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第四章
地方領主の末期《まつご》/宿敵
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「例の魔物達が街に迫っていると?」
「はい。斥候から報告がございました!」
「ハハッ! 丁度良いではないか。わが軍で蹴散らしてみせようぞ!」
領主の軍が到着する前、ウェグリアには三度の襲撃があった。
領内各都市への軍事費を出し渋っていた領主のエルヴェ侯爵だったが、それは自らが指揮する領軍の軍備拡充へ回していたからである。
「この町のへっぽこ自警団でも撃退出来るくらいの軍勢なのだ。我々が誇る三千もの軍勢であれば、なんという事はないだろうよ!」
彼は側近に語り掛ける。
「地位も資産も十分に得た私だが……こんな私にも未だ得られていない栄誉がある。それがなんだかわかるか?」
「戦功、でしょうか」
「そうだ! 泰平の世が何百年も続いたこの世ではついぞ得る事の出来なかった栄誉。それが今、わざわざ向こうからやって来ているのだよ!」
エルヴェ・プリュヴォー侯爵はフェンブル内でも有数の貴族だ。
そして彼はメルドランの侵攻当初から、継続して彼らの動向を探らせていた。
「アイザック王子──どうやら第四十二代メルドラン国王を僭称しているようだが──彼が魔物を使役していると聞いた時は本当にビックリしたものだ。しかし所詮は烏合の衆よの。町を攻略する度にその軍勢を減らしていたという報告は、私の元にも逐次報告されていたのだよ」
「それでこの度は自ら軍を率いて……」
「ああ。私は本当に運がいい。まさかその落ちぶれた軍勢が、私の領地にわざわざ戦を仕掛けに来てくれたのだからな! こんな千載一遇のチャンス、トーラシアの田舎貴族なんぞに横取りされてたまるものか!」
町の周囲には軍勢がいないという、ヒースへ伝えた情報は偽りだった。
数は少なかったものの、敵の軍勢はまだウェグリア近郊に駐屯していた。
侯爵は戦功を独り占めする為に、ヒースを町から追い出したのだ。
「何しろ今までメルドラン軍に勝利出来た領地は一つも無い。だがいま、他領地の軍勢が削ってくれたお陰で、アイザックの軍は弱体化しておる。実際ジェラルドでも撃退する事が出来たのだからな!」
「それでアイザック王子を打ち取る事が出来れば……」
「私の公爵位への道は約束されたようなものじゃろうな」
嫌らしい笑みを浮かべる侯爵の元に、血相を変えた兵士が飛び込んできた。
「貴様っ、突然に何事かっ!?」
「町の門が破られました! 侯爵様、脱出のご準備を!」
「脱出? どういう事だ? 千体にも満たない魔物に遅れを取るなど……」
「侯爵様っ、申し訳ございませんが、そのような数ではございませぬ!」
「ああ? 魔物が千体を超えようが、地の利と数ではわが軍の敵ではないはずだが! ええい、ジェラルドは一体何をやっておるのだ!」
兵士は口ごもりながら報告を上申した。
「そのジェラルド隊長ですが……彼は戦死いたしました」
「なん……だと……」
ジェラルドは数百という少ない衛兵隊を指揮し、数千の魔物を撃退した。
侯爵はそれをジェラルドの用兵術と兵士たちの練度の賜物だとは評価せず、単に魔物達の戦力を過小評価したのだ。
だがそんな優秀なジェラルドであっても、自軍の数十倍もの魔物を撃退する術はない。
「斥候からの報告ですが……魔物の数は一万以上であると……」
