「微小生命体転生」シリーズ

ハネクリ0831

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転生マダニ、草葉からの冒険譚

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気がつくと、俺は緑の上にいた。

「……どこだここ?」

視界が変だ。すべてが巨大で、空ははるか遠く、まるで天井のない体育館の中にいるような感覚。周囲に生える草は、まるで高層ビル。緑の一枚一枚がツルツルで、露が光っていた。

何よりおかしいのは――自分の体だった。

「手が……足が……8本?」

いや、これ、どう見てもマダニじゃねぇか!!

混乱と絶望に包まれながらも、時間が経つにつれて、少しずつ現実を受け入れざるを得なかった。俺は確か、仕事帰りに自転車で転んで気を失った……そのはずだ。だが目覚めたらこの有様だ。そう、俺は転生してマダニになったのだ。

そして今、俺は草の葉の先端にいる。

風に揺られながら本能のような何かがささやく。「そこに宿主が来る」と。

ザッザッ――

振動が伝わってくる。地面がかすかに震えている。やがて遠くに、影が現れた。

──女だ。ランニングウェアに包まれたすらりとした脚。揺れるポニーテール。リズミカルな足音が、草の海に心地よい震えを運ぶ。

「こ、これは……チャンスなのか……?」

逃げる? いや、逆だ。俺はなぜマダニになった?
わからない。でも、今やるべきことはひとつ――この巨大な女体を探索することだ!

彼女の足が、草に触れるその瞬間、俺は跳んだ。

風を切り、俺の小さな体は宙を舞う。目指すは、彼女のふくらはぎの辺り。汗が光る肌が、まるで惑星のように迫ってきた。

「よし、着地成功……って、うわっ、動くな動くな!」

彼女は走っている。その一歩一歩が、俺には地震。それでも必死に、肌のシワに爪を引っかけ、滑り落ちないようにしがみついた。

汗の香り、弾ける熱。肌表面は細かな起伏と微毛に覆われており、俺はその“森林”をかいくぐって進む。血を吸うなんて野蛮なことはしない。俺の目的は、この人間という巨人の体を探索することだ。

「まずは、膝上を目指すか……。ふぅ、こんなアスレチック、前世じゃ考えられなかったな……」

そう、これは冒険だ。人間の常識を超えた、極小の冒険。

汗が流れる小川のように流れ、風がビルの間を吹き抜けるように吹き荒れる。彼女の一歩が、俺にとっては一国の移動レベルだ。

──だが、俺は進む。マダニの姿で、誰にも気づかれず、この未知のジャングルを旅するために。

「……見えてきた」

ふくらはぎから太ももへ、汗ばむ肌を踏みしめながら進む。風が巻き上がるたびに、ランニングショーツの裾がふわりと揺れる。そのわずかな隙間が、俺にとって唯一の“入口”だった。

(この先に……何がある?)

恐れと興奮が交錯する。だが、止まるわけにはいかない。好奇心が理性を上回る。人間としての俺なら絶対にできなかった体験が、今、目の前にある。

ショーツの布地は、下から見ると黒い壁のように垂れ下がり、縫い目が鎖のように張っている。風が吹けばめくれ、すぐに戻る。タイミングを計るしかない。

(今だ──!)

風が吹き上がる瞬間、俺は足を踏み込んだ。跳躍。黒い布のカーテンをすり抜け、ぬくもりと暗がりの世界へ。

「うわ……」

そこは、想像以上の熱と湿度に包まれた空間だった。汗が薄い膜となって肌を覆い、下着の布が微かに触れる。彼女の体温が、まるで壁を伝って伝わってくる。

ここが……衣服の中。

人間にとってはただの「ショーツの内側」だが、俺にとってはまるで地底世界のような異世界だった。布が作る谷間や、肌の曲線。ふとももの内側に走る小さな毛穴の列。それら一つひとつが、俺にとっては地形図のように複雑で、リアルだった。

(湿度がすごい……このままじゃ、滑る……)

汗が垂れ、まるで滝のように流れてくる。体をふるわせ、バランスをとる。下着の布がほんのわずかに揺れるたび、地形が歪んで感じられた。

そのとき、彼女の脚が止まった。

「……?」

走る振動が止み、代わりにゆっくりと動き出す気配がある。息が荒く、体温が上がっている。

(座ったか? いや……ストレッチか?)

