輪郭のないもの

キクチユウ

文字の大きさ
6 / 7

祐奈③

しおりを挟む
 インターフォンが鳴ると同時にルルが吠え出した。ルルに向かって少し怖い顔で「しぃ」っとつぶやいてから玄関に向かう。木製の扉を開け

「いらっしゃい」

満面の笑顔で葉月を迎え入れた。

「おじゃまします」

葉月はピカピカのローファーをきっちりと揃えて置き

「これ、焼き菓子なんだけど。ご家族で食べて」

と言って、オープンしたばかりの洋菓子店の紙袋を突き出した。

「お気遣いありがとう。ここ、まだ並んでるでしょう?」

返事の代わりに葉月がくしゃっと笑って頷くと、オパールのピアスが小さく揺れた。いつもより葉月の顔色が明るく見える。葉月がピアスをつけているのは珍しいな、と思ったが、きっとそれは子どもと一緒のときにしか会っていないからだということに気がついた。

「どうぞ上がって」

葉月をリビングに促す。葉月がソファに座るとルルは吠えるのをぴたりと止め、しっぽをぶんぶん振り始めた。

「覚えてるのね」

感心して祐奈がルルに囁くと、膝の上を陣取っているルルを、葉月はそっと撫でた。よく見ると今日の葉月は髪も艶やかだ。

「少し早いけどランチにしていいかしら?」

「何だか申し訳なくて」

祐奈の質問にはこたえず、葉月が恐縮したように言った。

「本当にお料理は趣味だから。独身時代は教室をいくつかかけもちして通っていたくらい」

言いながらミネストローネスープを温める。今日はゆっくり話せるようにスープ以外はデリ風のワンプレートにした。葉月はそわそわし始める。手伝おうとしてくれているのだろう。だから葉月が申し出る前に

「あとは盛り付けるだけだから座ってて」

と、けん制した。祐奈は人にキッチンに入られるのが苦手なのだ。

「おまたせ」

料理を盛り付けた木製のプレートをふたつテーブルに置き、葉月のために椅子を引いた。

「ありがとうございます。わあ、すごい、お店みたい」

葉月は一口食べるごとに、感嘆の声をあげ、短い感想を述べた。「すごく柔らかい」とか「私にも作れるかな」とか。

「これも手作りなの?」

「そう。パン教室にも何年か通っていたから」

葉月はオリーブの入ったフォカッチャを大切そうに口に運ぶ。一通り葉月が食べたのを見届けると

「相談っていうのはね……」

祐奈は切り出した。葉月は持っていたフォークを置く。

「あ、食べながらでいいの」

言って、祐奈は炭酸水をごくりと飲んだ。

「雫のことどう思う?」

「雫ちゃんのこと?いい子だと思うよ」

葉月は祐奈を真っ直ぐに見つめている。そういう意味じゃなくて、祐奈は心の中でつぶやく。こういう時、どんな言い方をすれば適切に伝わるのだろう、と考えあぐねていると

「学校生活でのこと?」

と葉月が少し言いづらそうに訊ねた。雫のことで何か瑠衣から聞かされているのだろうか。祐奈は目をぱちくりさせる。

「意地悪な子っているのよね。瑠衣も嫌なこと言われたことあるみたいだから」

「ごめん。えっと」

祐奈は顎に手を当て、できる限り平静を保つように努めた。葉月は驚いたように目を大きく見開いて

「ごめん。その話じゃなかった?」

と慌て、祐奈から少し目を逸らした。

「教えて」

それは懇願だった。

聞けば、クラスの中に少し意地の悪い女の子がいるらしく、最近特に雫に対しての言動が目に余るのだと葉月は瑠衣から聞かされていたという。その言動の大半は雫の髪型や服装、持ち物などに対しての否定からくるもので、祐奈の心配はすでに現実になっていたのだ。

祐奈の肩は震えていた。泣くつもりなんてないのに、目からは涙がぽたぽたと惚れ落ちる。葉月が立ち上がり、祐奈の肩を抱く。祐奈は恥ずかしさでいっぱいになった。ママ友の前でこんな風に感情を露にするなんて。

「相談したかったのは雫のジェンダーのことなの」

しゃくりあげながらやっと言い終わると、葉月は優しい眼差しで二度頷いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

熟女教師に何度も迫られて…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
二度と味わえない体験をした実話中心のショート・ショート集です

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...