ABC

桃青

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60.scene

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 車に乗り込み、雄大君の運転で車が走り出し、車窓の景色が流れ始めると、私はぽつりと言った。
「雄大君」
「何ですか」
「サロン・インディゴのことだけれど」
「はい」
「閉めることになりそうです」
「水希さんが能力を無くしたから? 」
「そう」
「確かに水希さんの力がないと、俺だけじゃどうにもできない。それは事実っす」
「だから雄大君も、解雇しなきゃならない」
「そうですか。そう来ましたか」
「ごめんね。何年もサロンの支えになってくれたのに、私の一方的な事情で、こんなことになって」
「それは、どうしようもないことじゃないですか。俺は若いんで、新しい仕事はきっと、見つけられると思います。で、水希さんはどうするんでしょう? 」
「……。どうしようか」
「俺に聞かないでください」
「とりあえず、里帰りしようと思ってる。手にした新感覚に慣れるための時間が必要だし、考える時間も欲しい」
「それがいいですよ。今は急いで答えを出さない方がいいと思います。新しい感覚を掴んでから、未来のことを考えてください」
「雄大君の、やってみたい仕事とかある? 」
「うーん。今までスピの世界で生きてきちゃったから、逆に現実的な仕事に憧れがあるかも。頭じゃなくて、体を使うような」
「それはバランス的にとてもいいことだと思うわ。思考だけで世界を見ていると、地に足が着かなくて、病みやすくなったりすると思うし」
「水希さんがやってみたい仕事は、何ですか? 」
「コンセプトカフェのウエイトレス」
「あの、想像するのがとても難しいんですけれど」
「今まで、自分の世界観に溺れて生きてきたから、今度は他人の世界にどっぷりと、頭から指先まで浸かってみたかったの」
「それでコンセプトカフェ」
「雄大君、仕事が終わったら、こんな話をじっくりしない? 」
「じゃ、俺と居酒屋でも行きますか? で、とことん話すっていうのは」
「いいねえ」
 私と雄大君はそんな話をしつつ、帰路を急いだ。こんなドライブをしながらの会話も、もうなくなると思うと胸が熱くなる。雄大君の隣にいられることもなくなるのだと思うと、ズンと来る寂しさがあった。雄大君もそうなのだろうかと、ふと思う。彼の横顔を見ると、思わず眺め入ってしまった。こんな日が来るとはと、何度もその思いを反芻した。
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