Wild Frontier

beck

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第四章

航海と旅路

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「ダンケルドとトレバーでの話、本当だったんですなぁ!」

 俺がその本人であるという事は、フェルディナンド公の署名入り滞在許可証で難なく証明された。

(しかし今更遅いとは言え、やはり本名で活動していたのは問題あったか)

 何者かに追われていると確信出来た時には既に、俺は自分名義でいくつもの活動を行っていた。
 もちろんそういった活動が評価されるのは素直に喜ばしい事だし、作ったものが誰かの役に立つのは単純に嬉しい。

(だが問題は、俺を追う者がいるという事実)

 これだけ名前が流布るふされてしまうと、追われる側としては都合が悪い。

「特にトランプという名のカード! これが船員に大人気でしてねぇ。何しろ長い船旅ですとどうしても時間を持て余してしまいやすからね」

 同じ国内とはいえ、作り始めてからまだ一年も経ってない。
 ここまで広まるとは正直驚きだ。

(まぁ紙は羊皮紙と違って大量生産可能な素材だからな。従業員達がせわしく働く姿が目に浮かぶようだ)

「長期航海だとそうですよね。お役に立てたようで良かったです」
「それでヒースの旦那、その『航海病』についてなのですが……」


 俺は船乗り組合の副組合長でもあるグルージオから、病の詳細を聞いた。


 長期間の航海で罹患者が多く出る事。
 怪我が治りにくくなる事。
 皮膚や粘膜などから出血、酷い場合は歯が抜ける事。
 陸に上がって暫く過ごしていると、いつの間にか治る場合がある事。
 人によって罹患や回復のペースが異なる事。



(間違いない。これは壊血かいけつ病だ)



 ビタミンC不足による、タンパク質の生成阻害。
 もちろん分野が違うので専門知識は無いが、中世の多くの船乗りが苦しめられたという病気だ。
 その原因や対策についても、多少の知識はある。


「船員達の中には風土病じゃないかとか、魔法協会から与えられた罰なのではないかという者もいましてね」
「魔法協会?」

 なぜこの話題に協会の名が出てくるのかは、その後のグルージオの話で納得した。

「魔法協会に登録された奴隷はその町から離れられないと聞きます。あっしは全く信じておりやせんが、船乗りの中にはそれと同じ罰が俺達に与えられているんじゃないかと言う者もいましてね。それを信じる奴も増えてきているんです」
「それで船員が足りないと……」
「ええ。元の漁師に戻ったり、中には船乗り自体を辞める者まで出て来る始末で」

 グルージオの話ではつい最近に遠方の国との航路が確立されたようで、その後から航海病が多く見受けられるようになったらしい。
 それまでも数週間単位の航海を行う事はあったが、数か月に及ぶ長い航海を経験した船乗りはあまりいなかったそうだ。

(それで今まで発病する者が少なかったのだろうな……)

「まず魔法協会についてですが、今回の件とは全く関係ありません。そもそも奴隷の場合、登録されているかどうかは首筋に現れる模様で確認出来ます」
「それじゃぁ旦那、航海病の原因ってぇのは……」
「私の国ではその病気を『壊血病』と呼んでいるのですが、原因はとある栄養素の不足です」
「壊血病……怖い名前でやすな」
「はい。とても怖い病気ですが、適切な食事を摂ればほぼ防げます。まず罹患しやすい人や回復の遅い人ですが、おそらく肉食中心で普段から果物や野菜をあまり摂取していない方が多いと思われます」
「それはいったいどういう事で……」
「植物に含まれる栄養素が、体組織を作るのに必要不可欠なのです」
「植物か……」

 グルージオは近くにいた船員と思しき若者達に質問を投げかけた。

「おいロドリゴ! お前、野菜や果物は食うか?」
「はい。陸に上がるとまず始めに新鮮な野菜を食います。肉ばっかりですと、どうしても胃がもたれますんで──」
「なるほど。エミリオはどうだ?」
「私は果物が好きですね。酢の代わりに柑橘類の果汁を使ったりもします」
「実は俺も果物は好きでな。普段から食べるし、酒を飲むときも果汁を絞って入れたりする」

