海外在住だったので、異世界転移なんてなんともありません

ソニエッタ

文字の大きさ
30 / 75
異世界の仕事改革

魔王の耳に念仏

しおりを挟む
エミリは魔王―ゼアに向き直り、できるだけ丁寧に切り出した。

「……つまり、このままだと皆さんが疲れ果てて、いずれ立ち行かなくなりますよ。だから少し、負担を分ける仕組みを―」

「ふーん。ま、なるようになるだろ」

「……いえ、だから、なるようにならないから問題で、現に皆さん疲弊してますよ?」

「いやいや、大丈夫だって。みんな優秀だし、私が口出さないほうがうまく回るし」

「……」


―― 暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐にかすがい、馬の耳に念仏…。

どれだけ言葉を尽くしても、まったく届く気配がない。
いや、そもそも、最初から受け取る気がないのではないだろうか。


エミリは一瞬だけ目を閉じ、心の中で淡々と呟く。

(……覚えておこう。遺言に書くなら、これだな)



『一番厄介なのは、話が通じないやつ』



敵より、力のある存在より、何よりも。
理解する気がない相手が、一番タチが悪い。


ゼアは相変わらず、気だるげに伸びをしながらぼそっと言った。

「で、話終わり? オルク、適当に茶でも出してやれー」

(……はい、通じませんでしたー)

エミリは淡々と、けれどどこか遠い目をして、静かに息を吐いた。

ーそして静かにエネルを見た。

「……エネル、ひとつ聞いていいですか」

「ん?」

「どうしてあなたが魔族力自慢大会で優勝しなかったんです…?」

エネルは一瞬きょとんとし、それから苦笑した。

「いや、俺はそこそこ強いけど、魔王にはさすがに―」

「…なんで、あのバカに勝たせたんです?」

淡々とした声に、エネルの動きが止まる。

「え、いや……バカって……」

「あなたが勝っていれば、少なくとも『何もしないトップを全力で支える無限ブラック構造』は生まれなかったんですよね。つまり、あなたの弱さが、今の原因を作ったんですよ?」

「……ちょ、ちょっと待て、俺が弱かったからって―」

「ええ、そうです。あなたが弱かったから、魔王はゼアになった。だから魔族社会は崩壊寸前です。……結果、私が今こうして苦労している。因果関係は単純です」

エネルは頭を抱えた。

「いやいやいや、そんな理屈おかしいだろ!? 理不尽すぎる!」

エミリは表情を変えず、ただ一言。


「理不尽? 現実はいつだって理不尽です」



そして小さく息を吐いた。
「――少なくとも、あなたが勝っていればマシな地獄くらいにはなったでしょうに」

エネルはエミリの理不尽すぎる八つ当たりに完全に言葉を失った。


エネルが言い返せず黙り込んだその時、玉座の上から気の抜けた声がした。

「……へぇ。そういうこと、か」

低く、ゆるやかに笑う声に、エミリははっと顔を上げた。
そこにいたのは――先ほどとは打って変わり、“魔王”そのものだった。

黒曜石のように光を呑み込む漆黒の衣。玉座に気怠げにもたれかかるだけで場を支配する。
金の瞳は獣めいた光を宿し、わずかに口角を上げただけで、空気はぴんと張り詰め、肌を刺すような圧迫感が広がる。

――ついさきほどまでの気の抜けた態度が嘘のように。そこにいるのは、まぎれもなく圧倒的な“存在”だった。

(……すごい。これが、魔王の“オーラ”……)

思わず息を呑むエミリに、ゼアは静かに視線を向ける。


そして、

「エネルと一緒にいるってことはさぁ、あんたが“神託の者”?」

……え、今さら気づいたの?とエミリが目を瞬かせる間に、ゼアは面倒くさそうに片手をひらひら振った。

「あー、はいはい。了解、了解。そういうことねー、理解したわー」

そして豪快にあくび。

そのまま玉座の上でぐにゃっと姿勢を崩し、だらしなく足を組む。

「――じゃ、よろしくねー。アンタが来たなら、もう大丈夫なんでしょ? 神託でもそう言ってたし。私がわざわざ動かなくても、魔族は勝つんだよね? うん、任せたわー」

エミリは口を開きかけて、言葉を失った。

(……いやいやいや、待って。外見もオーラも完璧に魔王なのに、中身が完全にやる気ゼロ…むしろ責任を丸投げする気満々じゃないこれ……)

