70 / 86
後編
第70話
しおりを挟む
蛤石監視所のあちこちで木の床を歩く足音が鳴り響く。空が白み始め、見張りの交代の時間になったのだ。寝惚けた奴が出ない様に、敢えて大きな音を立てている。
しかし越後の名失いの街の蛤石からは、神鬼が全く沸かなくなってしまった。夏に緑色の髪の少女が現れ、半分に割ってしまったせいだ。
季節はもうすぐ冬。日が昇る前なら吐く息が白くなって来た。
このまま今年の仕事が終わるかと思っていたのだが、滅多に来ない雛白のお嬢様が毎日来る様になった。何をしに来たのかと言うと、ボーッと蛤石を眺め続けるだけだった。蛤石は双眼鏡で見なければどこに有るかも分からないくらい遠くに有るのだが、お嬢様は目が悪いにも拘わらず、肉眼で広場を見ていた。
何日か通った後、最後に面倒臭い指示をして帰って行った。
蛤石監視所の責任者である佐久間広一は、大あくびの後に丸メガネを指で押し上げ、監視小屋の窓から外を見る。雲の少ない朝焼けが綺麗だ。台所は木の壁の中に有るので、木の壁のあちこちから白い湯気が上がっている。漂う味噌汁の匂い。
今までは朝食と夕飯を交代の区切りにしていたのだが、お嬢様に夜明けと日の入りに変えさせられた。それも指示のひとつだった。
文句を言うつもりは無いが、生活リズムが崩れたので少し体調が良くない。銃を持って待機している男達も、神鬼が沸かないせいも有るが、少しだらけている。
双眼鏡で蛤石を監視する役目の男二人の姿勢も悪い。その男達が、窓枠から肘を落としてガクンとバランスを崩した。
「じ、神鬼出現!神鬼出現!」
数ヶ月振りの大声で、監視員の声が裏返った。
屋上で朝食と交代を待っていた男達も、銃を構えるのがかなり遅れた。
そのせいで蛤石広場に小型神鬼が大量に溢れ、木の壁を目指して進んで来ている。
棍棒の様に太くて長い腕。
節くれ立った短い足。
子供の様にぽっこりとしたお腹。
頭はつるんとした球体で、目の位置に黒い穴が開いている。
久しぶりに見る敵。
ポツポツと銃声が聞こえ始め、間も無く豪雨の様な銃弾が小型神鬼に向かって降り注ぎ出す。
何百匹もの小型神鬼が砂に帰って行く様子を見ながら、お嬢様の言葉を思い出す佐久間。
通常、蛤石から小型が涌き出る時間は、短くて一分。長くても二,三分。
しかし万が一その時間が五分以上続いたら、それは最終決戦の始まりだと言った。
佐久間は腕時計を見て、双眼鏡を覗いている男に話し掛ける。
「長いな」
「ええ。まさか、お嬢様の言う通りになるんでしょうか」
「ううむ……」
蛤石監視所は頑丈に作られてはいるが、所詮は分厚いだけの木の壁。小型神鬼でも時間を掛ければ破壊出来る。
しかし敵は素早く街を攻撃したいので、四体の中型神鬼乙を沸かせるとお嬢様は言っていた。乙が放つ熱線なら簡単に木の壁を燃やせるからだろう。
「……五分経った。本部に連絡する」
お嬢様の指示通り、雛白邸に無線を送る佐久間。
直後、双眼鏡の男が声を上げた。
「あ、あれ? 中型が沸きました! いつの間に?」
瞬きをした僅かな間に、亀が直立した様な化物が四体、広場に現れた。身長が十メートルは有る大物で、頭部に開いたみっつの黒い穴が両目と口の位置に有る。その穴の中で何かが燃える様に、目と口が赤くなって行く。
「総員、退避ー!」
佐久間がそう叫ぶと、伝言ゲームの様に退避と言う叫びが監視所に響き渡った。
銃声が止み、代わりに大勢の男達が走る音が蛤石監視所を支配する。
監視所には、黒鉄の甲羅を持った中型に対抗出来る攻撃力は無い。だからこの状況になったら即逃げろと、お嬢様は指示していた。
円滑に逃げられる様に避難訓練までしたので、東西南北に有る出入り口からスムーズに男達が吐き出される。避難訓練なんか気恥ずかしい、と愚痴っていた男達も、真面目な顔で整然と逃げている。
ズバババと言う派手な音と共に監視所が大きく揺れる。まだ薄暗い朝焼けの空に幾筋もの光線が輝いている。乙が熱線を発射し始めたのだ。
最後に南口を出た佐久間は、簡易通信用のヘッドフォンを装着した。
「被害報告を」
『北口、被害0』
『西口、軽傷者2。崩れた木片による掠り傷で、舐めれば治る程度です』
『東口、死者1、出ました。運悪く熱線の直撃を。遺体の回収は出来ませんでした』
『南口、被害0』
死んでしまった一人には悪いが、奇跡的な被害の無さだった。
監視所の内側からの熱線は今も絶え間無く発射され続けていて、木の壁が激しく燃え上がっている。即刻避難の指示が事前に無かったら、間違い無く監視所に詰めている人間の半分以上が焼死していただろう。