「一万以上だと!? 先日確認した時には千体にも満たなかったはずなのに、なぜ急にそれほどの数を集める事が出来るのだっ!?」
侯爵は取り乱した様子でその場に立ち上がる。
その時だった。
「敵が陣に急襲してきました! 防ぎ切れま……ウワァァッ!」
侯爵はこれはまずいとばかりに、幕舎の裏から逃げ出した。
そして裏手に少し出た所で敵と鉢合わせる。
自身の身長の倍はあるかと思われる、大柄な魔物。
青みがかった体躯に、巨大な手で掴む一本の丸太。
岩の魔物だった。
「な……なぜもうこんな場所にまでお前らのような汚い魔……」
彼は呪詛の言葉を全て言い切る事が出来なかった。
なぜならその相手の丸太によって、一瞬にして押し潰されたからだ。
◆ ◇ ◇
「はーっはっはっは! これは本当にすごい力であるなっ!」
周辺の魔物を集め悦に浸る、メルドラン第四王子のアイザック。
「しかしジェイドよ。なぜこのような便利な御業を今まで隠しておったのだ。最初からこの秘術を使えば、余があれほど無駄な苦労をする必要は無かったであろうが」
「アイザック陛下。術をお掛けする際にもご説明いたしましたが、これは少々危険な術でして……御身に危険が及ぶ恐れがございましたので暫く控えていたのです」
「ああ、そうだったそうだった。余くらいの強者でなければ、あの術には耐えられないのであったな! だが余はこうして無事である。むしろ体中に精気が満ち溢れるようだぞ!」
(何が無事なものか。お前の体はもはや人では──)
アイザックは自らの身に何が起きたのかを気にする事も無く、ただただ内から溢れ出る強力な力に酔いしれていた。
◇ ◆ ◇
時は九頭竜の召喚を中止した直後まで遡る。
ジェイドは召喚を中止した後、すぐにアイザック王子の元に合流した。
当初は指示通りに動かないジェイドに激高していた王子だったが、彼の提案を聞き態度を一変させる。
「余の能力を大幅に強化出来る、というのか?」
「はい。今までアイザック陛下の身を案じ提案を控えておりましたが、私は確信を持ちました。陛下こそ、『進化』の秘術に耐えられるお方であるとっ!」
「『進化』!?」
ジェイドの話は半分真実で、残り半分はでたらめだ。
広く使われている共通魔法や精霊魔法は、主に自然現象を司るものが多い。人の生活を補助する、いわば道具のような役目を持っているのだ。
一方シンテザ教徒の扱う精神魔法は、元よりアプローチ方法が異なる。
教団の母体となった組織は、人類の可能性を追及する目的で誕生した。
よってそこで研究されていた魔法は、人そのものに干渉するものが多い。
そしてその中には『進化』という魔法も確かに存在した。
しかし……
「して、その魔法にどのような危険があると言うのだ?」
「選ばれた人間でなければ、神の逆鱗に触れる事になりましょう」
「よ、余が選ばれた人間だというのは真だろうな?」
「魔剣タイラントを難なく扱える方などそうそうおりません。メルドラン王家の正当な後継者であり、そのようなお力を持つ人物が選ばれし者で無いはずがございませんっ!」
この言葉も単なる思い付きである。
いくらアイザックのような凡庸な人間でも、そのような都合の良い魔法をなぜ今まで使わなかったのか疑問に思うだろう。
そこで彼は多少の真実を織り交ぜながら、尤もらしい説明を捏造したのだ。
その真実である部分は、神の逆鱗に触れるという事。
そして捏造した部分とは……
(誠に残念ですが──神に選ばれる人物など、この世に一人もいません!)