不意に、右足が浮かび、もう片方の足と交差するように動いた。その瞬間、布地がさらに密着してきて、俺の周囲が闇に包まれる。

(まずい、このままじゃ押しつぶされる!)

身を細め、肌と布の間にうまく潜り込む。体が小さいことだけが、今は救いだった。

外では鳥の鳴き声が聞こえる。朝のランニングは終わりに近づいているようだった。

「さて……次は、どこに向かうか」

ここはまさに、巨大な生命体の“内部”。もはや人間だった頃の倫理も、常識も通じない。俺はただ、観察者として、探索者として、この世界を歩むしかないのだ。

ぬくもりに包まれた暗がりの中、俺はふとももの内側を這うようにして、より奥へと進んでいた。

布の裏地と肌の隙間はわずか数ミリ。汗が滲み、まるで湿地帯のようにじっとりとした空気が充満している。音はこもり、外の世界とはまったく異なる――まさに、閉ざされた聖域だった。

(空調の効かないジャングルだな……ここは)

歩を進めるごとに、肌の温度が上がっていく。ふとももの付け根に近づくにつれ、微細な産毛が増え、地面――いや、肌の地形も、滑らかだったり隆起していたりと、より複雑になっていった。

「……!」

急に、滑った。汗の粒に足を取られ、体がくるりと回転し、横に転がる。

(……ヤバっ!)

その瞬間、俺の目の前に現れたのは――謎の構造物だった。

暗がりにうっすらと浮かぶそれは、布地と肌が交差する場所。そう、下着のクロッチ部。密着し、濃い湿気をたたえた空間で、他と違う素材の生地が縫い込まれていた。

(これは……何だ……?)

表面には微細な繊維が網のように交差し、ところどころに白く乾いた結晶のようなものが付着している。人間サイズなら何でもないが、今の俺には見過ごせないディテールだった。

しかもその中央あたりには――微かに呼吸するような動きがある。

「……生きてる?」

いや違う。それは彼女の呼吸や体の動きによるもので、体温とリズムが全体に波のような動きを生んでいるのだ。下着の奥、女性器に接する領域――そこに俺は今、近づいている。

だが、俺の興味は“性的な目線”よりも――むしろ“構造としての興味”に変わりつつあった。

(人間って、こんなふうにできてるのか……)

以前はネットの知識や教科書の図でしか知らなかった領域が、今は目の前に立体で広がっている。生物としての神秘。その精緻さ、複雑さ、そして“生きている”という存在感に、俺は圧倒されていた。

「このままさらに奥に行けば……」

何かが変わるかもしれない。人間に戻るヒントがあるのかもしれない。

だがそのとき、突然――

「……ん?」

彼女の手が、そっと太ももに触れた。

(まずい……!)

わずかだが、布が引き寄せられ、俺のいる空間が一瞬にして潰れそうになる。彼女は、何かを感じたのか?それともただの癖なのか?

俺はとっさに、布と肌の間の小さな隙間に潜り込み、じっと動きを止めた。

しばらくして、指は離れ、再び静寂が戻る。

(……危なかった)

この世界は、巨大な生命の一部でありながら、すべてがダイナミックに動く。それは、冒険者にとって最大の敵であり、同時に最大の魅力でもある。

「よし……次は、さらに奥へ……」

それは、唐突だった。

(あれ……暗い)

先ほどまで彼女の体を包んでいたショーツの布地が急に遠ざかり、代わりに柔らかなタオル地の布が彼女の肌を一瞬かすめる。そして、その次に感じたのは――重力の逆転だった。

「お、おい! 何が起きて──」

ドサッと落ちた先は、やや弾力のある地面。太ももから滑り落ちた俺は、彼女のふくらはぎ近くに着地していた。そして、次の瞬間。

ジャアアアアアアアアアア……ッ!!

轟音。耳が痛くなるほどの水音が、空気を切り裂いた。

シャワーだ――!
彼女が、浴室に入ったのだ!!

(まずいっ……!)

視界の先で、巨大な水の柱が落ちてくるのが見える。天井から大量の水が降り注ぎ、床を叩き、白い水煙が立ちのぼる。その一滴が俺にとっては彗星の衝突並みの衝撃だ。

「こっち来るなこっち来るなこっち来るな──っ!」

逃げ場を探す間もなく、シャワーのしぶきが直撃した。体が数センチ(人間換算)吹き飛び、肌の上を流される。

(流される!?)