「お嬢様の予言通りに事が起こりましたね。龍の目とは……恐ろしい物です」
南口の被害報告をした男が、佐久間の横で呟いた。
監視所から立ち上る炎を見上げながら頷く佐久間。
「良し。では、各自指示された避難場所に移動。俺は雛白邸に行く。……全員、死ぬなよ!」
数百人の男達は大声で返事をし、監視所に背を向けてバラバラの方向に走り去った。
それと入れ替わりに戦車の群れが街の方から走って来て、燃える監視所を取り囲んだ。
しかし越後の名失いの街の蛤石からは、神鬼が全く沸かなくなってしまった。夏に緑色の髪の少女が現れ、半分に割ってしまったせいだ。
季節はもうすぐ冬。日が昇る前なら吐く息が白くなって来た。
このまま今年の仕事が終わるかと思っていたのだが、滅多に来ない雛白のお嬢様が毎日来る様になった。何をしに来たのかと言うと、ボーッと蛤石を眺め続けるだけだった。蛤石は双眼鏡で見なければどこに有るかも分からないくらい遠くに有るのだが、お嬢様は目が悪いにも拘わらず、肉眼で広場を見ていた。
何日か通った後、最後に面倒臭い指示をして帰って行った。
蛤石監視所の責任者である佐久間広一は、大あくびの後に丸メガネを指で押し上げ、監視小屋の窓から外を見る。雲の少ない朝焼けが綺麗だ。台所は木の壁の中に有るので、木の壁のあちこちから白い湯気が上がっている。漂う味噌汁の匂い。
今までは朝食と夕飯を交代の区切りにしていたのだが、お嬢様に夜明けと日の入りに変えさせられた。それも指示のひとつだった。
文句を言うつもりは無いが、生活リズムが崩れたので少し体調が良くない。銃を持って待機している男達も、神鬼が沸かないせいも有るが、少しだらけている。
双眼鏡で蛤石を監視する役目の男二人の姿勢も悪い。その男達が、窓枠から肘を落としてガクンとバランスを崩した。
「じ、神鬼出現!神鬼出現!」
数ヶ月振りの大声で、監視員の声が裏返った。
屋上で朝食と交代を待っていた男達も、銃を構えるのがかなり遅れた。
そのせいで蛤石広場に小型神鬼が大量に溢れ、木の壁を目指して進んで来ている。
棍棒の様に太くて長い腕。
節くれ立った短い足。
子供の様にぽっこりとしたお腹。
頭はつるんとした球体で、目の位置に黒い穴が開いている。
久しぶりに見る敵。
ポツポツと銃声が聞こえ始め、間も無く豪雨の様な銃弾が小型神鬼に向かって降り注ぎ出す。
何百匹もの小型神鬼が砂に帰って行く様子を見ながら、お嬢様の言葉を思い出す佐久間。
通常、蛤石から小型が涌き出る時間は、短くて一分。長くても二,三分。
しかし万が一その時間が五分以上続いたら、それは最終決戦の始まりだと言った。
佐久間は腕時計を見て、双眼鏡を覗いている男に話し掛ける。
「長いな」
「ええ。まさか、お嬢様の言う通りになるんでしょうか」
「ううむ……」
蛤石監視所は頑丈に作られてはいるが、所詮は分厚いだけの木の壁。小型神鬼でも時間を掛ければ破壊出来る。
しかし敵は素早く街を攻撃したいので、四体の中型神鬼乙を沸かせるとお嬢様は言っていた。乙が放つ熱線なら簡単に木の壁を燃やせるからだろう。
「……五分経った。本部に連絡する」
お嬢様の指示通り、雛白邸に無線を送る佐久間。
直後、双眼鏡の男が声を上げた。
「あ、あれ? 中型が沸きました! いつの間に?」
瞬きをした僅かな間に、亀が直立した様な化物が四体、広場に現れた。身長が十メートルは有る大物で、頭部に開いたみっつの黒い穴が両目と口の位置に有る。その穴の中で何かが燃える様に、目と口が赤くなって行く。
「総員、退避ー!」
佐久間がそう叫ぶと、伝言ゲームの様に退避と言う叫びが監視所に響き渡った。
銃声が止み、代わりに大勢の男達が走る音が蛤石監視所を支配する。
監視所には、黒鉄の甲羅を持った中型に対抗出来る攻撃力は無い。だからこの状況になったら即逃げろと、お嬢様は指示していた。
円滑に逃げられる様に避難訓練までしたので、東西南北に有る出入り口からスムーズに男達が吐き出される。避難訓練なんか気恥ずかしい、と愚痴っていた男達も、真面目な顔で整然と逃げている。
ズバババと言う派手な音と共に監視所が大きく揺れる。まだ薄暗い朝焼けの空に幾筋もの光線が輝いている。乙が熱線を発射し始めたのだ。
最後に南口を出た佐久間は、簡易通信用のヘッドフォンを装着した。
「被害報告を」
『北口、被害0』
『西口、軽傷者2。崩れた木片による掠り傷で、舐めれば治る程度です』
『東口、死者1、出ました。運悪く熱線の直撃を。遺体の回収は出来ませんでした』
『南口、被害0』
死んでしまった一人には悪いが、奇跡的な被害の無さだった。