つまり術を受けた者は誰彼構わず、平等に裁きを受けるのだ。
「今回は都合が良い事にすぐに秘術を行えます。何しろ亜神召喚の為に集めさせたマナを、陛下の為に全て温存しておきましたので」
「そ、その秘術というのは、今やらぬと駄目なのか」
「これは神にも匹敵する力を得る秘術です。大量のマナを使用しますし、このような大規模魔法を発動出来る集団など、世界広しと言えども我々くらいしかいないでしょうね」
「神にも匹敵する……力」
「ええ。この力を得れば陛下の扱う魔剣タイラントは、更に多くの魔物を集める事が可能となるでしょう!」
「おおっ! それは真かっ!?」
大規模魔術は魔法協会に於いてもしばしば行使される。
協会内で使われている機材は、職員達による召喚魔法により調達されたものだからだ。
だがこれほど大規模の召喚部隊を揃えているのは、教団幹部ではジェイド以外にはほぼ存在しない。
「もしご心配なようでしたら術の行使は取り止め、亜神召喚に当たらせますが……次いつ術を使えるかは私にもお約束しかねます。私もそろそろ別件でここを離れなければなりませんので」
「……私であれば絶対に神の逆鱗には触れぬのだな?」
「それは保証いたします。絶対に大丈夫です」
「もし嘘だったら、母上に進言してお前に罰を与えるぞ!」
(結局ここでも母親頼りですか──なんと情けない)
「どうぞご随意に。そもそも失敗などしようものなら、アイザック様のお口添えが無くとも、王太后様からの処罰は免れないでしょう」
「そ、それもそうだな……よしわかった。その秘術、余の身を以て体現させてみるが良いっ!」
「謹んで承らせていただきます」
(これで今後彼と関わらずに済むなら安いもの。一刻も早くフィオンの行方を追わなければ──)
こうしてアイザックはジェイドから『進化』という名の秘術を受ける事になった。
詠唱中激しい痛みに暴れるアイザックだったが、部下達の精神魔法によって魔法陣の中心に拘束され続ける。
結果、アイザックは意識を失ってしまう。
その様子を見ながら、ジェイドは呟いた。
「愚鈍な王子様。なぜ人類の進化を目指す私が、今までその『進化』を使わなかったか、お勉強嫌いなあなたには分からないでしょうね」
その魔法に『進化』と名付けたのは、術の開発者では無い。
後世の研究者が便宜上名付けたものだ。
「この術はですね……決して『進化』と呼べるような代物では無いのですよ。例えるなら人という名の幼虫が蛹を経て全く別の生物に変化する、いわば『変態』とでも呼ぶべき、おぞましい魔法なのです」
彼がこの魔法を使わなかったのは、決してモラルの問題ではない。
そもそも彼の中にあったモラルは、当の昔に消え去ってしまった。
ジェイドが目指していたのは人の強化ではなく、人類の強化である。
人類とは呼べない異形の生物を作り出す魔法など、彼の研究テーマには全くそぐわなかったのだ。
その意味では彼こそが、組織本来の目的の真の後継者なのかも知れない。
「つまり……あなたは人の形をしながら、もう人では無い。ですが安心してください。真の変化は、まだ暫く先の事……」
ジェイドはまだ術が終わらなぬうちに、飽きたとばかりに背を向ける。
「まぁあの見栄の塊である淫売王妃の息子です。その偽りの力、貴方にピッタリだと思いますよ!」
彼は高らかに笑いながら、その場を離れて行った。
◇ ◇ ◆
アイザックが四度目のウェグリア攻略を命じた頃。
王子の元を離れたジェイドは、部下から報告を受けていた。
「ウェグリアでの調査結果ですが、どうやら獣人連れの旅人がいたという情報を複数の衛兵から得られました」
「それは本当ですか!?」
「はい。領主のエルヴェ侯爵も掴んでいた情報ですので、間違いないかと」
「でかしました、でかしましたよっ!!」
普段見慣れない上司の喜びように、報告する部下は一瞬たじろぐ。
「そ、それで!? その旅人はどんな者たちなのですか!?」
「それがどうやらフェルコス方面から旅をしてきた一行らしいようで」
「ええ、ええ。それで?」
「人数など細かい事は不明ですが、主要メンバーと思しき者たちはフェルディナンド公公認の使節らしく……」
ジェイドの表情から笑顔が消えていく。
「フェルディナンド公……トーラシアの関係者」
「はい。どうやらそれがトレバー領主の娘と、その婚約者だそうで」
