開発と解釈

鵜海喨

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理解の細分化

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 さて、貴方方は料理教室に行ったことはあるだろうか? これはぶっちゃけ手芸でも木工でも茶道だろうがあまり変わらないが、どれもないと言うならばロールプレイをしてほしい。
 貴方は、先生に教えられ自分には少し背伸びをしないと完成しない物を完成させたとしよう。その時、貴方は先に「完成した」という事実を喜ぶのか、それとも「酷くまとまった要点」を理解した事実のどちらを喜ぶだろうか?
 数式であれば、解けた喜びと原理を知った喜びどちらが楽しく嬉しいだろうか?

 どちらにせよ、短時間で「教師」または「講師」といった者から教わる情報や成功体験は、大きな穴があり欠損している。故に私は人に教わる事を酷く嫌うのだが、これにはきちんとした理由がある。


 先程の問に「完成した喜び」、前者を選んだ人に再度問う。授業後、自宅一人で同じ物を作ろうと思うだろうか? もしその後作ろうとせず「自分が作り上げた」という悦に浸るならば、市販で売っている既存の物にデコレーションでも、その強度は違えど悦には浸れると私は思う。大きく違う点は、他者に自慢できるかどうかだが、結局のところ自慢のために物品を消費するのは勝手すぎる。話は反れるが、タピオカドリンクを買っては写真を取り捨てているように見える。

 もし作ろうと思うならば、きっと思ったように上手くいかないだろう。それは何故か、以前の成功体験は運と補正の塊だからだ。授業者は貴方自身が理解しているかどうかなど見ていない。ただ貴方が起こしている物事を監修、修正しているだけだ。例えば貴方は貴方の意識外で、意識できない運で良い選択をしていたとしよう。それを再度再現出来るかどうかは、これまた運だ。

 理解した悦に浸る方々も上手く行かない事があるだろう。しかし、これは私の想像だが、「何故上手くいかなかったのか?」と思うはずだ。自分が理解した法則が実際に異なっていたら不思議に思うはずだからだ。そして、失敗してもまた作ろうと思うだろう。上手くいく方法を知りたいからだ。

 今まで話した事は、数学の問題に酷似している。それはどういう意味か。定理等の式は知っているが意味は分からない。という意味だ。

 数式問題は得意だが文章問題は苦手とする方々は、恐らく前者、「出来たという悦」に浸る人間だろう。
 その逆、文章問題得意で数式問題を苦手とする方々は、「理解する悦」に浸る人間だろう。

 しかし、この両者も一応理解はしている。数式は解けているからだ。だから私はこう呼ぶ、解釈と開発だと。

 ここでの解釈は、既存の物の法則を見て理解する。という意味だ。
 そして開発は、既存の物から法則を推測し理解する。という意味だ。

 私は混じり気もなく後者になる。
 とても作るものが面倒な物が同額で制作、購入するならば、私は間違いなく前者を選ぶ。そして手を加える。

 解釈は、間違っている事もある。それは開発も同じだが解釈は理解している気になっているだけである。少なくとも両者は授業者が伝えきれなかった情報を察することに時間がかかる。

 では少し難しい問題を出そう。貴方は壁に触れることが出来るだろうか? 無論触れる事ができる。でも何故だ? 減算だからと考える事も出来るだろう。1秒に2センチ距離が縮まる。だから2-2で0と言える。しかし、除算で考えれるはずだ。0.5秒後は1センチ縮む、その後の0.25秒後は0.5センチ縮む。極論、X*2^-∞無下限=0ではない。X*10^-∞だろうが、数は存在する。つまりこの理論だと我々は壁に触れることができない。アニメで言うならば呪術廻戦の五条悟そのものだ。

 貴方は減算で考えただろうか?
 それとも、別の物で考えただろうか?

 極論、解釈は、触れる事ができる為、触れることの出来ない物はないと考えるはずだ。一方で開発は何故触れられのだろうか? と考えるはずだ。よって先程の考え方を生み出す事ができる。

 開発が優れているように見えるが実際は異なる。言ってしまえば糖の不足、つまり大量のタスクだ。それを考えて、私は一種の素直である解釈を尊敬する。

 そしてもう一つ、理解の細分化、とも称す事が出来る物は両者の良い所取りだろう。生きてく上で、必要以上のことは考えず、しかし上ずらだけしか知らない事はなく良い塩梅で思考を巡らす事がより良い生活を支えるだろう。そう、相手が伝えきれなかった情報を読み解く能力だ。開発は気が張り詰める。だからといって解釈は楽観的過ぎる。
 何が言いたいか。自分の思った事は文字で表せることが出来る程度までは思考しろ。ということだ。自分の判断が言葉に表せないとするならなば、それは既存の法則に身を投げ、自暴自棄になっている言える。抗えとも言わないが、しかし、自分の考えを言葉のみで表す能力が、どこでも使える万能な道具になるはずだ。

 私のような開発する人間は、話が細かく複雑で伝わり難い。理解に細分化は、適度さが求められる。場合と雰囲気によって左右するそれを感じ取り獲得したならば、より世界を美しく感じることができる。言動や行動が明確に分かり、人間関係も上手くいくかもしれない。


 まぁ砕いて言うならば、普通としている事を少し、背伸びして「何故?」と考えてみればどうだろうか?
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