事務長の業務日誌

川口大介

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第二章 事務長、劇的な悲恋に出くわす

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「くだらないと思うだろ? たかが耳が尖ってるぐらい、なんだってんだ。ニコロは教会の仕事を誰よりも真面目にこなすし、修行も進んでるし、優しいし、可愛いし、って、いやその」
「クラウ兄……ありがとう」
「待て、落ち着け。そもそもお前もだな、仮にも一人の男の子として、可愛いと言われて喜ぶのは、あまりいい事ではないと思うぞ」
「ううん、僕はなんでも嬉しいよ。クラウ兄が、僕のことを良く思ってくれるなら」
 幼馴染み二人が騒いでいるのを尻目に、ミレイアはニコロの髪をもちあげたまま、耳をじっと見続けて、それから言った。
「ねえニコロ。あなたは捨て子で、両親の顔も名前も、生誕地もわからないってこと?」
「あ、はい。そうですけど」
 ミレイアがニコロの髪を離すと、長くまっすぐな金色の髪は、また元に戻って、ニコロの耳を隠した。
 ミレイアは、ひとつ深呼吸をしてから、三人に言った。
「わたしも実物を見るのは初めてだけど、間違いないわ。ニコロ、あなたは【エルフ】よ」
 エルフ。昔から様々な伝承に登場する、人間のような、しかし人間ではない種族のことだ。人里離れた森の奥に住んでいることから、森の妖精などとも呼ばれる。
 が、古い文献などではそのように描かれているものの、近年はその姿を見たという話を全く聞かない。とっくに絶滅したのでは? あるいは最初から空想上の生き物だったのでは? と言う者もいる。それ以前にエルフなるものの存在、その種族の名すらも、全く知らないという者の方が、今の世界では過半数であろう。
 文献が伝えるところによると、エルフの姿は人間によく似ているらしい。外見の特徴としては、まず非常に美しいことと、耳が尖っていること、が挙げられる。
 他には、魔術とも法術とも全く違った系統である、火や風など自然の力を借りる【精霊術】を使うらしい。
「と、いうことなんだけど」
 どうやら三人とも、エルフというものを全く知らなかったようだ。リネットまでもが、結構真面目な顔になっている。
「事務長。その、精霊術ってやつだが」
 ニコロに関する思わぬ話が出てきたので、クラウディオが大きく身を乗り出してきた。
「ニコロの育った教会は、東方から伝来した教えを伝えるところでな。一般的な教会のような、天の偉大な神様がどうのって教えではないんだ。森羅万象に神が宿る、と考えている。火や水、道具に食べ物、建物から山や川まで。それら全てを神としている」
「それって」
「ああ。今、事務長が言った精霊術に似てるだろ。実際、ニコロは教会ではズバ抜けた才能を見せていてな。神様たちの声とか、よく聞こえるそうなんだ。そのことを、この耳のせいだと言って、不気味がったり妬んだりする奴もいたし、称える奴もいた」
「エルフとしての、精霊術の才能。間違いないわね。ねえニコロ、何か他に……」
 ミレイアがニコロを見ると、
「……ぼく……」
 ニコロは、ただでさえ透き通るような白い肌をしているのが、今は青白く成り果てていた。
「ぼくは……人間じゃなかった……の……? ヘンな耳の……人間以外の生き物……」
 自身、幼い頃から恐れていたこと。そのように酷く言われ、傷つけられてきたこと。
 だがクラウディオに庇われて、打ち消してきたこと。
 それが今、はっきりと肯定されてしまったのだ。「人間ではない」と。
「クラウ兄や……みんなとは、違う……この体……血の一滴まで、全部……」
 そのつぶらな瞳に涙が浮かび、たちまち溢れてきた。クラウディオと出会って以来のニコロは、嬉し涙ばかりを見せてきたが、今度の涙は明らかに違う。
 配慮が足りなかった! とミレイアは後悔し、クラウディオもかける言葉を見つけられず、狼狽えるばかり。
場が凍りついたところで、リネットが動いた。
「ねえ、坊や」
 リネットは、今度は優しくふんわりと、その胸にニコロを抱いた。その柔らかな胸に、ニコロの涙を吸わせた。
「まだ、詳しく自己紹介してなかったわね。実は、アタシも人間ではないのよ」