 副組合長はその後、建物内にいる船員全員から話を聞くようロドリゴに命じた。
 しばらくした後、全員に話を聞いたロドリゴが報告に戻って来る。

「二十名ほどしかおりませんでしたが、元気な奴らで肉しか食べないという船員は一人もおりませんでした。また先日の航海で一番最初に発病したフリオですが、彼は野菜嫌いで有名だったそうです」
「うーむ、なるほど。俺もその壊血病とやらになった船乗りを何人か知っているが、確かに肉ばかり食っている荒くれ野郎ほど病に倒れる印象があるな。あのディエゴなんか『野菜を食ってる奴なんか家畜と一緒だ』とか言いながら、結局壊血病でくたばりやがったからな」

(やはり命を落とした者もいるのか。航海に慎重になるのも無理はない)

「もちろんこんなちんけな人数じゃ、旦那の話が実際に正しいかどうかなんてわからねぇ。だが船員でもないヒースの旦那が、船乗りであるあっしらよりもそういった傾向を現時点で知っているってだけで、そこには何かあるんだと思う」
「そう思ってくれれば幸いです」
「あっしは旦那の話を信じますぞ。すまねぇが治療法とか予防法を知っているなら、なんでもいいから教えてくれませんかねぇ? 栄養って事だから、きっとすぐに治るものでも無いんでしょう?」
「はいそうです。これは魔法でもどうにもなりません」

 治療の魔法と一概に言っても、魔法一つ一つにしっかりとした仕組みがある。

 ヒール系の魔法は、自己治癒力を早める魔法だ。
 アンチドートは毒素を分解し、ディスインフェクトは病原菌を退治する。


(魔法の考案者は、間違いなくあらゆる科学分野に精通していたはず)


 そして今回の場合は栄養素の欠乏だ。
 そもそも体内に無いのだから、外から融通しなければならない。



「ではその壊血病について、私の知る限りの話をします……」



 壊血病の対策で、難しい事は何もない。
 要はビタミンCをきちんと摂取出来れば良いのだ。




    ◆  ◇  ◇




 船乗りたちとの話の数日後──

 このような大都市に来る事もそうそう無いだろうという事で、俺達一行はトーラシアの首都を満喫していた。

 今日はプリム立っての希望で、手近の海岸を訪れている。
 河口とは反対側に海水浴も出来る砂浜があると、宿の従業員に聞いたのだ。

「と言っても今は真冬ですからね。間違っても泳がないようにね!」
「はいです、ベァナ姉さま」
「かしこまりです!」

 娘達二人の相手は、いつも通りシアとベァナが引き受けてくれている。
 俺とセレナがボディガード役と考えれば、丁度いいバランスかも知れない。

「ヒース殿」
「なんだセレナ?」
「ヒース殿は記憶を失くした理由を知るために、ティネ殿の師匠に会いに行くのだよな?」

 俺が他の世界の住人だったという話はベァナとティネ、そして不可抗力な事情により話さざるを得なかったフェルディナンド公以外には話していない。

「まぁ、そんな所かな」

 決して仲間を信用していないわけでは無い。

 そもそも話をした所で状況は何も変わらない。
 余計な心配をかけるだけだ。
 敢えて話さないのは、彼女達に必要の無い重荷を背負わせたくないというのが一番の理由である。

「それでもし記憶が戻った時、貴殿はどうされるおつもりか?」
「そうだな。俺の過去……俺がどんな人物だったかにもよるからな。まだ考えはまとまっていない」

 俺の正体ついては、既にフェルディナンド公から聞いている。

 しかしその話もあくまで表面的なものだけだ。
 辺境伯である俺がなぜ遠く離れた国に一人でいたのか。
 領地や領民が現在どのような状況にあるのかなど、不明な部分のほうが多い。

「そうか──」
「何か気になる事でもあるのか?」
「我らの旗頭はたがしらはヒース殿だからな。貴殿が何か行動を起こす度に、正直心配事はいくらでも湧いてくるわけだが──」

 その件については全面的に肯定だ。
 しかしセレナの口調に、非難めいたものは一切感じられない。

「ヒース殿を見てきて時に思うのだ。貴殿はなんというか……今ここにいるのにここでは無い、どこか遠い場所を見ているような」
「遠く?」
無論むろん貴殿が何に思いを馳せ、どう感じているのかまでは分からぬ。ただ時折なんというか……そうだな。心ここに在らずといった印象を受ける事がある」

 剣術修業により、自らの精神を鍛えてきた成果なのか。
 セレナの観察眼には目を見張るものがある。

(確かに元の世界の事を思う事もあるし、相棒の事は常に気掛かりだ──)

