数学的な英語

鵜海喨

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 私は、ふと思った。それは簡単に言えば英語の教え方が下手だと。いや違う。どちらかといえば、教師の教え方は上手い部類に入る。では何が下手なのだろうか?
 言い方を悪くすれば、文部科学省が原因と言って問題ない。つまり国の教え方が下手だ。これは前から言われていることだ。なぜ日本人はあれ程にも英語を勉強しているのにも関わらず英語を習得していないのだろうか? と。
 
 正直、教え方が下手と言う分には誰でも出来てしまう為に、私は明確にその原因を叩こうと思う。

 そう、教え方が数学的である。ここでの数学的であるといった意味は、整い強く矯正された法則を教える。として私は使う。
 余談だが、私は思想家の真似事をしているが、実を言うと世間で言う学力は、並かそれ以下と低い。これはただ単純に、単純記憶が先天性的に他と大きく低く、言ってしまえば丸覚えを大の苦手とする為だ。実例を上げるならば、数学の問題で独自の途中式を書き、それでも正解するレベルだ。私は失った記憶や知識を、その場にある少ない記憶、情報を使用した思考で補ってきた。

 結論を言おう。言語は感覚である。数学ではない。昨今の日本教育は、日本語を基準に英語を覚えている。では、その日本語は習った英語のように構造を全て言えるだろうか? 難しいだろう、そして大半は感覚で使っていると自覚するはずだ。

 今の教育方針は、エミュレート真似事に過ぎない。現状の日本の教育は、英語を日本語の直感で思考し、日本語を英語に変化して出力する。本来の言語取得は、英語で思考し英語を出力するのみだ。用語など必要ない。では、日本語で活用を意識して使用しているだろうか? 使うならば、 使わ、使い、使う、使え、と変化する。意識しているだろうか?
 
 言語は直感であり、教えられ理解するよりも自分で理解した方が血肉になる。私は、英文の下、単語の下に単語のみの訳が書かれている方が理解が容易だ。
 組織などどうでも良い。日本語の組織を習うのは中学だろうか? 英語教育の考え方で言えば、それを習うまで日本語は喋れないとなる。

 ぶっちゃけた話、言語は三次方程式よりも複雑だ。
 英語教育はもっと単純でいい。
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