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エマの話
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ナターシャの指示に一つ返事したエマだったが、彼らの到着を待つつもりはない。ギルバート不在の中での事件発生に嫌な予感がしていた。
煌びやかなネオンが彩る店と店の間の細い道は、まるで忘れていた夜の静けさを思い出させるかのようだ。一歩足を踏み入れれば、そこは今までの賑やかさが嘘のように静まり返った暗がりが広がっている。
足元を気をつけながら手探りで先を急ぐエマ。奥からは男の言い合う声が聞こえてくる。
聞き馴染んでいた彼の声にエマの予感は的中した。
現場に居るのはやはりギルバートのようだ。
であればもう一人の声は…
見慣れた後ろ姿に声をかける前に、エマは耳にはめていた遠隔通信機を外した。間違った行為だと知りつつも、罪人を庇う同期をエマもまた庇いたかった。
犯罪者を匿うのはもちろん罪だ。それは警察である以上エマも同期も知っている。
ただ、同じ犯罪者とはいえ服用者を庇う行為は全く別物として処罰される。
服用者は一概に死をもって償わせるこの街の法は、まるで楽園から追放するかのように徹底的であり、悪魔を庇うものもまた悪魔と見なされる。
服用者を庇うことは並みの犯罪より重い処遇であり、ギルバートのように3年以上も匿っていたと知れれば生涯檻から出ることはまず適わないだろう。
それほどまでにこの街が魔薬の力を恐れている証拠だが、死んだ兄を生かす為に自身を犠牲にしていた同期がそんな処遇を受けるのはあまりにも酷だと思った。
ナターシャとアレンの魔薬で強化された身体能力ではどんなに離れてた場所からだろうとすぐに辿り着くだろう。残された時間は僅かだ。
その前に同期を諭し、事実を隠蔽する。エマは既に決意を固めていた。
「ギル!!」
こんな奥まった路地裏に人が来るとは思いもしなかっただろう。ビクッとギルバートは肩を跳ねさせた。
慌てて首を押さえながら声の主を振り返ろうとする彼だったが、エマの顔を見る前に崩れ落ちる。手の下に隠した吸血痕から大量に血を吸われ貧血を起こしたせいだ。
そうしてギルバートが尻もちを着いたことによって顕になったのは、もう一人の男の存在。
口についた血は吸血行為の動かぬ証拠だ。手の甲で血を拭う男の顔は、吸血鬼事件の似顔絵そのものだった。
つまりは死人であるギルバートの兄、ラファエロ。
エマは生唾を飲み込んだ。冷え切った暗い目がエマを捉えている。
「な、なんで、エマちゃんが居んの……?!」
「あ?バッティ、てめぇの知り合いか?」
エマに驚嘆するギルバートの後ろで死人は対照的にへらりと笑った。獲物を見つけたかのように目を光らせる。
「駄目だって兄ちゃん!」
立ちはだかろうとするギルバートだったが上手く足に力が入らないようだ。立ち上がろうとする彼をぞんざいに押し退けたラファエロは、ゆっくりエマに歩を詰めてくる。エマは逃げずに彼を睨めつけていた。
良くも悪くもすぐにナターシャ達は来る。襲われても死にはしないだろう。
それに目と鼻の先まで迫った同期の肉親にエマの足は動かなかったのも事実だ。死体だなんてエマですらまだ信じられない。
それは神秘のように感じた。
彼が死んでいるなんて一体誰が信じるだろう。確実に意志を持って動き、自分の足でしっかり歩いている。
ここにいるのはどう見たって普通の人間だ。
死をも簡単に覆す魔薬の力に目を奪われるエマであったが、ギルバートの怒声で我に返った。
「エマちゃんも!わりぃけど今取り込んでるんだ、また今度にしてもらえないかな!」
