子連れ侍とニッポニア・エル腐

川口大介

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第三章 刻み込まれた任務

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 ソレーヌの餓鬼魂は、手裏剣をあっけなく噛み砕いて見せた。マリカが刀を突きだしてそれを餓鬼魂で受けられれば、同じように噛み砕かれるだろう。つまり人間の腕や脚などは、餓鬼魂にとっては豆腐も同然、いいエサだ。
 だが。どれほど強力なものでも、それを操っているのはソレーヌ本人でしかない。
「ソレーヌ。さっきの言葉を返すけど、単純にドカーンの方が良かったかもね」
「どうして?」
「大きく広がる爆風なら、かわすのは困難よ。でも、どんな武器でも防具でも、あなたがその手で操るものである限り、」
 今度はマリカが、ソレーヌに向かって跳んだ。ソレーヌよりも数段速く。
「突破できないことはないっ!」
 マリカは忍者刀を口に咥えると、一瞬の一動作で四枚の手裏剣を投げた。そして既にマリカは、その手裏剣に追いつく速さで宙を跳んでいる。
 ソレーヌは餓鬼魂を持つ左手で、手裏剣を防ぎにかかる。手裏剣四枚の軌道は集中しておらず、四つの角度からソレーヌを包み込むように飛んでいるので、腕一本に持っている小さな盾一つでは、一動作で全てを防ぎきるのは不可能だ。
 ソレーヌから見て右側の一枚目と二枚目の手裏剣を、ソレーヌが左手の餓鬼魂で砕いた時、マリカはもう間合いに入っていた。そして左側の三枚目と四枚目を餓鬼魂で砕くと同時に、マリカはソレーヌの頭上から、忍者刀を振り下ろした。これにはもう餓鬼魂は間に合わない。だから、ソレーヌは右手の忍者刀で受けた。
 この瞬間、手裏剣を防いだ左手と、忍者刀を防いだ右手、ソレーヌの両手は塞がっている。いわば左右の手をそれぞれ、別方向から伸びている縄で縛りつけられているようなものだ。脚も、両手をこのようにしっかりと使わされていては、踏ん張りが必要なので、ほぼ動かせない。
 対して、マリカは忍者刀を片手で振り下ろしただけの状態。それでソレーヌの両手を、そして実質的に両脚も、縛り付けて抵抗を封じている。
 マリカは、忍者刀を持つ自身の腕を迂回するような軌道で、回し蹴りを繰り出した。狙いは、無防備なソレーヌの顔面だ。ソレーヌは首をよじってかわそうとするだろうが、眼球の一つぐらいは潰すことができるはず。
「……くっ!」
 マリカは、咄嗟に蹴りの軌道を変えた。ソレーヌの眼球を抉るはずだった爪先が、何にも触れずに空を切っていく。
 だがそれでもかわしきれず、飛んできたナイフはマリカの太ももに突き刺さる。丹念に鍛えられてぴっちりと張りつめ、針でつつけば破裂しそうにも見えるマリカの太ももだが、ナイフが刺さっても破裂はしなかった。その代わりに、紅い血が出ている。
「正々堂々の一騎打ちに、横合いから助太刀させるとは。卑怯千万ね」
「あたしたち、忍者よ?」
「解ってるわよ。言ってみただけ」
 ナイフを抜いて投げ捨て、視点はソレーヌの方に向けたまま、マリカはナイフが飛んできた方を視界の隅で見た。
 森の中に、人影が見える。
「アンセルムね」
「ええ。お察しの通り、あたしたちに比べたら腕前はお粗末なものよ」
 それはもう判っている。多少距離があったとはいえ、飛んできたナイフの威力は弱く、マリカが負った傷は浅い。
 そして、刃に毒なども塗られていなかった。ナイフがソレーヌに当たってしまうことを考えて、だろう。そんなことを危惧せねばならない程度の腕なのだ。マリカやソレーヌとは比較にならない。が、しかし。
 ソレーヌは、マリカに笑顔を見せた。
「あんたが100、あたしが98、アンセルムが5。勝つのはどっちかしら?」
「3差でそっちね」
「正解!」
 ソレーヌは右手に忍者刀、左手に餓鬼魂を構えてマリカに襲いかかった。事実上の二刀流であり、しかも左手の武器は刀より遥かに軽く、そして全てを貫通する矛であり、全てを防ぐ盾でもある。マリカの攻撃は通じず、マリカが受ければ致命傷となる。