「なるほど──その婚約者の名を教えてくださいますか」
彼の顔からは、既に一切の感情が消え去っていた。
ジェイドの頭に一人の名が浮かぶ。
マラスやザウロー家、そしてジェイド自身といったシンテザ教徒の関係者に悉く立ちはだかってきた、異郷の剣士の名を。
「その者の名ですが……ヒースと名乗っているそうです」
ジェイドはあまりの奇縁に、思わず目を閉じた。
「ヒース……また貴方ですか。これはもう無視出来る存在では無さそうですね」
二人は未だ一度も顔を合わせた事がない。
だがジェイドの心中にはしっかりと、彼に対する認識が出来上がっていた。
ヒースという男は、己の宿敵であると。
「相手が誰であろうと、私の信念は曲げられませんよ。ヒースさん」
ジェイドの暗い瞳に、憎しみの感情は一切見られない。
彼が何を思い、何を感じているのか。
それは彼の部下にも、誰一人として理解出来る者はいなかった。
……五章へ続く
「はい。斥候から報告がございました!」
「ハハッ! 丁度良いではないか。わが軍で蹴散らしてみせようぞ!」
領主の軍が到着する前、ウェグリアには三度の襲撃があった。
領内各都市への軍事費を出し渋っていた領主のエルヴェ侯爵だったが、それは自らが指揮する領軍の軍備拡充へ回していたからである。
「この町のへっぽこ自警団でも撃退出来るくらいの軍勢なのだ。我々が誇る三千もの軍勢であれば、なんという事はないだろうよ!」
彼は側近に語り掛ける。
「地位も資産も十分に得た私だが……こんな私にも未だ得られていない栄誉がある。それがなんだかわかるか?」
「戦功、でしょうか」
「そうだ! 泰平の世が何百年も続いたこの世ではついぞ得る事の出来なかった栄誉。それが今、わざわざ向こうからやって来ているのだよ!」
エルヴェ・プリュヴォー侯爵はフェンブル内でも有数の貴族だ。
そして彼はメルドランの侵攻当初から、継続して彼らの動向を探らせていた。
「アイザック王子──どうやら第四十二代メルドラン国王を僭称しているようだが──彼が魔物を使役していると聞いた時は本当にビックリしたものだ。しかし所詮は烏合の衆よの。町を攻略する度にその軍勢を減らしていたという報告は、私の元にも逐次報告されていたのだよ」
「それでこの度は自ら軍を率いて……」
「ああ。私は本当に運がいい。まさかその落ちぶれた軍勢が、私の領地にわざわざ戦を仕掛けに来てくれたのだからな! こんな千載一遇のチャンス、トーラシアの田舎貴族なんぞに横取りされてたまるものか!」
町の周囲には軍勢がいないという、ヒースへ伝えた情報は偽りだった。
数は少なかったものの、敵の軍勢はまだウェグリア近郊に駐屯していた。
侯爵は戦功を独り占めする為に、ヒースを町から追い出したのだ。
「何しろ今までメルドラン軍に勝利出来た領地は一つも無い。だがいま、他領地の軍勢が削ってくれたお陰で、アイザックの軍は弱体化しておる。実際ジェラルドでも撃退する事が出来たのだからな!」
「それでアイザック王子を打ち取る事が出来れば……」
「私の公爵位への道は約束されたようなものじゃろうな」
嫌らしい笑みを浮かべる侯爵の元に、血相を変えた兵士が飛び込んできた。
「貴様っ、突然に何事かっ!?」
「町の門が破られました! 侯爵様、脱出のご準備を!」
「脱出? どういう事だ? 千体にも満たない魔物に遅れを取るなど……」
「侯爵様っ、申し訳ございませんが、そのような数ではございませぬ!」
「ああ? 魔物が千体を超えようが、地の利と数ではわが軍の敵ではないはずだが! ええい、ジェラルドは一体何をやっておるのだ!」
兵士は口ごもりながら報告を上申した。
「そのジェラルド隊長ですが……彼は戦死いたしました」
「なん……だと……」
ジェラルドは数百という少ない衛兵隊を指揮し、数千の魔物を撃退した。
侯爵はそれをジェラルドの用兵術と兵士たちの練度の賜物だとは評価せず、単に魔物達の戦力を過小評価したのだ。
だがそんな優秀なジェラルドであっても、自軍の数十倍もの魔物を撃退する術はない。
「斥候からの報告ですが……魔物の数は一万以上であると……」
「一万以上だと!? 先日確認した時には千体にも満たなかったはずなのに、なぜ急にそれほどの数を集める事が出来るのだっ!?」
侯爵は取り乱した様子でその場に立ち上がる。
その時だった。