「えっ?」
「何ならその、なんとかいう術で、調べることはできる?」
 リネットが、そっとニコロを離す。ニコロは涙を拭うと、リネットに手を翳して唱えた。
「体の神様、心の神様。御力を与え給え……ええっ?!」
 すぐに、ニコロの顔が驚きに弾けた。
「ほ、本当だ。人間でもないし、動物でもない。生きてはいるけど作り物、まるで人形みたいな……あ、ご、ごめんなさいっ」
「いいのよ」
 リネットは微笑んで、またニコロを抱き寄せる。
「アタシは、アタシの出自をちっとも気にしてないわ。こうしてクラちゃんやお嬢ちゃん、そして坊やとお話しできるし、お風呂にも入れるし、ご飯だって食べられる。アタシはそれ以上、何も望んでないのよ。だから平気」
「……リネットさん……」
 抱かれ、見上げるニコロの表情が、落ち着いてきた。リネットは笑顔を返す。
「それにね。世の中には、そりゃあ貧富の差とか身分の差とか、いろいろあるわよ。辛いことも哀しいこともある。だけど、そんなのはどうでもいい。大切な人を想う心、それが何より、よ。あたしの母さんもそういう人だったわ。だから坊やも、元気だして」
「は、はいっ!」
今度は感動の涙を浮かべて、ニコロは頷いた。
 そんなニコロの頭を、リネットは慈母のように優しく撫でる。
「うんうん。強い愛さえあれば、他のことは何だって些細なものよ。年齢とか性別とか。ねぇ、お嬢ちゃん」
 文句ある? と言わんばかりの勝ち誇った顔を、ミレイアに向けるリネット。
 流石にこの流れで異議を唱えるわけにはいかず、ミレイアは何も言えない。クラウディオもクラウディオで、ほっと胸を撫で下ろした表情だ。多分これで、リネットに借りができたとか思っているのだろう。
 ニコロが落ち着いたところで、話は再開された。ミレイアが咳払いをして、
「こほん。わたしは将来の出世の為に、いくつかの大きな計画を練っているんだけど、その一つがエルフ絡みのものなの。エルフと人間との、正式な国交樹立と貿易よ。エルフは森に籠っているとはいえ、決して未開の種族、というわけではないらしいの」
 ミレイアは、広げた手の中指で眼鏡を押し上げて説明する。
「独自の文化や技術を持ち、人間には製造できないものをいろいろ創り出しているそうよ。けど、それは人間側も同じこと。だから、きちんと交流を持てば、きっと双方の発展に繋がる。その橋渡しをわたしの手で為し遂げられたら、世界史に残る大偉業! と夢見てるの」
「僕の本当の両親や、里の場所が判れば、その夢に近づけるわけですね」
 今はニコロも、冷静に話ができるようだ。ミレイアが頷いて、
「そう。だから、あなたの家族探しのお手伝いもできるかもしれないわね。といっても、目先の仕事をおろそかにはできないけど」
「それはもちろんですよ。それに僕自身、赤ちゃんの時に身に着けていたものとかから、両親の手がかりを探したりもしましたけどね。結局、何も見つけられませんでした。だから、どこに手がかりがあるかなんて、もう見当もつきません」
 座ったまま、クラウディオに身を寄せてニコロは言う。
「クラウ兄と一緒に、いろんな人に会って、いろんな場所に行って、いろんな人の話を聞いたりできるなら。それで充分です。だから、どうかよろしくお願いします、事務長さん」
「そ、そう。こちらこそ、よろしく」
 そう言われても、ニコロ(とリネット)を今後正式に雇用できるかどうかは、まだミレイアには保証できないのだが。今この場では、ちょっと言いにくい。
 ぴと、とクラウディオにくっついて幸せそうな顔をしているニコロと、そのことで明らかに赤面しているクラウディオと、そんな二人をヨダレ垂らしそうな顔で拝んでいるリネット。
 いろいろと思うところはあるが、考えてみれば情報や戦力など、たった一日で着々と色々と揃って、前進できてはいる。高性能人造人間やエルフの少年という、思いもかけぬ出会いもあった。単なる噂話の調査のはずが、いつの間にか随分と豪華な(?)事態になっている。
 この調子ならきっと何か、この仕事を通して、大きなものを得られるだろう。
 ミレイアはちょっと強引にそう考え、明日に希望を抱くことにするのであった。
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