ゼアはほっとしたように息をつき、肘をついた手の甲に顎をのせる。瞼がゆるりと半分落ちた。

「はぁー……これでやっと昼寝できるわぁ」

まるで大仕事を終えた人みたいな声だった。


ちょっと待ってください……魔王なんですから、ちゃんと仕事してください!」

思わずエミリの声が上ずる。

「人間側に討伐されますよ!? あなたには魔族の代表として、ちゃんと話し合いを持ってもらわないと――」

ゼアは眠そうに片目だけ開けて、あくび混じりに返した。

「えー、人間が襲ってきたら、ドーンでバーンってやったら終わりだよー」

「…………」

エミリは一瞬、あっけにとられて口をパクパクさせる。

「ドーンでバーンって終わりって、子どものケンカですか!?」

ゼアは「ふぁ~あ」ともう一度あくびをして、だるそうに笑う。

「だって面倒だし~。どうせ勝つんだし、いいでしょ?」



……もういい。

この瞬間、エミリの中で何かが切れた。

「あー、はいはい。わかりました。…あんたにはもう、敬語は必要ない…」


ゼアが片眉を上げる。

「ほう?」

「敬う理由がない。これからちゃんと働いてもらうから、そのつもりで」

淡々と、しかし容赦のない口調。

ゼアは一瞬きょとんとした後、口の端をゆるく吊り上げた。

「へぇ……言うねぇ。――ま、いいけど?」

エミリは腕を組み、無言で睨み返す。



玉座の上では、魔王ゼアが気の抜けた笑みを浮かべて足を投げ出しているだけだった。


その様子を、少し離れた場所から見ていたエルヴィンとアレイスは――完全に言葉を失っていた。

人間側からすれば、魔王は恐怖と憎悪の象徴。
触れることすらためらうほどの圧倒的な存在だと信じていた。

だが、目の前にいるのは、ただの怠け者。

世界を揺るがす“魔王”のイメージが音を立てて崩れ、二人の頭の中は真っ白になった。

「……あれが……魔王……?」

アレイスがかすれた声で呟くと、隣のエルヴィンは虚ろな目で首を振るしかなかった。

本来なら、人間の領地を魔族側につける交渉をし、協力関係を築く相談をするはずだった。
だが今、その必要性も緊張感も、すっかり忘れてしまうほど拍子抜けしていた。

――何もかも、想像していたものと違いすぎる。









こうして魔王との初対面は、特に盛り上がることもなく終わり、必要以上に敬う理由はないと判断し、余計な遠慮も消えた。

結果として、エミリと魔王の関係は最初から不思議と対等であった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

生贄公爵と蛇の王

荒瀬ヤヒロ
ファンタジー
 妹に婚約者を奪われ、歳の離れた女好きに嫁がされそうになったことに反発し家を捨てたレイチェル。彼女が向かったのは「蛇に呪われた公爵」が住む離宮だった。 「お願いします、私と結婚してください!」 「はあ?」  幼い頃に蛇に呪われたと言われ「生贄公爵」と呼ばれて人目に触れないように離宮で暮らしていた青年ヴェンディグ。  そこへ飛び込んできた侯爵令嬢にいきなり求婚され、成り行きで婚約することに。  しかし、「蛇に呪われた生贄公爵」には、誰も知らない秘密があった。

無能だと捨てられた第七王女、前世の『カウンセラー』知識で人の心を読み解き、言葉だけで最強の騎士団を作り上げる

☆ほしい
ファンタジー
エルミート王国の第七王女リリアーナは、王族でありながら魔力を持たない『無能』として生まれ、北の塔に長年幽閉されていた。 ある日、高熱で生死の境をさまよった彼女は、前世で臨床心理士(カウンセラー)だった記憶を取り戻す。 時を同じくして、リリアーナは厄介払いのように、魔物の跋扈する極寒の地を治める『氷の辺境伯』アシュトン・グレイウォールに嫁がされることが決定する。 死地へ送られるも同然の状況だったが、リリアーナは絶望しなかった。 彼女には、前世で培った心理学の知識と言葉の力があったからだ。 心を閉ざした辺境伯、戦争のトラウマに苦しむ騎士たち、貧困にあえぐ領民。 リリアーナは彼らの声に耳を傾け、その知識を駆使して一人ひとりの心を丁寧に癒していく。 やがて彼女の言葉は、ならず者集団と揶揄された騎士団を鉄の結束を誇る最強の部隊へと変え、痩せた辺境の地を着実に豊かな場所へと改革していくのだった。

まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱
ファンタジー
おっとりヲタク男子二十五歳成人。チート能力なし? まったく知らない世界に転生したようです。 何のヒントもないこの世界で、破滅フラグや地雷を踏まずに生き残れるか?! 頼れるのは己のみ、みたいです……? ※BLですがBがLな話は出て来ません。全年齢です。 私自身は全年齢の主人公ハーレムものBLだと思って書いてるけど、全く健全なファンタジー小説だとも言い張れるように書いております。つまり健全なお嬢さんの癖を歪めて火のないところへ煙を感じてほしい。 111話までは毎日更新。 それ以降は毎週金曜日20時に更新します。 カクヨムの方が文字数が多く、更新も先です。

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

異世界に来ちゃったよ!?

いがむり
ファンタジー
235番……それが彼女の名前。記憶喪失の17歳で沢山の子どもたちと共にファクトリーと呼ばれるところで楽しく暮らしていた。 しかし、現在森の中。 「とにきゃく、こころこぉ?」 から始まる異世界ストーリー 。 主人公は可愛いです! もふもふだってあります!! 語彙力は………………無いかもしれない…。 とにかく、異世界ファンタジー開幕です! ※不定期投稿です…本当に。 ※誤字・脱字があればお知らせ下さい (※印は鬱表現ありです)

魔晶石ハンター ~ 転生チート少女の数奇な職業活動の軌跡

サクラ近衛将監
ファンタジー
 女神様のミスで事故死したOLの大滝留美は、地球世界での転生が難しいために、神々の伝手により異世界アスレオールに転生し、シルヴィ・デルトンとして生を受けるが、前世の記憶は11歳の成人の儀まで封印され、その儀式の最中に前世の記憶ととともに職業を神から告げられた。  シルヴィの与えられた職業は魔晶石採掘師と魔晶石加工師の二つだったが、シルヴィはその職業を知らなかった。  シルヴィの将来や如何に?  毎週木曜日午後10時に投稿予定です。

ある平凡な女、転生する

眼鏡から鱗
ファンタジー
平々凡々な暮らしをしていた私。 しかし、会社帰りに事故ってお陀仏。 次に、気がついたらとっても良い部屋でした。 えっ、なんで? ※ゆる〜く、頭空っぽにして読んで下さい(笑) ※大変更新が遅いので申し訳ないですが、気長にお待ちください。 ★作品の中にある画像は、全てAI生成にて貼り付けたものとなります。イメージですので顔や服装については、皆様のご想像で脳内変換を宜しくお願いします。★

ひきこもり娘は前世の記憶を使って転生した世界で気ままな錬金術士として生きてきます!

966
ファンタジー
「錬金術士様だ!この村にも錬金術士様が来たぞ!」  最低ランク錬金術士エリセフィーナは錬金術士の学校、|王立錬金術学園《アカデミー》を卒業した次の日に最果ての村にある|工房《アトリエ》で一人生活することになる、Fランクという最低ランクで錬金術もまだまだ使えない、モンスター相手に戦闘もできないエリナは消えかけている前世の記憶を頼りに知り合いが一人もいない最果ての村で自分の夢『みんなを幸せにしたい』をかなえるために生活をはじめる。  この物語は、最果ての村『グリムホルン』に来てくれた若き錬金術士であるエリセフィーナを村人は一生懸命支えてサポートしていき、Fランクという最低ランクではあるものの、前世の記憶と|王立錬金術学園《アカデミー》で得た知識、離れて暮らす錬金術の師匠や村でできた新たな仲間たちと一緒に便利なアイテムを作ったり、モンスター盗伐の冒険などをしていく。 錬金術士エリセフィーナは日本からの転生者ではあるものの、記憶が消えかかっていることもあり錬金術や現代知識を使ってチート、無双するような物語ではなく、転生した世界で錬金術を使って1から成長し、仲間と冒険して成功したり、失敗したりしながらも楽しくスローライフをする話です。

処理中です...