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中編
第51話
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龍の目で中途半端に情報を仕入れられるせいで慢心し、余計な事を考え過ぎていたのかも知れない。
この戦いは、猿から進化した人と、樹から進化した人との殺し合いだ。
そのどちらでもない龍の血を受け継いでいる明日軌は、心のどこかで猿と樹の和解を希望していた。最後の時が来なければ、明日軌も死なずに済むから。
だが、それはもう不可能だろう。
ふたつの種族の過去に何が有ったのかは、もうどうでも良い。殺し合いが二十年も続いている以上、行き付く所まで行かないとこの戦いは終わらない。
樹から進化した人達がこちら側に情報を一切出さないと言う事は、和平交渉の一切を拒否する意思表示と取って良い。神鬼だけが戦っているので、向こうは戦死者も出ていないだろう。これ以上何かをしなくても完全勝利は確定している。勝てる戦いを放棄するのは不自然だ。このまま最後まで行けると確信しているはず。
それでもエンジュが出て来たのは、蜜月の説得の為だ。蜜月が居なかったら、本当に何も行動を起こさなかっただろう。
そして、戦いの敗者を支配する気も無いだろう。猿から進化した人達は、敵に命を奪われ過ぎて恨みに凝り固まっている。樹の人達に支配される事になっても、素直に奴隷にはならないだろう。何の被害も受けていない人は一人も居ないので、事の大小に係わらず、必ず反乱を起こす。結局戦いは終わらない。
それならばいっその事、猿の人を全滅させた方が樹の人にとっては得だろう。分かり切っている不安要素を取り除くのは合理的な考えだ。
猿人の方が勝ったとしても、樹人を絶対に許さない。敵と仲良く手を取り合うには人口が減り過ぎている。
明日軌がこちゃごちゃ考えても、この星の未来は二択しかないのだ。
猿人が今まで通り生きるか。
樹人が地上の支配者の座を奪い取るか。
龍の目を持った人間はどちらも助けず、傍観者に徹するべきだったのかも知れない。もっとも、第三者として生きられるか、生きて来れたか、生きて行けるか、等と言う事を考えても今更だが。
「さて」
静かに目を開ける明日軌。
「鬼が出るか蛇が出るか。緊張しますね、蜜月さん?」
明日軌が居るのは、山肌に急遽掘った横穴だ。
出入り口を隠す目的で垂らしている布には土と草を編み込んでいるので、風が入らない。だから蒸し暑い。
しかし土壁は冷たいので、思ったより苦ではない。
空気穴兼海岸監視用の小さい穴から夕日が差し込んでいる。
横穴の中は茣蓙が敷いてあり、空気穴の前で座っている明日軌のセーラー服の一部が赤く染まっている。
「明日軌さん。こんな事をして大丈夫なんでしょうか?」
鏡の鎧を着ている蜜月は、腰に日本刀、手に歩兵銃、身体中に弾倉と言う完全武装で茣蓙に座っている。
「怖いです……敵への抵抗を止めるだなんて……」
脅えて縮こまっている萌子も蜜月と同じ格好で座っている。腰に差した刀は短めの脇差だ。
「私も恐ろしい。この作戦がどう言う結果を招くか分からないのですから」
明日軌は、言いながらのぞき穴に顔を近付けた。夕日で赤く染まった海岸線が良く見える。四つん這いの大型神鬼への砲撃は止まっているので、海に掛けられた橋は順調に育っている。明日の朝には蝦夷と本州は繋がり、砂の道が完成するだろう。
「エンジュ達に何を見たんですか? 明日軌さん」
恐る恐る訊く蜜月に真顔を向ける明日軌。
大型が海に飛び込んでいる水音がここまで聞こえる。
「何も見えませんでした」
コクマは外で警戒している。いつもの黒いメイド服ではなく、森林用の迷彩柄の忍者装束を着ているところが明日軌の本気度を表している。それが蜜月には怖かった。
「じゃ、どうしてこんな事を……?」
「彼等が歩く道が明るかったからです。それは彼等にはこれからが有ると言う事。私達には――」
明日軌はじっと蜜月を見る。外国の犬みたいな髪型の少女は緑色の左目に怯える様に顎を引く。
「私には過去しか無い。未来を作るには、自分から動くしか無いのです」
怖くても、前に進むしか無いのだ。黙っていたら死の結末は変わらないのだから。
「この戦いの結果が未来へ繋がるかどうかは分かりません。意味が有るのかも不明です。しかし、敵の出方を待っているだけでは事態は悪くなる一方です」
萌子を見る。オカッパ少女が持っている歩兵銃の銃口が微かに震えていた。戦いの予感に脅えている。
「これからは適度な攻めも必要だと思うのです。今回はその確認の戦いです」
