事務長の業務日誌

川口大介

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第三章 事務長、事件と歴史の真相を知る

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 血の臭いは生臭いものだが、今ここに漂っている臭いは、それとは少し違う。苦いのか甘いのかよくわからない、何か人工の液体が血の中に混ぜられているような。そんな臭いだ。
 その中心に、肩で息をしている金髪の美少年と、返り血にまみれた銀髪の美女がいる。
 そしてそれを見ている、腰に剣を差した長身の男。
「驚いたな。いかにエルフ星人の血を引く者とはいえ、ここまでやるとは。チキュウ星人の編み出した精霊術もどきも、そうバカにしたものではないようだ。それに、魔術も。これほど動ける人造人間は、私の知る限り、エルフ星の記録にもなかったぞ」
 レーゼが、パチパチと拍手をする。その視線の先、異臭を放つ血だまりの中で、ニコロとリネットは互いに寄り添うように立っていた。
 全力全速で暴れ続けたリネットは、レーゼを睨みつけるのがやっとで、荒れ狂う呼吸の中、声を出せない様子。ニコロは少しましだが、それでも疲労困憊で身動きはできないようだ。
『ごめんね……ごめんね、みんな……』
 当初、ニコロはこの山で動物たちの異変を調査していた。その異変の原因・真相を、今、目の前にいる犯人、レーゼが堂々と説明してくれた。動物たちは、レーゼがここで始めた麻薬栽培の犠牲になっていたのだ。しかも、麻薬のせいで体を変容させられただけでなく、ここの警備兵として使われていた。
 そしてニコロは自ら、薬物中毒の魔獣と化した彼らを、切り刻むことになってしまった。可能であれば皆を元に戻し、あちらの山に帰してあげたかったが、それは叶わぬ夢と消えたのだ。
 悲しみに沈むニコロに、更に追い打ちがかけられる。
「おっと、来たか。なにしろ山は広いからな。全員到着するのには時間がかかるんだ」
「……っ!」
 今頃になって第二陣が到着した。一番最初にニコロが雷で倒したのと同等の、特大の獣が六、七匹ほど。そしてそれに連なる獣たちが、何十匹いるのか? もうわからない。広場を囲む木々の間に、どころではなくズラリとほぼ隙間なく、巨大な魔獣たちが広場を取り囲んでいる。
 ニコロも、リネットも、この数を相手にできる余力はもうない。逃げようもない。
 レーゼが、魔獣たちに一斉攻撃の合図を出そうとした時、
「ん?」
 魔獣たちの間から、何かが這い出してきた。レーゼの方へと、ほふく前進で向かっていく。
 レーゼの視線を追ってニコロも見ようとしたが、リネットが素早くニコロの頭を掴み、強引にレーゼの方へと向き直らせた。
「見ちゃダメ。さっきレーゼが説明してた、麻薬密売の手先、ヨルゴスよ。アタシも昨日会ったんだけど……ザックリと斬られてるわ。下半身が丸ごと、なくなってる」
「ど、どうしてそんなことに」
「多分、クラちゃんと戦ったんでしょうね。そしてやられて、逃げてきた」
 詳しい経緯は判らないが、おそらくそうだろう、とニコロも思った。クラウディオはここには来られないから、ここへ逃げ込まれると追いかけようがない。
 そう、クラウディオはここには来られない。そのことを再認識すると、ニコロの気持ちはまた沈み込んでしまう。
 そんなニコロの前方で、レーゼはぽつりと言った。
「あれでは、もう使えんな。しょうがない、また別の売人を探そう」
 と言って、指さして、口笛を吹く。すると、
「ぎゃああああぁぁぁぁ!」
 男の絶叫がした。ニコロの頭を押さえていたリネットの手が、何かに驚いたように緩んだので、ニコロは振り向いて声の源を確認した。
 そこには、二頭の巨大熊が一つの肉塊を奪い合い、喰いちぎり合う光景があった。
 うっ、とニコロは吐き気を堪える。その様子を見て、レーゼが笑う。
「ははっ。どうだ、私のペットたちは? 躾が行き届いているだろう? 私の命令ひとつで、普段の凶暴性を抑え、訓練された兵士のように、お前たちを整然と取り囲むこともできる。そしてまた私の命令一つで、元の凶暴な獣に戻るのだ」
「だとよ、事務長!」
「だったらもう、これは無駄みたいね!」
 まるで、颯爽と現れたヒーローが、羽織っていたマントを脱ぎ捨てるように。
 二つの人影が、身にかけていたものを高く放り投げて、獣たちの間から跳び出し、ニコロとリネットの方へと駆けてきた。
 長大な槍を構えた超巨漢の戦士と、眼鏡三つ編み事務員制服の少女。
「クラウ兄! それに事務長さんも!」
「待たせたなニコロ! 俺が来たからには、もう大丈夫だっ!」
 ニコロが、世界で一番慕い、信じ、頼りにし、愛する戦士。クラウディオが今、到着した。巨大な逞しい背中をニコロに向け、全てのものから庇う姿勢だ。
 その背中の陰には、ミレイアも滑り込む。
「ご苦労さま、リネット。大変だったみたいね」
「ま、ね。でもお嬢ちゃん、よく来られたわね」
 もちろん、この場にいる者たちの中で、突然の侵入者に一番驚いているのはレーゼだ。
「バカな! チキュウ星人のDNAを感知した場合、このフィールドへのゲートは開かないように設定されているはず! エルフ星の薬物を投与して血液を変質させない限り、ゲートの走査を誤魔化すことなど不可能だ! 魔術だの法術だのでは決して……」
 ドシャリ、と音がして、先ほど二人が投げ捨てたマントのようなものが地面に落ちた。
 水気たっぷりのそれは、どうやら獣の死骸から剥ぎ取ったばかりの、新鮮な毛皮。
「……! あ、あんなもので!」

