レトロミライ

宗園やや

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前編

第8話

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『繰り返します。各隊は速やかに戦闘配置に付いてください。中型甲二体が、一時方向観測隊により発見されました』
「な、何?」
 邸内に響く声に脅える蜜月。どこで誰が喋っているのか分からないくらい大きな声なので、どう考えても人間が出してる音ではない。
 しかし植杉はのんきに大あくびをする。
「ああ、これは俺が作った館内放送だ。あんまり一般的な物じゃないから驚いただろうが、まぁ気にするな」
「気にしなくても良いんですか?」
「良い」
 そんなやりとりと見ていた大谷が「宜しいのですか?」と植杉に訊いた。蜜月を見る大谷の視線には何らかの思いが籠っている様だが、事情を知らない蜜月にはその真意を察する事が出来ない。
「ああ、良いの良いの。こいつはまだお勉強が足りないから出られないんだ」
「お勉強とは何ですか?」
 黒いメイドが調理場内に現れた。蜜月の旅行鞄を運び、女主人と一緒に居た、あのコクマだ。
 入口は大谷と植杉に塞がれていてるのに、いつ、どこから、どうやって入って来たのか。
 調理場内は、追う者が居なくなった一匹の鶏がノンキにコココと鳴きながら歩いている。この鶏が逃げない様に窓も全て閉められている。
「蜜月様がいらっしゃらないので、妹社隊が出撃出来ません。さぁ、早く戦闘準備を」
「あ、はい」
 まるで最初から居たかの様な黒いメイドを呆けた顔で眺めていた蜜月は、即頷いた。何かを言われたらすぐに肯定する様に教育されていたからだ。
「こらこら、気安く返事をするんじゃない。おいコクマ。装備一式が一晩で用意出来る訳ないだろ? 蜜月は出られない」
 コクマはキツイ目付きで植杉を睨んだ。
 それを受けた植杉は、負けずに年下の女性を睨み返す。
「あ? 何か文句でも有るのか?」
 コクマはツインテールを揺らして視線を下げる。
「……いえ、とんでもございません。ですが、お嬢様はどう思われるでしょうか」
 慇懃無礼にそう言ったコクマは、突然姿を消した。
「!?」
 蜜月と広田は、不自然に現れて突然消えた黒いメイドに驚き立ち竦んでいる。
「お嬢様、か」
 植杉は無意識的な動作で胸ポケットを探る。しかしそこにタバコの箱は入っていなかった。小さく舌打ちして頭を掻く。
「ま、あんた達は料理を続けな」
 驚きから立ち直った蜜月は、ハッと我に返る。
「さっきの館内放送とか言う人は、戦闘配置って言ってましたよね? わ、私はお国の為に戦う為にここに来たんです。料理を覚える為に来た訳ではありません」
 真剣な表情の蜜月の顔を見て口元を緩める植杉。
「何も分かってないくせに、いっちょ前に覚悟した気になってやがる」
「た、確かに何も分かっていませんが、覚悟は出来ています!」
「だったらさっさと鳥をシメろ。腹が減っては戦は出来ねぇ。朝食もまだなんだろ?」
 植杉はまな板の上で塩塗れになっているニジマスを見る。まだ生だ。
「ん? 随分数が多いが」
 大谷が植杉の疑問に応える。
「新人の広田と一緒に調理をして頂いています。何も心得が無い場合は、一人よりも二人以上の方が効果的なので」
「そうか。本職がそう言うのなら間違い無いだろう」
 頷いた植杉は、改めて蜜月の格好を見た。襷で腕捲りした袴姿。確かに勇ましい。
 だが。
「――腹ペコのド新人が、手ぶらで戦場に行って何をする気だ? 分からないなら黙って従え」
「むむ」
 植杉の言う事ももっともだ。魚を捌いた緊張で忘れていたが、まだ朝食を取っていない蜜月と広田はお腹が空いている。
 渋々納得した蜜月は、ご指導よろしくお願いしますと大谷に頭を下げた。
 そして再び鶏との追いかけっこが始まる。
 植杉は、その様子を何もせずに眺めている。
「やった! 捕まえましたよ!」
 数分の格闘の末、やっと蜜月が鶏を捕まえた。
 暴れる鶏を抱え上げて喜んでいると、調理場に静かな声が響いた。
「何をなさっているのですか?」
