだ。
 彼女は今までどんな思いを抱きながら、生きてきたのだろうか。
「お父さんがいるって素晴らしいね」
「源くん、何よ急に」
「血の繋がりが素晴らしい」
「人間だったらみんな血の繋がりはあるわよ。もちろん源くんにだって」
「……」
「覚子さんが言うように、私の実の父は本当にろくでなしだったのかな」
「……?」
「不思議ね、なぜかそう思えないのよ。ルックスが素敵で、真面目で頼りがいのある、理想的な父親像を想像してしまうの。源くんはどう?」
「は?」
「自分の父についてどう思う?」
「うんと……、どうとも思わない」
「きっと物凄く頭のいい人だったと思うな。源くんのIQって、半端じゃなく高そうな感じだし」
「仮にそれが事実だとしても、特に僕に幸せをもたらすわけではない」
「まあ、そうでしょうね」
「朝子さん、僕も手伝うから」
「何を」
「君の父と母の真実を明らかにすることを」
「本当に? それは嬉しいけれど、なんでそんなことを急に言い出したの」
「朝子さんの切なさが僕に伝わった。似た境遇の者として、力を貸さずにはいられない」
「そう、……ありがとう。なら時々頼ってみることにする」
「そうして」
「源くん」
「はい」
「―何でもない。さ、ちょっと急ごう。きっと今頃お店でアキアキコンビが大わらわになっているわ」
「そんな状況にアキアキしている」
「心が冷えるようなダジャレを言っている場合? 行くわよ」
「そうしよう」
 僕と朝子さんは笑いながら、精肉店までの道のりを急いだ。

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