「敵が陣に急襲してきました! 防ぎ切れま……ウワァァッ!」
侯爵はこれはまずいとばかりに、幕舎の裏から逃げ出した。
そして裏手に少し出た所で敵と鉢合わせる。
自身の身長の倍はあるかと思われる、大柄な魔物。
青みがかった体躯に、巨大な手で掴む一本の丸太。
岩の魔物だった。
「な……なぜもうこんな場所にまでお前らのような汚い魔……」
彼は呪詛の言葉を全て言い切る事が出来なかった。
なぜならその相手の丸太によって、一瞬にして押し潰されたからだ。
◆ ◇ ◇
「はーっはっはっは! これは本当にすごい力であるなっ!」
周辺の魔物を集め悦に浸る、メルドラン第四王子のアイザック。
「しかしジェイドよ。なぜこのような便利な御業を今まで隠しておったのだ。最初からこの秘術を使えば、余があれほど無駄な苦労をする必要は無かったであろうが」
「アイザック陛下。術をお掛けする際にもご説明いたしましたが、これは少々危険な術でして……御身に危険が及ぶ恐れがございましたので暫く控えていたのです」
「ああ、そうだったそうだった。余くらいの強者でなければ、あの術には耐えられないのであったな! だが余はこうして無事である。むしろ体中に精気が満ち溢れるようだぞ!」
(何が無事なものか。お前の体はもはや人では──)
アイザックは自らの身に何が起きたのかを気にする事も無く、ただただ内から溢れ出る強力な力に酔いしれていた。
◇ ◆ ◇
時は九頭竜の召喚を中止した直後まで遡る。
ジェイドは召喚を中止した後、すぐにアイザック王子の元に合流した。
当初は指示通りに動かないジェイドに激高していた王子だったが、彼の提案を聞き態度を一変させる。
「余の能力を大幅に強化出来る、というのか?」
「はい。今までアイザック陛下の身を案じ提案を控えておりましたが、私は確信を持ちました。陛下こそ、『進化』の秘術に耐えられるお方であるとっ!」
「『進化』!?」
ジェイドの話は半分真実で、残り半分はでたらめだ。
広く使われている共通魔法や精霊魔法は、主に自然現象を司るものが多い。人の生活を補助する、いわば道具のような役目を持っているのだ。
一方シンテザ教徒の扱う精神魔法は、元よりアプローチ方法が異なる。
教団の母体となった組織は、人類の可能性を追及する目的で誕生した。
よってそこで研究されていた魔法は、人そのものに干渉するものが多い。
そしてその中には『進化』という魔法も確かに存在した。
しかし……
「して、その魔法にどのような危険があると言うのだ?」
「選ばれた人間でなければ、神の逆鱗に触れる事になりましょう」
「よ、余が選ばれた人間だというのは真だろうな?」
「魔剣タイラントを難なく扱える方などそうそうおりません。メルドラン王家の正当な後継者であり、そのようなお力を持つ人物が選ばれし者で無いはずがございませんっ!」
この言葉も単なる思い付きである。
いくらアイザックのような凡庸な人間でも、そのような都合の良い魔法をなぜ今まで使わなかったのか疑問に思うだろう。
そこで彼は多少の真実を織り交ぜながら、尤もらしい説明を捏造したのだ。
その真実である部分は、神の逆鱗に触れるという事。
そして捏造した部分とは……
(誠に残念ですが──神に選ばれる人物など、この世に一人もいません!)
つまり術を受けた者は誰彼構わず、平等に裁きを受けるのだ。
「今回は都合が良い事にすぐに秘術を行えます。何しろ亜神召喚の為に集めさせたマナを、陛下の為に全て温存しておきましたので」
「そ、その秘術というのは、今やらぬと駄目なのか」
「これは神にも匹敵する力を得る秘術です。大量のマナを使用しますし、このような大規模魔法を発動出来る集団など、世界広しと言えども我々くらいしかいないでしょうね」
「神にも匹敵する……力」
「ええ。この力を得れば陛下の扱う魔剣タイラントは、更に多くの魔物を集める事が可能となるでしょう!」
「おおっ! それは真かっ!?」
大規模魔術は魔法協会に於いてもしばしば行使される。
協会内で使われている機材は、職員達による召喚魔法により調達されたものだからだ。
だがこれほど大規模の召喚部隊を揃えているのは、教団幹部ではジェイド以外にはほぼ存在しない。
「もしご心配なようでしたら術の行使は取り止め、亜神召喚に当たらせますが……次いつ術を使えるかは私にもお約束しかねます。私もそろそろ別件でここを離れなければなりませんので」