肌は濡れ、表面の抵抗が消え、まるで滑り台のようになっていた。水の流れが俺を支配する。必死に爪を立てるが、柔らかい皮膚には食い込まず、ズルズルと引きずられる。

「ダメだ! このままじゃ排水口に──!」

目前には、シャワー室の床と壁の境目。その先には、排水口という奈落が口を開けていた。

だが、そのとき。

「──あ」

彼女が動いた。水を受けるために体を傾けたのだろう。傾斜が変わり、俺の滑る方向がわずかに逸れる。

チャンス!

「ぐっ……うおおおおっ!!」

水流の中、俺はなんとか小さな産毛にしがみつき、踏ん張る。ほんの1ミリに満たない毛一本が、俺の命綱だった。

しばらくして、シャワーの音が止んだ。蒸気が立ち込め、室内はしっとりとした熱に包まれている。

「……はぁ、助かった……」

だが、油断はできない。彼女は次に、ボディソープを手に取った。

ブクブク……泡が立つ音が聞こえる。まるで白い津波のように泡が押し寄せ、肌に塗り広げられていく。

(や、やばい、今度は洗浄攻撃か……!)

その泡は、強力な界面活性剤という名の“毒沼”だ。俺の極小の体にとって、一滴で壊滅的なダメージを受ける。

「くっ……! ここは、一旦退くしか──」

彼女が腕を滑らせてくる。このままでは直撃する。

俺は一か八か、泡のかかっていないエリアに転がり出て、脇腹の下のしわの陰に身を潜めた。

しばらくして、シャワーの二度目の水流が泡を洗い流し、浴室は静けさを取り戻した。

「……これが、“洗礼”ってやつかよ」

髪から雫が滴り落ちる中、俺は湯気に包まれた彼女の体の上で、しばし放心していた。

だがその心には、不思議な感情があった。

(俺、あの時……確かに、生きてるって感じたな)

マダニとして、未知の世界を旅する。危険も多いが、それ以上に、かつてないスリルと探究心が、今の俺を支えていた。

しかし彼にはある感情があった。それは空腹だった。

マダニに転生して、どれだけの時間が経ったのか。シャワーの試練を乗り越え、なんとか生き延びたものの、体は限界に近づいていた。

(……やばい。動けない)

ミクロの体は、エネルギー切れを起こしかけていた。小さな脚はふるえ、視界はぼやけている。

(血……吸えば、体力が戻る……わかってる。マダニの本能が、そう言ってる)

だが、俺は今までそれを避けてきた。吸血すれば、彼女に気づかれてしまう可能性がある。
――人間だった頃の倫理観も、どこかに残っていた。

だが……もう、限界だった。

彼女はシャワーを終え、バスローブを羽織って鏡の前に座っていた。柔らかく濡れた太ももが、目の前に横たわっている。

その皮膚は、白く、柔らかく、血管がうっすらと透けて見えた。

(……すまない)

俺は、最後の力を振り絞って近づいた。細い脚で肌にしがみつき、口器を伸ばす。
カチリと、わずかな音を立てて皮膚を貫いた。

……温かい。

ゆっくりと、彼女の血が体内に流れ込んでくる。
それは、まるで生き返るような感覚だった。

(ああ……うまい……これが、命の味か)

意識が冴えていく。体が動く。脳が回り始める。
――だが。

その瞬間だった。

「ん……?」

彼女が、違和感に気づいた。

太ももに指が伸びる。
狙いは、まさに俺がいる場所。

(まずい……!!)

逃げようとした。だが、血を吸いながら皮膚に食いついた体は、すぐには離れられない。

指が、そこに触れた。

(くるなっ、くるなっ、頼む──)

ピタリ、と指が止まった。そして……ギュッと、押し込まれた。

「……ッ!!」

潰された。

ぐしゃり、という音が自分の体からした気がした。視界が一瞬、白くはじける。

痛みは――不思議と、なかった。

あったのは、静けさだった。

──そして、俺は最後に、こう思った。

(彼女は……美しかったな)

血を分けてもらったことに、どこか感謝すらしていた。ほんの一滴。それが、最期の晩餐。

視界が暗くなる中、俺は皮膚の熱と血のぬくもりに包まれて、
マダニとしての生涯を、静かに終えた。
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