 調理場の入口に洋装の明日軌が立っていた。外国の海兵が着る青いセーラー服を身に纏っている。
 その姿を見た全員の動きが止まった。
 不機嫌オーラも身に纏っているお嬢様に頭を下げて道を譲る大谷。
 明日軌は、ヒダの付いた膝丈スカートを揺らして悠然と調理場に入る。
「私も最初から戦えるとは思っていません。武器防具が揃っていなくとも、後方で戦場の空気を感じて貰いたかったのです」
 蜜月の前に立ち、襷が解け掛けた白の筒袖に抱かれている鶏に視線を落とす明日軌。昨日は髪を編み上げて楚々としていたが、今日はポニーテールで歳相応の幼い感じになっている。
「植杉。貴方が蜜月さんの出撃を断わったそうですね? どの様な理由か、お聞かせくださいませ」
 赤いシャツを着た植杉も調理場に入って来る。
「お嬢様は、のじこが妹社の標準だと思っている。それが理由だ。のじこは、妹社の中でも特殊な奴なんだよ」
「ですから、後方で――」
「蜜月も妹社だが、今はまだ何の知識も無いただの小娘だ。下手に戦場を見て、トラウマになる程の恐怖心を感じて戦えなくなったら取り返しが付かない」
 女主人の言葉を遮って言う植杉。
「雛白部隊が出来る前のお嬢様と同じ状態だと思えば良い。あんたも、ちょっとした特殊能力を持った、ただの小娘だったろ?」
 ぴくりと明日軌の細い眉が動く。
「訓練された兵士でも心が壊れる戦場だ。ここに来た時から全力で戦えたのじこは、普通じゃない妹社でも特に異常な奴なんだ」
 蜜月が抱いていた鶏を注意深く取り上げた植杉は、鳥かごの中にそっと戻す。
「だが、腐っても妹社だ。明後日には出撃出来るだろう。本人もお国の為に戦うと言ってるしな。やる気は有る」
 言いながら蜜月の髪に付いていた羽毛を一枚摘み取る植杉。
「俺は準備期間が必要だと言っているんだ。普通の人間なら数ヶ月の訓練が必要だろ? それが数日で使えるんだから、贅沢は言わない方が良い」
「……分かりました」
 明日軌は深く息を吸い、昂った気持ちを落ち着ける様に肺の中の空気を全て吐き出す。
「確かに仰る通りです。明後日の根拠は?」
「今日は記録映像を見せて、神鬼のお勉強。隊長さんに頼みたかったが、出撃が入っちまったから俺がやる。明日は装備品の調整だ。時間が余ったら体力測定かな」
「では、その様にお願いします。蜜月さん、良い結果を期待しています」
 明日軌の言葉は丁寧だったが、思っていた行動が出来なかったせいか、綺麗な顔が微かに険しかった。
「ごきげんよう」
 ポニーテールを揺らし、ブーツの踵を鳴らして調理場から出て行く明日軌。
「これくらいでヘソを曲げるとは、まだまだお子様なお嬢ちゃんだな。ま、そう言う事で」
 半笑いになった植杉は、鳥かごを軽く小突く。
「あんたはこれから数え切れない量の神鬼を殺すんだ。鶏一羽くらい、平気で殺せる様になれ」
「あ、もしかして、これって神鬼を殺す為の訓練、って事ですか?」
「そんなところだ。――飯を食ったら俺の部屋に来い」
「はい」
 頷いた蜜月に頷きを返した植杉は、気だるそうに調理場を後にした。
「お国の為……ですか」
 緊迫した雰囲気の女主人に脅え、調理場の隅で畏まっていた広田がポツリと呟いた。
「私バカだから良く分かりませんけど!」
 広田は一歩前に出て拳を握った。なぜか鼻息が荒くなっている。
「ご主人様も、蜜月様も、私達国民の為に戦ってらっしゃるんですね。頑張ってください!」
「え? ええ。頑張ります」
 蜜月は苦笑いで応える。
 まだ戦っていないのだが。
 と言うか、何も知らずにここに居るのか。
 武器防具を作っている植杉から見たら蜜月もこんな感じだから、明日軌と険悪になってもまだまだ戦場には出したくない、って感じなんだろうな。
「私達メイドは、雛白部隊の皆様が全力で戦える様に、完璧な仕事をしなければなりません。広田も早く仕事を覚えなさい」
「はい!」
 大谷の言葉に、燃える瞳で力強く頷く広田。
 しかしその数分後、またもや広田が逃がした鶏を追う大騒ぎが始まった。
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