今までは龍の目に映る幻に頼り過ぎていた。過去しか見えないのに、明日軌はそれが世界の真理の様に思っていた。大切なのは龍の目に映らない部分の未来なのに。
「将来産まれるであろう私達の子供の手が血で穢れない様に、早く戦いを終わらせなければならないのです。二十年も戦いが続いている現状の方が異常なのです」
言って、再び穴の外に目をやる明日軌。
「恐らく、橋を渡って来るのは蝦夷の妹社三人だけです。理由は勿論、知恵の無い神鬼は、人型の物なら何でも襲うからです」
様々な理由から名失いの街の周囲を田んぼで囲んでいるが、そこに案山子の類いは無い。小型神鬼に壊されるからだ。
「もしも妹社と一緒に来る神鬼が居るとすれば、それは知恵の有る丙です」
だから明日軌はここに隠れ、海岸を監視する。丙が見えれば、コクマが退治する。
「電池のスペアが無いので、私からの通信は貴女達とコクマ、黒沢隊の通信士しか受けられません。――蜜月さん、萌子さん」
二人の妹社の顔を見たが、薄暗くて良く見えない。
「最悪三対二の不利な戦いですが、何が有っても二人は妹社との戦いに集中してください」
「了解」
「……はい」
戦いが始まってからの二十年間で人前に現れた丙の数は片手で数えられるくらいしかない。ここに現れない可能性の方が高く、出て来ても精々一,二体だろう。
万が一通常の神鬼が現れても、その程度なら海岸を囲む自警団が倒してくれる。
怖いのは寝返った妹社だけだ。
「もしもエンジュ達が出て来たらどうしましょう?」
「彼女は出て来ません。まだその時ではないと彼女は言いましたし、私もそう思います」
むしろ出て来てくれた方が都合が良い、と明日軌は心の中で呟いた。
エンジュ達は蜜月を殺さない。と言う事は、妹社同士の戦いで蜜月が危機に陥ったら、彼女は姫を必ず守る。だから、これから起こる戦いでは蜜月は絶対に死なない。
萌子はどうなるか分からないが。
「明日の戦いはとにかく無心になってください。相手が何者であろうと。私達が生き残る為に」
覗き穴から差し込んで来ていた赤い光が消えて行く。時間が夜に移り変わる。
「さて。二人共、そろそろ睡眠を取ってください。早くて眠れないかも知れませんが、頑張って寝てください」
「明日軌さんは?」
「私は徹夜です。丙はいつどこに現れるか分かりませんからね」
青いセーラー服の襟を直した明日軌は、壁に寄り掛かった楽な姿勢で外を眺めた。
蜜月と萌子は顔を見合わせた後、腰から日本刀を外してからその場で横になった。
この戦いは、猿から進化した人と、樹から進化した人との殺し合いだ。
そのどちらでもない龍の血を受け継いでいる明日軌は、心のどこかで猿と樹の和解を希望していた。最後の時が来なければ、明日軌も死なずに済むから。
だが、それはもう不可能だろう。
ふたつの種族の過去に何が有ったのかは、もうどうでも良い。殺し合いが二十年も続いている以上、行き付く所まで行かないとこの戦いは終わらない。
樹から進化した人達がこちら側に情報を一切出さないと言う事は、和平交渉の一切を拒否する意思表示と取って良い。神鬼だけが戦っているので、向こうは戦死者も出ていないだろう。これ以上何かをしなくても完全勝利は確定している。勝てる戦いを放棄するのは不自然だ。このまま最後まで行けると確信しているはず。
それでもエンジュが出て来たのは、蜜月の説得の為だ。蜜月が居なかったら、本当に何も行動を起こさなかっただろう。
そして、戦いの敗者を支配する気も無いだろう。猿から進化した人達は、敵に命を奪われ過ぎて恨みに凝り固まっている。樹の人達に支配される事になっても、素直に奴隷にはならないだろう。何の被害も受けていない人は一人も居ないので、事の大小に係わらず、必ず反乱を起こす。結局戦いは終わらない。
それならばいっその事、猿の人を全滅させた方が樹の人にとっては得だろう。分かり切っている不安要素を取り除くのは合理的な考えだ。
猿人の方が勝ったとしても、樹人を絶対に許さない。敵と仲良く手を取り合うには人口が減り過ぎている。
明日軌がこちゃごちゃ考えても、この星の未来は二択しかないのだ。
猿人が今まで通り生きるか。
樹人が地上の支配者の座を奪い取るか。
龍の目を持った人間はどちらも助けず、傍観者に徹するべきだったのかも知れない。もっとも、第三者として生きられるか、生きて来れたか、生きて行けるか、等と言う事を考えても今更だが。
「さて」
静かに目を開ける明日軌。
「鬼が出るか蛇が出るか。緊張しますね、蜜月さん?」
明日軌が居るのは、山肌に急遽掘った横穴だ。
出入り口を隠す目的で垂らしている布には土と草を編み込んでいるので、風が入らない。だから蒸し暑い。
しかし土壁は冷たいので、思ったより苦ではない。