兄が吸血鬼だと口が裂けても言えないのだろうが必死に逃げろと訴えかけている。ふは、とその必死さにラファエロは噴き出した。
「本当に可哀想な馬鹿だなあバッティはよぉ。てめぇの知り合いっていうなら警察なんだろ?ガキが偶然来るようなとこじゃねえ。"俺ら"が居ることを知っててここに来た、違うか」
「…その通りです。私は吸血鬼事件と呼ばれる服用者の事件を追ってここに来ました」
「なら満を持してお出ましってわけか。なんつった、悪魔の刑事だっけ?」
「は…?どういうことだよ…っエマちゃん!マトリなわけないよな?」
「ギルも聞いて」
「否定しろよ!!」
「お願い、聞いて。時間がないの。もうすぐギルのお兄さんを捕まえに私の上司たちがここに来る。例え逃げてもあの人たちの力から逃げきれるとは私は思えない、だから…」
「違う、違うって兄ちゃんは服用者なんかじゃない!」
「バッティ、俺とこのガキが話してんだ。てめぇは黙ってろ」
マトリの存在を知っているのなら自身に死が迫っているのも理解しているはずだ。それなのにラファエロは動揺一つ見せずエマの話を聞いていた。
それは死を望んでいるのか、ただ死そのものに慣れてしまったのか。
少なくとも逮捕されることを既に受け入れているようだった。むしろ焦っているのは兄の延命に尽力し続けたギルバートの方である。
「兄ちゃん、何言ってんだよ!」
「ギルバート!2度目はねぇぞ。これ以上てめぇの兄貴だってことを俺に後悔させてぇのか」
食い下がる弟を彼はドスのきいた低い声で制した。
でも、と言葉を濁らせながらも続けようとしたギルバートだったが、よほど兄が怖いのか、泣きそうに顔を歪め項垂れた。
「で?」
黙った弟を見計らい兄は口を開く。
何故こうも同期が兄に従順なのかは疑問だが、それ以上に対話に応じようとするラファエロがエマには予想外だ。
やはり、生きたいが為に人を襲っていたのだろうか。
「あんたは俺に何してほしいんだ。見ての通り男兄弟だからよ、涙のお別れなんてしてやれねぇぞ。そんなお綺麗な兄弟愛もねぇしな」
「お兄さんには抵抗しないでほしいんです。穏便に逮捕出来るなら、上司もきっとあなたに手荒い真似はしません」
「あは、お優しいんだな。俺が手荒いことされ慣れてないように思うか?」
「抵抗するだけ無駄だからお願いしたんです。私の上司たちも悪魔の力を持っています、特別なのは貴方だけじゃない」
「…」
「何人被害者を出そうとも必ず殺さなかった貴方には、暴虐を尽くした悪魔たちと同じ扱いをされてほしくありません。彼らと行きつく先は同じかもしれませんが、私たちの印象は変えられます」
「ガキが諭すなよ」
鼻で笑いこそするラファエロだが、その響きは年下を茶化すような遊びのあるものだった。エマはギルバートを振り返る。顔にかかる前髪の下で表情は見えないが、悔しくてたまらないのだろう。握りしめた拳はわなわなと震え、ギリッと嚙み締められた奥歯が軋んだ。
「ギルも、ずっとお兄さんを守っていたのかもしれないけど、私は聞かないことにする。そうだとしても目をつむるから…」
「っ、エマちゃんおれ!」
はじかれたように彼が顔を上げた時、
「ねえ、もういいかしら。待たされるのは好きじゃないのよ、私」
カツンッ、と高く鳴いたピンヒールが、裏路地に響いた。
空気を張り詰めさせるほどにもの言わせぬ足音をエマは一人しかしらない。ナターシャだ。
物陰から姿を現した彼女にエマは背筋が凍りついた。
ナターシャはずっと前から到着していたのだ。
一体いつからここにいたのかは、遠隔通信機を外したエマには検討もつかないが、この会話が聞かれていたのは間違いない。