「……私であれば絶対に神の逆鱗には触れぬのだな?」
「それは保証いたします。絶対に大丈夫です」
「もし嘘だったら、母上に進言してお前に罰を与えるぞ!」
(結局ここでも母親頼りですか──なんと情けない)
「どうぞご随意に。そもそも失敗などしようものなら、アイザック様のお口添えが無くとも、王太后様からの処罰は免れないでしょう」
「そ、それもそうだな……よしわかった。その秘術、余の身を以て体現させてみるが良いっ!」
「謹んで承らせていただきます」
(これで今後彼と関わらずに済むなら安いもの。一刻も早くフィオンの行方を追わなければ──)
こうしてアイザックはジェイドから『進化』という名の秘術を受ける事になった。
詠唱中激しい痛みに暴れるアイザックだったが、部下達の精神魔法によって魔法陣の中心に拘束され続ける。
結果、アイザックは意識を失ってしまう。
その様子を見ながら、ジェイドは呟いた。
「愚鈍な王子様。なぜ人類の進化を目指す私が、今までその『進化』を使わなかったか、お勉強嫌いなあなたには分からないでしょうね」
その魔法に『進化』と名付けたのは、術の開発者では無い。
後世の研究者が便宜上名付けたものだ。
「この術はですね……決して『進化』と呼べるような代物では無いのですよ。例えるなら人という名の幼虫が蛹を経て全く別の生物に変化する、いわば『変態』とでも呼ぶべき、おぞましい魔法なのです」
彼がこの魔法を使わなかったのは、決してモラルの問題ではない。
そもそも彼の中にあったモラルは、当の昔に消え去ってしまった。
ジェイドが目指していたのは人の強化ではなく、人類の強化である。
人類とは呼べない異形の生物を作り出す魔法など、彼の研究テーマには全くそぐわなかったのだ。
その意味では彼こそが、組織本来の目的の真の後継者なのかも知れない。
「つまり……あなたは人の形をしながら、もう人では無い。ですが安心してください。真の変化は、まだ暫く先の事……」
ジェイドはまだ術が終わらなぬうちに、飽きたとばかりに背を向ける。
「まぁあの見栄の塊である淫売王妃の息子です。その偽りの力、貴方にピッタリだと思いますよ!」
彼は高らかに笑いながら、その場を離れて行った。
◇ ◇ ◆
アイザックが四度目のウェグリア攻略を命じた頃。
王子の元を離れたジェイドは、部下から報告を受けていた。
「ウェグリアでの調査結果ですが、どうやら獣人連れの旅人がいたという情報を複数の衛兵から得られました」
「それは本当ですか!?」
「はい。領主のエルヴェ侯爵も掴んでいた情報ですので、間違いないかと」
「でかしました、でかしましたよっ!!」
普段見慣れない上司の喜びように、報告する部下は一瞬たじろぐ。
「そ、それで!? その旅人はどんな者たちなのですか!?」
「それがどうやらフェルコス方面から旅をしてきた一行らしいようで」
「ええ、ええ。それで?」
「人数など細かい事は不明ですが、主要メンバーと思しき者たちはフェルディナンド公公認の使節らしく……」
ジェイドの表情から笑顔が消えていく。
「フェルディナンド公……トーラシアの関係者」
「はい。どうやらそれがトレバー領主の娘と、その婚約者だそうで」
「なるほど──その婚約者の名を教えてくださいますか」
彼の顔からは、既に一切の感情が消え去っていた。
ジェイドの頭に一人の名が浮かぶ。
マラスやザウロー家、そしてジェイド自身といったシンテザ教徒の関係者に悉く立ちはだかってきた、異郷の剣士の名を。
「その者の名ですが……ヒースと名乗っているそうです」
ジェイドはあまりの奇縁に、思わず目を閉じた。
「ヒース……また貴方ですか。これはもう無視出来る存在では無さそうですね」
二人は未だ一度も顔を合わせた事がない。
だがジェイドの心中にはしっかりと、彼に対する認識が出来上がっていた。
ヒースという男は、己の宿敵であると。
「相手が誰であろうと、私の信念は曲げられませんよ。ヒースさん」
ジェイドの暗い瞳に、憎しみの感情は一切見られない。
彼が何を思い、何を感じているのか。
それは彼の部下にも、誰一人として理解出来る者はいなかった。
……五章へ続く
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