「私やシア殿、そしてベァナ嬢はいい。既に成人している身であるし、各々がそれぞれの目的をしっかり持った上で貴殿に同行しているのだ。だが──」

 彼女の瞳に、無邪気に笑う二人の娘の姿が映る。

「ニーヴやプリムは違う。あの娘達は人生の目的など考える事も許されぬ状況から、貴殿のお陰でやっと抜け出せただけに過ぎぬ。己がこの世界で何を為すべきなのかなど、幼い二人に見出せというのはまだ酷だと思うのだ」
「そうだな」
「そして我々とあの娘達で決定的に違うのは、既にどちらの親もこの世にはいないという事。子は親の背を見て育つというが、見るべき親がいない彼女達は一体誰の背を見れば良いというのだろう」

 娘たちの両親について、詳しくは知らない。
 ただセレナの言う通り、彼女達が天涯孤独の身である事は確かだ。

「そういう意味ではヒース殿。私は彼女達の見る背中が、貴殿のもので本当に良かったと思っているのだ」
「俺個人としては俺じゃ無く、ベァナやシア、そしてセレナの背を追って欲しいと思っているのだがな」

 それぞれ性格は違えども、一人ひとりが人として尊敬できる人物だ。
 ベァナは人の役に立ちたいと治療魔法の研鑽けんさんを続けて来た。
 セレナも同様に剣技を、シアはたった一人で渇水から町を守り続けた。

 それに対して俺はどうだ?
 俺は自らの力だけで何かを為してきた人物ではない。

 剣術と魔法は、元のヒースが努力して身につけたもの。
 そしてこの世界で生み出した品の数々は、そもそも歴史上の偉人達がそれこそ一生を掛けて発見したり、生み出したものなのだ。


 俺個人の力などでは決してない。


「貴殿がどう思おうと、娘達を実際に救ったのはヒース殿だ。私だって娘たちの事は貴殿よりも前からずっと気に掛けていた──だが私だけでは、彼女達を解放する事はきっと出来なかったであろう」
「俺は単に金を出しただけだと思うのだが……」
「いや、決して金銭の問題だけでは無い。これは覚悟や──意思の問題だ」

 セレナは確信を持って話を進めた。

「おそらく今のヒース殿よりは私のほうがこの世界の姿を正しく捉えていると思うのだが……もしヒース殿がダンケルドを訪れていなかったら、娘達は一生奴隷のままだったろうと思う。私とてアーネストの娘だ。奴隷の解放がどれほど大変か、そして必要な金がどれくらい莫大なものなのかくらい十分理解している」

 アーネストは奴隷を一人解放するのに最低五年はかかると言っていた。
 経済的に豊かで、真剣に解放に取り組んでいる彼ですらその状況なのだ。
 確かに他の農場で同じことが出来るとは到底思えない。

「だからこれはあくまで私個人の希望だ。貴殿がどこの誰であったとしても、あの娘達だけは見捨てないでいて欲しい」
「見捨てるなんて思った事は一度も無いぞ」


(だが、もし俺が元の世界に帰れるとしたら……)


「はは、もちろん貴殿がそんな事をする人物で無いのは十分承知だ。だが少し不安になったのでな、気を悪くしたらすまぬ」
「いやいい。むしろろ仲間たちがどう思っているのか、こうして具体的に聞けたのは、俺にとっては最も有難い事だ。逆に気を使わせて悪かったな」

 微かな笑みを見せるセレナ。
 そして彼女は、それ以上何も聞いてくる事は無かった。

 元の世界に帰れるかどうかはまだ何もわからない。
 これについて考えるのはまだ先でいい。

(だが俺がメルドランの辺境伯であるという話は……)

 これは間違いなく事実だろう。
 持っている剣もそうだし、転移した直後に日本円にして数百万相当の現金を持っていた理由も、それならば納得が行く。

 そしてその領地はまだ存在するらしい。
 状況を把握しなければわからないが、きっと何らかの対処は必要になるだろう。

 もし元の俺がザウローのような悪徳領主だったのなら贖罪しょくざいを。
 マティウスのような善良な領主だったなら、長期間留守にした事に対する謝罪をしなければならないだろう。

(だがそれはあくまで辺境伯領主としての俺の義務。今の俺が今後やっていきたい事とは、一体なんなのだろう)


 現時点では情報が少な過ぎて決める事は出来ない。
 だが、はっきりしている事が一つだけあった。




 それは俺が今のこの状況を──
 仲間との旅路を大切に思っているという事実だ。



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