 しかも、脆弱なものとはいえソレーヌとは全くの別方向から、アンセルムのナイフが飛んでくる。それも無視はできない。だが、それに応じながらではソレーヌの二刀流を防ぎきれない。
 マリカはソレーヌの攻撃を受けようとはせず、かわし、逃げ、走って、アンセルムの方へと向かっていった。
「させないっ!」
 ソレーヌは忍者刀を口に咥え、手裏剣を投げた。マリカのそれと比べて速度は劣るものの、やはり四枚がバラバラの軌道でマリカを襲う。
 これを、背を向けたままかわしきれるほどには、マリカとソレーヌの技量は離れていない。手裏剣の接近を察知したマリカは、振り向いて忍者刀を振るい、四枚の手裏剣を打ち払う。打ち払ったその時には、もうソレーヌは眼前にいた。そして忍者刀と餓鬼魂とで攻撃してくる。背後からはナイフが飛んでくる。
「ええええぇぇぇぇいっ!」
 マリカは高く跳び、木と木の間を反射するように素早く跳び回った。
「そんなことで!」
 ソレーヌはマリカを追って地を駆けながら、餓鬼魂を持つ左手を振り回した。どんな大木も、餓鬼魂がひと薙ぎすれば、芯ごと大きく齧られたリンゴとなる。つまり、折れて倒れる。
 瞬く間に、鬱蒼と茂っていた木々の数は半減し、足場を失ったマリカが降りてきた。降りながら、斜め下方に黒い玉を投げ、木を蹴ってその玉を追いかけた。
 玉は地面に当たると爆発し、膨大な量の煙を吹き出した。煙幕だ。
 マリカはその中に突っ込み、そして煙の中から手裏剣を投げてきた。ソレーヌはそれを見て、
「もらったああああぁぁ!」
 手裏剣を、高く跳躍してかわし、忍者刀を背の鞘に収めると、煙幕を見下ろす位置で両腕を大きく広げた。
『煙玉で、アンセルムとあたしの連携を乱そうってつもりでしょうけど! そんなことで対抗できると思わせた、あたしの勝ちよ! その煙はあたしたちと同時に、あんた自身の視界も塞ぐ! そして視界が塞がれた状態では、予想を大きく上回る攻撃には絶対に対処できない!』
 ソレーヌの両腕、胸、腹と、上半身全体が、陽炎に揺らめいた。そこには数人分、いや十数人分の、目も鼻もないが口だけはある、不気味な顔……餓鬼魂がズラリと並び、浮かんでいる。
「いけええええぇぇぇぇっ!」
 陽炎が、餓鬼魂が、投網のように大きく広がった。広がって、煙幕を上から、隙間なく包み込んでいく。ガチガチと歯を鳴らして、恐ろしげではあるが怨念も憎悪もない、ただ圧倒的で底なしの食欲だけを溢れさせながら。
 忍者を追って殺すのが任務であるマリカの身体能力は、ソレーヌ以上であり、走る速さも跳ぶ高さも超人的だ。が、一瞬で地に潜ることなどできない。厚い煙幕に塞がれて頭上が見えない状態で、頭上を完全に覆い尽くす攻撃から、逃れる術はないのだ。
 ソレーヌの読み通り、煙幕の中で血飛沫が上がった。大量の血の匂いに引かれ、全ての餓鬼魂が一斉に群がる。肉の齧られる音、骨の砕かれる音が、いくつもいくつも重なって響き渡る。
「……やった」
 煙幕の外に、ソレーヌは着地した。
「さよなら、マリカ。すぐにレティアナも後を追わせるわ。もしかしたら、もう死んでるかもしれなひゅ……っ?」
 ソレーヌの声が、不自然に掠れた。喉から空気が漏れるように。
 いや、実際に漏れている。血と一緒に。スパッと斬られた傷口から。
 背後に立つマリカが、ソレーヌを抱きすくめるように腕を回して、その手に持つ忍者刀で、ソレーヌの喉を掻き斬ったのだ。
「あ……ひ……ひゅ、ひぅ……」
 ソレーヌは両手で喉の傷口を抑えるが、それでどうにかなるものではない。指の間から、後からあとから、まるで山奥の湧水のように、血が溢れ出してくる。
 その目の前で、煙幕が風に吹かれて晴れていく。全身を滅茶苦茶に噛み砕かれた、アンセルムの惨殺死体が見えた。
 変わり身の術、だ。
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