 耳が長く、少しだけニコロに似ている。どうやら、あの男がここのボス、レーゼか。
 ミレイアは、胸を張って言い放った。
「あれを被ってれば、こっちで巨大動物たちに、臭いで仲間だと思わせられるかな? とも思ったんだけど。あなたの命令で動物たちが整然と動くなら、残念ながら使えないわね。でも、目的は果たせたわ!」
 ミレイアとクラウディオは、昨日殺した巨大犬の毛皮を剥ぎ取り、裏返して羽織ったのだ。ここに出入り自由な動物の、血や肉や臭いを纏っていれば、あるいは入口を潜れないかという賭けだったのだが、見事に当たった。やはり、まだレーゼの手による復元作業が不充分なせいで、侵入者判別機能が、本来の性能を発揮できていないのだろう。
 そしてミレイアとクラウディオの予想通り、ニコロとリネットは既にレーゼと交戦状態に入っていたが、どうやら間に合ったようだ。
 とは、いえ。
「……どうしよっか」
 ミレイアは、ついさっきまで、自身の大好きな英雄伝説の主人公、伝説の戦士、天才美少女魔術師、とかになりきった気分だった。苦悩の末にひねり出したアイデアが大当たりして、この山に来られた。そして仲間のピンチにカッコよく駆けつけることができた。
 しかしそこまではいいのだが、ここから生還しないことには、バッドエンドだ。
 で、今の状況。薬物によって巨大化凶暴化、とんでもなく強化された魔獣たち、おそらく百近い数に包囲されて、逃げ場はなし。
 なんとか一点突破して、今来た道を戻り、向こうの山に帰還しなくては。今逃げてしまったら、レーゼに入口の通過条件の変更などをされる恐れはある。そうしたら二度とここには来られないかもしれない。その心配はあるが、とにかく目の前の窮地を……などと考えるミレイアの頬に、風が流れた。
 クラウディオが、槍を振り回した風だ。
「さてと! ここは広くていいなぁ! 三人とも、俺から離れるなよ!」
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