表裏一体

鵜海喨

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終わり

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 思ったのだ。表裏一体という言葉は、公立中学教師程に無能であり御都合主義だなと。これはたちが悪い事に揶揄ではなく、本当に思ったことだ。気分を害したならば、すまない。

 表裏一体とは、簡単に物事には二面性がありけどそれの本質は一緒だよ。という意味でここでは使う。
 紙に対して、この言葉を使うならば中を舞った状態だろう。机に置いた状態ではない。ご察しの通りのことだ。机に置けば、表もしくは裏が決定される。白紙のコピー用紙は、裏表が定義されていない。片面が見えなくなった時または、書かれた時初めて裏と表が定義される。

「表裏一体だよ。だから良い方に考えな」といった言葉は、酷く高等な皮肉だろうか? 発言者は「反対に見ればいいよ。でも書かれて表裏が決まっているから覆せないけど」と言っているのかもしれない。全く酷い話だ。ため息が出る。

 「逆に物事を考えるのさ。でも型にハマるか知らないけど」とも聞こえる。

 そうこれが表裏一体だ。

 白紙に描いたイラストよりも、その裏に描いた落書きが評価されるのと一緒だ。
「頑張れば出来るよ。大丈夫」は「頑張らないと出来ないから、早く頑張って」とも捉える事ができる。

 結局ネガティブな考え方は、二言語それぞれ裏表で書かれた紙は、読める言語が表となる性質だ。その読める言語が、良かろうだろうが、悪かろうだろうが、それは表になる。しかし反対の意味であろう裏は読めずに理解できない。
 ならばどこを見るか。そう、側面だ。

 側面は物体である以上存在する性質であり、表裏を繋げると考える事もできる、ニュートラルな意味合いだ。故にそれは装飾されていない事実であり、表裏を繋げる実態でもある。

 皆には、簡単な話、これから良い悪いではなく事実と実態を観察し、探求してほしい。以上だ。
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