だが固まったエマにナターシャが何か言うことはなかった。咎めることも、言及することもなく、彼女は静かにラファエロの元に歩み寄ると手錠を突きつけた。
「"2度も"同じ説明は要らないわね。私の部下の顔に泥、塗らないでもらえるとありがたいんだけど?」
「いいよ、どうとでもしな」
「っ、違う、駄目駄目、駄目だって!!」
静かな暗がりに響くのはギルバートの悲痛な声とは裏腹に、吸血鬼事件の終息とはとても静かなものだった。
エマの願いを聞き入れたのか、ラファエロは抵抗一つ見せずに両手首を合わせてゆっくり差し出した。タトゥーだらけの腕にナターシャもまた触れるようにそっと手錠をかける。
ガチャンと質量のある錠前が、唯一現実の重みを突き付けているようだった。
エマの経験上、服用者は必ず逮捕に抵抗した。
服用者に限らず多くの犯罪者がそうだが、彼らの場合は特にそれが顕著に表れている。その度にナターシャの特化した鋭く長い爪が服用者を二度と立たせないまでに叩きつけるのが常だったからこそ、こんなにも静寂な服用者の逮捕は異例だった。
人を簡単に殺せる力があるというのにラファエロはなにもしない。手錠された自身の両腕を見てなにを思ったか小さく笑うだけだった。
だがギルバートは違う。受け入れた彼と違って納得していないようだ。やっとの思いで立ち上がった彼は、全部おれが悪いからと、兄だけは許してくれ、と懇願する。
「連れて行かないで、頼む!おれがもう絶対人を襲わせないから!」
「エマ」
「はい」
ナターシャの言いたいことはすぐに分かった。
取り乱す同期の両肩にエマはそっと手を添えす。
兄を想う彼の気持ちは痛いほど分かるが、人の死を覆すことは本来あってはならない。それは法律というよりも倫理に近いものだ。現に不可能を可能とする魔薬ですら、人の血を得ないと生きられない存在に変えてしまった。ずっと血を与え続けていたギルバートを見ればそれがどんなに恐ろしいことか分かる。死人の為に生者が死にかけ、破綻寸前の関係だ。
もしかして彼の兄はそれに気づいていたのではないかと今のエマは思う。
だからこそ敢えて抵抗せずに逮捕されたのでは。
ただそれを、死にかけてまでずっと兄の生を保ち続けていたギルバートはすぐに受け入れられることではないだろう。
怒りでか焦りでか、彼の身体はひどく熱い。
「待機させといて悪かったわね。ええだから、今終わった、捕まえたわよ。さっさと護送用の馬車用意しときなさい」
耳の遠隔通信機でナターシャはアレンに報告する。
急に待機を命じられ終始不服気な右腕は、体温の見える目でおおよその理由は分かっていたらしい。エマの不可解な行動を問うてきたが、ナターシャは彼女の手柄よ、とだけ答えて歩き出した。
「じゃあなギルバート」
ナターシャに連れられるラファエロは、最後に振り返り弟に笑った。それを同期の隣で見たエマからすればそれは、こちらも微笑み返してしまうほど、どこか満足気なものだった。
だがその余韻に浸れたのは一瞬である。
「あつっ!」
ギルバートに添えていた手のひらが熱くて思わず手を離した。火傷したように熱い。
「は!?どういうことよ!」
ラファエロの横で、遠隔通信機相手にナターシャは叫んだ。アレンの言葉を聞き取った彼女は焦ったようにエマを振り返る。
突如として肩を掴まれたエマはそのまま後ろに倒されるように同期から引きはがされた。
それがアレンの手によるものと分かったのは、今までエマがいた場所に彼がいて、何故か同期を後ろ手に拘束しているからだ。
「エマ、なにやってんの!遠隔通信機どこやった!」
有無も言わせずアレンが怒鳴るが、エマには状況が全く掴めない。頭に浮かぶのは疑問符ばかりだ。
舌打ちするアレンは、呆然としているエマに見せつけるようにギルバートを一層強く拘束した。うっと呻く同期の首の傷からは血でなく火が溢れている。
服用者だ。
「なんで…」
「いいか!犯人はあの男じゃない!コイツだ」
「で…でもギルのお兄さんはもう亡くなってて…」
「だろうな。脈も打ってないし体温も以上に低い。コイツの血で、コイツの力で生きてるんだよ!」
叫ぶアレンの下でカッ、と眩しい閃光が辺りを包んだ。
煌びやかなネオンが彩る店と店の間の細い道は、まるで忘れていた夜の静けさを思い出させるかのようだ。一歩足を踏み入れれば、そこは今までの賑やかさが嘘のように静まり返った暗がりが広がっている。
足元を気をつけながら手探りで先を急ぐエマ。奥からは男の言い合う声が聞こえてくる。
聞き馴染んでいた彼の声にエマの予感は的中した。
現場に居るのはやはりギルバートのようだ。
であればもう一人の声は…
見慣れた後ろ姿に声をかける前に、エマは耳にはめていた遠隔通信機を外した。間違った行為だと知りつつも、罪人を庇う同期をエマもまた庇いたかった。
犯罪者を匿うのはもちろん罪だ。それは警察である以上エマも同期も知っている。
ただ、同じ犯罪者とはいえ服用者を庇う行為は全く別物として処罰される。
服用者は一概に死をもって償わせるこの街の法は、まるで楽園から追放するかのように徹底的であり、悪魔を庇うものもまた悪魔と見なされる。
服用者を庇うことは並みの犯罪より重い処遇であり、ギルバートのように3年以上も匿っていたと知れれば生涯檻から出ることはまず適わないだろう。
それほどまでにこの街が魔薬の力を恐れている証拠だが、死んだ兄を生かす為に自身を犠牲にしていた同期がそんな処遇を受けるのはあまりにも酷だと思った。
ナターシャとアレンの魔薬で強化された身体能力ではどんなに離れてた場所からだろうとすぐに辿り着くだろう。残された時間は僅かだ。
その前に同期を諭し、事実を隠蔽する。エマは既に決意を固めていた。
「ギル!!」
こんな奥まった路地裏に人が来るとは思いもしなかっただろう。ビクッとギルバートは肩を跳ねさせた。
慌てて首を押さえながら声の主を振り返ろうとする彼だったが、エマの顔を見る前に崩れ落ちる。手の下に隠した吸血痕から大量に血を吸われ貧血を起こしたせいだ。
そうしてギルバートが尻もちを着いたことによって顕になったのは、もう一人の男の存在。
口についた血は吸血行為の動かぬ証拠だ。手の甲で血を拭う男の顔は、吸血鬼事件の似顔絵そのものだった。
つまりは死人であるギルバートの兄、ラファエロ。
エマは生唾を飲み込んだ。冷え切った暗い目がエマを捉えている。
「な、なんで、エマちゃんが居んの……?!」
「あ?バッティ、てめぇの知り合いか?」
エマに驚嘆するギルバートの後ろで死人は対照的にへらりと笑った。獲物を見つけたかのように目を光らせる。
「駄目だって兄ちゃん!」
立ちはだかろうとするギルバートだったが上手く足に力が入らないようだ。立ち上がろうとする彼をぞんざいに押し退けたラファエロは、ゆっくりエマに歩を詰めてくる。エマは逃げずに彼を睨めつけていた。
良くも悪くもすぐにナターシャ達は来る。襲われても死にはしないだろう。
それに目と鼻の先まで迫った同期の肉親にエマの足は動かなかったのも事実だ。死体だなんてエマですらまだ信じられない。
それは神秘のように感じた。
彼が死んでいるなんて一体誰が信じるだろう。確実に意志を持って動き、自分の足でしっかり歩いている。
ここにいるのはどう見たって普通の人間だ。
死をも簡単に覆す魔薬の力に目を奪われるエマであったが、ギルバートの怒声で我に返った。
「エマちゃんも!わりぃけど今取り込んでるんだ、また今度にしてもらえないかな!」
兄が吸血鬼だと口が裂けても言えないのだろうが必死に逃げろと訴えかけている。ふは、とその必死さにラファエロは噴き出した。
「本当に可哀想な馬鹿だなあバッティはよぉ。てめぇの知り合いっていうなら警察なんだろ?ガキが偶然来るようなとこじゃねえ。"俺ら"が居ることを知っててここに来た、違うか」
「…その通りです。私は吸血鬼事件と呼ばれる服用者の事件を追ってここに来ました」
「なら満を持してお出ましってわけか。なんつった、悪魔の刑事だっけ?」
「は…?どういうことだよ…っエマちゃん!マトリなわけないよな?」
「ギルも聞いて」
「否定しろよ!!」
「お願い、聞いて。時間がないの。もうすぐギルのお兄さんを捕まえに私の上司たちがここに来る。例え逃げてもあの人たちの力から逃げきれるとは私は思えない、だから…」
「違う、違うって兄ちゃんは服用者なんかじゃない!」
「バッティ、俺とこのガキが話してんだ。てめぇは黙ってろ」
マトリの存在を知っているのなら自身に死が迫っているのも理解しているはずだ。それなのにラファエロは動揺一つ見せずエマの話を聞いていた。
それは死を望んでいるのか、ただ死そのものに慣れてしまったのか。
少なくとも逮捕されることを既に受け入れているようだった。むしろ焦っているのは兄の延命に尽力し続けたギルバートの方である。
「兄ちゃん、何言ってんだよ!」
「ギルバート!2度目はねぇぞ。これ以上てめぇの兄貴だってことを俺に後悔させてぇのか」
食い下がる弟を彼はドスのきいた低い声で制した。
でも、と言葉を濁らせながらも続けようとしたギルバートだったが、よほど兄が怖いのか、泣きそうに顔を歪め項垂れた。
「で?」
黙った弟を見計らい兄は口を開く。
何故こうも同期が兄に従順なのかは疑問だが、それ以上に対話に応じようとするラファエロがエマには予想外だ。
やはり、生きたいが為に人を襲っていたのだろうか。
「あんたは俺に何してほしいんだ。見ての通り男兄弟だからよ、涙のお別れなんてしてやれねぇぞ。そんなお綺麗な兄弟愛もねぇしな」
「お兄さんには抵抗しないでほしいんです。穏便に逮捕出来るなら、上司もきっとあなたに手荒い真似はしません」
「あは、お優しいんだな。俺が手荒いことされ慣れてないように思うか?」
「抵抗するだけ無駄だからお願いしたんです。私の上司たちも悪魔の力を持っています、特別なのは貴方だけじゃない」
「…」
「何人被害者を出そうとも必ず殺さなかった貴方には、暴虐を尽くした悪魔たちと同じ扱いをされてほしくありません。彼らと行きつく先は同じかもしれませんが、私たちの印象は変えられます」
「ガキが諭すなよ」
鼻で笑いこそするラファエロだが、その響きは年下を茶化すような遊びのあるものだった。エマはギルバートを振り返る。顔にかかる前髪の下で表情は見えないが、悔しくてたまらないのだろう。握りしめた拳はわなわなと震え、ギリッと嚙み締められた奥歯が軋んだ。
「ギルも、ずっとお兄さんを守っていたのかもしれないけど、私は聞かないことにする。そうだとしても目をつむるから…」
「っ、エマちゃんおれ!」
はじかれたように彼が顔を上げた時、
「ねえ、もういいかしら。待たされるのは好きじゃないのよ、私」
カツンッ、と高く鳴いたピンヒールが、裏路地に響いた。
空気を張り詰めさせるほどにもの言わせぬ足音をエマは一人しかしらない。ナターシャだ。
物陰から姿を現した彼女にエマは背筋が凍りついた。
ナターシャはずっと前から到着していたのだ。
一体いつからここにいたのかは、遠隔通信機を外したエマには検討もつかないが、この会話が聞かれていたのは間違いない。
だが固まったエマにナターシャが何か言うことはなかった。咎めることも、言及することもなく、彼女は静かにラファエロの元に歩み寄ると手錠を突きつけた。
「"2度も"同じ説明は要らないわね。私の部下の顔に泥、塗らないでもらえるとありがたいんだけど?」
「いいよ、どうとでもしな」
「っ、違う、駄目駄目、駄目だって!!」
静かな暗がりに響くのはギルバートの悲痛な声とは裏腹に、吸血鬼事件の終息とはとても静かなものだった。
エマの願いを聞き入れたのか、ラファエロは抵抗一つ見せずに両手首を合わせてゆっくり差し出した。タトゥーだらけの腕にナターシャもまた触れるようにそっと手錠をかける。
ガチャンと質量のある錠前が、唯一現実の重みを突き付けているようだった。
エマの経験上、服用者は必ず逮捕に抵抗した。
服用者に限らず多くの犯罪者がそうだが、彼らの場合は特にそれが顕著に表れている。その度にナターシャの特化した鋭く長い爪が服用者を二度と立たせないまでに叩きつけるのが常だったからこそ、こんなにも静寂な服用者の逮捕は異例だった。
人を簡単に殺せる力があるというのにラファエロはなにもしない。手錠された自身の両腕を見てなにを思ったか小さく笑うだけだった。
だがギルバートは違う。受け入れた彼と違って納得していないようだ。やっとの思いで立ち上がった彼は、全部おれが悪いからと、兄だけは許してくれ、と懇願する。
「連れて行かないで、頼む!おれがもう絶対人を襲わせないから!」
「エマ」
「はい」
ナターシャの言いたいことはすぐに分かった。
取り乱す同期の両肩にエマはそっと手を添えす。
兄を想う彼の気持ちは痛いほど分かるが、人の死を覆すことは本来あってはならない。それは法律というよりも倫理に近いものだ。現に不可能を可能とする魔薬ですら、人の血を得ないと生きられない存在に変えてしまった。ずっと血を与え続けていたギルバートを見ればそれがどんなに恐ろしいことか分かる。死人の為に生者が死にかけ、破綻寸前の関係だ。
もしかして彼の兄はそれに気づいていたのではないかと今のエマは思う。
だからこそ敢えて抵抗せずに逮捕されたのでは。
ただそれを、死にかけてまでずっと兄の生を保ち続けていたギルバートはすぐに受け入れられることではないだろう。
怒りでか焦りでか、彼の身体はひどく熱い。
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「じゃあなギルバート」
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だがその余韻に浸れたのは一瞬である。
「あつっ!」
ギルバートに添えていた手のひらが熱くて思わず手を離した。火傷したように熱い。
「は!?どういうことよ!」
ラファエロの横で、遠隔通信機相手にナターシャは叫んだ。アレンの言葉を聞き取った彼女は焦ったようにエマを振り返る。
突如として肩を掴まれたエマはそのまま後ろに倒されるように同期から引きはがされた。
それがアレンの手によるものと分かったのは、今までエマがいた場所に彼がいて、何故か同期を後ろ手に拘束しているからだ。
「エマ、なにやってんの!遠隔通信機どこやった!」
有無も言わせずアレンが怒鳴るが、エマには状況が全く掴めない。頭に浮かぶのは疑問符ばかりだ。
舌打ちするアレンは、呆然としているエマに見せつけるようにギルバートを一層強く拘束した。うっと呻く同期の首の傷からは血でなく火が溢れている。
服用者だ。
「なんで…」
「いいか!犯人はあの男じゃない!コイツだ」
「で…でもギルのお兄さんはもう亡くなってて…」
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