空気穴兼海岸監視用の小さい穴から夕日が差し込んでいる。
横穴の中は茣蓙が敷いてあり、空気穴の前で座っている明日軌のセーラー服の一部が赤く染まっている。
「明日軌さん。こんな事をして大丈夫なんでしょうか?」
鏡の鎧を着ている蜜月は、腰に日本刀、手に歩兵銃、身体中に弾倉と言う完全武装で茣蓙に座っている。
「怖いです……敵への抵抗を止めるだなんて……」
脅えて縮こまっている萌子も蜜月と同じ格好で座っている。腰に差した刀は短めの脇差だ。
「私も恐ろしい。この作戦がどう言う結果を招くか分からないのですから」
明日軌は、言いながらのぞき穴に顔を近付けた。夕日で赤く染まった海岸線が良く見える。四つん這いの大型神鬼への砲撃は止まっているので、海に掛けられた橋は順調に育っている。明日の朝には蝦夷と本州は繋がり、砂の道が完成するだろう。
「エンジュ達に何を見たんですか? 明日軌さん」
恐る恐る訊く蜜月に真顔を向ける明日軌。
大型が海に飛び込んでいる水音がここまで聞こえる。
「何も見えませんでした」
コクマは外で警戒している。いつもの黒いメイド服ではなく、森林用の迷彩柄の忍者装束を着ているところが明日軌の本気度を表している。それが蜜月には怖かった。
「じゃ、どうしてこんな事を……?」
「彼等が歩く道が明るかったからです。それは彼等にはこれからが有ると言う事。私達には――」
明日軌はじっと蜜月を見る。外国の犬みたいな髪型の少女は緑色の左目に怯える様に顎を引く。
「私には過去しか無い。未来を作るには、自分から動くしか無いのです」
怖くても、前に進むしか無いのだ。黙っていたら死の結末は変わらないのだから。
「この戦いの結果が未来へ繋がるかどうかは分かりません。意味が有るのかも不明です。しかし、敵の出方を待っているだけでは事態は悪くなる一方です」
萌子を見る。オカッパ少女が持っている歩兵銃の銃口が微かに震えていた。戦いの予感に脅えている。
「これからは適度な攻めも必要だと思うのです。今回はその確認の戦いです」
今までは龍の目に映る幻に頼り過ぎていた。過去しか見えないのに、明日軌はそれが世界の真理の様に思っていた。大切なのは龍の目に映らない部分の未来なのに。
「将来産まれるであろう私達の子供の手が血で穢れない様に、早く戦いを終わらせなければならないのです。二十年も戦いが続いている現状の方が異常なのです」
言って、再び穴の外に目をやる明日軌。
「恐らく、橋を渡って来るのは蝦夷の妹社三人だけです。理由は勿論、知恵の無い神鬼は、人型の物なら何でも襲うからです」
様々な理由から名失いの街の周囲を田んぼで囲んでいるが、そこに案山子の類いは無い。小型神鬼に壊されるからだ。
「もしも妹社と一緒に来る神鬼が居るとすれば、それは知恵の有る丙です」
だから明日軌はここに隠れ、海岸を監視する。丙が見えれば、コクマが退治する。
「電池のスペアが無いので、私からの通信は貴女達とコクマ、黒沢隊の通信士しか受けられません。――蜜月さん、萌子さん」
二人の妹社の顔を見たが、薄暗くて良く見えない。
「最悪三対二の不利な戦いですが、何が有っても二人は妹社との戦いに集中してください」
「了解」
「……はい」
戦いが始まってからの二十年間で人前に現れた丙の数は片手で数えられるくらいしかない。ここに現れない可能性の方が高く、出て来ても精々一,二体だろう。
万が一通常の神鬼が現れても、その程度なら海岸を囲む自警団が倒してくれる。
怖いのは寝返った妹社だけだ。
「もしもエンジュ達が出て来たらどうしましょう?」
「彼女は出て来ません。まだその時ではないと彼女は言いましたし、私もそう思います」
むしろ出て来てくれた方が都合が良い、と明日軌は心の中で呟いた。
エンジュ達は蜜月を殺さない。と言う事は、妹社同士の戦いで蜜月が危機に陥ったら、彼女は姫を必ず守る。だから、これから起こる戦いでは蜜月は絶対に死なない。
萌子はどうなるか分からないが。
「明日の戦いはとにかく無心になってください。相手が何者であろうと。私達が生き残る為に」
覗き穴から差し込んで来ていた赤い光が消えて行く。時間が夜に移り変わる。
「さて。二人共、そろそろ睡眠を取ってください。早くて眠れないかも知れませんが、頑張って寝てください」
「明日軌さんは?」
「私は徹夜です。丙はいつどこに現れるか分かりませんからね」
青いセーラー服の襟を直した明日軌は、壁に寄り掛かった楽な姿勢で外を眺めた。
蜜月と萌子は顔を見合わせた後、腰から日本刀を外してからその場で横になった。
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