監視所の内側からの熱線は今も絶え間無く発射され続けていて、木の壁が激しく燃え上がっている。即刻避難の指示が事前に無かったら、間違い無く監視所に詰めている人間の半分以上が焼死していただろう。
「お嬢様の予言通りに事が起こりましたね。龍の目とは……恐ろしい物です」
南口の被害報告をした男が、佐久間の横で呟いた。
監視所から立ち上る炎を見上げながら頷く佐久間。
「良し。では、各自指示された避難場所に移動。俺は雛白邸に行く。……全員、死ぬなよ!」
数百人の男達は大声で返事をし、監視所に背を向けてバラバラの方向に走り去った。
それと入れ替わりに戦車の群れが街の方から走って来て、燃える監視所を取り囲んだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
悪役令嬢、休職致します
碧井 汐桜香
ファンタジー
そのキツい目つきと高飛車な言動から悪役令嬢として中傷されるサーシャ・ツンドール公爵令嬢。王太子殿下の婚約者候補として、他の婚約者候補の妨害をするように父に言われて、実行しているのも一因だろう。
しかし、ある日突然身体が動かなくなり、母のいる領地で療養することに。
作中、主人公が精神を病む描写があります。ご注意ください。
作品内に登場する医療行為や病気、治療などは創作です。作者は医療従事者ではありません。実際の症状や治療に関する判断は、必ず医師など専門家にご相談ください。
転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す
RINFAM
ファンタジー
なんの罰ゲームだ、これ!!!!
あああああ!!!
本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!
そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!
一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!
かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。
年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。
4コマ漫画版もあります。
女子切腹同好会
しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。
はたして、彼女の行き着く先は・・・。
この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。
また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。
マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。
世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。
異世界帰りの少年は現実世界で冒険者になる
家高菜
ファンタジー
ある日突然、異世界に勇者として召喚された平凡な中学生の小鳥遊優人。
召喚者は優人を含めた5人の勇者に魔王討伐を依頼してきて、優人たちは魔王討伐を引き受ける。
多くの人々の助けを借り4年の月日を経て魔王討伐を成し遂げた優人たちは、なんとか元の世界に帰還を果たした。
しかし優人が帰還した世界には元々は無かったはずのダンジョンと、ダンジョンを探索するのを生業とする冒険者という職業が存在していた。
何故かダンジョンを探索する冒険者を育成する『冒険者育成学園』に入学することになった優人は、新たな仲間と共に冒険に身を投じるのであった。
意味がわかると怖い話
邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き
基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。
※完結としますが、追加次第随時更新※
YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*)
お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕
https://youtube.com/@yuachanRio
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる